第29話 ビー・アンビシャス

一方その頃、蓬は大学の漫画研究部の部室で、そこの部長に原稿を読んでもらっているところだった。


部室の広さは15畳程度だが、壁際は本棚が窓を隠さないような形で部屋全体を覆っていて、さながらミニ本屋と言った様相だ。そして部屋の南側、ちょうど窓から陽光が指す位置に長机が4つ並べられており、そこから北側にいまだ片付けられていないコタツが陣取っている。人が5人も入れば狭さを感じ始めるほどのスペースに、俺を含め8人がいた。


漫画研究部とはいうが、俺の専門は絵ではなく文字である。なのになぜここに居るかというと、理由は単純で小説というメディアも研究対象と認められているからだ。近年、ライトノベルという文化が普及しているが、定義が曖昧であるのと挿絵にアニメ調のイラストが用いられること、その多くは漫画化やアニメ化の途をたどることを考慮した結果、このサークルにおいてはその手のジャンルも認められることとなったのだ。


長机を境に俺が椅子に腰掛け、その対岸に部長とゆかいな仲間たち6人が、こぞって俺の原稿を穴が空くほど凝視している。数十枚の原稿をペラペラと速読していく部長は、一通り読み終わるとメガネを外して伸びをした。


「・・・・・・・結論から言うと、面白くはねェな。それもあくびが出るほど」


「はぁ、そうですかね」


それから部員たちといくらか言葉をかわした後、原稿のコピーをファイリングし、それを本棚に埋葬してから部室を出た。


扉を抜けた先では甘夏が待っていた。俺がここにいるのを知っていたためだろう。「やぁ」なんて気の抜けた挨拶はいつも通りだった。


学食への誘いに来ていたようだが難しい顔をしている俺を見て甘夏は「あらら」と一瞬眉をハの字にした。


「編集長は厳しいかい?」


「そうだな。ズバッと面白く無いと言われた。持ち込み先の編集者だってあそこまでは言わないだろうな」


「お悔やみ申し上げる」


L字が合体しまくった蟻の巣のような廊下を渡り、最短距離で食堂を目指す。文字を幾ばくかしたためた後は、決まってお腹が空いているものだ。加えて、既にお昼を過ぎて1時間は経過している。

しかし、このサークル棟は大学本館付近からは少し外れた場所にあるため駆け足でも5分以上はかかってしまう。暇つぶしも兼ねて歩きながら話す事にした。


「蓬に前に読ませてもらった奴は、読みやすかったと思うけどね」


「文学的表現力、設定、キャラクターの立たせ方は上の下だそうだ」


「ふぅん?酷評する要素が見当たらないけど」


「どうやら独創性に欠けるらしい。キャラクター相関図はありきたりだし人間関係は薄っぺらいし、主人公とヒロインの接点の付け方は強引極まりないし、伏線がわざとらしいわでその先の展開に期待が持てないんだと。努力の末にハッピーエンドを迎えるだけのシナリオなら他に腐るほどある。はっきり言って三番煎じもいいとこだとな。おまけにどうあがいてもあの原稿の先の展開は読まずとも読めてしまうってさ。事実、100%言い当てられてしまった。」


あそこまでズバリと言い当てられると、テコ入れしようもないというもの。お手上げだと、俺は両手をひらひらと振ってみせた。


「それさ・・・テーマは?」


「異世界モノ」


「あっちゃあ・・・土俵も悪い」


「ほんとに。ブームにあやかったつもりだったけど、魔境レッドオーシャンだったよ。俺の筆が遅かったのかも。先方の目も肥えていたというのも要因だったろうな。俺が思っていた以上に巷には溢れかえってたみたいだ。・・・っつってもまあ、俺のアイデア力のなさが8割型占めてるんだろうな」


異世界アレは材料が潤沢だ。恋愛物にもバトル物にもサスペンスにもドキュメンタリーにも、なんにでも派生させられる。なんたって世界のルールが自由自在だからね。中世ファンタジーとはわけが違う。どうせ君も多岐な派生力のあるこのテーマに甘えたってところだろう?君は・・・そうだろ?異世界に夢を馳せてものを書くようなタマじゃない。」


「うーん、耳が痛い」


もともと俺は、どちらかと言えば純文学を得意とする著者であった。だから、そもそもライトノベルテイストの作品というのがまるで慣れない。まぁ、そういうこともあってこのジャンルからは一旦手を引き、テーマを一新し裸一貫から物語を拵えるつもりだと言う旨を伝えた。


