終章 去る者、残る者

「京都全域で起こり、一夜にして終わった大規模災害“百鬼夜行”についてですが、全日本魔導協会は陰陽連の協力を仰ぎながら、今回の騒動についての原因究明に全力をあげており−−−−」


 朝、流れるニュースを見ながら俺は果琳かりんと旅館最後の朝食を食べていた。

 あれほどの規模の騒動だったのにも関わらず、死傷者が二桁に届いていないのは奇跡としかいいようが無いだろう。


「被害、案外少ないみたいで良かったね」

「蒼龍殿は微塵みじんだけどな」

「あれは貴己たかみがやれって言ったんじゃん!」

「将棋のお返しなんだろ? それに俺たちがやったってことはどうやら陰陽連が揉み消してくれるらしいし。何にせよ一件落着だ」

「んー……あ、そういえばしんさんに関してだけど、なんか百鬼夜行とは別件としてコトが進められてるらしいよ」

「は? なんで?」

「何でも、遊戯童子が要注意対象としてずーっと魔導協会に登録されてたらしくて、それに関した事件として調査されてるんだってさ。精神鑑定も受けるらしいよ。だから、そこまで酷いことにはならないんじゃないかな」

「それは、喜んでいいのかどうか迷うな」

「いま喜ぶんじゃなくて、戻ってきたときにお帰りって笑顔で言えばいいと思うよ」


 カミカガリによって肩辺りまでに短くなった髪をいじりながら、果琳はそう言った。


「……そうだな」


 実際、今回の騒動はどこまでが静さんの意思で行われたのか、俺たちには分からない。

 遊戯童子と出会った時点でそそのかされていたのかも知れないし、初めは抵抗していたけれど段々と乗せられてしまったのかも知れない。

 けれど、何であろうと既に終わったことだ。

 だから俺はただ待つのみ……にしても、


「やっぱり包帯グルグル巻きだと持ちにくいな」


 いま俺の手は中二病患者よろしく、包帯で真っ白になっていた。

 骨折はなく、指ごとに巻かれているので箸や茶碗を持つことは出来る。

 出来るのだが、あの戦闘による後遺症で手に力があまり入らない状態だ。

 一ヶ月ほどで元どおりになると言われたが、一ヶ月もこのままなのは中々に辛い。

 早く治らないかな、なんてことを考えつつ椀を滑らせないよう両手で持って味噌汁を口へ運んでいると、ふすまがこんこんと叩かれた。

 まだ盆の回収には早いはず、と首を捻りつつ返事をすると、入ってきたのはのぞみでものぞむでもなく、亭主だった。


「おはようございます。二人とも、昨日は良く眠れたかな」

「お陰さまでぐっすりです」

「それは良かった。貴己くんも眠れたかい? 怪我の具合は?」

「どちらも大丈夫です。一日経って痛みはだいぶ引きました」

「そうか、歩くのに支障があったりは?」

「無いです、けど……」


 俺はそこまで答えて、何か話があるのだと察した。

 亭主も俺の反応に気づいたらしく、単刀直入に告げてくる。


「そうか。それなら−−−−」



 朝食を食べ終えた俺は亭主に呼ばれ、旅館から少し離れた場所にある倉庫に来ていた。

 果琳は荷造りがまだ終わってないからと部屋に残っている。

 倉庫はかなり広く、奥の方では何やら作業着を着た業者と思わしき人が何かの測定をしていたり、荷物を運び出していた。


「休館、ですか」

「色々と壊れた物の修繕もあるし、何より家内の腕が片方使えなくなってしまったからね。それが治るまでは休館だ」

「そう、ですか……」

「それと、この倉庫は取り壊すことにしたんだ」

「……陰陽師、本当にやめちゃうんですね」


 予想はついていたことだけど、目の前の光景を見ると、やはり悲しくなる。

 と、感傷に浸る俺を、亭主は次の言葉で一瞬にして引き戻した。


「いや? この倉庫を取り壊して、新しく立て直すんだ。もう大分古くなってあちこち緩んでいたからね。この倉庫にしまっておくべき大事なもの二つが同時に無くなったんだ。この機会を逃す手はあるまい」

「それって−−−−」

「あの子が戻ってきたとき、驚かしてやりたくてね」

「……きっと、驚きますよ」


 そう言った瞬間、倉庫の中を走り回る小さい自分と静さんの姿が見えた、気がした。


「……貴己くん。今回のことは本当にありがとう。何度お礼を述べても足らないが、せめて今だけは礼を言わせてほしい。……息子を、私たちを救ってくれて、本当にありがとう」


