第五章 もう一度
気づけば
抜きざま、
痛みはどこか空々しく、まだ死んでいないということだけがわかった。
体に全く力が入らない。
何かが抜け落ちたような、空虚な感覚。
声がして、そちらを見れば貴己と黒い
しかし底冷えするような
『−−−−あぁ。最後の最後で、中々に楽しめた。地獄で待っているぞ、少年よ』
「嫌だよ。落ちるならさっさと落ちろ、この死に損ない」
『
既に
『静、大いに迷え。一人きりでな。他を頼るもいいがお前は一人で征く者だ。何、死にたくなれば我はいつでもお前を歓迎しよう。寂しき者よ』
「……ああ」
静は喋ろうとしたが声が出ず、そう返すしか出来なかった。
そうして、いよいよ遊戯童子の影が薄れだす。
「辞世の句でも歌おうかと思ったが、柄では無いな−−−−」
最後にそう言って、影は消えた。
戦いは終わり、辺りが静けさを取り戻す。
静けさを取り戻したことにより、妖怪たちの
「さてさて……、どうやってあれ止めよっか」
「あんなの、止まるんですか……」
しかしこのままでは無限に湧いてくる妖怪の侵攻に耐えきれず、いずれ擂り潰されるように押され
救援に向かいたいという気持ちはあるが、果琳たちにはその気力も体力も残されていなかった。だが、
「終わるよ。もう終わらせられる」
言いながら、貴己が上を向く。
そこにあるのは炎に赤く染められた空と、空を通して禍々しい色味を帯びた〈世界〉。
「今、京都中に果琳の炎が広がってる。それはつまり、京都全体が魔力で覆われてるって事だ。それなら人の命を差し出さなくても、炎を消すだけで代替は可能だ。だから−−−−」
淡々と語る口調と表情に一切の迷いはなく、紡がれた言葉は事実だということが言外に伝わってくる。
「果琳、火を消してくれ」
「「!?」」
突然の言葉に、希と望は耳を疑った。
文字通り果琳が身を削って起こしている火を消せば、妖怪たちの侵攻は更に激化する。
そして辛うじて均衡を保っている防衛状態も、確実に瓦解してしまうだろう。
けれど、貴己は果琳に火を消せと命じた。
「……分かった」
何を言うこともなく果琳はカミカガリを解除する。
金砂が一際強く舞い、果琳の髪の輝きが失われると同時、京都全体に広がっていた炎の海が消えていく。
一瞬の
「あわわわ、声が……」
「大丈夫、もう来る」
湧き上がる威容に希が
遠くからでもはっきりと認識できる、先ほどとは違う異様な呻き声。
ふと、違和感に気づき皆が一斉に空を見上げる。
疑心は異変と共に確信へ。
〈世界〉が光を放っていた。
「一年前の、あの時と同じ……」
あの時と全く同じことが今、頭上で起こっている。
一つ、付け加えるとすれば
京都全体に降り注ぐ光を一度妖怪が浴びれば、呻き声をあげながら消えていく。
皆、その光景にただただ当惑して立ち尽くしていたが、貴己は違った。
空を見上げ、貴己が言い放った言葉は皆をさらに驚愕させるもので。
「あれが『百鬼夜行を終わらせるもの』、
「空亡が〈世界〉、ですか……?」
希の問いに貴己が頷く。
「ああ。百鬼夜行を終わらせる時、ああして日蝕のように光る様が“黒き円” “終焉ノ光”と形容されて、いつしかそれが文献の中で最強の妖怪として変わっていったんだ。ほら、もう聞こえない」
貴己がその視線と指先を街に向けた時、声は聞こえなくなっていた。
「ほ、ほんとだ……」
最強の妖怪の出現。
それは雷などの自然現象が神格化されるのと同様に、〈世界〉の一面を語り継いだ言葉が変化したものだった。
「存外、そんなものだよ。俺が言うのもなんだけど、世界を変えられる力なんてのは世界中探したって殆ど存在しないんだ。あったとして、それは一個人で扱いきれる物じゃない。現に、静さんは
言いながら、貴己は静の元まで歩いていき、未だ仰臥する静を見下ろしたまま喋り出す。
「俺は、あなたがどれだけの思いを抱いていたのか分からない。でも、魔導を使えない気持ちはよく分かる。だから俺たちは−−−−」
ガンッッ!!と金属質の大きな衝撃音が、静寂の空に木霊する。
貴己の言葉は、静が祓魔剣で床を
刀を杖代わりにして静がよろめきながらも立ち上がる。
「魔導を使えない気持ちはよく分かる……?」
その目には、身体の状態からは想像を絶する怒りの炎が燃えていた。
「君にっ……君に何がわかる! 自分のことすらわからない人間に、僕のことが分かるわけないだろう。『魔導が使えない気持ちはよく分かる』……? ふざけるな、魔法や魔術ですらない力を持っている癖に、適当言うなよ! 僕はやれることは全てやった、やってきた! それでもダメだったんだ! 自分が本当に憧れたものには届かないのに、持て囃される苦しみが分かるか!? 記憶を無くしただけでそんな力を手に入れた君に、初めから全部なかった人間の何が分かるわけないだろう!」
迸る激情のままに、静が貴己を責める。
今までやってきたことは全て間違いだったと、貴己からそう告げられたのだ。
絶対に告げられるはずのない相手から、絶対に告げられるはずのない言葉をかけられた静が怒りのままに叫ぶが、それは貴己も同じだった。
「−−−−っかんねぇよ」
小さく漏らした言葉は、
「わっかんねぇよ!!」
「っ……!」
感情をあまり表に出さず、淡々と話していたのが一変、激情に身を
その姿は、豹変と表す他ない。
「初めから全部なかった……? 全部無くした人間に、他の人間のこと分からないなんて当たり前だろうが! 分かんねぇよ! でも分かりたいんだよ! 静さんだって俺の事なんか一つも知らねぇ癖に適当言ってんじゃねえよ!」
