第50話 マイヒーロー ユアヒロイン

食事を終えた俺達は、各々自由に過ごしていた。俺はいつものように一杯8オンスほどのコーヒーを嗜みながら最近発売した小説家の新刊を耽読し、芙蓉は食器を洗ってくれている。むーさんは早速隣のリビングでウリョシカと個人面談中だ。がちゃがちゃと食器同士が乱暴にこすれる音を背景に、たまに目を細めてページを捲った。内容はなんでもないミステリ小説だが、主要人物たちの仲が軒並み悪く、全員が自分勝手に事件を追っていくにも関わらず自然な流れで解決に近づいている様子が見ていて痛快である。思わず「ほう」、と感嘆の声を漏らすのを聞いてか、芙蓉が手を動かしながら「それ、面白い?」と聞いてきた。


「うん。読んでて楽しい。」


そう、物語が面白い、と言うよりは読んでいて楽しいのだ。別に大きな殺人事件を追うわけでもなく、言うなれば学校の怪談の究明程度の規模ではあるものの、展開のテンポの良さもさることながら文章のノリが良い。ゲリラダンサーの心持ちのように、登場人物たち自身が生き生きと事件の捜査を楽しんでいてワクワクするのだ。活字を追う目が止まることを知らず、指は常に次のページをめくらせろとばかりに掛けられている。


「そう。私でも読める?」


「うん。ト書きを飛ばしてセリフだけ読んでてもわかると思うよ。この調子だとすぐ読み終わっちゃいそう。あとで貸そうか?」


「いや、それはいいや。どうせ漫画以外を読んでも途中で寝ちゃうぜ。ま、その気になったらウリョシカに朗読させてみる」


「はは、本を読まないやつって皆そう言う」


俺も最初から芙蓉が読書に興じるとは思っていなかったので、芙蓉らしいと笑った。一方ちらとむーさんたちの様子をうかがうと、あちらはあちらで面談と言うか、ほとんど世間話に花を咲かせているようだった。

しかしむーさんは自身のことを多くは語らなかった。食事中、たびたびレイジのことや今までの仕事のこと、交友関係や遠回しに年齢などを尋ねてみるが企業秘密と言って悉く言葉を濁した。そのたびに表情が翳るのを見ると、どうも自身を疎んじているらしい。また、人間関係・・・もとい霊関係もあまりうまくはいっていないようだ。時折ぶどうの髪飾りを弄ぶのが、彼女の心の置き所のなさを伺わせる。

一見真面目で柔和そうな彼女だが、そういう性格ほどものを抱え込みがちである。むーさんもその例の一端なのかもしれない。と、このように彼女を評価したが、地雷を踏んだかと思いきや後味の悪さを残さないよう巧みに会話を弾ませるので、話術にはかなり秀でているようだった。

なんてことを考えていると、乾いたナプキンに持ち替えた芙蓉は俺の耳元で囁いた。


「むーさん、ありゃ多分私とおんなじ転生霊だぜ。」


「転生霊?」


「生前何かしらの生き物だった奴らのことだよ。」


聞きなれない単語だ。そしてその言葉の不自然さに、俺は疑問を抱かざるを得なかった。


「霊ってみんなお前みたいにしてなる訳じゃないの?」


「さあ、そこまでは知らないけど」


そこまで言っておいて投げっぱなしというのは、いい加減が過ぎるのではないかと思ったが、転生という言葉には興味をそそられた。


転生という概念は輪廻サンサーラというインドの宗教観に基づいて日本に定着した思想である。オリジナルはバラモン教もといヒンドゥー教に始まり、自然的循環を示す五火説がこれに該当する。日本においては仏教として根付いているが、思想に大きな差はない。命のあるものは死んだ後に生まれ変わって、再びこの世に命を持って生まれるという考え方だ。このとき、多くの人は生まれ変わることが世界に組み込まれたルールのように考えるが逆である。チベット仏教の有名な仏画を代表例に参照すると『死』が六道輪廻を支配していると考えるのが自然だ。仏教やヒンドゥー教内ではこの転生のサイクルを苦として、それから逃れることを最終的な目標としている。所謂、『解脱』というやつだ。