「君は表現力は一人前だ。折角だからそれを活かして淫靡いんびな文でもしたためてみては如何いかがだろう。物によっては『使わせて』貰うよ」


それを聞いて、俺はげんなりしてしまった。


「真顔で気持ち悪いこと言うな。それ、俺の写真で妄想されるのと同等の嫌悪感を催すからやめてくれ。相手がお前なら尚更だ。つうかそもそも書かねえよ」


「冗談だよ。残念ながらちゃんとした女の子にしか興味はないからね」


俺は呆れた。途方も無く呆れ果てた。思わずよろめいてしまうほどで苦笑を禁じ得なかった。


「よく言う。俺のせいで『オトコノコに目覚めた』とか言ってたのはどこの誰だっけな」


「二次元と三次元の区別ははっきりさせるべきだよ、蓬」


心のなかで、それこそどの口が言ってんだと鋭くツッコミを入れた。毎日毎日オバケと仲良くしている男が言っても説得力の欠片もない。


そう思ったところで、「ああ、そうだ。」と俺は思い出した様に呟いた。


「そういえば甘夏。お前に聞きたいことがあったんだ。」


「ふむ」


聞きたいことと言われて、甘夏はなんとなく察したらしい。俺が甘夏に持ちかける相談事など相場が決まっている。


「芙蓉ちゃんのことかい?」


しかし名前を言われて俺はぎょっとした。霊のことで相談を持ちかけようとしたのは確かだが、ピンポイントで当てられると狼狽しそうになる。まぁ、俺と接点のある霊なんて芙蓉ぐらいしかいないので別に不思議でもなんでもないのだが。ともかくそんな心中を悟られないよう、極めて冷静に言葉をかわす。


「まあ、そんなトコだ。俺が知りたいのは狐神きつねがみについてなんだけど・・・率直に、狐神ってなんなんだ?」


「すっごくアバウトな質問だね。まぁ・・・・・君の知識にある狐神と相違ないと思ってもらってほぼ問題ないと思うけど」


「芙蓉は、俺が知ってるのとは差異が大きい」


「君が想像してるのはのじゃロリやらBBAとか言われるアレだろ。漫画をあてにするなよ。まあ、まだ若いんじゃない?狐神は300歳未満なら全然若いほうだけど」


「つまり、あいつは現代かぶれってことか」


初めて会った時の服装といい、口調といい、俺の知っている中でもっともポピュラーな狐神である玉藻の前などと比べてみてもとてもじゃないが同じものだとは思えない。

玉藻の前とは白面金毛九尾の狐が化けたものであるという伝説の人物である。その容姿は絶世の美女と呼ぶにそぐわしく、その美貌と博識で一国を落としたとさえ言われている。

しかし、それと比べてどうだ。芙蓉は美貌・・・はともかく博識とは考えられないし、人を手籠めにしようとする意志も感ぜられない。ただの奔放な、うら若き少女さながらである。


「アレはかなり特別な方だと思うけど・・・一般人的にちかしいのは、農業神としての狐神じゃないかな」


甘夏が言うには、狐神は思いの外多くの顔を持つという。稲荷神として知られる彼らは食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神として祀られることが多いようである。どうやら仏教的な理由が絡んでくるそうで、現世利益のために都合よく解釈された結果らしい。


また、たびたび稲荷神と狐が同一視されることについては、甘夏も詳しくは知らないようだ。その辺のことはwikiのほうが詳しいと、なんとも投げやりな感じに収まった。


「油揚げが好きとかっていうアレは?」


「ああ、どうだか。鼠の天麩羅の代用じゃないか?」


「あれと関係有るのか」


「庶民の間でそう広まったんだと推測するけど・・・・というか蓬、この鼠の天麩羅はなしってそこそこマニアックな方だと思うんだけど」


「たまたま見たんだよ」


「ふうん、そうか。じゃあ是非とも芙蓉ちゃんに魂までひっこ抜いてもらわないとね」


「だから、なんでそこで芙蓉が出てくる!」


ムキになればなるほど、愉快そうに甘夏が笑うのが気に食わない。


「気になるなら、本人に聞いてみればいいじゃない」


「わざわざ本人に聞くような内容じゃないだろ、最後のなんて特に」


「さぁ?ひょっとしたら期待してもいいかもしれないよ」


「馬鹿な。あいつに何を期待しろっていうんだ」


「そう言って、顔が赤いんじゃない?」


キッと甘夏を睨む。そろそろ怒るぞとガンを飛ばす。が、甘夏は動ぜず寧ろおどけてみせた。わかっていたことではあった。動かざること石のごとし。不動の甘夏というアダ名は伊達じゃない。


「おお、怖い。昼飯おごるから許せよ」


そういう問題では無いのだが、昼飯代はありがたくいただくことにする。


・・・・・しかし・・・・・・しかしだ。俺は顔を伏せる。歩く歩幅も、少し狭くなった。


「いや・・・・わかってはいるんだ。俺はその・・・・芙蓉のことが、気になる。」


そう言うと、甘夏は「ほう」と感心したような声を上げた。


「少し前から芙蓉の事ばかり考えているんだ。芙蓉は普段何を考えているんだろうか、なにか趣味でもあるんだろうか、晩飯は何を作れば喜ぶだろうか。そういうこと、ばっかりで・・・。」


言えば言うほど、顔が赤くなるのを感じる。それなのに俺の右の手は顔ではなく胸を押さえている。

心配事による不安ではない、嫌悪でもない、かと言って憧憬でもない。今までこんなにせつない感情を抱いたことはなかった。


「俺は、どうすればいいと思う?」


すがるような思いで、俺は最後にそう聞いた。

甘夏は細い目をさらに細くして、持っていた肩掛けカバンの中から一枚のチラシを取り出し、それを俺に手渡した。

それは、水族館の広告だった。イルカとともにジャンプするシャチの躍動感のある写真が印象的だ。

7月リニューアルオープンとデカデカとしたフォントで書かれていた。


「春だねぇ」


廊下の窓からは外の景色が見える。外には桜がいくらか生えているが、既に緑一色に染まっている。そんな夏の始まりに、甘夏はそう呟いた。

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