けれど正しくは豹変ではなく、決壊。
ずっと、心の奥底に留めていた感情の堤防が静の言葉によって壊された。
貴己は瞳に激烈な
「目覚めた時、知らない人間が涙浮かべて俺を見てるんだよ……。泣きながら抱きしめられて、安堵の言葉を並べられた。それでも俺はどうしたらいいか分からなかった。家族に会ったって何一つ覚えてやしない。泣き崩れられて、申し訳ないと思うしか無かった。友人に同情の言葉をかけられたって返事一つ返せない。何も無いから自分のことを悲しいとすら思えない!」
伝える言葉を持たず。
それでも溢れる感情の名前を知りたくて。
無我夢中で本を読み漁った日々を。
それでも答えが得られなかったことを、貴己は決して忘れない。
「あんたは自分の気持ちを表す言葉を知りたくて、泣きながら辞書を
涙を浮かべながら、なおも叫ぶ。
「全部同じだろうが! 魔導があんたにとっての全てで、それが無かったからって勝手に絶望してんじゃねえよ! 悲しいなら悲しいって! 悔しいなら悔しいって言えよ!」
「言ったって変わらなかった! それを言ったところで夢が叶うのか!?そうじゃないだろ! 僕はどうすれば良かったんだ!?」
静の問いに、たかみはぐっと息を飲み込み、言葉を返す。
「だったら……! だったらそんな夢、諦めろ!」
「なっ……!?」
予想だにしないたかみの言葉に、静は激しく動揺した。
それは、貴己が初めに導き出した最終結論。
希や望、そして静を取り巻く呪縛のような関係性を断ち切るための、一の答え。
「まだ一年ちょっとしか生きてないけど、それでも分かる。この世界はくそったれだ。大抵の人の夢は叶わない。皆、心の中で思うばかりでいつしかそれを置いていく。そうやって大人になっていくんだって、そういうもんだろ! ずっと思い続けて叶えるやつも中にはいるだろうさ。けど、大体は実らず腐って堕ちていく。静さん、あんたがそうだ」
「僕が……」
貴己が指し示した先には、希と望。
二人は互いを抱くようにして、貴己と静を見ている。
瞳に涙を浮かべながらも、決して目を逸らすことはない。
「家族を泣かせるなよ。それじゃ本当に俺と同じだ」
涙声で、貴己が言った。
静は何も言わず、立ち尽くしていたが、唐突に両膝を地面に落とした。
「……はは」
そうして、力なく笑う。
「そうだよな。結局、無理な話だったんだ。こんな事までして、ただ色んな人に迷惑をかけただけだ。それだけの人間だったんだ」
言って、その場で仰向けに倒れた。
目元を腕で覆い、継いだ言葉は震えている。
思い出す、七年前の記憶。
貴己が笑って、励ましてくれた。
「それでも……それでもさ。僕に夢は叶うって言ってくれたのは、手伝うって言ってくれたのは君だったんだ。君だけだったんだ。だから僕はまだ自分の夢を諦め切れないんだ。本当に馬鹿だよ。馬鹿だと罵ってくれ」
「……」
貴己は何も言わない。
黙したまま、静の元に近づき、片膝をつく。
「それなら、俺が協力する」
それは、貴己が導き出した二の答え。
「……は?」
静が顔を上げた。
意味がわからない、という表情。
それはそうだろう。
けれど貴己は
「約束、覚えてますか」
「約束……?」
「七年前、別れ際にした約束」
言われ、静は思い出す。
どちらが先に魔導を使えるようになるかの競走をしたのだ。
次会った時、魔導を使えるようになった方の協力をするという約束。だが、
「なんで、君がそれを覚えているんだ。記憶は無いはずだろう」
「一昨日、望に教えて貰いました」
「望が……?」
「希も望も、あなたの事が大好きです。だからこそ心配していた」
貴己はなおも続ける。
「約束は次にあった時、先に魔導が使えるようになった方の協力をするという話でした。でも、互いに魔導なんて使えていません」
「それなら約束は
静が吐き捨てるように言うが、貴己は首を振る。
「逆です。互いが互いの協力をするんです。俺は静さんのために動いて、静さんは俺のために動く」
「僕が、たかみくんのために……? そもそも、今の君に夢なんてあるのか」
「夢はないです。だから記憶が戻るよう手伝ってください。代わりに、俺は静さんが陰陽師を継げるように全力で協力します」
貴己が笑う。
つられて、静も笑った。
「突拍子もないことを考えるのは、変わってないんだな。……そういえばあの約束も貴己くんが言い出したことだった」
「そうだったんですか。それは知らなかった」
本気で感心している様子を見るに、本当に知らなかったのだろう。
感心しつつ、たかみは「だから」と言って静に手を差し伸べる。
「俺、待ってます。静さんが戻ってくるまで、ずっと」
「……」
静はその手を取ろうとしない。
取る資格など無い、と決め込んでいた。
だが、貴己はまだ激痛がしているはずの変色した手で静の腕を掴み、立ち上がらせる。
「だったら、その約束をしましょう。今、ここで」
言いながら、貴己は刀を持ち上げる。
闇の中でなお瞳に宿る光は強く、意思が本物であることを表していた。
対する静は瞳を揺らし、たかみに問う。
「……何で、そこまでしてくれるんだ?」
「約束ですから」
貴己はもう一度笑い、手を差し伸べる。
「……そうか」
泣き笑う静は今度こそ、その手を取った。
こうして、事件は集結した。
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