芙蓉とむーさんはどうやらその転生とやらを経験してきたらしい。近年では聞き慣れない言葉でもないはずだ。特にネット小説の界隈に長風呂を浸かる者ならば、その手の単語はタイトルの時点でゴマンと目にしてきたであろうと思われる。


「それはまた、稀有な実績をお持ちのようで。」


「そのせいで神様のジョブをアンロックした。」


「冥福を祈るよ。」


「おかしいよな。ホトケ様に神様押し付けるとかさ。」


「最近はホトケ様を異世界に飛ばすことが恒例行事らしいぞ」


「罰当たりだな。神様がマシに思えてきた。」


いまいち笑えないジョークをはさみつつ、俺は転生について妄想をはかどらせた。というのも、事実は小説よりも奇なりと諺にあるとおりで、転生なる現象が実在し、それを体験したものが目の前にいるとあらば、多少不謹慎であるが詳細を知りたくなるものである。小説家の端くれとしては幅の広がる題材であるし、全人類にとっても、おそらく天国と地獄や魂などの存在に関わる永遠の議題の一つであろう。だれしも一度は祈ったはずである。親しい人物やペットの死に対して『天国にいけますように』と。果たして芙蓉は、その天国とやらを訪れたことがあったりするのだろうか。もしあるなら、その一部始終を聞かせてもらいたかった。今更遠慮する仲でもないと、単刀直入に聞いてみた。


「おかしな質問だけどさ。芙蓉は、どういう死に方をしたんだ?」


「私?」


芙蓉はちょっと渋い顔をした。死に際のことなど、やはり思い出したくはなかったろうか。しかし頻繁にそれを彷彿させる事をいうので、実は聞いてもらいたかったりするのではないかとも思っていたのだが・・・・・・食器をすべて拭き終えると、ナプキンをスボンのポケットに押し込んで饒舌に語り始めた。


「そうだな。私・・・・と言うか、『俺』が死んだのはまだお城にお姫様がいた頃だけど・・・やんちゃしすぎたからかもな。前にもちょっと話したよな。よく人里に降りては人のモン盗ってたって。それでまぁ、猟師に撃ち殺された。よくある話だろ?」


「狐狩り・・・とかではないんだな。」


「いやあ、ありゃもう。なんとも言えねえな。自業自得だったとも言えるし、人間の気が短かったとも言える。あ、いや、たぶん勘違いで撃たれたんじゃねえかな。」


「か、勘違い!?」


「そうそう。流石に『俺』も反省したんだよ。やりすぎたかもってさ。それで、お詫びっていうか、償い?の品をちょくちょく人にあげるようにしたんだ。こっそりと。」


そこまで聞いて、「ん?」と俺は首を傾げた。それはなんだか、とても聞き覚えのあるストーリーのように感ぜられたからだ。何処かで聞いた・・・いや、読んだことがある気がしてならない。強いて言うなら、まだランドセルを背負ってた頃合いくらいに。


「・・・・・お前、それでまたいたずらしに来たと勘違いされたって?」


「かもなぁ。銃を落っことして放心してた気がする。まぁ、撃たれたあとは一瞬だったぜ。気づいたら黄泉にいてさ、目の前に知らねえ男が立ってんの。その男は言ったわけ。「お前は神になりなさい」とさ。」


俺は本に栞を挟むのも忘れてそれを閉じ、眉間を摘んで項垂れた。正直、話の後半が頭に入らないほどどうしようもない真実との遭遇に、どう向き合っていいか考えあぐねるしかなかったのだ。おそらく、いや、十中八九間違いないが、ひとまず呆れとも驚嘆ともつかないこの感情を言葉にして吐き出さずにはいれなかった。


「お前・・・・・・・・・・・ごんだったのか・・・・・」


ひどい二次創作を見た気分だった。


「なに、有名なの?私が?神様としての名前よりそこら辺の狐のほうが有名とか、やっぱおかしいなこの世の中は。それはそうと蓬。私今日は初めてお皿一枚も割らなかったぜ!」


