第26話 嵐と太陽

「芙蓉は、成り行きで知り合ったばかりで俺もこいつのことを良くはわかってない。」




俺はまず、そう話を切り出した。




芙蓉も、キンギョも何も言わない。最後まで聞こうと俺の話に耳を傾けているようだった。




「俺は静穏に生きたかった。何事も無く過ごしたかった。刺激的というほどの生活はいらなかった。」




それは口癖のようなものだった。そう、のんびりと生きられれば、それで満足だったのだ。


身体に抱える傷跡を人知れずテーブルの陰で触れ、ただ生きていることを幸福に思うことに没していたことを思い出す。それが俺の価値観の根底に根ざすようになったのも、ある『事件』に起因するのだが、キンギョがそのことを承知していると知ったうえで話をすすめる。




「何も望んではいなかった。望んで、手に入ったものは、手にあるものはいつか失うものだから。だから必要以上に他人に関わるのは嫌だった」




それは昔語りのようなものだった。そう、芙蓉に知ってもらいたいことだった。


傷のことは今は明かさず、今できる限り口にできることを、芙蓉には知って欲しかった。


その理由は口に出すまでもない。




「だから、この類の出会いは一番望まないところだった。」




それは、雨の日にダンボールの箱に捨てられた子猫を拾い上げた、それに近いものだった。


この場合、猫とは俺の方かもしれないが。




 芙蓉は苦い顔をした。それは今まで心の奥にしまいこんでいた芙蓉に対する本音の一端である。別に話さなくてはならないことではない。しかし、ここには俺のことをよく知っているキンギョが居る。小さい頃から何かと世話になっている、よくも悪くも甘夏以上に付き合い深い仲である。姉のような人だとは言ったが事実そうとしか言えない人であり、どうせ誤魔化そうがぼろが出る。良い機会だからというのもある。だから俺は包み隠さず話そうと決意した。都合のいいことだけや脚色するつもりは毛頭ない。芙蓉にとって厳しい物言いをしようと、芙蓉にも俺の本音を聞いてもらおうと腹を括ったのだ。








 芙蓉とは・・・出会い、というほど情緒的なことをしたわけじゃない。たまたま夜に街に出て、たまたま暴漢に襲われそうになって、たまたまそこを助けられた。それだけの関係だったはずだった。




思えばなんであの場に芙蓉がいたのか知らないが、たぶん偶然だった。




 その後は押されるがまま流されるままと言うか。引っ張られっぱなしだった。よくわからないまま居座られ、最初は俺の平和な生活を邪魔しに来た疫病神だとすら思っていた。よくしゃべるわ、よく食べるわ、落ち着きがないわ、つきまとうわで散々だと思ってた。


 けど、なんとなく芙蓉のことがわかってくると、どうせなにかやらかすだろうと多少の予測がつくようになった。防災のためにと奔走するうちに、次第に芙蓉のことがほっとけなくなってきた。何をするにも危なっかしくて、見ているこっちがハラハラして、まるで過保護な母親の気分を味わっているようだった。




 そして気づけば、それが当たり前になっていた。


どうして俺がこんなことを、どうして俺がこんな目に、という疑問も愚痴も思うより先に体が動くようになったのだ。


 故にあっという間だった。芙蓉と出会い、ここに至るまで数週間も経っていない。なのに芙蓉と出会ってから数ヶ月が過ぎたと錯覚するくらい、その毎日は濃厚で濃密だった。慌ただしく、目まぐるしい日々だった。何事も無く過ぎるはずの1日に、ただ攻撃的にやかましい娘ふようの存在がただ一つ。それだけなのに。




 俺にはわからなかった。どうして、あれほど拒絶していたはずの変化というものをこうも簡単に受け入れてしまっているのか。芙蓉が無邪気無垢ゆえの魔性か、或いは単に俺が押しに弱かっただけなのか。




考えればそれは簡単な話だった。芙蓉と共有される時間が空白にすっぽりと収まった。まるで大晦日に紅白と裏番組のチャンネルを取り合う程度の、安穏とした戦争中のような生活の時間。それが平和すぎて何もなかった24時間のサイクルの、許容範囲内に収まっただけの話だったのだ。




 隣で俺を見るキツネの娘に一瞥くれて俺は言う。




「芙蓉こいつと出会ったせいで『繋がり』が出来た。芙蓉のせいで余計な『繋がり』が増えた。おかげで俺の日常は非日常になった。そしてその非日常が俺の日常になった。芙蓉が環境ごと俺を変えた。今更元の生活が良かったとは思わない。」






 ____それがなくなったあとの、元のような生活は考えられなくはない。だが考えると言い得ぬ悲壮感に襲われて、とてもさみしい気持ちになりそうになる。






芙蓉が何者なのか、どうして今芙蓉は隣りにいるのか。そんなことは最早どうでもいい。定着してしまった以上は失いたくない。図らずも忙しなく、楽しげな今の生活が、既に手放せない。




 だから・・・。




「だからたぶん、片時も目を離せないペットみたいなものなんだろう」




美談のような前置きの末、放った言葉は結局これだった。俺の中では、これ以上なく的を射ている表現だと自負している。


 菜丘蓬は神社の子である。神様に仕える人間の筆頭が本物の神様に対してペットなどと宣のたまおうとは我ながら不敬極まりないものだとは思うが。


 誤解のないように伝えたつもりだ。矛盾しているように聞こえるが、この言葉をどう捉えるかは聴きに徹していた二人、個人の解釈に委ねるとする。




そういうわけだ、と話を区切ると、テーブルに身を乗り出してまで聞き入っていたキンギョは椅子の背もたれに身を預け、俺の長話の意味を吟味するが如く視線を泳がせ、後に満足気にうなずいた。




