第54話 もうひと押し

「水族館って言ったらやっぱりこれだよねー」


深海を抜け、イワシの群勢の水槽を抜け、淡水魚の水槽を越え、いよいよペンギンの水槽にたどり着いたところで足を休めて芙蓉は言った。皇帝ペンギン、イワトビペンギン、フンボルトペンギンやフェアリーペンギンと大きさの異なる複数種が一緒くたに飼育されているにもかかわらず、彼らは一つの集団として団結していた。


これまでの展示エリアと異なり、ペンギンの展示エリアに限ってはシアタールームのように広く場所をとられていて、その分ベンチの数も多かった。長らく歩き詰めだったので小休憩に腰を下ろした。自分たち以外にも腰掛けて休む客がちらほらあり、誰彼問わずペンギンのヨチヨチ歩きに癒されていた。


「ペンギン同士って種類関係なく仲がいいのか」


「いや、どっちかっていうと不干渉って感じだけど」


「ああ、たしかに私も。寝床の隣で狸が寝てようがどーでもよかったなぁ」


何百年前の思い出か知らないが、狐と狸が犬猿の仲なのは絵本の中だけのようだとはわかった。


この頃にはもう12時近くになろうとしていた。芙蓉とは足を休めるついでこの後の予定を話し合った。約30分後にはイルカショーを控えており、そろそろ席を確保しに会場へ向かおうということを決めた。その後食事をとって、まだ別館にあるらしいサメエリアであるとか浅瀬のふれあいコーナーであるとかを見るのかどうか、何時頃に帰宅を始めるかを相談した。


一通りの流れを決め終えると、俺は伸びをした。


「んーー・・・・・・ふぅ・・・。うーん全部細かく見て周ると一日かかっちゃうね、これ」


「何日かに分けて見るくらいでないと大変だ。私もこんなに大ボリュームだとは思わなかった」


パンフレットを雑に広げて、水族館の全体像を見直す芙蓉。縮尺のほどを自らの足で再分析したらば、殊の外足腰にくる広域ぶりだった。大人は歩幅で、子供は体力でカバーできようがどちらにせよ飽きさせない工夫がなければ動く気力に支障の出るレベルであった。


とは言うが、実際は口ほどにもなさそうで芙蓉はちっとも疲れた様子を見せない。疲労などへのかっぱとニコニコしているので、神様の無尽蔵の体力が羨ましい。


ただ、芙蓉は正直者だ。女狐だからと言って嘘は言わない。つまらなければ露骨につまらなそうにする。笑っていると言うことは楽しんでくれていると言うことなので。俺は安心して顔を綻ばせた。


「さて、早めにステージに行って、ちゃんと腰を落ち着けるならそこにしようぜ。せっかくだから私、前の方の席に座りたいし」


「そうだなってえっ前の席?」


「おう!」


立ち上がろうとしたところで思わず聞き直す。イルカショーとは既知の通りイルカが跳ねる見世物のことである。跳ねると言うことは着水すると言うことで、数百キログラムの巨体が水に叩きつけられると言うことは飛沫が飛ぶと言うことである。小学生にも想像が及ぶであろう簡単なロジックだ。


「絶対濡れるじゃん」


「濡れてよ」


「どう言う要求だよ」


「私も濡れるよ?」


「着替えはないよ」


「ちぇ、カマトトぶりやがって」


「もう・・・このすけべぎつね」


「はぁ!?今のもっかい言って?」


「なんで興奮してんのお前?」


まぁ、おそらく前の方の席には雨合羽が配られるだろうからそれほど濡れることはないだろう。俺は芙蓉の要求を飲み、前列の席を目指すことにする。


それにしても、芙蓉のアピールにも困ったものだ。場をわきまえてくれないから、尻尾や耳が生えてるわけでもないのに俺まで人目を気にしてしまう。


いや、絵面はどうせ女同士のきゃっきゃうふふに違いないのだけど、話の内容が下卑てるだけにペンギンのキュートな立ち姿に悶える子供達の前に居るのが忍びない。居た堪れないのを誤魔化すように、場に馴染むような相応の挙動に移した。


