第62話 海月

月。猛暑はいよいよ佳境を迎え、耳鳴りのごとく蝉の鳴き声に鼓膜を叩かれる日々はピークを過ぎたのか落ち着きを見せ始めた頃合い。祖父づての暑中見舞いの葉書も少しずつ積み重なり、返事を書くことにも一苦労していた。




左半身が使えないというのが、俺の生活を一変させた。松葉杖では体を支えるのも並ならぬ労力を強いられ、すっかり車椅子での生活を余儀なくされてしまった。




病院を退院し、家に帰れば、俺はすっかり要介護人物だ。左手が動かないので一人では満足に車椅子を動かすことも出来ず、どこかに行きたい時は芙蓉かウリョシカを呼びつけなければならない。この際頼らなければどうともならないのだが、下の世話まで頼まねばならない事実は些か受け入れ難かった。




なれない介護で芙蓉はすっかり疲弊してしまった。やる気も体力も尋常ではない芙蓉であるが、俺がすっかり弱っている実態を見るに耐えないらしく精神的苦痛に参っているようだった。




日々の食事はむーさんが担当してくれた。こう見えて料理は得意ッスと張り切ってくれていた。家事が趣味の一つであった俺にとって、おちおち満足にそれもできなくなってしまったのは堪える限りだった。




しかし家事のすべてを取り持っていたことを鑑みれば、漸く適材適所の振り分けが決まり、俺は料理長および旅館の女将的な支配人ポジションに落ち着いたといえる。




車椅子生活となってひと月。大学に息も絶え絶え通学する様子に、向こうの知り合いにはすっかり心配をかけてしまった。俺の寿命のことを知る人物は本当に少ない。だから、元気だったのに急にこんな姿になっているのを驚かない知り合いは一人としていなかった。ただ体を動かすのは不得意になってしまったものの、期末テストは悪くなかった。もう少し頑張れそうである。




今は世間で言うところの夏休みと言うやつで、すっかり暇を持て余しているときだった。




今日は、久々に雨だった。俺は小説を書くにもネタに困り、隠居した老人のように縁側で外の様子を眺めながら緑茶を啜っていたところ、台所の方から芙蓉の大声が聞こえてきた。




「むーさん! 私に料理を教えてくれ!」




すっかり芙蓉も変わってしまって、今じゃ家政婦でも目指すのかと思うほど芸達者になりつつあった。今度は料理か、と芙蓉の成長する姿を喜び、いったいむーさんとどんなやり取りをするのかその場から耳をそばだてた。




「そ、それはもちろん、ウチで良ければ喜んで教えさせていただくッスが・・・やっぱり、蓬さんの為ッスか・・・?」




「私、最後に食べたのが何だったのか思い出したんだ。デートのときのお弁当。蓬が気を失ってる間に、悪くなっちゃうといけないと思って食べたの。私の好きなものがいっぱい入ってたの。あまり好きじゃない物も入ってた。でもね、全部私のこと考えながら作ってくれたんだなぁって思ったら、嬉しくていっぱい泣いちゃった。だから今度は私の番だと思ったんだ。よもぎに私の作ったものを食べさせたいから、先生よろしくおねがいします!」




台所の扉の向こうから、むーさんのすすり泣く声が聞こえた。


聞き耳なんて立てるものじゃないなと思った。




その後、早速むーさんの料理教室が始まったが、早々ガッチャン! と何かを割る音やズダーン! と野菜をまな板ごと切る音が聞こえて、俺もアドバイスしに行ったほうが良いだろうかとスリル満点な昼下がりを過ごした。むーさんの悲鳴がいい感じにホラー映画的なスパイスとなっていた。




「今日も・・・・暑いなぁ」




何が出来上がってもまぁ、どうにか食おうと密かに腹を決めた。




しかし、それにしても何も出来ないというのは暇で仕方がない。うちにある本は殆ど読んでしまったし、かと言って新しい本を買おうにも足も天気もこれでは家を出るのも億劫、二人は真面目に料理に取り組んでいるし、ウリョシカをお使いに行かせるのは論外だ。




ふむ、とあたりを見回す。もっとも近い位置の仏間の畳の上には敷布団に、もとは2階の俺の部屋にあった本やら着替えに雑貨が散乱している。この足で2階に自室を持つままでは不都合だったので、まだ掃除の行き届いている仏間に拠点を移したためだ。その都合で、ウリョシカもそこに居座っている。グロい目玉をぎょろりとさせて、俺と視線を交差した。




「そう言えば、お前には趣味とかあるのか」




考えてみれば俺はウリョシカという存在について疑問を呈したことはあるが、ウリョシカという妖に興味をいだいたということはかつてない。形がパソコンそのものであるために、道具としての認識が抜けないままであったせいかも知れない。




ウリョシカは少し考えた後、俺のそばまで歩きながら言った。




『いいえ、趣味と呼ぶほどのものはございません。ワタクシはあくまで道具。主に使われることが唯一の歓びでございます。・・・・と、前までなら申しておりましたが、ここ最近は誰かとお喋りをするのは非常に有意義であると思うようになりました。他者の価値観の理解、共感、対立、人や霊というものはまこと面白いものでございます』




「へえ、すごく建設的だ。じゃあ、好きなことや嫌いなことは?」




『なんだか合コンの冒頭みたいでございますね。ウフフ。好きなことも嫌いなこともございませんので、話に花は全く咲きませんが。ああ、そうでございます。ヨモギ様、退屈をしていらっしゃるなら新しいことに挑戦してみるのもよろしいかと。写生などどうでしょう、丁度そこに可愛らしい花が咲いてございます。幸いスケッチブックも色鉛筆も、利き手もございます。インスピレーションも湧いて、良い刺激になるのではないでしょうか?』




