第53話 三十六計

いつだか、来世のことを思い馳せたことがある。もしも生まれ変わる事ができるなら貝になりたいだとか。現実逃避じみた妄想だったのですぐに辞めたが、恋に恋するような儚い願望を少しだけ胸に秘めた事実があった。


俺が水族館の生き物たちに特別、興味を寄せるのはそれが理由かもしれない。


もちろん、過酷な環境に生きることがいかに苛烈を極めることかは理解しているつもりだ。特に食物連鎖の下層ほど長生きできない命もない。


そういう運命に放り投げられたことに気づくこともなく、自分を守るためだけに生まれて死んでいくのも、なんだか一種の平和に思えていいなあなんて、憧れることもあったのだ。


海の底から見上げる魚たちの鱗の輝きを、オーロラを眺めるように見続ける人生もきっと悪くないだろうと思ったのだ。


イルカの水槽の次は、トンネル型の水槽に続いていた。左右上が半円のガラスが張り巡らされており、海中を歩いているような感覚を楽しめるのがこのエリアの特徴のようだった。


「水族館も日々進化してるんだなぁ」


水底から真上を仰ぎ見ながら、俺はしみじみとそんな事を呟いた。ひょっとしたら今日では珍しくもない展示方法なのかもしれないが、ここほど大きな水族館というのも経験がないものだから、「ほう」なんて呆けて顎を持ち上げているばかりだった。なにせ、昔に夢見た光景が目の前に広がっていたのだ。


展示されているのは温暖な海域を再現したものらしい。水槽の底はサンゴ礁も魚もが色鮮やかである。きれいだなぁ、なんて月次つきなみな言葉しか出てこないが、他にどういった楽しみ方があるだろうか。


殆どが小型の魚ばかりで、アクアリウムを趣味にしても飼育できそうなものばかりに思えた。クマノミ、ハタタテダイ、チョウチョウウオetc。魚に詳しいわけではないのでどれがどの魚、なんて博士らしきうんちくは言えないけど、思い思いに楽しむのが良かろう。芙蓉だって、聞いてもいないことを教えられるのは面倒くさいと思うだろうし。


「そう言えば、珊瑚って動物なんだってな?岩とか植物かと思ってたら卵を生むって聞いてびっくりしたぜ。食えるのかな?」


「どう考えても無理だろ」


珊瑚といえば刺胞動物門に属する動物の一種である。刺胞動物には他にもクラゲなどが挙げられるが、中でも硬い骨格を形成するのが珊瑚だそうだ。そしてその珊瑚の骨格は石灰質だそうなので、食べられないわけではないだろうが全く美味しくはないだろう。


そんなことより、魚より珊瑚のほうが「食えるだろうか?」なんて言い出すやつは初めて見た。


「魚は食ったことあるけど珊瑚はないもん」


「仮に食えたとして、どうやって食うんだあれ」


「うーん、天ぷらとか?あ、今日の晩は天ぷらにしないか?きのこの天ぷら食いたくなってきた」


「急に飯の話にシフトするな。あと海洋生物を見ながら山の幸の話をするとかどういう思考回路してるんだお前は」


「珊瑚の形ってきのこに似てるだろ」


「似て・・・・る・・・?」


わかるようなわからないような。ガラスの向こう側を見てふと思う。言われてみればあの血赤ちあか珊瑚なんかはカエンタケとよく似ている気がする。猛毒だけど。海と山の間にこんな意外な共通点があるとは芙蓉の言うこともあながち馬鹿にできない。


「ちなみに芙蓉は、どれ見て食えそうだと思ったんだ?」


「あの赤くてきれいなやつ」


オイオイオイ、死ぬわこいつ。




次に順路を進むとたどり着いたのは、最低限の照明と青い水槽らで宛さながら薄暗い深海のようなレイアウトを施されたエリアだった。今にも消えてしまいそうな弱々しい光源の電球がぽつぽつと照らすだけの深淵のなか、例えるなら展示物を見物に来た人間さえもが深い海の一員であるのだと訴えかけてくるような物々しい雰囲気である。