 改めて亭主が深々と頭を下げてくるが、俺としては対応に困ってしまう。


「僕は頼まれた依頼を遂行しただけです。陰陽連のトップなんだから、そんな簡単に頭を下げちゃダメですよ! 静さんの為にも、もっと堂々としていてください」

「堂々と、か。確かにわたしは陰陽連の頭目には向いていないのかもしれないな」

「す、すみませんそういう意味では無くて−−−−」

「だったら、早く継いでもらわなきゃだ」

「……はい」


 どこか遠くを見つめるその姿は威厳と風格を備えていて、静さんが陰陽師に憧れたのはこの人の姿を見たからなのかも知れない、なんて思った。

 ふと、亭主が腕時計を見て、入口の方へと向き直りつつ俺に声をかけてくる。


「そろそろ戻ろうか。午後一番の便で帰るんだろう?」

「は、はい。ところで……あの刀、本当に貰ってしまっていいんですか? せめて影打の方でも……。静さんが戻って来た時に残ってるのが影打だと、残念じゃないですか」

「宝の持ち腐れになるよりはよっぽどいいよ。依頼報酬とでも思って、存分に振るって欲しい。何なら、あの子が戻ってきたとき、貴己くんから渡してあげてくれ」

「……わかりました。それまではあの刀、借り受けます」

「うむ。よろしく頼む」



 部屋に戻って荷造りを終わらせた果琳と合流し、いよいよ出立の時間となった。

 希や希、亭主や女将が門前まで見送ってくれる。


「短い間でしたが、本当にお世話になりました」

「何も出来ずじまいでごめんなさいね。ご覧の醜態しゅうたいで」


 そう言った女将の腕に取り付けられたギプスの白が痛々しく目に映った。


「いえそんな! というより動いて大丈夫なんですか!?」

「いいのよこれくらい。ただ流石に腕を回せるようになるまではもう少しかかるわね」


 だが、彼女はそんなもの屁でもないといった様子で明るく振舞っていた。


「どうかご自愛ください」

「ええ。ありがとうね、本当に」


 短く済ませられた女将の声音には、言葉以上の重みと量があった。


「それにしても、あっという間でしたね」

「ずっといて欲しいです……」


 名残惜しそうに、望と希がそれぞれ惜しみの言葉を口にする。

 けれど表情はあくまで穏やかで、そんな望と希の頭には揃いの髪飾りがついていた。

 しゃらり、と揺れる紫のそれはとても綺麗で、二人にとても良く似合っている。

 髪飾りを付けておしとやかに微笑む今の望には初めて出会った時の冷たさなど見る影もなく、誰が見ても女の子と分かる出で立ちをしていた。

 もう、自分を偽る必要が無くなったのだろう。

 俺はその事実がどうしようもなく嬉しくて、思わず二人に笑いかける。


「いつかまた来るよ。それにしてもその髪飾り、二人とも良く似合ってるな」

「ほっ、ほんとですか?」


 希が上擦うわずった声を出し、その頰をかすかな朱に染める。


「うん。髪色が対照的なのに、すごいよ」


 実に良く似合っている、と俺がうんうん頷いていると、望が髪飾りに触れながら、


「これは、ずっと昔に兄さんがお祭りで買ってくれた物なんです。小学校への入学祝いを兼ねてって、お揃いの髪飾りを探してきてくれて」


 少し、寂しげな表情で言った。


「そうだったのか」


 ……こんな時、なんと言えば良いのだろう。


 返す言葉が見つからず、俺は紫の髪飾りを見つめながらそう言うしかなかった。

 けれど、何も言えない俺に対し、望は花のように笑う。


「そうなんです。でも、一度も付けたところを見せたことはなかったから、今は早く見せたい気持ちで一杯です」


 ハッキリと自分の気持ちを口にして笑う姿は、とても輝いて見えた。

 あまりにも眩しい笑顔に、二人は将来どんな子に育つのだろうかと想像してしまう。


 ……きっと、笑顔が素敵な女性になるのだろう。


「あ、そういえば! わたし、貴己さんに聞きたいことがあってですね……」


 思い出したように希が声を上げ、トテトテと俺の方へ近づいて来る。

 そして俺の耳元に顔を寄せると小声で、


「貴己さんって、果琳さんと付き合ってるんですか?」

「いや、全くそんなことないけど?」

「……」

「……なに?」

「何でもないです!」


 ……真顔で見つめられると威圧感がすごいのでやめてほしい。


 そんな俺の願いが通じたのか希が笑い、先ほどよりも更に小さい声で、


「つまりチャンスはあるってことだよね……うん」

「な、なんて? 良く聞こえなかったんだけど……」

「聞こえなくて大丈夫です! 大丈夫ですから!」

「お、おう……?」


 未だかつてないほどに頰を紅潮させて腕をぶんぶん振り回している理由が分からないが、放っておいた方が良さそうだ。


「……希、抜け駆けはダメだよ」

「しない、しないってば!」


 望がジト目で希に何かを訴えかけているが、それも俺には及びがつかない。


 ……まぁ、当人達が楽しそうなので良いのではないだろうか。


 と、肩を叩かれ振り向くと果琳が液晶端末を持って俺に見せてくる。

 画面に浮かんだ時刻表示は、出立の時間を告げていた。


「貴己、もう行かないと」

「ん、そうだな。それじゃあ−−−−」


 果琳と顔を見合わせ、二人同時に頭を下げる。


