梅雨
第33話 それはそれは近代的なスペクター
カチカチ、カタカタという音が8畳ほどの室内に響く。マウスのクリック音そしてキーボードのタップ音だ。音の感覚は短く忙しない。かなり高速でキーボードが叩かれているのだと伺える。
それを操るのは菜丘蓬だった。蓬は自室にて、パソコンを目の前に執筆活動に精を出している最中だった。
蓬は作家志願者である主に短編に力を注いでおり、今はネット上のコンテストに投稿すべく何話か認めているところだった。
「・・・・・はぁ」
俺は画面の方向に前のめりになっていた身体を起こし、背もたれにぐったりと体重を預けた。
「
小説家とは常に試されている職だよなあ、と小説家でも何でもない小僧の身の上ながら思う。そして常に成長を求められているのだとも、若輩者なりに思った。
語彙力、描写力、表現力・・・物語を形作るのはいつだって培われたそれらの力、そして経験だ。
持論だが、物語として良い作品、面白い作品というのは読み手にその世界観、存在感、臨場感を強く訴えかけるものである。読者をその世界に引き込み、想像力を働かせるのだ。そのために必要なのが、詳細な描写、緻密な設定、繊細な表現、丁寧な文章、それらに説得力と現実味を帯びさせることである。そうして作品のクオリティは高められる。
だが、この現実味というのが大変なクセモノである。作品中の現実味というのは特に作者の手腕に掛かっている。なぜならこれは作者の人生経験に大きく依存するからである。
例えば、ニュージーランドの大草原を文章で表現しろと、実際に現場に行ったことのある人とそうでない人に書かせたとする。するとどうだろう。ニュージーランドの草原に行ったことのない人は、その視界いっぱいに広がる緑と、そこら中にひしめく羊の群れ、頑張って遠くに見える山や時折見られる背の低い木々、青い空などまで表現できたとしよう。
しかし、その大地を実際に踏んだことのある人物はそれにとどまらない。それに加えて風の強さ、気温、湿度、匂い、果ては地面の感触までも表現できることだろう。つまり、情報量の差である。この情報量の差が、極端な話読み手に写真を見せているか、実際に現場に連れて行ったかまでの差になる。肌でその場の空気に触れた経験は、文章に息遣いを与えるのだ。それ故経験というのは、文章に現実味を持たせる上で重要な要素となるのだ。
もっとも、作品のテーマによっては馬鹿正直にそれを通用させられない場合も多々あるが。中世ファンタジーや異世界が舞台だと経験、知識を活かすのは難しい。
また、リアリティにこだわりすぎると精巧に文章を綴ろうとしてどうしても文章が長くなってしまうということがある。それはストーリー展開のテンポを著しく下げる原因となりうる。作者にいかほどの熱意があろうと、長すぎる文章に必ずしも読者がついてきてくれるとは限らない。テンポの悪い文章は読み手のモチベーションを減衰させるのだ。これがクセモノたらしめる所以である。
とまあ、ここまで長ったらしく説いてきたわけだが、俺はこの人生経験というのがかなり希薄である。
年齢的にも、そうでなくても社会的な知識も不足している。それが俺にとって最大の弱点である。
これまでに数多の作品を読み漁りはしたが…それだけではとてもじゃないがリアリティのある作品に至れそうにない。いくつ書いても自分が納得のいく作品が書けない。それが俺は不満だった。
「はぁ・・・・・どこの作家もこういう思いしながら書いてるのかな・・・・」
一応、今まで書いた数万文字を上書き保存だけしておく。文章の流れ的におかしな感じになっていないだろうかと、ぼんやりと自分の文章を1から読みなおしてみる。誤字を見つけたので正しく直し、ついでにその周りを加筆修正していく。いつも通りの、特徴の無い平凡な文章ができあがる。
「・・・・・・・・はぁぁぁぁ・・・・・」
ため息が尽きない。先輩の言っていた面白みのないというのは、こういうところも含まれているような気がする。
普通が一番いい。ノーマルな自分でいい。ずうっとそればかり意識して生きてきたが、ここに来て自分の性格が少し恨めしくなる。もう少しユニークな発想を持てないものかと、自分に求め始める。
自分がもっとユニークな人間であったなら、それに伴ったユニークな話も書けたんだろうかと、ありがちな無い物ねだりというやつを発症する。
「いっそ長編書きでも始めてやろうかなぁ…」
いままでプロット作りが面倒くさくて長編を避けてきたのだが・・・思い切って何も考えずに書いてしまっても良いかもしれない。たまには趣向を変えてみるのも一興か。ただ、長編は書くのにも時間がかかってしょうがない。果たして俺に続けられるかどうか・・・。なんにせよ、楽しく書ければいいのだけど。
どこの小説家でも一番願ってそうなことをボソリとつぶやき、もう一度上書き保存のアイコンをクリックしようとした時だ。
ピロン
「あ?」
不意に画面が警告音を発した。それと同時に何かエラーメッセージを吐き出し、マウスを動かせどカーソルは反応している様子を見せない。どうやらフリーズしてしまっているらしい。
「・・・・くそ、またか。しかもこのタイミングで・・・」
こういうことは珍しいことではなかった。いかんせん古いパソコンだ。モニタはブラウン管だし、本体の方も20世紀末に作られたモノだ。OSだってwin95である。間違いなく限界を迎えているのだ。
「はぁ・・・やっぱ新しいの買ったほうが良いよなあ。・・・・つか、なんだこれ。見たこと無いエラーメッセージだ」
俺は画面を覗き込み、そこに書かれている文字を復唱する。
「・・・・『構成パターン・正常 構築・完了 補充状態・良好 閾値・正常値 汝、相応ノ代償ヲ以テ我ヲ現界セシメン。天、地、海、悉ク満タシ犯シ奉ル。悪ハ顕現シ、悪ヲ世ニ貶サン。・・・・覚醒率・94%』・・・なんだこりゃ。新手のウィルスか?しかも、これまた随分と中二病臭い文章で・・・」
なんかヤバそうだな・・・とこんなものに引っかかりそうなことをしたっけかと記憶の隅を探ろうとしたその瞬間だった。
『ビーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!』
「うげ!うるっせ!」
パソコンは奇怪な音を発し、ぷつんと電源が切れてしまった。
「・・・・・何だったんだ今の・・・・。コレ間違いなくやばいよなぁ・・・・。」
過去にかつてない現象を体験し、若干おっかなびっくりになりつつ、俺はパソコンから離れた。
「・・・・どのみち寿命だったし・・・・。まあ、いいや。そろそろ芙蓉が境内の掃除終わらせる頃だと思うし、とりあえず昼飯でも作ろう」
ちょっとだけ現実から目を背けつつ、部屋を出ようとした時だった。
『いえいえ、悲観することはありませン。ヨモギ様の作品には十分センスがお有りでスとも』
突如何処かから見知らぬ声がする。ビクリと肩を震わせ、おそらく声がしたであろう方向を向いた。
あれ?こんなようなこと、ごく最近どこかの花畑であったようなと若干のデジャブを覚えながら『それ』を見る。
・・・・・ギョロリとした大きな一つ目が、俺を見つめていた。
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