第三章 ゲテモノ逃避

 のぞみのぞむに玄関先まで見送られ、俺と果琳かりんは街に出た。

 今日は〈世界〉が直上通過するため、空は濃い青色で覆われている。

 空の色ではなく、〈世界〉表面に見える海のような色だ。

 見た目は完全に地球の海だが、誰も行ったことがないので本当に海かどうかは定かではない。

 さらにおかしなことに、世界が真上にあっても普段通りに明るい。

 これに関しては色々な説があるが、未だ解き明かされていない〈世界〉の謎の一つだ。

 と、俺は前方に見えてきた大通りを見て、昨日との差異に気づいた。


「今日は人が多いな」


 昨日より、人の往来が激しい。

 屋台なんかも出ているようで、ソースの香ばしい匂いや、菓子類の甘い匂いが漂ってきている。


「そりゃそうだよ。今の時期はちょうど祇園ぎおんまつりだからね」

「えっ。この時期だっけか? でも昨日はそこまで人がいなかった気がするけど」


 俺が言うと、果琳は小さく嘆息した。


「確かに今日からが本番みたいなものだけど、昨日も人は十分いたよ」


 そして歩き出す果琳の後を追い、俺たちは大通りに出る。

 果琳を見た人たちがギョッとして振り返っているが、果琳にはいつもの事なので気にする様子も無い。

 むしろモーゼよろしく人の波が割れていくので、俺的にはありがたい。


「ところで御囃子おはやしとか御神輿おみこしは?」


 周囲を見回して、俺は再度果琳にたずねた。

 太鼓を叩く音の一つや二つ、風に乗って届いてきてもおかしくないと思うのだが、何も聞こえないし、祭り衣装に身を包んでいる人も見当たらない。

 文字通りお祭り騒ぎになっているだけだ。

 果琳は屋台を物色しながら答える。


「祇園祭は夕方から始まるの。メインの御神輿が運ばれるのだって四時とか五時頃だし」


 そして屋台の一つへと歩いていき、「一つください!」と言って戻ってきた果琳はピンク色のふわふわとした綿飴わたあめを持っていた。

 人様の邪魔にならないよう、路地裏へ果琳を誘導し、入った所で立ち止まる。


「朝飯さっき食べたばかりなのにもう食べるんかいな」

「綿飴は食べたら溶けるもんねー! いただきまーす♪」


 そう言って、果琳は嬉しそうに綿飴を頬張りだす。

 ちぎっては食べ、ちぎっては食べ、を繰り返している様子を見て、これが生肉だったらR指定食らってるなぁ、とグロテスクな想像をしていたら果琳が首をかしげた。


「んむ? 貴己も食べたいの?」


 なら買ってくればいいじゃないか、と果琳は大通りを指差すけれど、俺は首を振る。


「綿飴とはいえ、よくそんな量食えるよなって」


 物凄い勢いでかさが減り、今は果琳の頭より少し小さいくらいだが、持ってきた時は肩幅と同じかそれ以上の大きさだった。

 その場で立って食べているから良かったけれど、食べ歩いていたら確実に迷惑をかけまくってしまう。

 と、思ったが、波割れモーゼの状態なので大丈夫だった。


「ともかく早くそれ食べて行くぞ。これだけ人が多いから移動は時間かかるだろうし、幻想種が出た時の対応は遅れないようにしないとな」

「……」


 俺が人混みに目を向けながらそう言うと、果琳は何も言わずに一際大きく綿飴をむしり取る。


「貴己、こっち見て」

「あん? なんっふぁ!?」


 果琳の方へ向くと同時に口をつかまれ、そのまま綿飴を押し込められた。

 ふんわりとした甘い食感はすぐに溶けてなくなり、ざらめの舌触りが後を引いて消えていく。


「お味のほどは?」


 果琳がじっとこちらを見つめて尋ねてきた。

 目力が凄く、俺は思わずたじろいでしまう。


「う、美味かったけど……?」

「じゃあ他のも食べに行ってみよう!」


 綿飴を食べ終えた果琳がそう言って、俺の手を引いて歩き出そうとするが、俺はそれを振り払う。


「ちょっと待て! 今幻想種が出たらどうするんだよ! まだ原因だって何もわかってないのにそんなこと−−−−」

「そんなことじゃないよ」


 俺の言葉を遮り、果琳は大通りに出る一歩手前で立ち止まった。

 極光オーロラの艶髪は、玲瓏れいろうと陽光を跳ね返している。

 顔のみをこちらに向けた果琳の、二つの瞳と目が合った。


貴己たかみ、昨日からずっと怖い顔してるよ。気づいてる?」


 望とはまた違う、透明感のある黒い瞳。

 心の奥まで見通すような強い視線に、俺はつい顔を背けた。


「別に俺は−−−−」

「目をそらさないで」


 顔に手を添えられ、俺は再び果琳と見つめ合う。

 先ほどまで少し前にいたはずなのに、果琳は俺の顔に手を当てたまま、目の前で俺を見つめている。

 その真意を、俺ははかそこねた。


「……何が言いたいんだよ」

「言いたいことがある訳じゃないよ。ただ、貴己なら大丈夫だから、少し落ち着いて?」

「…………」


 何を根拠に。そう言おうとして開きかけた口を閉じる。

 そうではない。

 果琳が俺に伝えたいのは言葉通りのことなのだ。

 大丈夫だから、落ち着いて。

 それだけだ。


「……わかった」


 一つ、大きく深呼吸をして俺は頷いた。


「ん、ならよし」


 果琳は満足げに頷き、今度こそ俺の手を引いて歩き出す。


「どこ行こっか!」

「そうだな……昨日行った所の中から、いくつかを見て回ろうか」

「貴己〜?」


 まだわかってないのか、と果琳が胡乱うろんな物を見る目つきでにらんでくるが、俺はぶんぶんと首を振る。


「大丈夫だって! もう落ち着いてるよ。ただ、どこも行かないってのもあれだから、せめて数カ所ピックアップして回ろうってだけだ。観光みたいなもんだよ」

「うーむ……」


 まぁ良いじゃろう。と芝居がかった口調と声で納得した果琳だが、ハッと何かを思い出したように目を見開き、俺の方へ振り返る。


「それならさ! 伏見ふしみ稲荷いなり行こう!」

「伏見稲荷……? いいけど、昨日も行ったろ? 何か買いたいお守りとかあるのか?」


 あそこは確か五穀ごこく豊穣ほうじょうのご利益が主だった気がするけど……などと思っていると、


「ううん! すずめの丸焼きが食べたい!」

「………………なんて?」

「すずめの丸焼き!」

「……念のため聞いておくけど、それって型焼き饅頭まんじゅうみたいな物だよな?」


 型焼き饅頭は、たい焼きみたいにその姿形をした饅頭のことだ。

 間違っても本物のすずめなんて事は、


「本物のすずめの丸焼きだよ? あのチュンチュン鳴くやつ。ほら、そこにもいるじゃん。可愛いねぇ」

「……」


 果琳が指差した先に、数羽のすずめがたむろしているのが見える。

 どいつもこいつも丸くてちまっこくて愛らしい。


 ……あれを食うのか。マジで?


 果琳、実は本当にサイコパスなのでは?


「……後でな、後で」

「わーい! 楽しみだ〜!」


 俺は問題を先回しにして現実逃避を試みる。

 今だけは幻想種が出てくれないかな、と思いつつ、浮き足立って歩き出す果琳の後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る