第55話 A moment of diamond

いやはや天晴ではないか。日本有数の水族館という触れ込みは伊達ではない。順路を進み、矢印の看板に導かれるままにたどり着いた屋外ショー会場はドーム球場と見紛うほど広々としていた。




楕円筒状の水槽を斜め上から鋭角に覗き込むように、囲むようにして階段状にベンチが設けられ、線対称に巨大なモニターがイルカの様子をアップにフォーカスしてモニタリングしてくれている。水槽は先程この水族館の入口で見たものと同一であり、殆どがこの席で見る人ばかりだろうがショーを真下から眺めると言った一風変わった楽しみ方もできる。




更に水槽は上部3mほどまでガラス張りであるので、前列席はイルカのいろいろな芸に加え水中の様子をも同時に見ることができる。そのため飛沫に濡れるデメリットを圧してまで前列を求める客は少なくない。


ちなみにこの裏には(他と比べて小さめの)展示用ではない水槽がつながっており、主にイルカたちがオフのときに寝床のように使用されているスペースが有る。飼育生物のストレスへの配慮の一面だろうか。




かく言う本会場はと言えば一目瞭然の満員御礼、札止めも確からしい盛況ぶりである。ショー開始20分前ではあるが何百人という数の客が所狭しと詰めて座っており、ショーの驚異的な人気度を思い知らされた。




照りつける太陽が眩しく、館内の涼しさとは打って変わった真夏の熱気に突如として襲われた俺は寒暖差にめまいを覚えた。水場が近いだけあってまだ涼しい方ではあるが、それでも昼の直射日光や白いコンクリを反射する光線にはめっぽう弱かった。




足早に会場を目指したのは全く間違いではなかった。しかしそれ以上に他の客らの気合が勝っていたらしい。前列に空いている席がないか虱潰しに探してみたが、虫食いのように空席がある程度でふたり隣り合わせで座ることは叶わなかった。口惜しいが後列にさがり、なんとか2席空いている場所でようやく腰を落ち着けた。ちょうど全席の中心あたりの位置である。白いポリエステルシートのテント屋根が日陰を作ってくれていて、暑さはどうにかしのげていた。




人混みはやっぱり苦手だなぁ。とは思う反面、大勢で楽しむイベントだからこその醍醐味でもある。一人で見ても面白みが半減するように感じるのは、テレビに向かうのと何ら変わらないから。今日あった出来事を共有できる人物が他にいるから、きっと楽しいのだと思う。




なんて、まだ始まってもいないのに。




一息つくと、芙蓉が熱気に手団扇を仰ぎながら言った。




「いやあ、大賑わいだ。この熱気は場所のせいか天気のせいか人のせいか。ヒトアイダってのは暑苦しいもんだ。ちょっと惑和山マドワやまが恋しくなった」




俺はトートバッグを肩から下ろすと、中から麦茶の入ったペットボトルを探り出し芙蓉に手渡した。芙蓉はさんきゅうと言って受け取り、蓋を開けた。




「惑和山ってのは、芙蓉がんでた山のこと?」




「そうだよ。よもぎに会うまではずっと暮らしてたとこ。木が生い茂ってて夏でも涼しいんだ。・・・・・・っくー!麦茶うめー!渓流の真水に勝るとも劣らないけど、こればっかりはこっちにいないと飲めねえよなぁ」




棲家を発って数ヶ月というのに、芙蓉はまるで何年も実家を離れているような言い方をした。


ショー開始まで時間がある。いい機会だから、それに芙蓉の昔の話を詳しくは聞いたことがないので、一つ訪ねてみることにした。




「その山ってどこにあるの?そこではどんな生活してた?」




「北のほうかな。詳しい位置はよく知らないけどダッシュで1時間もあれば着くかなあ。どんな生活って言うとあれだけど、他の山の霊とぐうたらしてたよ。一応、山を見守ってた」




いや。




「ダッシュて」




「車より速い自信あるよ!」




音速ハリネズミかこいつは。もっとこう、小さなこととかを聞きたいのに突っ込みどころが多いせいで話がズレがちなのは、もはや様式美である。会話が途切れないのは良いことなのだけど。




