第37話 ナーバス・ライフ・中毒
神社の管理は日頃から行わなくてはならない重要なものだ。神社とは読んで字のごとく神の社。神様をお迎えするための場所であるからして、これを怠るのは愚行であると。今は亡き祖父によく言い聞かされたものだ。別に神に対する信心も、神領に対する敬意もない。ただここが自宅であるという理由だけで俺は日々清掃をこまめにしている。
ゆえに、今日もやることは習慣化された作業である。
芙蓉は拝殿の窓拭きと廊下の雑巾がけを担当し、ウリョシカには神具のホコリ取りをさせている。今までは神具の手入れも俺がしていたが、不器用な芙蓉は言わずもがな、手先の器用なウリョシカに任せることにしたのだ。本当はあまり他人には触らせたくないものだったが、そこはさすが機械というべきか精密さと繊細さでは人間の俺など到底及ばない。知識と材料さえあれば、古くなった神具を新品同然に修繕さえやってのけれそうな技術力には脱帽という他なかった。
適材適所という言葉があるように、それに則った配置に着いたまでだ。
そして俺は顔を真赤にして、もくもくと境内の掃き掃除に専念している。
『ヨモギ様。まだ怒っていらっしゃるのですか?』
「うるさいな、怒ってないし恥ずかしくもねえよ」
「なんだ、珍しくもないけど今朝から機嫌が悪いな、蓬」
別に機嫌が悪いわけではない。ただちょっと根に持ってるだけだ。
先ほどウリョシカにされたのは、控えめに言っても触手責めだった。
うねうねぐねぐねと伸縮と脈動を繰り返すように動く様子はマッサージ機にでも包まれているような感覚を覚えたが、微弱な振動を繰り返すのが頂けなかった。脇の下とかでバイブレーションされるとくすぐったくて変な気持ちになりそうだった。
なんというか、霊力を吸収すると言うにしてはずいぶん乱暴というか、どう考えても消費させられているだけみたいな感じだった。そう思う一方で、だが確かに「あ、今吸われてる」とも感じていた。
触手の圧迫感から逃れようと力んでいた力が徐々に失われ、ぐったりとした脱力感に苛まれて、まるで逆に毒でも注入されているかのように脳が麻痺していき、すべてを委ねるように触手から逃れようとする意志が薄れていって。じんわりと体が暖まってくるのに比例して血の気が引くみたいに霊力が手元を離れていったのがわかった。その頃にはすっかり抵抗力を失い、体中を機械の触手が這いずるのをよしとしてしまっていた。
「・・・何だよアレ。もっと普通にできなかったのかよ。馬鹿」
つい、ボソリと口が動く。
『はて、普通と言われまシてモ。』
一応、弁明がわりに原理の説明だけは聞いた。大量のコードを巻きつけて、体の神経の多く集まっている部分を全身から刺激し、それにより代謝を活発にさせ霊力の体外流出を促しコードの触手を通して吸収すると、そういう仕組だという。全身に巻き付くことで吸収の面積を広くすれば効率的だからと、理にはかなっているようなそうでないような、そんな内容だった。
「なに、朝からやらしい話してるように聞こえるんだけど。ひょっとして霊力でも吸われた?いつもより弱々しいし、そうだろ!」
しまった、芙蓉が食いついた。
食いつくのは飯だけにしてくれよと思うが、芙蓉は火がつくとエンジンが温まるのも早い。それに普段はアホっぽいが、狐らしい狡猾さの片鱗というか、困ったことに頭の回転も早い。
「・・・・そうだよ。朝からすげえ疲れた。おかげでシャワーがすごく気持ちよかった。」
投げやりに物を言い、やけくそに竹箒の先で地面を払う。はいはいこの話はおしまい!と振る舞いで物を語る。別段面白い話ではあるまい。
芙蓉は首を傾げ、ひそひそとウリョシカに囁く。耳元がどこかわからないので、スピーカーのあたりに口を近づけて。
「・・・・?・・・・・・ウリョシカ。お前蓬に何したの?」
『さあ、霊力を頂いただケですが。』
「それだけで、あんな風になるかなあ。霊力場を少し齧るだけだろ」
『すこし吸いすぎたのかもしれませんネ』
「白々しいなあ」
吸うとか齧るとかやや不健全な話である。芙蓉はウリョシカに苦笑して、雑巾を持った手をバケツの水に浸した。広い敷地の掃除は一筋縄ではいかなくて、ふうと芙蓉は一息ついて言った。
「そういうことするなら言えよ。ズルいぞ一人で楽しむなんて」
