第36話 スタバで逆立ちでドッピオって言う勇気
「きみ、ないてるの?どうしたの?ころんだの?」
話しかけてきたのは、僕と同じくらいの歳の女の子だ。だから、たぶん5歳くらいだ。公園の隅でうずくまる僕に女の子は、歳相応の輝きを蓄えるつぶらな瞳を心配そうにこちらに向けている。僕が泣いているのを見て、その子もだんだん泣きそうに顔を歪めていっていた。
「あのね、このこがいってるの。このこはもうすぐ死んじゃうんだって。ひとりぼっちで死んじゃうんだって。死んじゃうと『海』になって、もうだれにもあえなくなるんだって。とってもさみしいことなんだって。だからぼく、そばにいてあげるの」
泣きじゃくるのをこらえながら、僕は必死に説明した。なにかが死ぬ瞬間に立ち会うのは一人では荷が重かった。だから、まるで助けを求めるように、その子に告げた。でも、その子は首を傾げて言った。
「死んじゃうって・・・・なにが?そこになにかいるの?」
僕は驚いて目を見開いた。ばっと手を大きく開いて、地面に横たわる、自分の5倍はありそうな動物の姿を指す。
「ここ!ここにいるよ!」
「ここって、どこ?」
「ここっていったらここだよ!」
「だから、どこよ!うそつき!なにもいないじゃない!」
「うそじゃないよ!ここにいるもん!」
どうしてわかってくれないのか、僕にはわからなかった。瀕死の生き物は遠くからでも見えるくらい大きいのに。生き物のことを伝えたくて、僕はとにかく必死だった。でもそれは初めて見る生き物でうまく伝えられなくて悔しかった。悔しくて、泣きながら、伝わって欲しくて、力まかせに叫んだ。
その生き物は、全身をびっしりウロコに覆われ、馬のような蹄を持ち、樹の枝のような角を携え、顎からは貫禄に満ちた立派なひげを生やしていた。横たわったまま、その生き物は鋭い牙の隙間からかすれた声で言葉を吐いた。
『・・・・ああ。もうよい。よいのだ。人の子よ。お主のその気持だけで、じゅうぶんだ。』
そう言って、その生き物は・・・・。
時は前回からそう遠くない。妖である憂慮然との邂逅の翌日のことである。
蒸し暑い熱帯夜を越えて、じっとりと汗をかいた状態で俺はベッドに横たわっている。時刻は午前5時。窓の外はまだ少し暗いが今日の天気は晴れ予報だったはずだ。目覚まし時計がなるより早く寝苦しさで目を覚ましたらしい。長い髪を腕で踏まないように気をつけながら、重たい上半身をゆっくりもたげる。
「・・・・・うん・・・・・・なんだっけ、今の夢。」
見たことあるような、ないような。懐かしいような、古めかしいような。記憶の隅を探っても覚えてないような、でも心で覚えてるような、そんな夢だ。
「・・・あー・・・・寝覚めワル・・・・」
古傷を突かれたような気分にぼりぼりと頭をかきむしり、大きなあくびをしながらマットレスの上から足を床に下ろす。するとデスクの方から電子音の声が聞こえてきた。
『ヨモギ様。オハヨウゴザイマス。どうヤらうなさレていたようでスが、夢見心地が悪かったので?』
未だしょぼつく目の片方を気力でこじ開け、声の主に顔を向ける。
「・・・・・・寝起きで目の前に一つ目オバケって、なかなか怖いな。」
『申し訳ありませン。ワタクシにもう少し愛嬌がアればよカったのですが。』
「冗談だよ。真に受けんな。それからおはよう。早起きだね、お前も。」
デスク上にいるのはギョロ目が特徴的なパソコン型妖怪の憂慮然(ウリョシカ)だ。ウリョシカ自身動きまわることが可能だが、普段は元のパソコンがあった位置に常設されることとなっている。ウリョシカも自我がないただのパソコンの頃の記憶が染み付いているのか、今までどおり俺のデスクの上にいるのが一番落ち着くのだそうだ。