「まあ・・・うん、納得するしかないか。ええと、車の速度を平均50km毎時くらいに仮定して、1時間?あれ、そんな近いところに山なんてないぞ」




「何いってんだ」




いつものごとく不敵な笑みを浮かべる。あ、これ自慢話の構えだ。ちっちっち、と人差し指をたてて言い放った。




「道路なんて走るわけ無いだろ」




「ええ?」




「木とか谷とか飛び越えるのさ」




「直線距離!?」




音速ハリネズミどころか忍ぶ気ゼロの忍者だった。普段はそんな素振りを一切見せないものだから、怪力くらいが取り柄なものだと思っていたら全身超人的スーパースペックとは。必要とする場面がないのだから知る機会がないとは言え、そんな能力があるのならお使いとか頼めばよかっただろうか。いつだか夕食を作っていたとき、材料の買い忘れがあって悔やんだ記憶がなお悔やまれた。芙蓉に頼めば海藍まであっという間だったろうに。




ともかくつまり、惑和山は北に100km以内にはあるらしい。1時間ずっとダッシュできるというのもおかしな話だが神様ならしょうがない。家に帰ったら地図を調べてみようと一旦おいておくことにする。




「それで、山の霊って言ってたけど他にどういう霊がいたんだ?」




「私がいるのに他の女の話するのか?」




「えっ、いやそういうつもりじゃ」




「にしし、冗談だよ。そうだなぁ、佐連毬隠サレマリヨに、未萌粗塔ミモソトウに、繰馬鈴宙クリバズモ、一番よくつるんでたのは消蓮梢ケシレンショウっていう木の精だったかな。見た目は寸胴鍋に手足の生えたモアイみたいな丸太野郎なんだけどよ」




指折り数えながら、芙蓉は名前を羅列する。霊の名前はどうしてこうもややこしい物ばかりなのだろう。全然覚えられる気がしない。正直むーさんの本名もあやふやなほどだ。けどよく考えたら古事記の神様はもっとややこしかったのを思い出して、むーさんなどはまだ優しい方なのだと思い直す。天津日高日子あまつひこひこ波限建鵜葺草葺不合命なぎさたけうがやふきあえず様とか不敬だが読み上げるのも億劫になってしまう。




それにしてもだ。




「友だちの紹介とは思えない酷さだ」




「友達って間柄でもねえぞ。つうか私ら霊のコミュニティは上司か部下か、先輩か後輩か、親か子かくらいだ。それ以外は利害の一致で手を組むのが大抵だ。消蓮梢は・・・なんていうか、すごい憧れられてた。」




「芙蓉が?」




「そう。アネさんマジリスペクトっす!!!的な。事あるごとに食いもんを捧げてくれたりしてさ。私、そんなふうに思われるようなことした覚えないんだけどなあ」




「慕われるのは良いことじゃないか」




「そりゃそうだけど、わざわざ人里のモン盗んでまで捧げられちゃたまったもんじゃないよ。何度も続いたときにはこっぴどく叱ってやったけどな。私そういうのはもう懲り懲りしてんだ。消蓮梢にまで同じ思いはさせたくないしな・・・」




「・・・・そっか、芙蓉のルーツはごんぎつねだったもんな。・・・あれ?それじゃあお前、普段はなにを食べて暮らしてたんだ?」




「そんなのもちろん、ネズミとか虫とかとっ捕まえて食ってたよ。冬は冬眠中の蛇やカエルに、夏はセミやら何やらが食い放題だ。あとは人が祠に備えてくれたものとかは食ってた。すげえ硬い餅がほとんどだったけどな。贅沢したかったら伊勢神宮に祀られるくらいでなきゃ。」




祠と言ったか、そう言えば芙蓉は神といえど未熟であるといっていたのはつまりこのことだろう。祀られるから神であるのであって、祀られなければ雑霊であるということか。芙蓉の言っていた修行というのは信仰を集めることであり、格を高めることだったのだろう。これまでの様子を見るに、芙蓉自身はそれに興味はなさそうだが。だって200年もずっと山にとどまっていたのだから。




・・・・・なんという・・・極限サバイバル。神様社会も貧富の差が激しいらしくこれっぽっちも楽じゃなさそうだ。何かと気軽に聞いてみたものの、想像を絶する貧しさに思わず聞かなきゃよかったかもなんて引けを取る。




