第40話 レインメイカー 後編

正直この話なかったことにしたい(作者)

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話も落ち着き始めたところで、甘夏がこほんと咳払いをした。


「えー・・・・では、皆様の顔合わせも済んだところで、そろそろ役者の準備も整っていることでしょう。本日のメインイベントと参りましょうか」


視線が一斉に俺へと集まる。嬉々とした目、値踏みするような目、興味深げな目、期待の目。色んな表情が向けられている。


「変に盛り上げるなよ。逆に緊張しちゃうじゃん」


とは言うが、甘夏の仕切りのおかげでグダること無く巫女舞をはじめられそうだ。俺は一度身を正し、神楽鈴を手に取る。そして始める前に最後にひとこと忠言を加えた。


「あらかじめ言っておくけど、この雨乞いの舞はほんとは見世物じゃないからね。そこはそれ、芙蓉という雨乞いと全然関係ない神様からお許しを頂いているから今回だけ特別にお披露目するってことなので、そのへんよろしく。当然拍手とかはご法度です。簡易的とはいえあくまで神事なので、礼節を重んじて見てください。」


 それはマナーというよりかそれ以前の話だ。みなももしも神社でこういうものを拝見するときはそれを意識して欲しい。


 まぁ根本的な話、男が巫女やってる時点で禁忌もクソもないのだが。その場の全員から「はーい」という返事を確認して、俺はウリョシカにラジカセを任せる。


 辺りはしいんと静まった。日が傾き始め、紅く眩い陽光が拝殿を照らし、鳥のなく声や木々の葉の擦れる音だけが静寂を支配する。俺はウリョシカに目配せし、『デハ、参りまス』とラジカセの再生ボタンがかちりと押された。


 ・・・・ぴぃぃーーー、とノイズ混じりにスピーカーから少し大きめに音が発せられた。風を切るような龍笛りゅうてきの疾走。


 それに始まり、水のこんこんと湧き出るような太鼓の音、葉の落ちるような和琴と琵琶の音が静寂を破った。日本の伝統的音楽、雅楽ががくである。


その律動、旋律、和声は他国に類を見ぬ独自性がある。長く永く、伸びるように響く笛の


山をも超えるほど高く遠くへ吹き抜ける。


 元をたどると中国朝鮮、ベトナムを渡り日本にて花開いたと言われる雅楽だが、日本における歴史の古きは奈良時代にまで遡るとされる。世界最古のオーケストラである。


 音に乗るようにして、俺は舞い始めた。


 音楽に合わせてゆっくりと、川の流れのようにゆったりと、揺蕩うような舞踊を見せた。表情は固くない。寧ろ僅かに笑っているかのような慈しみのある表情だった。


 おお・・・・と観客らから感嘆の声がかすかに聞こえた。だが俺はそれに意識を向けられるほどの余裕はそうなかった。


 激しい舞踊ではないが、なにぶん久々の雨乞いの舞だ。爺さんの生きているうちに5年もかけて叩きこまれた所業だが、何も考えずに舞えるほど単純な内容でもない。


 単調でこそあるものの手の向き、顔の向き、それらの角度や歩幅など細かな動作の全てに『意味』があり、20分もの長きにわたり舞い続ける過酷なものだ。


 イメージは『見えぬ神様と舞い遊ぶ』ような・・・・そんな舞踊である。


 しゃん・・・・・・しゃん・・・・・と手首をひねることで、メリハリのある鈴の音が鳴る。巫女神楽で手に持つ採物は依代となる神具である。採物には鈴の他に榊、笹、扇などがあるが、ここでは雨音を模すためか鈴が採用されている。


 ふと、芙蓉が嘆息を漏らした。


「・・・・すげえ・・・かっこいい・・・!」


 涙さえこぼしそうなほど震えた声だった。


 笛の音と、鈴の音は響く。慈雨のごとき天の落涙を祈願して、巫女は舞う。

舞の終盤、日が落ちるように、静かに俺は身を下げていった。



 芙蓉にとって、20分などあっという間だった。200年の歳月のうちのたった20分だとか、そんな意味ではなく。純粋に今この舞踊の間、虜にされていたのだった。


 曲が終わり、俺は身を整える。


「えー・・・どうもお疲れ様。ま、こんな感じです。」


 その場に居たみなが、あっけにとられたような表情であった。俺も含めて。


「・・・・・・なんか、すっごい増えたね。」


 いつの間にやらギャラリーは俺の友人らだけに留まっていなかった。雅楽や鈴の音に惹かれてきたか、拝殿の周りは近隣住民が30人ほど集っていた。


ぱち


ぱち ぱち


ぱちぱち ぱちぱち


 手のひらを打つ音が伝染する。それはいつしか篠突くような土砂降りになっていた。


 はー・・・やれやれ。最初に見世物じゃないって言ったのに、全く意味なかったなぁ。


 拍手の中心にいることに、悪い気はしないけど。とりあえず俺は鈴をマイクのように持ち、腰に手を添えて叫ぶ。


「はいはい、シャラップ!」


 カラオケでやってたら間違いなくハウリングしてる大音量に、ピタリと拍手が止む。その隙に、はいはい、散れ散れ。と手をひらひらとさせて近隣住民の解散を促そうとした時、集団の中から一人が声をかけてきた。