『早起きといいまスか、そもそもワタクシは眠りまセん。機械デすかラね』
「労働意欲に満ち満ちた設定だなあ」
殺傷機能を除いて妖を大量生産したら日本の経済力はうなぎのぼりなのでは、と一瞬考えたが、たぶんターミネーターみたいな未来しか待ってなさそうなので考えるのをやめた。映画化するならタイトルは社畜サイボーグだ。完全にB級待ったなしだぜ。
「ふう。それにしても気持ち悪いな、これ」
寝汗で寝巻き用のジャージが肌に張り付くのを不快に感じ、襟を引っ張って内側を手で仰ぐ。まだ空気の爽やかな初夏のうちに、悪夢というほどのものを見たわけでもないのにこの有様だ。立夏以降の猛暑はこんなものではないだろう。そんな感じで憂いていると脈絡もなくウリョシカはボソリとつぶやいた。
『それにしても・・・・ヨモギ様はドんな姿でも可憐でいラっしゃる』
「・・・・え、なんて?聞いてなかった。」
寝起きで頭がまだ働いてない俺は名前を呼ばれたようなとしか聞き取れず、ウリョシカに問い直す。すると
『ヨモギ様は華奢で可憐で美人デ一笑千金で国色天香でいらっしゃると思いマして』
突然のべた褒めの嵐である。俺が女であったならの話だが。なお、その意図は全くつかめない。
「はい・・・?いきなり、何さ?」
残念ながら見た目は女でも精神は男。なのでウリョシカがいくらそういう賛辞を並べようと俺の心を揺さぶる言葉には一切該当しない。好きな子に言われたんなら話は違うんだろうけど生憎人間の女の子は俺にはあまり近づきたがらないし。なぜかってそりゃあ、女みたいな男って気持ち悪いし、そのくせ大抵の女の子より俺のほうが可愛いからだ。皮肉というか、ひどいものだ。こんな男に近づいてきたのはほんと、キンギョや芙蓉くらいのものだ。
『ワタクシは心配しているのです。男でありながラ女性的な容姿。女性的でアりながら男性的な性格。ヨモギ様のそのギャップが不安定でミステリアスな魅力とナっているのです。ですがそれだけだけならまだしも、その男性としての思考傾向が女性的な肉体を無防備にしてイル。ひトこトでまとめますと、男性の興奮領域を刺激する割にガードがゆるゆるなのです。今だって胸元やお腹の周りをはだけサせて扇情的な目をしています。ソンナことでは簡単に男性に襲われてしまいますよ。』
寝起きで服装のことを言われるのは心外だが、ウリョシカの言うことはもっともだと思った。確かに俺はよくナンパに遭うし、性的に襲われたことも実際にある。この顔が原因で虐めにあったことだって少なくない。だがその心配は既に意味がなかった。俺はある日から人を避けるようになり鎖国してた頃の日本みたいに外部との接触を狭範囲に絞った。だから今更ガードがゆるいとか言われてもどうすれば良いのかわからないし、襲われたらその時だと半ば開き直っている。大抵の男は俺が男だとわかれば興をそがれて立ち去るし(それでもただではすまないが)、そうでなくても俺が抵抗しなければ相手は満足して去っていく。
だから本当に、その心配は今更のことなのだ。
「忠告ありがとう。まあ、できる範囲で気をつけるよ。」
『ええ、そうしてください。』
心にもない口約束を、覚えておくつもりもなく言った。
「さて、朝飯作って境内掃除して祭壇に供物奉納して・・・・ああそうだ、今日は本殿の方も掃除するか」
ベッドの上から降り、今日の予定を諳んじながら部屋を後にしようとすると、ウリョシカに呼び止められた
『ところでヨモギ様。ワタクシも食事を頂きたいのでスが』
「なんだって?」
おもわず俺は足を止めた。お前、人の飯は食えないんじゃなかったっけ?
