第48話 いわし雲
陰陽師が来た。映画や小説、歴史書の中でしか見かけたことのない、とっくに廃れたと思いこんでいた存在が実際に目の前にいると思うと、案外感慨深いものである。それはともあれ客人だ。俺はよくお越しくださったとみなが集まるリビングへと彼女を通し、緑茶と茶請けを芙蓉とウリョシカに用意させるよう頼んでその陰陽師と名乗る少女・・・のような見た目の女性と対座した。如何せん、霊は見た目で年齢を測れないもので、芙蓉のように明らかに人間で言うところの女子高生くらいの見た目であっても、人間の数倍の年月を生きているということが珍しくない。口調は若々しいものであるがやはりこの陰陽師も、芙蓉と同じか、それ以上長く生きている人生の超大先輩かもしれない。
「あ、ええとウチはですね、こういうものッス。」
そう言って彼女が懐から取り出したのは名刺であった。これはどうもご丁寧にと、俺と甘夏はそれを受け取る。見れば霊精次元管理局調査課『六燈六木六花』と、連絡先や本部所在地などが記されている。
「失礼ですが、なんて読むんですかこれ?俺、霊の名前には疎くて。」
「はい、
「はあ。」
ロクボクロッカは再び懐から数枚の資料を取り出して、テーブル上にそれを広げた。思っていたよりも現代的で事務的な人物だと言うのと、非常に人間社会に倣った様子の取引に安心する。陰陽師と言うと先入観の影響かもっと時代を感じさせる仰々しさを想像していたけど、その認識が既に時代遅れなのだと痛感する。ざっと目の前の資料を通覧するが、巻物や古文書みたいな古めかしいものではなく、きちんとしたビジネスライクの書式でプリントアウトされたものである。
「霊というとゲゲゲのような世界観を基準に思ってしまうけど、文明には則るんですね」
「この国の人の殆どがそう思ってらっしゃると思うッスよ。もしもみんな突然霊が見えるようになったら、きっと蓬さんと同じように驚かれると思うッス。そんなこと万が一にも起こり得ないッスけど、ウチらはそのうちの極小数と手を取り合っているのが現状ッス。別にその万が一を警戒してるわけじゃないッスけど不都合なく溶け込むにはほら、進歩した技術に合わせるのはある意味当然のことなんス。」
霊が陰陽師をやっていたりプリンターを使ったりと、その時代に合わせて日進月歩する姿勢は人間と変わらないらしい。いや、足並み揃えるようにと、時代がそうさせているのかもしれない。
「さて、じゃあ早速ッスけどまずこちらの資料をご覧頂きたいッス。簡単に説明すると妖とはなんたるかの定義や危険性の説明が羅列されてるだけッス。あ、甘夏さんから大方聞いてるッスかね?じゃあ難しいことは書いてないんで、後でご自分でご確認くださいッス。そしたらつぎはこっちの資料ッス。蓬さんが妖の所有権を主張するとの申し出ですので、それにつきます条件や災害、被害を起こされました場合の罰則等規定が書かれているッス。もし一般人に妖を用いて傷害等の危害を加えた場合は厳重注意並びに罰金、即刻妖の所有権の剥奪と謹慎処分等が当てられるッス。最悪レイジにて逮捕となる場合もあるッス。傷害の度合いが大きいほど当然罪も重くなるのでご理解を。あと妖が原因で災害や大変なお怪我をされても保険は降りないのでお気をつけくださいね。」
説明を聞く限り、やはり妖の所持に関しては危険物所有とほぼ同様の扱いとなるようだ。つまりそれだけ細心の注意を払えと脅されているのだ。話の最中、当の妖であるウリョシカと芙蓉がお盆の上にお茶を持って現れた。客人に対する茶の渡し方のマナーなど一応鞭撻しているので、教えたとおりに芙蓉は丁寧にそれをこなしてくれた。
「あ、どうも・・・・・ってうびゃあ!!き、狐神様!?狐神様が何故こんなところに!?と、というか、狐神様が淹れてくださったんスか!?と、とととととんでもない!そこまでしていただくなんて恐縮ッスから!どうか!」
「え、いやいや、狐神なんて言っても私まだ未熟なんでお構いなく。」
「ここここ・・・・光栄であります。」
芙蓉を見て飛び上がって驚くロクボクロッカ。こんな反応をする霊を、俺は今まで見たことがない。ちょっとこっち来いと芙蓉を手招きし、耳元に口を寄せ小声で問う。
「なに、お前ってひょっとして実はすごく偉いの?」
「そんなことないと思うけど。狐神ったってまだ正式な神じゃねえし。いやまあ確かに狐神自体は高位の神だけどさ。」
本人はそこまで大袈裟なリアクションを取られるほどではないと思っている様子だ。今更あたりを変えるつもりはないが、もし大変高位の神に雑用をさせるているなら俺も霊世間的に大概ということになる。しかし甘夏も肩をすくめて首を傾げている。ウリョシカや甘夏曰く狐神は有名であるが珍しいとのことだ。だが、珍しいと言うだけでこれほど畏怖の念を露わにするだろうか。と言うことはロクボクロッカが極端に狐神に対して思い入れでもあるのかもしれない。思惟を巡らせているうちにロクボクロッカは数度深呼吸して、平静を取り戻していた。芙蓉はこの場にいても眠くなるだけだと言うので、台所の方へ戻っていった。ウリョシカは俺の隣で一緒に話を聞くつもりのようだ。
