第51話 時計と鏡

珍しく、俺は仏壇の前に座っていた。




ずいぶんと絢爛な光沢を放つ、俺よりも背の高い立派な我が家のそれは、いったいいつから置かれているものか。傷み続ける家屋のうちそれだけが、黄金の輝きを忘れることなく佇んでいた。




膳引きに並べられた燭台の合間に果物の入った籠と写真立てがふたつ置かれている。橙色の太陽オレンジの隣に亡き祖父の写真と、俺を含めた家族の集合写真だ。これを飾るのも変な話だが両親の顔が写った写真はこれが唯一だった。




母の顔が、俺とよく似ている。父はどこにでもいるような、特別個性のあるようには見えない朗らかな人柄だ。そしてあと二人、まだようやく歩けるようになったくらいの小さな妹と、白い歯を見せる俺がある。




妹は母に大事そうに抱きかかえられ、俺の肩には大きな父の手が、首にほど近い位置に吸い付くようにかけられている。


寄り合っている様子は仲睦まじく、生きていたなら今頃は・・・・。




記憶にはない。だから懐かしさもない。ゆかりを抉られた血縁者に捧げるノスタルジーは持ち合わせていない。




なのに何故だろう。この写真に向かうと、感情が動きそうになった。






やがて俺は育ての親の祖父の写真へと向き直り、出発前の挨拶を済ませた。




「じゃあ、行ってくる」




立ち上がろうとするとき、線香の優しい匂いが鼻をかすめた。









「というわけで、出かけてまいるぜ。」




どういうわけでかは何の説明もなく、普段よりちょっぴり大人げにめかしこんだ芙蓉は言った。普段のようにゆとりのある着流すタイプの服ではなく、はっきりとボディラインの分かるシャツやスキニージーンズに身を包んでいる。おかげで尻尾をごまかす余地はなく、開き直ってさらけ出している。




俺にとっては、ついにこの時が来たといった心境だった。ライフルを背負って戦場へ赴く兵士というのはこのような気分だろうか。いや、彼らには仲間がいるからどちらかといえば、リングに上がるレスラーか。自身への鼓舞と勝利の期待と対戦相手への敬意と最大級の念押し。用意された舞台の上で十字を切るのはクリスチャンにとってもう一つの呼吸の手段だが、宗派は違えど同じ神道の門下生として俺にもそのくらい許されよう。日本の神様は気概が良いからいろんな神様と仲良しである、とは亡き祖父の受け売りである。




玄関まで見送りに来てくれたウリョシカとむーさんに俺から夕刻には戻ると一言告げると、むーさんは横で揺れている柱時計に一瞬目をくれて言った。




「昨日仰ってたやつッスね。留守は任せて、どうぞお二人で楽しんできてほしいッス」




「すみませんがよろしくおねがいします。ウリョシカはくれぐれもむーさんに迷惑かけるなよ。」




『ハイ、承知しておりマす』




一抹の不安を抱えつつも俺はつま先で地面を打ち、忘れ物がないかだけ、最後にトートバッグを覗き込んで確認をする。




「財布、ケータイ、バンソーコー、胃腸薬、メイク道具、日焼け止め、デオドラントetcっと・・・」




口に出してひとつずつ指で弾いていると、芙蓉がうんざりしたような顔で腕を組んで言った。




「女子か、お前は」




「お前が使うかも知れないだろ」




使ったことのないものを芙蓉が使うとも思えないが、一応身だしなみを整えれるようなものとか、一般常識的に女子が必要そうなものだけは予め用意している。俺は男なので縁遠いツールだが、ネットで調べた限りではなにせ、女子の常識なのだそうだ。