「ねえ、君。蓬ちゃんだよね。」


 ボーダー柄のシャツを着てて、少しビール腹の出ているメガネの初老の男性だ。俺を知ってるっぽいがちゃん付けなあたり俺の性別までは知らないらしい。そして俺はこの男性を知らない。


「ああ、やっぱりだ。大きくなったね。何年ぶりだろうね。ほら、3丁目の堀場だけど、覚えてるかな?菜丘さんが亡くなってから雨乞いを見なくなっちゃって、物足りなかったんだ。今日は見れてよかったよ。よければ、また来年もよろしくね」


 そう言って強く握手されて、さっさとその人は去っていってしまった。

 ええと・・・誰だっけあの人・・・・。ぽかんと考えているうちに気付けば握手会が始まっていた。

 俺の前には長蛇の列。わけもわからぬうちに、あらゆる年代の人達から


「かっこよかったです!」


「また来年お願いします!」


「ファンになりました!」


「ライン交換してください!」


「付き合ってください!」


 などなど、まるで1日アイドルである。混乱したままその場の全員と握手を終えてしまい、拝殿内から俺たち以外の姿がなくなっても、空いた口はふさがらなかった。


「なんだか、すごいことになってましたね~」


 ハナマイリが思い出したように言う。


「・・・・・・えらいことになったなぁ」


 俺もかろうじて言葉を発しても、惨劇を振り返るものしか出てこない。閑古鳥の鳴くような静寂のなかで、6人は呆然と夕日に照らされていた。

 まさかこんなことになるとはなあと、今日の事態は本当に全くの予想外だった。


 ホントは芙蓉だけに見せるつもりだった雨乞いの舞も、気付けばプチ町内会芸みたいな有様になっていたのだから。


 舞っている最中もチラホラと人影が増えていくのには気づいていたが、終わってみればあんなに大所帯になっているとは。年代層もまばらで先ほどのような初老の男性を始め腰の曲がった人もいれば年端もいかない小さな子たち、家族連れのようなグループまでもが粛然と舞に目を奪われていたようだ。



 悪い気はしなかった。しかし『純粋な』好機の視線の数々は、少し心地良いかもとすら思ってしまったりもした。ああいう目を向けられたことは過去に有るはずもなく先にも無いと信じて疑わなかったから。しかし・・・


「・・・・あれ?ていうか俺・・・。待って待って。俺、この格好で衆前に立ったのか・・・?え、待って!ヤバイ!気づいたら・・・・ぅぁぁ・・・・恥ずい・・・・待って、どうしよ・・・!」


あんな大勢の一般大衆の面前でこんな格好を晒してしまったのことに気づき、赤面する。男だと気づかれなかったのが不幸中の幸いか、どちらにせよいい年して人前で堂々と女装だなんて。俺は両手で顔を覆い、塞ぎこむようにその場にしゃがみ込む。


「そういえば確かに・・・。はは、蓬ってば耳まで真っ赤だ!」



顔を伏せたまま大きくかぶりをふる。芙蓉は笑っているが、俺にとってこんなの一生の恥だ。暗い視界の中で、今浴びせられた視線の数々が浮かび上がる。






 その時であった。

 『何か』を思い出して、ゾッとした。


 思い出したくない、忘れていたかったことだ。



 それは、『純粋ではない』好奇の視線。邪欲の視線。あの場にいた人たちの目の色が、俺の脳内でそれにすり替わった。



性別など疑いもせず笑っていた顔たちにひたすら脳内で謝った。騙したわけじゃないのだと、もうその場に居もしない誰かに対して絶えず謝罪を繰り返す。


怖いと思ってしまった。

偽っていたわけじゃない。騙すつもりなんか欠片もない。

勝手な想像で、勝手にされた信頼に義理なんてあるはずはないのに。


怖いと感じた。許して欲しいと思った。

小さな子供にすら冷めた視線を送られそうで

何もかも考えるのをやめて、謝りたいと思っていた。


泣きそうになった。優しくして欲しかった。

なぜこんなに怯えるのか、その理由は忘れてしまった。

震える自分の肩を抱いて、小さくなって消えてしまいたかった。


それは昔、自分を穢した者たちへのトラウマ。


「よもぎ・・・?よもぎ、おい、よもぎ!」


芙蓉の声で顔を上げた。心配そうな仲間たちの顔が一点に集まっていた。震える唇で、言葉を紡いだ。


「・・・・・・ちょっと、昔のこと思いだした。ああやって、人に囲まれて、女として、吊り上げられたときのこと。騙したかったわけじゃないんだ、なのに、そうしなきゃいけなかったんだ・・・・・。違うんだ・・・・。頼む、芙蓉・・・嫌わないで・・・」