「お・・・おう・・・偉いな、芙蓉。ありがとう。じゃあ、あとでごほうびでもあげようか」


「マジで!?何くれるの!?」


「まだ決めてない。」


「ならハグがいい。」


そう言うと芙蓉はテーブルとの狭い隙間を分け入って、無理に俺の膝の上に腰を下ろした。芙蓉の体重以上にぎゅうぎゅう詰めのような圧迫感で痛みを感じた。


「そんなのでいいの?」


「モノは大切にすればずっと残るけど、一瞬の実感の方が胸が膨れるの。それにお前も嬉しいだろ?なぁ?」


「やっぱあげるのやめようかな」


「良いよ。夜中に勝手に貰いに行くから」


「今夜は電気を点けっぱなしにしておこう。・・・・あとでね。あとで。」


芙蓉は満足げに笑って膝を離れた。また今夜も暑苦しい思いをするのだと思うと、今からすでに喉が渇いた。


芙蓉の全貌の一部がまた明らかになった。ごんぎつねと言えば、日本で教育に用いられる物語の一つだ。その理由は多岐にわたる解釈法によって、考える力を養うためだと考えられる。この物語は、結果ばかりがよく人の口から語られる。反省したにも関わらず最期には死んでしまうごんが可哀想とか、結局は因果応報だとか。そればかりでなぜごんは悪戯をするのかとか、前提の話は持ち上がらない。

芙蓉は俺に、ご褒美と言ってハグを欲しがった。神になってまで、人に恋をした。今になっても軽い悪戯はやめないし、自分については一切興味がない。どうしてか、俺は深く考えようとはせずに、深く息を吐いて小説をまた手に取った。

一方で3つの瞳が視線を釘付けにしているのを、俺はこれっぽっちも知るよしもなかった。


「ウリョシカさん。彼女らはいつもああなんスか?」


『エエ。正直にナったのはごく最近ですガ。ラジオがてら聞き流すくらいで丁度よいでショう。あれは犬に食わせてモ胃もたれするほど手に負えナい。まあ、ワタクシには味を感じる舌も、消化する胃も持ち合わせていないのですがね。こういう時、ワタクシはあなた方が羨ましい。』


「ふうん、貴方は・・・・・とても面白いッスね。妖なのに、隣の芝を青く感じるとは。」


『隣。アレは隣の庭ほどの距離ではありまセん。隣の次元ほど遠いもノだ。窓はあっても、通ずる扉がない。そも、ワタクシには枯れる芝すら無いのデす。』


「ですが・・・・ウチは興味深いと思うッス。あなたの感性は、とうに妖のものでは無いッス。なぜならあなたが観測する出来事は、すべて主観的だから。」


『サテ、いくら真似事をしようと、ワタクシは人間にも霊にもなれマせン。道具には使い手がイてこその花道しか用意サれていないのです。アなたが興味をもつべきは、ワタクシではなく菜丘蓬であルはずです』


「それは承知してるッス。なら・・・一言だけ、心に留めて欲しいッス。あなたは、常に最適解に疑問を持ち続けることッス。」


『フム、然ラば?』


「いや、偉そうなこと言っておいて何なんスけど、受け売りで。ウチも答えを探してる最中ッス。」


『ホウ、なるほど。霊にも同じコとが言えるとあラば、暁には・・・。コれは方針マストということですか。実に・・・・・・長期的な見方ダ。』


「卑屈にならないで欲しいッス。短い問答だったスけど、ウチはあなたを妖として見るのは辞めると決めたんス。」


『ハテ、お言葉ですガね、それハ買いかぶりと言うに他なりませン』


「ウチ、人を見る目には自信あるッスよ。」


そう言うと、ロクボクロッカは手に持っていたメモ帳を放り出した。


「仕事じゃなければって感じッス。」


そして、ウリョシカに右手を差し出した。ウリョシカは飛び出た目玉を落としそうなほどひん剥いて、後に握手を求められているのだと理解しケーブルの触手を伸ばして応えた。

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