『ええ、人の食べるものは、ワタクシは食べることが出来ません。ですがさすガに妖と言えど動力源の補給は必要です。最初に申しマしたように、妖は霊力を妖力に変換して活動しテいます。ですノで、その元となる霊力をヨモギ様に分けていたダきタいのです。燃料切れをしてしまうと寿命を待たずに消滅してしまいマす』
そういえばそんなこと言っていたような、とぼんやりと思い出す。しかし、霊力を分けろと急に言われてもどうすればいいのかさっぱりだ。そもそも、霊力というのは霊子という状態で大気中に散在していると記憶している。
「それ、わざわざ俺のを分けないとダメなの?」
『もちろん大気中の霊子を吸収しテそれを活用することも可能です。しかしそれデは非効率的なのですよ。大気中の霊子は構成ガ粗雑で、一度精製しなけれバ霊力としての利用には難がアります。海の水を蒸留するより水道の蛇口を捻ったほうが楽でショう?』
「なるほど、たしかにそりゃそうだ。」
俺は背を壁にあずけて腕を組み、分かりやすい例えに頷いた。
「けど、そういう話なら別に霊力を分けるのは俺じゃなくても良いんじゃないのか?例えば芙蓉とか、あいつは神様だし俺より霊力いっぱい持ってそうだけど。」
『そこは嗜好性の問題です。確かにフヨウ様の霊力は豊富で純粋ですが、ワタクシの好みではないんですよネ。というか純粋すぎて食べたら逆にお腹を壊しそうなんですよね。その点ヨモギ様の霊力は限りなく純粋で限りなく精錬されテいる。人や霊にはわからナいと思いますが、香りが既に芳醇なノですよネ。はっきり言って、妖にとってハご馳走にしか見えませン。』
「あ、ああ・・・そう・・・」
どうやら俺の霊力はウリョシカにとって相当魅力的らしい。他の追随を許さないとばかりに力説する姿に思わずたじろぐ。
『例えルなら、そう!シンプルで繊細、おシゃれで大胆!高級素材をふんだンに使って作らレた白ワインの似合うブルゴーニュ料理のようナ!』
「いや、わかった!わかったから!とりあえず落ち着け!」
ウリョシカの力説はエスカレートし、興奮気味にずいずいと俺に迫ってくる。これまた器用にコードを利用してブラウン管が歩いてくる迫力に気圧されて俺は後ずさり、気づけばベッドの上に腰を下ろしていた。その様子は傍から見れば、俺がウリョシカに押し倒されているようにしか見えない。
『まぁワタクシフランス料理なんて食べタこともなければ見たことも味の想像もつカないんですけどね。』
落ち着いたと思ったらこれだ。感情の起伏が激しくて、正直ちょっぴり怖い。
『さて、閑話休題もこのくらいにしてそろそろヨモギ様の霊力を頂きたいのですが。妖力がもう枯渇しそうで、このままではワタクシは消滅してしまいます。』
俺はため息を付いた。仕方がない。これもウリョシカを預かると決めたからには果たさなきゃいけない義務だろう。
「・・・・はぁ、わかったよ。どうすればいいのかわかんないから下駄を預けるけど、霊力取られても俺は大丈夫なんだよね?」
ベッドに倒れたままの姿勢で俺は問う。
『ええ、霊力を吸収した直後は重度の疲労感に襲われるかもしれまセんが命にかかわるコとはありませんし、少し休めばすぐに回復する程度なのでご心配ナク。なに、献血のようなモノだと思エば気も楽でしょう。それではイただキますね。』
そう言うやいなや、ウリョシカから無数のコードが触手のように伸び、俺の身体を拘束するように全身に巻き付いた。触手の幾つかは服の中に潜り込み、まさぐるように蠢いた。
「えっちょっ・・・!ま、待て待て!まだ心の準備がですね・・・!っていうか何してんのこれ?何してんだおい!何すんだこら!ひぇっ!?ひゃっ!?」
『申し訳ありませんが待てマせん。言ったでしょう?ヨモギ様の霊力はワタクシにはご馳走にしか見えなイと』
「待っ・・・!それだめ!やめっ!ひうっ!!か、硬いのにうねうね動いて・・・やめっ・・・これ、絶対違うだろ、ウリョシカああああ!」
先程のウリョシカの心配は何だったのか、襲われるぞ、と忠告したやつに、俺は襲われたのである
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