「まさかこちらの家に狐神様がいらっしゃるとは何たる僥倖・・・幸先良しッス。こほん。度を失って失礼したッス。説明を続けるッスね。さて、最後の資料になるッスけど、こちら契約書になってるッス。上から順に要約いたしますと、1つ。妖の所有を認めるけどレイジの提示するルールには従ってもらうッス。2つ。妖の所有を途中放棄する場合、或いは手放さざるをえない状況、不慮の事故、死などで所有者消失の場合妖の所有権はレイジに移譲されるッス。3つ。妖および所有者は管理局の監視対象となる。4つ。解約の場合違約金はかかりませんよ。と、おおまかに言えばこんな感じッス。提示する規約に関してはこちらの資料に詳細が書いてあるのでご確認くださいっス。」
「あ、それ僕にも読ませてもらっていいかな。」
「あ、はい。同じコピーが数枚あるんでよければこちらをどうぞッス。」
小難しいことは甘夏が引き受けてくれるようだ。そこまでさせるのも憚られる気がするが、率先してやってくれているので好意に甘える事にする。その間俺は契約書に書かれていることに幾つか質問をすることにした。
「あの・・・監視対象って、どういうことですか?」
物騒とは言うまい。実際危険物を所持しているのはこちらなので、そのくらいのことは覚悟するべきなのだ。きっと恐らく妖を悪用する事件が過去に数件あったのだろう。だからこそ管理機関との緻密な誓約があるのだ。問題を起こさぬよう、または起こした時に迅速に対応するための措置だ。それには仕方がないが同意するしかない。しかし具体的な方法がわからない。
「そのまんまの意味ッス。契約書にサインした当日から、蓬さんとその妖はレイジに監視されることとなります。物理的に。」
「それってつまり・・・うちに監視カメラとかが設置されるってことですか?」
「いえ、監視員が配備されるッス。」
「と言うと、外から顕微鏡とか使ってじーっと覗いてくる感じですか?」
「いえ、ウチが住み込むッス」
「は?どこに?」
「ここにッス。」
「はいぃ?」
「蓬。ちょっとこれ見てみなよ。」
甘夏が真剣に読んでいた規約書だ。甘夏はそれを俺の方に寄越すと、指でその場所を指し示した。真ん中のあたりに大きめの字ではっきりと書いてある。
『妖による問題の未然阻止、安全性の向上を図るため所有者および本体をレイジ管理局員配備により直接監視するものとする。なお、所有者は監視員の住環境を提供し、監視員への職務妨害行為を認めないものとする。監視にあたり発生するプライバシー保護への対応措置及び妖研究の協力費として妖所有中に限り月々35万円の配当を(株)NHS黎陽研究所より譲与する』
・・・・・・あれ、結構良条件では?と紙面を見て思うと甘夏が口惜しそうに言った。
「いやぁ、なんか逆に羨ましいよね。妖ってさ、未だに未研究の要素が多いんだよね。危険だし、過去の文献が極端に少ないから、一部の界隈ではオーパーツって呼ばれてるくらいさ。だから監視員を家に住まわせてついでに研究に協力してくれたらお礼に年400万弱くれるってさ。諸々考えたら安い値段かもしれないけど、学生やサラリーマンには大金だね。」
「妖ってひょっとして儲かるの?」
その疑問に対してはロクボクロッカが答えた。
「儲かるッスよぉ。近い将来研究が進んで完全に安全な妖が量産できるようになったら、つまるところ壊れたジャンクの機械が無料で高性能AIを詰んだ新品に生まれ変わり、生体エネルギーで駆動し寿命が来たら塵も残さず跡形もなく消滅。リサイクルはできないけど廃棄物も出ない、しかも生産費はいらないし生産プラントも場所を取らない。極めてエコロジックなビジネスになるはずッス。ただ妖にも意思があるので、それを尊重するかどうかってところが問題になってくるッスけどね」
それを聞いて、俺は隣に佇む妖、ウリョシカを見た。俺は心のなかで疑念を抱いた。それってビジネスとしてやっても良いことなんだろうか。面白い話ではあるが、意思を持つものを道具という一面でしか捉えないのは、知性を持つ霊や人間たちの一存でやってもいいことではないように思える。しかしそれを言ってしまうと人間がペットとして犬や猫を売り買いするのも似たような問題になるので、一概に言えることでもない。この国の法律を基準に考えるなら、いまは結論付けるのは難しい話だ。
『イやあ、そう言われルと照れまスね』
当のウリョシカは、しかしまんざらでもないらしい。お前は本当にそれで良いのか。
「とにかく、そういうわけで同意いただけたならこちらの契約書にサインと捺印をお願いしたいッス。」
そう言って、ロクボクロッカは俺にペンを差し出した。少し悩んだが
「・・・・・まぁ、金銭面で援助が受けられるならいいか。今更同居人が増えるのは問題にはならないし。」
俺はペンを取り契約書へのサインと捺印を押すと、ロクボクロッカによろしくと言った。
「了解ッス。というわけで今晩から早速住み込みで監視させていただくんでこちらこそよろしく頼むッス。」
甘夏と俺は軽くロクボクロッカと握手を交わす。ロクボクロッカは一度本部に帰る前にウリョシカの発する妖力のタイプや写真を記録していった。帰る時は背中の直径3mはゆうにあろう翼を大きく開き、まさに天狗のようにして飛んでいった。
そう言えば芙蓉に何も確認を取っていないけど、まあ事後承諾でいいよね。そう思っていたのに、意外なことに怒られなかった。
「は?あの女うちに住むの?しばらくずっと?マジで?いや私は良いけど・・・え、勝手に決めて怒らないのかって?今更何人増えても変わんねえって。」
芙蓉の考え方が俺に・・・・いや、俺の考え方が、芙蓉に似てきたのかなと思う一日であったのでした
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