「そうだ。その前に写真撮ろう」


スマートフォンを右手に構えて水槽の目の前まで立ち寄る。水中のペンギンは動きが烈しいので捉えづらいが、陸地の皇帝ペンギンは地蔵ほどに不動である。


「おいで、芙蓉」


「ヤッバ、超カップルっぽい」


芙蓉を傍らへ呼び寄せ、水槽を背にして右腕を伸ばした。


思えば自撮りという趣に興じるというのは初めての試みだった。スマートフォンのカメラ機能自体まともに取り扱ったこともないので、アルバムの中はすっからかんだ。


前に芙蓉に勝手にとられた写真は当然のごとく消去済みである。記念すべき第1号の写真がうまく撮れることを祈る。


「よもぎ。もっとちゃんと寄らないと入んないよ。画面もっとよく見ろ。ペンギンしか写ってないぞ」


芙蓉からダメ出しを食らいながらボタンを一回押す。それだけだが、見栄えのいい思い出が形をなす。少しだけ緊張しながら、カシャリという音がなるのを聞いていた。


上手く撮れたかどうか、どれどれと二人で画面を覗き込む。直後、芙蓉は吹き出した。


「ぶはは!へたくそ!」


どうにかペンギンも二人も写せたが、ボケボケで誰の写真なのかさっぱりだった。


「い、意外と難しいな・・・・」


「貸してみろ。こうやって撮るんだ」


なぜか神様に人間の生み出した叡智の結晶についてレクチャーされる人間こと菜丘蓬。やつは人類の中でも最弱。インカメすらまともに取り扱えないとは現代若者の面汚しよ。イン○タ映えを意識して出直すがいい。


若干ショックを受けながら芙蓉にスマートフォンを任せると、ぐいと肩を引っ張られた。頰が触れ合うほど距離を寄せ、身長差を合わせろと言わんばかりに腰を曲げさせられる。


芙蓉の匂いがふわっと香って、思わず体がこわばった。

お日様の匂いってこういうのだろうか。暖かくて、柔らかくて落ち着く匂いがする。イメージはそんななのに、身体は対照的な反応をする。どきっとして、きゅってなる。


つんのめって崩れそうになるのをこらえて、芙蓉がシャッターを押すのを待った。


「ほら、ピースピース」


「ぴ、ピース」


「引きつってんじゃねえよ。もっと可愛く笑えるだろお前」


「こうか」


「ストップ。可愛すぎるからそれやめて」


「どっちだよ」


シャッターの音には気づかなかった。ばしゃばしゃと水が跳ねる音や、ペンギンのくぐもった鳴き声でそれは上書きされていた。

コントをやってる間にあっさり撮られたようだった。返却されたスマートフォンの画面を確認するとブレもピンボケもせず、自然な笑顔を備えた男女が、今まさに水に飛び込もうとするペンギンをバックに写っていた。


「超上手く撮れてるし・・・」


「だろう?」


芙蓉は自慢げに腕を組んで見せた。ちょっとニヒルっぽくキメるところが、二枚目みたいだけど似合ってなくて好きだった。これからは師匠と呼ばねばなるまいと、ははー!と大手を振ってかしずいた。


「プリクラっぽく加工する?ウサ耳とか書いてあげよっか」


わお、女子力ぅ・・・ですかねぇ・・・。しかし。


「お揃いの狐耳とかではなく?」


「お前に狐耳は似合わねえよ。だって、それにうさぎの方がうまそうだろ」


芙蓉の瞳が不気味に煌めく。あわや下唇を唾液で湿らせるような幻影さえ鮮明に見えるわ見えるわ。っていうか要は性的に食いたいってことだろう?わかってんだよなぁこのケダモノ。


さて、それはともかく。自分から言い出したことではあるが呑気にことを構えていると直近の目的であるショーステージの前列席を得ることが叶わなくなる。別にアミューズメントパークのアトラクションとは違い途中入退席ができるがこれを逃せば次のショーは2時間後とかなり間が空いてしまうので是非とも初めから拝みたい。


写真の加工なら席について仕舞えばいくらでも遊び放題だからと、先を急いだ。歩く途中しつこくウサギでいいよな?と念を押してくるので半ばなげうつように了承したが、その時芙蓉の黒眼が狩りをする肉食のそれのように平たく広がったのを見てしまった。


ぞわりと悪寒が走る。芙蓉が近くにいればいるほど動機が早まる。目が会うたびに、今の眼光を思い出してゾクっとしてしまう。


狐がどうか知らないが、ハイエナやなんかは食事の際には骨までしゃぶり尽くすそうである。次、ベッドに潜り込まれた時には・・・しっぽり食われちゃうんだろうなぁ。


我が身の危機の割には気軽だった。自分のことと思ってないのではなく、理解した上でただ楽観していた。そうなったならその時だと。


そう言えば、甘夏とハナマイリの関係はどうだろう。あれも人と霊のアヴェックだがうちの不肖とは違ってこの手の窮とは縁遠そうに思える。


羨ましいものだ。我が家の騒がしさたるやスラプスティック喜劇だというのに。あちらはまた別路線の純愛をたどっていそうで・・・・あれ?


そこまで思って、ふと自分の心境の変化に気がつく。人様のちょめちょめに意を割く程には寛容オープンに構えている。これの意味するところはすなわち。


俺、ひょっとしてちょっと期待してる?


過去に自分にあったことを忘れてはいないが、芙蓉になら許せる体が、とっくに出来上がっていたようである。

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