「はっはっは!そうかそうか!蓬くんにそうまで言わせるとは、なかなかやるねキツネちゃん!」




『案の定』大きく笑うキンギョ。それを見てほっと胸をなでおろしながら、俺は隣へと視線を移した。


対する芙蓉はキンギョとは逆に、少し残念そうな苦笑いを浮かべていた。




「はは・・・・ペットか。せめて愛玩動物くらいに思ってくれてりゃいいけれど」




予想を外れて、芙蓉は珍しく自虐とも取れる皮肉を口にした。心なしかがっくりと肩を落としているように見て取れる。




皮肉には皮肉で返すのが普段の俺だった。だが俺の気持ちをそう受け取ったのならば、これ以上申すことは何もなかった。このように反応されては尚更だ。




芙蓉から視線を外し、目を閉じる。かち、と一度だけなった時計の音が妙に大きく聞こえた。




「さてな」と否定でも肯定でもなく相槌を打とうとした時、キンギョが口を挟んだ。




「そうかい?キツネちゃん。」




「え?」




突然のことに芙蓉は動揺したような声を上げ、俺は目を開く。キンギョはテーブルに肘をつきニッコリと笑いながら続けて言った。




「不服に思うなら、それは違うよ。オイラは蓬くんのことをよォ~く知ってるからわかるけど、蓬くんにここまで言わせた君はとんでもない奴だ」




自信満々に、キンギョは指摘した。俺は口元を覆い隠しながら、芙蓉から顔を背ける。キンギョめ、そういうのは俺のいないところで言ってくれないものか。




「なっ・・・どういうことだよ」




「いやいや。言葉通りさ。蓬は今まで友達を作るどころか無闇に人と関わろうとすらしてこなかった。普通ならぽっと出の君とだってまともに相手すらしないはずだ。なのにご覧よ。今の蓬と君への態度」




「・・・?だ、だってそれは私がペットみたいだからで、仕方なく世話を焼いてるんだろう?」




「んー」




惜しい、あまりに惜しいと言わんばかりにキンギョは唸る。こりゃ先は大変だぞと一人でブツブツ呟きながら。




「じゃあ、言い方を変えよう。蓬くんは、飼い主が誰だって明言した?ほら、すっかり懐いている」




あ、と芙蓉は狐につままれたように口を開けるが、顔を背ける俺には芙蓉の表情は見て取れない。




その後、バチン!と背中で大きな音がはじけた。




「いっっっっっっっっってえ!!!!!!」




平手だ。




怪力女の平手だ。さっきはあんなに優しくしてくれてたのに。背中にモミジが浮き上がりそうなほどつよい平手を受けた。




「ばかよもぎ。回りくどいんだ、お前」




ぷくっと頬をふくらませながら芙蓉は言った。




「・・・・・俺は何も言ってない」




苦痛に顔を歪め痛む背中をさすりながら、俺は涙をのんだ。




「ふん、どうだか!肯定してないかもしれないけど、否定もしてないだろう」




「さてな、せいぜい都合のいいように解釈してろ」




「ハハハ!蓬くん、えらく丸くなったねえ!おねえちゃん嬉しいゾ~」




「あんたも余計なこと吹き込まなくてよかったのに!」




「ええ~黙ってたのはそっちでしょうに」




「ええいやかましい!そもそもあんたが突然うちに来なけりゃな___!」




なんて罵倒の如く言い合う傍ら。仲良くケンカしなとはよく言うもので。


 キンギョからは見えない位置、テーブルの下。その死角では、俺の手は芙蓉にしっかりと握られている。




・・・・・・こうして夜は更ける。望まぬ嵐は多大な被害を産んでゆくが、嵐には雨がつきものである。




雨降って地固まるではないが、嵐の後には無残な光景が広がるばかりではない。その残滓の中には、新たに芽吹く命だってあるのだ。平和ぼけした花畑ふたりには強すぎた薬かも知れない。だが自然の摂理は毒ではあるまい。今宵の嵐は二人にちょっとしたハッパをかけるには充分すぎるほど効果を発揮したことだろう。もちろん、大野木金魚は謀ってやれるほどの人間ではない。あくまで偶然であり、そういう運命だったのだ。




そして嵐は過ぎる。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かと思われた。






「・・・・つうか、キンギョは何しにうちまで来たんだ?用事もなしに来たわけじゃないだろう」




「あ、そーそー!珍しいもんもらっちゃってさ!けど一人じゃ食べきれないだろうと思って、蓬くんにもおすそ分けしようかと思ってね!」




そう言ってキンギョが取り出したものは先程も見た真っ白い箱だ。パッと見ただの紙箱だが、真ん中に太陽のようなギラギラしたマークがあしらえてある。そしてその箱のすべての辺は透明なビニールテープがビシっと貼られていて、まるで厳重に封印されているような印象を受けた。




「食べきれないって・・・?」




一体この箱のなかに何が入っているのだろう。大量に菓子類が入ってるのかと思ったが、珍しいものと言われると想像がつかない。




「食い物か!」




最初の剣呑とした様子もなく、芙蓉はキンギョの土産とやらに目が釘付けだ。




「んふふ、人生に何回食えるかわからんものだよ、ほら」




ベリベリっと徐ろにキンギョはビニールテープを剥がし、箱を開けて出てきたものは。




「ドリアン」




「「ぐっ!??」」




俺と芙蓉は思わず鼻を押さえ、悶絶した。そして叫んだ。




「「くっせえええ!!!!!」」






なお、その後なんとか匂いを克服し食に至るには至ったが…そのあまりの生臭さに完食し切るのはほぼ地獄であり、食べ終わった後も、しばらく部屋に充満したその匂いと格闘するはめになったそうな。

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