第43話 親愛なる君へ

 話す前からばつが悪かった。


 はっきり言えばこんな自分語りなど、聞くも涙語るも涙にカッコワライがつくような茶番。俺の身に起きたことは体の傷が証明しているとおりであるが、蓋を開けてみればお涙頂戴の三流悲劇である。


 だから自分の口から語るほど矮小な自己弁護のようで、これを恥であると考えていたのだ。


「結論から言うと、俺はとっくに死んでてもおかしくない体なわけです。」


 それを抑圧して、俺は一つ一つ思い出しながら語った。なにせ小学校に入るより以前の話だ。あんまり昔のことでいまいち信憑性がない。


 芙蓉の狐耳が頭に巻いたタオルの中でピクリと反応する。ことのあらましを1から話すと長くなるし自分語りなんて慣れないので話が前後しそうだったが、俺は構わず話を続けた。


 あれはいつのことだったろうか。確か俺の5歳の誕生日祝いのことだ。


 親戚の夫妻のすすめで家族で旅行に行くことになったのだ。けど俺にはその頃1歳になるばかりの妹が居て、幼すぎるためと育児の慰安を兼ねてのことなのでその日限り親戚に預けて日帰りのバス旅行とした。


 地元の有名な山の紅葉狩りツアーだった。俺以外にも参加者は30人以上居た。今だから言えるけど、終始紅葉狩りなんてつまんねーと思ってた。山道なんで外の景色は舗装されたコンクリと背の高い木ばかりだし、知り合いも居ない。遊び盛りな年頃だから、紅葉狩りじゃ不満だった。


 実は、その時知り合ったのがキンギョだった。キンギョは俺の後ろの席に座ってて、席越しにいろいろなことを話した。お互いのお菓子を交換したりもした。退屈でぐずっていた初対面の俺にまるで姉のように接してくれた。


 そんな時、事故が起こった。バスがカーブの途中で急ブレーキをかけたために横転したのだ。運悪く、横転した先は低いながら崖であり、ガードレールを突き破ってバスは転がり落ちた。





「 次に目が覚めた時、俺は病院のベッドに居た。体中に包帯が巻かれてて、まるで動けなかった。体は麻酔が効いていたのもあったけど、何より頭痛がひどかった。痛みでぼーっとしていると、看護師が大慌てで院長を呼んだ。


 次いで現れたのは、院長らしい風貌の人と、後ろにスーツを着た男性二人組だった。


 院長から聞かされたのは、俺が1週間近く気を失っていたこと、俺が命を取り留めたのは奇跡的だと言う話と、脳にダメージがあって夭折は免れられない。長く生きられても、四肢不全で車椅子の生活は避けられなくなると言われた。


 その後スーツの男に交代して、これまた絶望的なことを告げられた。


 バスの横転事故で大半の人が死んだこと、そしてその中には俺の両親も含まれていたこと。そしてもう一人からは、家族旅行を勧めた親戚夫婦両名は、旅行など提案しなければと責任の押し付け合いが苛烈を極め、事態に正気を失った夫が妻を刺し自身も刺すという無理心中を起こしてこの世を去ったこと、それに俺の妹も巻き込まれ二度と会うことはなくなったということを聞かされた。


 たった一瞬で家族と叔父母を亡くしたわけだ。意味がわからなくて子供らしく泣くこともできなかった。


 傷が治ったあとは、俺は孤児院に預けられた。家はもう俺が帰る場所じゃなくなってたから。」




 ここまでで一旦区切ると、芙蓉は顔をしわくちゃになるまでしかめた。詳しく話したことは他の誰にもしたことがない。自身に起きた出来事ではあるが、俺自身さほど感心を抱かなかったのだ。芙蓉の反応は、過去に類を見ないものだった。


「それから1年後くらいかな。神社ここの爺さんに拾われたのは。拾われてすぐに雨乞いのこととか、一般常識を教え込まれてきた。結構なんでもできる爺さんだったよ。料理だけはからっきしだったけど。だから、小さい頃はなんでもできるようにならなきゃって一生懸命だったなぁ。特に爺さんに料理させるとその日の飯は炭になるから、料理の腕は死活問題だった。」