「「本当にありがとうございました!」」



□ □ □



「はぁっ、はぁっ。ちょっ、果琳はやい……!」


 全速力で通路を走り抜けたいが、スーツケースのせいで思うように走れない。

 そして俺の前にはローラー付きのスーツケースを抱えて走る緋色の髪をした少女。

 何故彼女はスーツケースを抱えて走れるのか?と野暮なことは聞いていけない。

 そういうものなのだ。


「急がないともう電車来ちゃうよ!」

「お前のお土産買うのに時間かかったんだろうがっ!」


 文句を言いつつ、俺と果琳がホームに滑り込んだのと同時、軽快なメロディが京都駅構内に鳴り響き、流線型の列車が滑るように侵入してくる。


「あはは。貴己、今すっごいビクッてなってた」

「初めて見た時ほどじゃない」


 歩きながら果琳が笑ってくるのに対し、強がりを返す。

 なんせリニアモーターカーはその巨体にしては無音に等しい静かさと、かなりの速度で突然やって来るので分かっていても驚いてしまう。


「行きは本当に飛び上がってたもんね。ちょっとした進歩だ」

「……確かに進歩したな。色んな意味で」

「来てよかったね。京都ここ

「うん、本当に」


 言って、俺と果琳はグリーン車の乗り場の前で立ち止まる。

 思えば今回の依頼は色々と得るものがあった。

 祓魔剣を貰うことが出来たし、何より最も大きかったのは、


「今回の件で、ハッキリと分かった。果琳が言っていたように俺が記憶を失った日に〈世界〉が光っていたってことは、百鬼夜行と同等か、それ以上の何かがあったってことだ」

「確かに言われてみればそうだね」

「関係があるとは言い切れないけど、何かの手がかりになるかもしれない」


 その事実は、半ば諦めていた記憶喪失の真実に近づく重要な情報の可能性がある。

 それが分かっただけでも十分だ。


「帰ったら色々と調べてみるか……」


 俺が帰宅後の休暇の使い方を色々と画策していると、果琳が「そういえば」と声をかけてくる。

 同時、完全に停止したリニアモーターカーの扉が開き、乗客の乗り降りが始まる。


「希ちゃんに何か聞かれてたけど、何を聞かれてたの?」

「うん? あぁ、果琳さんと付き合ってるんですかって聞かれ、」

「なんだそんなことか」


 俺の返答は望んだものでは無いようで、果琳はやれやれと肩をすくめて車内に入っていく。


「そんなことかって……」

「だって学院でもさんざ言われたじゃん。“やーい人外夫婦ー!”って」

「確かにそうだけども! ていうかそれ言われる度に果琳がぶっ飛ばしてるじゃん!」


 言いながら俺も続き、液晶端末に表示されている座席に着いた。

 どうやら今度の席は出口にかなり近いらしい。

 次はきちんと早めに降りられそうだな、などと思いつつ再び喋り出す。


「単純な話だよ? 妙齢の女性として、もう少しマシな反応をして欲しいわけですよ」

「何、嫉妬して欲しかったの? も〜貴己さんたら、いけずなんだから」

「どこをどう解釈したらそんな結論に至るんだよ! だったらその理由を二十文字以内で答えてください。ほら、早く。はいさーんにーい−−−−」


 まともに取り合わない果琳に俺はふざけて催促するが、


「だって、好きとか嫌いとかじゃないもの」


 返ってきた言葉は、真っ直ぐな物だった。


「…………それは、どういう、」

「女の秘密っ!」

「なんでや!」


 生唾を飲み込みやっとの思いで尋ねたが、果琳は音の立ちそうなウィンクを一つかますと、窓の方へ顔を向けてしまう。

 その時、軽快なメロディが窓越しに聞こえてきた。

 発車の合図だ。

 リニアモーターカーが、その低い駆動音と共に走行を開始する。

 あっという間にその速度は上昇し、京都の街並みを置き去りにしていく。

 流される景色の中、所々で建物の修繕準備が行われているのが見えた。

 道行く人々や、縦横に交わっていく車やバイクといった光景は何の変哲も無いのに、上空に見える〈世界〉があるだけでアンバランスに思えるから不思議だ。


 ……きっと、地球滅亡の瞬間もこんな感じなんだろうな。


 などと突拍子もないことを考えていると、不意に果琳が呟いた。


「私は、ずっと貴己と一緒だから」

「……そうか」

「うん。そういうことだから、将棋しよー!」

「どうしてそうなるんだ……?」


 言いながら、座席に備え付けられた折りたたみ式のミニテーブルを広げる。


「あ、ちゃぶ台返しは無しだぞ」


 前回の反省を活かして先制しておくのも忘れない。


「し、しないよ!」

「目ぇザッパンザッパン泳いでんぞ! 絶対やろうとしてたろ!」

「してなーい! いいからやるよ!」

「今度こそ俺の言うこと聞いてもらうからな……!」

「何でもいいよ〜、言ってごらん〜?」

「え……なんだろ」

「自分は妙齢の女性の反応求めたくせに、ここでヘタレるのどうかと思うよ」

「いや違うって! そういうんじゃないから!」

「どうだかね〜」


 そんな会話をしながら、俺たちは二人でゆっくりと駒を並べていく。

 空は未だ、〈世界〉の深い青で覆われていた。

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