芙蓉もだらけているように見えて、苦労はしていたのだ。それと比べると、ちょっと人より寿命が短いだけでのうのうと生きていた自分が恥ずかしく思えてきた。




甘えるなと、何度芙蓉に言ったことだろう。


自分を棚に上げて、他人に克己心を求めすぎていたのではないだろうか。


デートの最中にあまり暗くなるものではないけれど、反省するべきことが見出されてしまった。




「えへへ・・・流石に恥ずかしいや」




それを芙蓉は鋭く察したようだった。それゆえか、少し照れくさそうに笑った。




なんとなく、気まずくなった。別に、好きな女の子にドン引きしたからとかではなく、神様の事情になにも口出しできないのが歯がゆいと言うか。これも異種間恋愛の弊害だろうか。




しばらくお互いイルカの方に視線を逃していたが、そのうち芙蓉が「だからさ」と続けた。




「だから、よもぎが作ってくれる飯、私大好きなんだ。」




その言葉を聞いた瞬間ふっと、周りの喧騒が遠くなったような気がした。がやがやとショーを待ちわびる人々が、途端に消えてしまったかのように、芙蓉のその言葉ははっきりと耳に残った。




「初めてよもぎが私に作ってくれたおあげの味噌汁の味だけは、今でも忘れてないんだぜ?」




芙蓉の視線はイルカに向けられていた。もじもじと、その手で尻尾を抱えて、先端の白くなっている毛を弄んでいる。時折ちらちらと瞳だけをこちらに向けて様子をうかがったりといじらしい仕草が、珍しいことだが俺に芙蓉を「女の子」として認識させていた。




「・・・・・・芙蓉・・・」




あんなに雑に作った飯のことを、覚えていると芙蓉は言った。




たったそれだけだった。なのに、どうして。






それだけが、どうしてこんなに申し訳ない気持ちになって。




どうしてこんなに、嬉しいんだろう。






なんてことだろうか。芙蓉のはにかむ姿が、こんなに可愛らしいなんて。




無性に、芙蓉が愛おしくなった。現金なことだがこんなにも単純に、人間の心というのは揺れ動くものらしい。




衝動的になるのを、俺は今まで嫌って生きていた。人間なのだから、動物ではないのだから、理性的に自分を律するものだと、ずっと思って生きていた。理不尽なんて数え切れないくらい耐えてきた。




けれど、この気持を堪えなきゃいけないのだけは、どんな理不尽よりも耐え難かった。




今すぐ芙蓉の背中に腕を回して、力任せに抱きしめたかった。こんなことでごめんもありがとうも伝わりはしないと思ったけど、芙蓉を好きな気持が体を動かしてしまいそうだった




しかしその欲望は、一瞬のうちに大音量によって引き裂かれた。




『ご来場のみなさま、お待たせいたしました!只今より午後の部②、イルカショーを開催しま~す!どうぞ拍手でイルカさんたちをお出迎えくださ~い!』




「おお、始まるってさ、よもぎ!」




同時にじゃじゃーん!と壮大な音楽が場内の一変し統一する。一拍遅れて観客席からのやや気後れ気味な拍手が送られる。遅れてそれにつられ、俺と芙蓉も両手で音を鳴らした。




ウェットスーツの女性がステージの隅でフラフープを持っている状態で発っているのが最初に目につく。


その直後、水面の揺らめきが激しくなる。指示されたようには見えなかったが3頭のバンドウイルカが示し合わせたように水中からジャンプで顔を表した。それに続き今度は4頭のカマイルカが交差するように顔を表す。計7頭が今回の主役らしい。登場セレモニーから華やかである。




助かった。俺はそう思った。理性のタガが外れるというのは恐ろしいと感じた。


間違いなく俺は流れるままに抱きついてた。俺はいいかもしれないけど、芙蓉が困ってしまう。そういうのは良くないよ。ほんと。時と場所は選ばないと。芙蓉のそういうところまで見習わなくても良いのだ。




とは言えあくまでもギリギリブレーキが効いただけで、激情に収まりがついたわけではない。眼の前ではイルカたちがそれぞれ尾ひれだけで体を水上まで浮かせて立ち泳ぎするというとんでもない絵面が展開されているというのに、こんな状態でショーに集中できるか心配になった。




『それではまずは自己紹介から!お客様から向かって右からバンドウイルカのリボンちゃん、メルモちゃん、トリトンくん!カマイルカのハットリくん、フータくん、さすらいくん、バケルくんでーす!たくさんいるけど、覚えられるかな~?』




年代が!バレるネーミング!