無いよりはいいだろうと思って用意したのだが、芙蓉はそれが気に入らないらしかった。




「何のためにデート行くと思ってんだ。両手でいっぱい思い出抱えて帰るためだろ。そんなもので手を塞がれてたら邪魔になるだけだ」




というのが芙蓉の意見である。その理屈は神様基準の物言いなので聞き流すが、デートの日すら呆れるほどドライな彼女には肩をすくめる以外ない。




「お前はホント男らしいなぁ」




「でもその方がお前の好みなんだろう?」




今更言わずもがなである。よくわかっていらっしゃると呟くと、我ながら気色悪いとは思うが、少し顔がにやける。芙蓉もつられて、口の端を緩めた。




その時、むーさんが妙にしょっぱい顔をしていることにハッと気づいた。ごまかすように咳払いすると、ウリョシカが触手ケーブルを伸ばして俺と芙蓉の背中をグイと押し、日の下へと追い出した。




『はぁ。ヨモギ様の方こそ、くれグれも周りを糖分中毒にさせませぬよう。やすいノロケも胸焼けには事足りルようですのデ。ともかく、サっさと行かないと電車に乗り遅れまスよ』




小間使いにつま弾きにされては肩身も狭い。芙蓉もつま先で小突いて催促してくるので、俺は黙って背後に向けて手を振ると、少し早足に家を出た。








目的地の水族館は鳴神なるかみ水族館といい、海上の離島に建設されていた。海岸とその離島までは距離がおおよそ5kmばかりであるが、その間をモノレールが渡されており、水族館への往来の手段はそれのみとなっている。日本に唯一無人島に建設された水族館という銘が打たれており、その他にも海を守るための研究施設として最先端であるだとか、最も自然に配慮された設備であるとか、レーベルについて数え始めたら枚挙にいとまがない。




それだけセールスポイントに事欠かない施設であれば、誰彼興味を抱くというもの。加えて設備を強化され、先日よりリニューアルオープンしたとあれば足元にはホコリが立つというものだ。予想はしていたが客足の多さに、入館前から俺と芙蓉は足止めを食っていた。




「モノレールに乗って海の上を渡るってのはそそられる話だけど、その渡し船の数がそもそも少ないってのは問題だよな」




乗車チケットの購入のために券売機に並び始めてすでに20分ほど立つ頃合い。列は動くが車両に乗れるまでが長いと、さすがの芙蓉もダレ始めた。噂を聞いていたので開館時間に合わせて出立したのはまだ良かったが、それでもこの長蛇の列とは恐れ入るばかりであった。どうにかチケットを購入するとロケットペンシルが押し出されるようにして列を離れた。




おそらく県外からの観光客も多いことだろうし、耳をすませば中国語や韓国語が飛び交うのが聞き取れるあたり、どうやら海外にも注目されている様子である。




待合スペースも混み合っており、腰を下ろせる場所は残っていない。人の波に揉まれてただ立っているだけでも疲労が募った。




「ほら、でももう次の便だよ。俺たちが乗るの。」




「うへえ、しんどかった」




モノレールの乗降口付近は比較的スムーズだった。3両編成の吊り下げ式で乗る人数には制限があったため、車内も快適だった。何より驚いたのは足元がガラス張りであることだった。直下の海まで、高さは目視で20m程だろうか。進行開始直後から波打つ足場を見せられて、すでに芙蓉は興奮気味だった。




「怖っ!思ってたより怖え!けど海の上を走ってんのはすげえ!」




俺もこのような体験は初めてだが、長らく山に籠もっていたという芙蓉にとっては想像だにしなかった光景だろう。ジェネレーションギャップとかそういう次元の話ではなく、例えば現在の技術で作られたテレビや映像作品を持って20世紀半ばにタイムスリップして、当時の人々にその驚異的な映像美を見せつけてやったくらいの衝撃を受けているに違いない。




「近未来的体験をしている芙蓉はまさに、時間を飛び越えた、みたいな。」




「超大げさだな、それ!ひぇえ、ていうか帰りもこれ乗るんだよな・・・?」




「珍しいな、芙蓉が不安そうにするの。じゃあ・・・ほら、手握っててあげるから」




「うっわ、出た出た!彼氏ムーブ」




そう言いつつも、すぐさま芙蓉は俺の手をとった。手汗が滲んでいるようで、じめっとしていた。


もしかして、帰りも手をにぎるのかな。そう思うと、俺の手のひらも少し汗ばんだ。

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