第30話 オレンジ・フレンジ

この世にはボードゲームなるものがある。チェス、モノポリー、ダイヤモンドゲームなどがそれに当たる。そのなかで、日本ではチェスによく似た盤上遊戯として、将棋が有名である。古来より囲碁に並び親しまれてきた娯楽の一つであるが、今では100円ショップで購入できるほどに我々庶民の間でも人気を博している。その規模は大きく、将棋を打つ人のことを棋士というが、この世界には棋士にもプロの土俵が用意されており、それを生業にするものも少なくはない。ルールは単純にして戦略は無限大。主観ではあるが、渋くて熱いゲームである。そして現在、菜丘蓬はその将棋盤を前に、低く地鳴りのような唸り声をあげていた。


もちろん将棋盤を前にしてすることといえば本将棋一択。かれこれ2時間ほど続けているが、これにて0勝4敗。ただの一度もこの狐娘に白旗を挙げさせることが出来ずにいた。

なぜ突然将棋なのかというと、特に理由があるわけではない。ただ、雨の日の休日に暇という暇を持て余したがため、いかにも大層らしい盤を物置から引っ張り出してきたというにすぎない。敢えて付け加えるが、かなり埃をかぶっていたもののシミひとつ無い綺麗な盤である。

 雨の日の昼下がり、しとしとと音のする畳の茶の間。静かに過ぎる時を、一局打ちながら悠々と過ごす。なんと平和で風流なことだろう。しかし、はたから見れば平安京のような雅やかな様子であったが、俺は心中穏やかではいられなかった。


「・・・・・・・・・勝てねぇ・・・・」


「ははは、蓬の駒は分かりやすいなぁ」


俺と対面で座る少女、織上芙蓉はスカートなのにあぐらをかいて、気分はすっかり名軍師様だ。

こんなのどこで覚えてきたんだと、心のなかで呟く声に悄然さが見え隠れする。

別段、俺は将棋が得意というわけではない。コンピュータの初段相手になんて専ら勝てない並の力量である。


対する芙蓉は知識(しかもルールのみ)がある程度で経験はなく、事実駒の動かし方も俺とは大差ない、初心者もいいとこの采配のように見えた。

油断はなかった。人だろうが霊だろうが見かけで判断してはならないとついこの間理解したばかりだ。だから手加減など言うまでもなく、最初から様子見など考えず勝ちに行くつもりで臨んだはずだった。芙蓉の2手3手先を読み、場の流れを掴んで敵を追い込む。そんな気迫を持って挑んだはずだった。


・・・・・・しかし負けた。結果だけ見れば王手をかけられ、詰みに追い込まれているのは最後は俺の方だった。

序盤から中盤は駒を前に進めているのは俺の方だ。そしてこちらの王は穴熊を決め込み、芙蓉の駒は攻めあぐねたように自陣付近でもたついていた。なのにだ。いいところまではいけるのに、後半何故か勢いを失ったようにこちらの駒の身動きを封じられ、大団円のような幕引きをされたのだ。


1度や2度の敗北ではきづけなかった。3度めの敗北でようやく悟った。俺は、『狐に化かされた』のだと。


芙蓉の戦法はこうだった。囮を用いた、巧妙な罠を幾つか自陣に伏せて、攻めこまれているのを装ってこちらの戦力を徐々に削いでくるといったものだ。将棋には、『駒の交換』というテクニックが存在する。駒の損得を考慮したうえで何かの駒を犠牲にし、敵の駒を奪い返すというものだ。芙蓉はそれを利用した戦法を主軸としていた。例えるなら、肉を切らせて骨を断つといったところか。だが、その実態は『そんな生易しいものではなかった』


芙蓉が囮に使ったものはただの駒ではない。金や銀ならいざしらず、芙蓉が囮に使ったのはなんと角と飛車である。元来角と飛車は将棋においてもっとも高いポテンシャルを誇り、王の次に失うのを嫌われる駒である。芙蓉それすら罠のために捨て駒のように扱い、それと交換で手に入れたのは桂馬。その後残った駒を駆使し王と飛車、角を両取りできる状況に追い込み、確実に奪われた駒を回収していった。そして蓄えに蓄えた後半、兵力を存分に開放し、俺の陣地を蹂躙した。

 大量の敵兵に追い詰められた自身の王は、裸同然に剥かれ、暴力に打ちひしがれているさまを連想させた。

それを見た瞬間理解した。理解して、そして絶望した。

肉を斬らせて骨を断つ、ではない。これは最早、美人局つつもたせだったのだ。


対局が終わって、がっくりと肩を落とす。真実、とても悔しかった。いい気になって大逆転されたこともそうだが、実はこの勝負、3回勝利した者は、敗者に何でも言うことを聞かせられるという賭け勝負だったからだ。当然発案は芙蓉だが、思えば何故こんなにもあっさり了承したものか、おのれの浅はかさも甚だしい。

惨敗を重ね、泣きの一回。4度目の最後の勝負も結果あっけなく敗れ去り、泣いて馬謖を斬る事になったのだ。


ジャラジャラと駒をかき集めながら、芙蓉は言った。


「さて、蓬。なんでもするって言ったよね?」


その言葉フレーズに、初夏なのにぎくりと身体が凍りづけになる。恐る恐る視線を向けた先の少女は、おおよそ無邪気とは程遠い笑みをおもてに表しており、世にもイヤラシく舌なめずりをしていた。それは邪悪でダークな野獣の眼光だった。

蛇に睨まれた蛙のように俺は萎縮する。上目遣いで懇願する。頼むから無茶なことは言わないでくれよ、と。


「フフフ、じゃあどんなお願いを聞いてもらおうかな」


歌うように芙蓉は言う。「アレにしよっかな、それともコレにしよっかな?」なんて、楽しそうに思考を巡らしている。焦らしているのは明白だった。俺にとってそれはこの上ない恐怖であり、芙蓉が俺を見て度々ニヤリと笑うたび、その妖艶さにドキリとすると同時に、少しずつ顔が青ざめるのを感じた。


正座してそんな責め苦を受けること数十秒。


「よし、決ーめた!」


ビクッと身体が震えた。中間テストの返却、注射直前の消毒液の塗布、死刑宣告。芙蓉の言葉はそれらを想起させた。


「お前には一日こいつを着てもらう!」


ジャーンとどこから取り出したか、芙蓉がその手に持っていたものは。

黒、或いは濃紺色のワンピースに、白いフリルのたくさんついた装飾が施された、とある19世紀ヨーロッパの貴族の産物の末裔。俗に、ロングメイド服と呼ばれる、日本では性的劣情を醸し出すゴシックでロリータなエプロンドレスが一着。あろうことかガーターベルトやホワイトブリムまでセットでありました。


「おっ・・・・・!」


こんな用途で使われることなど想像だにしていなかったであろう、ダニエル・デフォーに代わってツッコんだ。


「お約束かよ!!」

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