 此処から先は思い出語りでもするようで、そう言えば最初にあった時は随分ヘンテコな爺さんに見えたもんだと懐かしくなってくすりと笑ってしまった。


 髪を伸ばしているのも、爺さんが伸ばせと言いつけたからだ。12歳になったら短くしていいとは言われてたけど・・・今も長いのはコレに慣れてしまって、いまいち短くすることに気が引けてしまっているのだ。


「まあ、それでいつの間にやら今日までなんとか永らえてきたわけだ。最初の1年はほとんど毎日が料理研究の日々だったよ。家事はほとんど婆さん任せだったみたいだけど、先立たれちゃってたみたいでさ、俺がこの神社に来るまではずっとレトルト食品しか食べてなかったそうだ。幼いながらこれはマズイって思ったんだよな。おかげで今となっては貫禄の主婦歴12年。どこに嫁に出しても恥ずかしくないベテランです」


 最後は、少しちゃらけて見せた。死した家族をないがしろにする訳ではないが、やはり暗い話というのは気分を下げるだけ下げてフォローもなしでは後味が悪いだけである。


 さて、本当はもう少し懐にしまっておく予定だった過去話だ。芙蓉の反応はいかなるや。


 隠していたつもりはなかった。


 早く話す必要は・・・・まぁ、あったかもしれない。いつ話すかなんて迷いもしなかった。


 俺の中ではこんな時がずっと続けばいいなと、もうすぐ息絶えるかもしれないなんて実感が遠のいてしまうほど、希望的観測が明瞭さを深めたからだ。


 以前、サークルの部長に見せた小説はつい最近書いたものだったがつまらないと言われてしまった。あの時は読み手の問題だと人のせいにしてしまったが、そう思わせたのは俺の哲学が、死生観が、感受性が、そうした少しの希望に乱されたからかもしれない。


 俺がいつか文章に描けていた命に対する価値観が、ほんの少しだけ軽くなってしまったからかもしれない。部長はそれを見抜いたのだろう。本来ならば、それは芙蓉と出会う前の俺が最も恐れていたことだった。


 俺は自分の人生を軽んじてはいたが、捨てたわけではなかった。病弱で将来性のない自分にも、きっとフィクションの物語を通じて俺のような思想の一つも遺せるのはずだと思った。名など残せなくていいからと趣味の延長で始めたことだった。正しいか、正しくないかはどうでもいい。


 賛同者がほしいわけでもない。別に、俺のように家族を失ったり、若くして死ぬ運命の子供に救いの手をとか、そんなプロパガンダじみた英雄気取りも興味がない。


 だが、だから何もせず生も死も相違なく呼吸をしているのでは、孤独死のようであまりにも無様ではないか。


 だから筆を執った。


 思うままに書きなぐった。


 もしも己の人生に絶望するものが居たならば、もしも眼にする者があるならば、もしも何かのめぐり合わせで俺の文章にたどり着いたなら、そのときはきっと思い知らせてやろう。


 生きていて、良かったと。


 俺が描くのは青春活劇ではない。甘酸っぱい恋でも、正義の味方の背中でも、胸躍るメルヘンでも、沼のような愛憎劇でもない。


 一個の生命が、泥の中から芽吹いて枯れて土に還るまでの、肺が腐るほど人間臭い蠱毒の作品だ。


 目にも見よ、音にも聞こえるなら聞いてみろ。潰れた字面から轟く、生への執着を忘れた人間の心臓の鼓動を聞くがいいと。自分が今生きている実感を、一つの物語から汲み取らせてみせようと。


 思い返せばかくありき。結論を言えば、当初の予定ではこのあたりで筆を置き、寿命を迎えるはずだったのだが・・・・・どういうわけか、ピンピンしている。


 医者もそのあたり驚いていた。特別治療を施したわけでもないのに一般生活に支障はなく、ひと月、またひと月と余命を伸ばしている。らしい。なのに突然死の可能性は否定できないとか、ご都合主義もいいところだ。悪い意味で。