「成る程、絵か・・・いいかも。じゃあ、悪いけど道具を取ってきてもらえる?」




『ヨモギ様。悪いけどなどと言わずとも結構です。頂戴と言ってくださる方が、ワタクシは嬉しゅうございます』




「はいはい。色鉛筆とスケブ頂戴」




『畏まりました』




ウリョシカはケーブルをズルズルと遠くへ伸ばした。階段を登り、2階へ向かう。どこまで伸びるんだろう、と考えていると注文の品を先端につまんだ状態で戻ってきた。ウリョシカはスケブを白いページを開いた状態で俺の膝上に起き、24色入りの色鉛筆のアルミの蓋を取って、俺が手に取りやすい位置に構えてくれた。




「お前は便利な奴だね」




『ありがとうございます』




「そうじゃない、便利そうな手足だねって」




『ヨモギ様も改造なさいますか?』




「今は、ちょっと考えちゃうね」




そう言って俺は最初に緑色の色鉛筆を手に取り、庭先の全体像を大まかにあたりをつけてから描き出していった。ウリョシカは俺の描く絵ではなく、じっと絵を書く俺を見つめていた。







その夜は、お互いの作品のお披露目会のような場となっていた。俺の前には見た目の不揃いな、典型的な料理初心者の作ったであろう食事が陳列された。むーさんが監修していただけに食えたものじゃない出来のものではなさそうだった。比較的簡単な里芋の煮物からひじき炒めに彩豊な豚肉と野菜の炒めもの、若干焦げ付いた鯵の塩焼き。ツヤツヤの白米が際立つ品々である。初めて作るにしては品目が多い。作りたいものを作った、という感じだろうか。




いつもの3人と1台で食卓を囲んだ。




芙蓉の手には、スケッチブックが握られていた。俺が2時間くらい頑張って書いてみたものだ。白い余白部分が目立つが、結構いい出来なのでは、なんてちょっとだけ自信があった。




「何ていうか、味があるね・・・。庭にほうれん草が生えてたのは知らなかった」




「・・・・それはオオブタクサです」




「あ、でもまつぼっくりはすごい上手!」




「それはスズメです」




「え、じゃあこの風に飛んでる洗濯物は?」




「庭石なんだよなぁ」




次は芙蓉の料理を賞味する番だ。いただきますと合掌し、俺は恐れず惣菜を口へ運んだ。俺が食べるのを申し訳なさそうに見つめる芙蓉とむーさんを尻目に、味の程を評価してみようの咀嚼した。




「・・・・・・味が・・・・・・濃い・・・・・」




けど食べられないものではなかった。やたら醤油がきつくて色が濃いのに目をつむれば、ご飯がすすむと言えなくもない。その他も全部総じてやたらしょっぱいが、米と一緒に食べる分には及第点はあげられるように思えた。他のものにも箸を伸ばしつつ、芙蓉の努力を評価した。




「いや、でもすごく頑張ったね、これ。おいし・・・あっ! 硬ッ!? なにこれ全然煮えてない! あれ? ひじきは全然味が・・・あ、ちゃんと水を切らなかったから汁気がすごいんだ。そして鯵はグリルで焼いたから普通だ・・・」




「すいませんッス・・・ウチも教え方が下手なばっかりに・・・」




「いやいや、むーさんも時間を芙蓉のために割いてくれてありがとうございます」




「うう、精進します」




芙蓉はぺたんと狐耳を伏せた。




「そんなにしょぼくれるほどでもないよ。本当に頑張ったと思う」




「そ、そうかな。えへへ」




むーさんの料理の腕は俺とそう大差ない。レシピをもとにすればレシピ通りのものが出せるだけの平凡な実力だ。味付けはこれから覚えるしかない。煮え方に問題があるのは切り物の大きさに差があるからだ。包丁の扱いに慣れれば全然光明が見えるだけ、経験値テーブルは狭そうである。




本当は俺も教える側として料理教室に参加したいところだったが、芙蓉が教授を頼んだのはあくまでむーさんだ。努力の結果を見せたい相手は俺なのだし、むーさんもやる気のようだ。二人が頑張っているところに茶々を入れるものではないだろう。美味しいと心から思える料理を出してくれるのをじっくり腰を据えて待つのみだった。




「ていうか、俺ばっか食べててもしょうがないからみんなで食べよう。ここは菜丘家の食卓であって審査員席じゃないんだから」




そう言うと芙蓉は影を落としていた表情をころりと変え、いつもの天真爛漫を表した。頷いて、むーさんとともに箸を取る。




「そうだよな。うん、いただきます!」 




そして口へかき込んだ瞬間顔をしかめた。




「ぶえっ! マッズ! なあよもぎ、正直に言ってくれよ! 全然美味しくねえって!」




「あはは、何だその顔。いや折角作ってくれたんだから、おいしくいただくよ」




「あ、もしかして愛情補正ってやつ?」




「そうかも。そうだろうね」




こんなやり取りを、むーさんは端から見て目を潤ませながら言った。




「お二人の仲の良さが、ウチはめちゃくちゃ羨ましいッス」




その発言を聞いたウリョシカが、気を利かせてむーさんの肩を軽く叩いた。




『ロクボク様、ワタクシがおります』




「ええっ、あなたと一緒は日陰者同盟っぽいのでちょっと」




『ハハハ、ロクボク様もなかなか辛辣でいらっしゃる』




「嘘ッス、嘘ッスよ!」




思えばこの時は気づかなかったが、団欒の場でこんなに笑うのはかつてないことであった。

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