そんな雰囲気に飲まれてか、客々は一様に静寂を暗黙の了解としていた。押し合うようにして進入した客すら、足音を隠すように歩幅を狭めていた。


「うお、一風変わった雰囲気になったな」


それでもテンションが変わらないのは芙蓉だった。モノレールを降り立ったときのようにはしゃぐ。


幸い、この薄暗さのおかげで芙蓉の特異な風貌に奇異の目を向けられる様子は殆どなかったが、とっさに俺は芙蓉の手をとった。


「こらこら、あまり暴れるなよ。こう暗いと逸はぐれやすいし」


「つまり、何しても周りにバレにくいってことだ」


「何するつもりだったんだ」


「こっそり抱きついたりとか」


「いくらなんでも、それは筒抜けだよ」


そういう感じで歩を進めると、向こう側には 深海博物館のような光景が広がっていた。


大昔の海底探査船の写真であるとか、ダイバースーツの実物とかとか。どうやら深海コーナーへ進んだらしい。


ダイバースーツなんて白黒映画に出てくる宇宙人みたいな見た目で、視界を小さな窓ひとつしか持たないごてごてした鉄のヘルメットが、強いインパクトを押し付けている。



それに並んで点々と様々な大きさの水槽...というか、ケースが続いていた。


そこには生きたまま展示することが難しい深海生物がホルマリン液に漬けられていた。


ブロブフィッシュ、ダイオウイカ、チョウチンアンコウ、メガマウス。


どれもこれもおどろおどろしい見た目のものが立ち並ぶ。大抵の人は直視を避けたくなるようなそれを、俺は爛々とした瞳で見つめた。


深海魚と言えば神秘的であると俺は思う。


海岸で見かける魚というのは細かな差異はあれど、人目見て魚であると判断できるものが多い。目玉があって、ヒレがあって、鱗がある。


なのに同じ海の生き物であっても、上下に環境が変わるだけでヒレがなかったり、鱗がなかったり、目玉がなかったり、代わりに恐ろしい牙を持っていたり、そんな魚がたくさん見られるようになる。


どうして彼らはこのように進化、あるいは退化をしてしまったのだろう。環境適応といって仕舞えばそれまでだが、それを考えると胸の内で風船が膨れ上がるような感覚を覚えるのだ。


芙蓉は怪物の胃袋の中で生まれたのかと、ショーケース全体を俯瞰して問いかけるように言った。どうしてそう思うのかと聞くと、尻尾の毛がぶあってしたからと言った。ちょっと怖がっているようだった。


ならば、こうぞっとするものばかりが深海魚でもないのだと芙蓉に教えたかった。



先へ進むと今度は水の入った水槽があり、出会ったのはタカアシガニであった。こちらは生きた状態だった。


タカアシガニと言えばシーラカンスと同じく生きた化石とも言われる日本近海の生物だ。カニの中では世界最大の、体長3mにも巨大化する。その名の通り手足の長いカニである。


体格が大きいこともあって外敵が少ないのか、おとなしい性質であるので水族館での飼育も容易であるという。その大柄で威圧的な様相とは裏腹に、小さな子供には意外なことに人気なようである。ガラスにへばりついてカニを凝視している姿が見て取れた。


芙蓉に至ってはカニに対抗してチョキを作ってガニ股で大きく腕を広げたりしているが、ひとまわりもふた回りも足りていない。やるじゃねえか、とか鼻にかかった何様な捨てセリフを残して姿勢を戻した。なんて残念な美人だろう。たまに、一緒にいるのが恥ずかしい。