「・・・・そうか・・・・・・・・・・そうかぁ・・・・聞きたくなかったな、それ」


 芙蓉はあっさり俺の言ったことを理解し信じたようだ。濡れてみすぼらしく細まった尻尾が芙蓉の心象を示すように垂れている。おかしな話だ。神様が人の寿命が短いのを憐れむでなく悼んでいる。神様にとって人間とは何なのか。芙蓉にとって俺とは何なのだろう。ひょっとしたら、なんて、淡い期待が胸を満たす。


 人間にとっての神様なんてただの万能言い訳機だ。


 信仰しているのは別に神様のためじゃなく自分たちのためだ。豊穣の神も戦争の神も全て自分たちの都合のためのでっち上げだ。聖書に書いてあるから正義なのだ。どうせ神様はいるとか神を信じますかとか宗勧誘してる奴らほど自己愛の権化であり脳のないイエスマンなのだ。


 しかしながら、目の前に実在するこの少なくとも人間ではない娘はそういう口上のはけ口には足り得ない。こいつのせいだ、こいつが悪い、と言われれば普通に凹むし物理で殴れば痛がる。なにより神様のくせに死の価値観だけ人間と同じ目線で見ている。まるで神といえど人と同じで死を恐れているかのようだ。


「・・・・・同情してるのか?」


 在り来りなセリフだ。まるでラノベのセリフだ。言ってからなんだか恥ずかしくなってきた。何が同情してるのか?だ。同情してくれ、の間違いだろう。


 それは同情されて激情したい悲劇のヒロインのセリフだ。なんて腹黒いセリフだ。もう少し考えて喋ればよかった。


 聞くなら、そう。同情してくれるおかげでちやほやされてる、とか適当に作話さくわして茶化せばよかった。



「同情だとぉ?誰がするかそんなこと。単純な話だ。ショック受けてんのは同情してるからじゃねえ。私が!悲しい!それだけだ。」


 勢いに任せてまくし立てる芙蓉にきょとんとしてしまった。


 たしかにそうだ。ますますゆでダコになりそうだ。なんとおこがましいセリフを吐いたものか。なにもないフラットな大地で転んだくらいクレイジーだ。そんな寒いギャグではエンターテイナーにすらなれやしない。スコット・ジョプリンもドン引きしてスコアがまるごと1オクターブ下がってしまうこと請け合いだろう。しかし。


「そこまで親身に気を落とされたのは初めてだよ」


「落とすだろ!お前人生なんだと思ってんだ!どうせ遅かれ早かれ死ぬ運命だちょっと人より早いだけだとか思ってんだろ読んだぞお前遥場はるばにありて竜胆りんどうってタイトルのやつ!」


「よく覚えてるな。実は俺の作品気に入ってたりしない?」


「き、気に入るかあんな陰鬱な話!表現力が達者すぎて景色が見えるんだよアレ!私が昔見た黄泉比良坂ヨモツヒラサカ茨墓地イバラボチなんてまさにあんな感じだ!・・・息が詰まって肺が重くなる。というか肺を捨てたくなる。」


 どうやら俺の中の死者の国に対するイメージは概ね正解らしい。死んだら恐らく見れるかもしれないので、死後の楽しみの一つに加えようと思う。あと、褒められるのはやはり嬉しいものだ。作家冥利に尽きると言うものだ。