助けを求めるように名前を呼んだ。思い出したくない何かを遮るように、芙蓉の名前を脳裏に描いた。


いつもそうだった。いつも俺を抱く手は、俺のためにあるものではなかった。俺にとってそれは、拘束でしかなかった。


しかし、今だけは違った。


ふわりと、温かい何かに包まれた。芙蓉の腕のなか、豊かな胸に埋まっていた。驚いて、目を見開く。


「おいおい、なに情けねえ顔してやがる。男だろ?なんにも怖がることはないよ。みんな、また見せてねって喜んでたじゃんか」


ちがう。そうじゃなくて。ギュッと目をつぶる。きっと、俺が怖いのは・・・・


「蓬。私は蓬のそういうとこが・・・・その、良いと思うんだ」


耳に届いたのは、そんな優しい言葉だった。


「大丈夫だって。みんな蓬のこと、大好きだもの」


あたりにあるのは、優しい笑顔だ。誰ひとりとして笑いものになどしていない。安心できる仲間たちが俺を守るように囲っている。

なんだろう、心臓がとくんと跳ねる。視界が自然とクリアになる。眩しい夕日が染めるオレンジの空に、ほのかな温かみを感じる。


「初めて見たよ、蓬のそんな弱々しいトコ。ずっと何か抱えてたのは気づいてたけどね」


甘夏が呆れる。


「弱いとこ見せられる仲間ができたってことだもんね。おねーさん寧ろ安心したよ」


キンギョが笑う。


「誰にだって怖いものはありますよ。私にだって、ありますから」


ハナマイリが心を寄せる。


『心のケアも、妖にオ任せくださイ』


ウリョシカが手を差し伸べる。


「ほらな?」


芙蓉が背中を押す。


ひどく弱いと思った。こんなにもたくさんの助けがなければ立ち上がるのも大変だなんてと。

情けないと思った。小説の悲劇のヒロインみたいで、男がすたると。


芙蓉の腕を下ろし、俺は立ち上がる。気付かれないように、小さく鼻をすする。ゆっくりと立ち上がって俺は言った。


「・・・・・青春ドラマじゃないんだからさ・・・」


強がりに毒を吐いてみたつもりだったが


「お前に青春なんてあったのか?」


芙蓉の言葉はそれよりぐさりと心に刺さり


「ねえけどさ、やめろよもうちょっとオブラートに包んでよ」


そんなの意味ないんだと気づいて、破顔した。


 なにか、色んな物がくだらねぇなと思うようになった。


 今までの自分が、積み上げてきた自分が、固定観念が、出来上がったパズルをバラすようにして剥がれてく気がした。


 肩の荷が下りた・・・というか、ようやく荷を持ち上げられた、と言った気分だった。


「・・・・ん?」


 すとんと心が落ち着いて、さてじゃあ今日はお開きにしようかと言おうとした時だ。

しとしとと、湿った音が聞こえることに気がついた。

聴き馴染んだその音に、慌てて俺は空を見る。


「・・・・・ええ、うそだろ!」


 雨だ。雨が降っている。オレンジとブルーの入り交じる空に、ささやかな天涙が町を潤す。


「俺の雨だ」


 魂が抜けたように呟くと、「ええっ!?マジで!?」と皆がこぞって弾かれたように外を向く。


 間違いない。これは俺の雨だ。今日は雨降りの予報はなく、空には雨雲らしきものは浮かんでいない。そして、俺の雨は『かならず天気雨になる』という特徴がある。


確信を持ってそれを告げると、5人は我先にと水を求める魚のように飛び出した。


「あっ待って!オイラも見たい!」


『これが・・・・』


「わぁ・・・!」


「素敵な雨・・・」


東の空には星々が瞬き始め、西の空には日が落ちゆき、天上は夜と昼の境から、遣らずの雨・・・・

今日は火を焚いていない。儀式は本来拝殿前の広場で焚き火を起こしその前で巫女神楽を舞うもの。つまり不完全な形での神事である。だから俺の雨がこんなに早く・・・いや、そもそも降るはずがないのに。

唖然としていると、外の芙蓉が喜々としてくるりと回って子供のようにはしゃいだ。


「蓬!この雨、すっごく綺麗だ!」


けど、そう言って笑う芙蓉を見ると、まぁなんでもいいかと何もかもどうでも良くなってしまった。


「それはいいけど、お前らあんまり雨に当たると風引くぞー。つかウリョシカ!お前は一番まずいだろ、はやく中入れ!」


 一度全員を家に収容し、タオルを配る。たいした雨ではないから心配はないかもしれないが、この時期に引く夏風邪はバカにできないので、キンギョと甘夏たちには一応雨が止むまでうちにいることを提案する。

そうなると、自然と晩飯もうちで食ってけみたいな流れになった。


 みんなをリビングにおいて、一人自室で装束を着替える。雨は止まない。ううん、やっぱり町内の皆さんごめんなさい、と苦笑気味に空を見る。

空は幻想的な紫を湛える。俺の雨を綺麗だと言ってくれる人が、この町にはあと何人いてくれるのだろうか。


 静かに俺はカーテンを閉める。その頬は、少し濡れていた。

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