しかもバケルくんだけFなのが仲間外れ感が半端ない。おかげさまで何やら意識を強奪されてしまった。




「意外と覚えやすいな。漫画のタイトルだろあれ」




「あ、知ってるんだ・・・」




たまに芙蓉の知識の源がどこから来るのか不思議に思うことがある。俺よりパソコンのことに詳しかったりするし。




「知ってる知ってる。見たことあるし」




「へえ、どれを?」




「うん?漫画は見たことないよ」




「は?どういうこと?」




「だから、漫画の方は見たことないって言ってんの」




「・・・・・あ~・・・」




そう言えば、芙蓉は俺よりずっと歳上なんだっけ・・・。


なるほど・・・作者の方か・・・・。なんだよ、ちょっと羨ましいじゃん。




そんな微妙な嫉妬心を抱いているうちにもショーの内容は進み続ける。




『それでは今日一番元気いっぱいなリボンちゃん!リボンちゃんはフラフープが大好きなんです!』




という前置きに始まり、ウェットスーツのインストラクターが投げたフラフープを見事空中でくぐり抜けるイルカの姿は強烈だった。




他にも、ゴムボールをステージ上のバスケットゴールに運んでシュートする様子や、水面から10m以上高い位置に吊り下げられたボールまで大ジャンプしただけでなく、回転してそれを尾ひれでタッチしてしまうようなよそ見を許さぬ豪快な芸風にまばたきを忘れさせられた。


それぞれの個性ゆえか、イルカごとにも特技があるらしい。ジャンプが得意なイルカに泳ぎの速いイルカ、道具を使うのが得意なイルカと様々なところは人と変わらないようだった。しかし一貫して同じなのは、イルカは着水時は頭から飛び込むように入るので、ほとんど飛沫をあげないところだった。




一芸披露するごとに、観客席から惜しみない拍手が送られる。とても人間には真似できないイルカならではの能力を目の当たりにしたことへの感動に、俺も拍手を送ることを躊躇わなかった。




隣の方からは拍手の音は聞こえなかった。それどころか、先程まできゃあきゃあとやかましかったのが嘘のように静かである。どうしたのかと気になって視線を向けると、両手を胸の前で祈るように握り込み、食い入るように見つめているではないか。




長年生きていて、過去の偉人の栄華を目の当たりにしてきた彼女であっても、こういった娯楽は新鮮な体験か。知識としてはあっても、実際にその目で見たときの衝撃というのは計り知れないものがある。芙蓉はまさに齢200にして未だ驚心動魄を味わっているのだ。




自分が一番楽しみにしていたはずの水族館だったが、結局集中することはできなかった。イルカと交互に、芙蓉に視線を向けてしまう。真剣にショーに没頭する横顔が可愛くて、一粒で二度美味しい思いをさせてもらっていたのだった。




『さあ、それでは本日の主役に登場してもらいましょう!シャチのアトムくんです!皆様、飛沫がはねますのでご注意ください!』




ファンファーレが鳴り響く。そう言えば、パンフレットやポスターにも大々的に描かれていたシャチを今まで見かけなかった。イルカショーと銘打たれているものだから存在もすっかり忘れていたが、隠し玉的存在であったか。角度的にギリギリであるが、水面下で水槽を分け隔てていた檻が降り、巨大モニター裏側の水槽から何かが巨大水槽に入り込んでくるのが見えた。




突如、先程まで水槽には影も形もなかったはずの、白黒の巨躯が跳ね上がる。




シャチのが着水するのと同時に予め予告されていた水しぶきが、わざとらしく前列席中央に襲いかかった。




俺には細かい水しぶきの一つ一つが、宝石が輝いているように見えた。

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