「褒めてねーしだからなんでそうお前は前向きに後ろ向きなんだよ!ポガティブかよ!」


 その場で握った拳を振り下ろす。叩く机がないからバシャバシャと湯を跳ねさせるだけだが、俺にもかかるので机を叩かれるより始末が悪い。


「流石に余命宣告されてこの体面では脳天気な性格ではいられなかったよ」


 実際の俺はもっとひねくれ者で、生きる努力こそしていたものの自分の人生を悲嘆しなかったわけではない。


 どうして自分ばかりこんな目にとか、何不自由ない他人が羨ましいとか。


 人並みに人を妬んだりしたし、自分が生きる意味や理由を自問自答したりもした。


 どうせ短い命なら、いっそ早々に捨ててしまったほうが楽かもしれないと、何度も諦めそうになったこともある。


 13歳の頃には既に最後の身内である爺さんもこの世を去り、本格的に孤独死という未来に拍車がかかった。代理の宮司が一時的に後任にあてられたが、その人にも家庭があるし天輝神社以外の神社も管理していたために長くうちにとどまることはなく、度々キンギョが遊びに来る以外には常に一人だった。


 また女顔であることや、体の傷が原因で性別問わず友人には恵まれず、寧ろ迫害に近い仕打ちを受けた。


 当然身内の居ない俺は泣きつく先であるはずの両親に抱かれることも出来ず、全部自分で受け止める他なかった。受け止めることは出来た。ただ立ち向かうだけの力がなかった。


 だから、そうだ。決して平気などではないのだ。無理をしていないわけがなかったのだ。人格の形成すら不完全な子供なのだから。


 人より早く死ぬ体で、人並みの愛も分けてはもらえず、平気な顔でいるために他人との接触を可能な限り避けるようになって、傷ついた体も心も隠していただけである。でなければ、あの雨乞いのときのように、大衆の目に晒されただけであれ程怯えるはずはない。


「・・・・・・他人事みたいだけど聞けば聞くほど、お前の人生は悲惨だな。怒ってよかったのに」


「誰にだよ」


「神様とかさ」


「馬鹿にしてんのか」


 流石にそう言われては、むっとせざるを得なかった。


 怒ったところで俺の体がもとに戻るわけではないし、居もしない(と当時は思っていた)ものにぶつけたところで虚しいだけだ。そう思っていると、芙蓉は俺の手を取って薄い眼でしげしげと見つめながら言った。


「おうとも。馬鹿だお前は。お前は世の中の色んなことに反発もせず、それもまた一つの価値だと受け入れてたんだろう。物にあたることも出来たのに、どうせお前は他人より寿命が短いぶん命の尊さを知っているから、物の価値をも大切にしてそういうことすらしなかったんだ。世の中はお前程度のものさしで図れるほど卑しくもないし、尊くもないっていうのに。子供なら子供らしく癇癪を起こしてよかったんだ。大人だってそんな理不尽を納得できるもんか。なのに、どうしてお前はそんなに優しく育っちまったんだ。どうして・・・・」


 最後の言葉は震えていた。嗚咽を押し込めたような、声にならない慟哭のようだった。俺の手に芙蓉の手が重ねられ、包み込むようにして彼女の頬に寄せられる。


「なぁ蓬。もし・・・。もしもだ。私がお前に隠し事をしてるって言ったら、どう思う?」


「え・・・・例えばどんな?」


「勝手に冷蔵庫のプリン食ったとか、茶碗を割ったとか、イタズラでフラッシュメモリ庭に埋めたとかそんなチャチなことじゃなくて、もっとでかい内緒のことさ」


「待て、最後なんて言った。失くしたと思ったらお前の仕業か」


 手を振りほどき、ぎゅうと芙蓉の頬を両手で挟み込んで押しつぶす。芙蓉と出会った中頃に失えたものなので完全にノーマークだったが、この駄狐の妨害工作と知っては黙っていられない。あれのお陰で余計な労力と出費を強いられたことには言及と説教もとい折檻の権利がある。


 芙蓉は絶妙な圧迫感の隙間から声を放り出した。


「うぶぶぶ、だ、大事なことなんだよ!答えてくれ!」


「聞いた後に怒ります。怒ってから許します」


「ゆ、許してもらえるのかな・・・・これ・・・・。うう、やっぱりもっと保険をかけてから言えばよかった・・・」


 後悔を先に立ててしまったらしき芙蓉は深く息を吐き、ええいままよと鼓舞して顔を髪より朱く染め、身をも乗り出して浴室にその言葉を反響させた。


「わた、私は・・・実は・・・・!」

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