「かっこいいなぁ」


「かっこいいのか」


芙蓉の感性は子供に近いので恐らくかっこいいのだろう。俺からすれば、気になるのはタカアシガニの生態とか学術的な部分に傾倒するので、どうしてこんなに足が長いのか、とか知的好奇心が募るのが大きい。表面的なビジュアルよりは、機能的な部分に興味を抱いた。


「あかくてデカイは正義なんだよ」


「そのうちカニをモチーフにしたヒーローとか出てくるかも・・・?」


「敵キャラにはちょくちょく出てくるけどな」


「全然正義じゃないじゃん」


「ハッ・・・!」


芙蓉はとんでもないことに気づいたと言わんばかりに狼狽うろたえる。果たして彼は正義か悪か、敵か味方か。吾輩はタカアシガニである。責任はまだない。


他事など眼中になしという様子で、ゆったりと長いハサミを口元へ寄せたり離したり、まるで食事をしているように動かすタカアシガニ。

つぶらな黒い瞳から、何も考えてなさそうなほのぼのとした愛嬌を感じた。


タカアシガニ以外にも深海生物というのは見どころのある生物が多い。そもそも深海というのは宇宙と同じか、それ以上に調査が進んでいない環境という。探せば探すほど未発見あるいは新種の生物が掘り起こされる可能性を秘めている。発見されても生態が一切不明のままというのは当たり前である。


メンダコであるとか、光るクラゲであるとか、比較的キャッチーな生き物に次々と目を移した。その度に足を止め、動くところを注視した。生物たちは泳ぐというより漂っている。深海の捕食者とまみえた時に機敏に動けるようにはつゆほど思えない。


思えば深海とは光の届かない場所である。逃げるよりは隠れる方がエネルギーを使わず容易なのかも知れない。そうなると、あのクラゲなんかはわざわざ目立つ光を放つ理由があるのだろうか。謎は尽きないばかりである。


ところでこの水族館になら、ひょっとしたらあの生物もいるかも知れない。そう思い、背伸びをして先の様子を他の客の隙間から覗き込んだ。


思いの外、目当てのひとつであったそれは早く見つかった。


「あ、いるいる。やっぱりいたよ。ダイオウグソクムシ」


一時期ブームになった彼も、やはりここには収容されているようであった。壁に埋め込まれた水槽に3匹ほどが鎮座している。オウムガイと同居の二世帯住宅である。ムシとは言うが立派な甲殻類である。通常のグソクムシと比べて体格が大きいためか愚鈍であるが、稀に多脚をわしゃわしゃさせているところが微妙に怖気が走る。しかし不思議なことにどこか嫌いになれない喜色があった。


「なになに。うわ、気色わるっ!何あれエビ?ダンゴムシ?なんでこんなのがいるんだ」


「一応エビの仲間かな?でもよく見るとだんだん可愛く見えてこない?目とかサングラスかけてるみたい」


「いやいや、凝視とかムリぃー!先行こうぜ先!」


「そうかぁ。こいつ好きなんだけどなぁ。あ、奥のアイツ壁をよじ登ろうとして・・・。はは、ひっくり返っちゃった。かわいいなあ」


「どう見てもお前のほうがかわいいよ」


グソクムシくんと比べられても困る。それはそれとして、残念だがそのような不意打ちはもう俺には通用しないのだ。ふふん、と心の奥で鼻をならすと余裕綽々に言葉を返した。


「芙蓉にはかにゃわないです」



人はどんなに冷静で安穏とあっても、ミスるときはミスる生き物である___。



かなり冷房がきいているはずの館内にもかかわらず、謎の汗がだらだらと流れ始めた。


「今の気持ちを5・7・5で」


「ハズすぎて穴があったら入りたい」


顔を覆い「オオオ」と慟哭する。


貝になりたい。と言ったが撤回しよう。俺には素敵な蛸壺スウィートホームに居を構える軟体動物の方が似合っているようだ。どうあれ、すっかりゆでダコであるようだから。


ひっくり返ったグソクムシくんの先は、出口の眩い光が差し込んでいた。

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