『さスガに狐神となると直感が鋭いでスね。ええ、ヨモギ様の高揚した表情、十分堪能させてイただキました。妖の身であるといウのに不思議とそそるものデすね。本来、妖にはソのような感受性は備わっていないはずナノですが。』
ウリョシカには疑問があった。妖にはない特性がいくつかあるという事実だ。
妖は機械、カラクリに宿る存在であるという性質上、自我が芽生えると言ってもそれも機械的なものに過ぎず、感情という感情もないものになるはずだった。
蓬のことを主と慕うまではプログラム上の出来事だと納得できた。たとえ蓬に認められようと認められなかろうと、妖に選択権はないのだ。だが、菜丘家にいることができるかどうかを決定する談義の間は、不安と定義する以外に難しい感情が渦巻いていたし、蓬が預かると言った時には言葉にできないほどの安堵があったのだ。今朝に至っては主の安否を『心配』したり、羞恥に染まる顔を見てみたいという『欲求』であったり・・・不可思議な行動を取ってしまっている。
ありもしないプログラムに翻弄されているようで、不思議で仕方ない。そもそも不思議だと感じること自体が、妖にはありえないことであるはずなのに。
そう思っていると芙蓉が白い歯を見せて笑った。
「いいじゃん。それだけ蓬が好きなんだよ。」
『好き・・・でスか。どうナのでしょウね』
好きも嫌いも、感情に由来して生まれた言葉だ。
____カラクリは人を好きになるのか。
人には永遠の謎だろう。
少なくとも、嫌いだとは言いたくないと。
霊であるにもかかわらず、人間みたいなことを言う狐神を見て、もう一度同じことを思った。
手元の、蓬に掃除を任された神楽鈴を鳴らしてみて、ウリョシカは問うた。
『そうイう芙蓉どのは、ヨモギ様をドう思っていラっしャるのです?』
狐神は迷わず答えた。
「好き。たぶんこの世で一番好き。・・・・って、本人に言えたら良いんだけどなぁ・・・・はぁ・・・・」
にも関わらず、肩を落とす姿にウリョシカは更に問うた。
『断言できるのに、何故言わないのです?』
「なんでかって。」芙蓉は一度空を見上げ、拝殿の縁側からだらりと足を投げ出して言った。
「・・・・ちょっと怖いんだよね。好きって言ったら、私が秘密にしてることも言うつもりだから。それで嫌われたらと思うとなかなかね。そしたらもう、きっとここにはいられないから。それに・・・・」
芙蓉は足をぶらぶら揺らす。視線は足元で列を作っている蟻の群れに注がれている。縁側の軒下では、カゲロウの幼生が顎を突き出して待ち構えていた。
「・・・・それに、今のままでも良いかなとも、思っちゃってるんだよね。神様はじめて200年くらいするけど、今が一番幸せなんだ。ほら、今のままでも傍から見れば付き合ってそうじゃん?」
芙蓉はそう言って笑うが、ウリョシカにもその本心はわかった。
本音を言えば、恋人という関係でありたいと。芙蓉の目はそう言っている。
『・・・・ワタクシには理解しかねマすね。』
主を慕うものとして、蓬には幸福になって欲しいとウリョシカは思う。そして同じ天輝神社の同僚として、芙蓉の助けになりたいとも。そう思えば思うほどウリョシカは苦しい気持ちになった。
(理解しておられるのでしょうか。芙蓉どの・・・。人間と霊は結ばれても、ずっと一緒にはいられないものです。霊はどうあがいても人間より長い時を生きるもの・・・。ましてやヨモギ様は・・・・)
どうにも出来ない問題を抱えている二人の仲を、ウリョシカは密かに一人嘆く。
古びた神楽鈴を静かにくすんだ木箱に返した。
「おおい、芙蓉!そこ終わったんなら、次は拝殿の畳に掃除機かけてくれ」
俺は座り込む二人がサボってるように見えて、鳥居の下から声をかける。
「げぇー、よもぎぃ!お前んちの神社広すぎー!」
「手伝うって言ったのはお前のほうだろー!」
「そりゃそうだけどさぁ」
そんなやり取りをする俺と芙蓉を見て、ウリョシカは人知れず呟いた。
『前々から思ってましたが、神のための神社を神自身に掃除させるとは・・・パンチの効いたジョークですね。ヨモギ様らしいことですが。』
___こんな関係の二人なら、或いは心配することなんてなにもないのかもしれませんね。願わくばせめて、二人の関係が崩れませぬよう・・・。
青い空の下、パソコンの形をした兵器は平和を願う。
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