小雨

第1話 偶然の出来事

 これは夢でも幻でも、ましてや漫画の中の話でもない。


 俺は買い物に出かける途中、不運なことに変な男たちにナンパに遭い、逃げようにも退路を断たれほとほと困り果てていたところだった。


 あー、誰か助けてくれないかなぁとか、神とか仏に信心の欠片もなく祈った矢先の話。気づけば俺の目の前にいたスキンヘッドハゲ(相乗罵倒)の男がぶっ倒れてて、その向こうには何か鈍器を構えた女が立っていた。


 満月をバックに佇む姿はまるで夜叉のようだったが、街の中では非常識的で、更にはよくよく目を凝らしてみれば、その女は夜叉であるどころか、人間ですら無さそうであった。その女の頭からは何か動物の耳のようなものが生えており、また同じように尻尾のようなものまで持っていたからだ。


 今の俺の眼の前に広がる光景はそれこそ非現実的なものではあるけれど、実際俺はそいつに助けられているのであり、紛れも無い事実なのだった。


 どうしてこんなことになったのかを知るすべはなく、どうしてこんなヤツが居るのかは知る由もない。


 運命か、偶然か、はたまた試練か。


 とりあえず、まずはそいつとの馴れ初めから綴ろうと思う。


ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー


「・・・・はあ、何度書きなおしても微妙だな・・・」


 俺は机上の原稿用紙を手に取り、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。それから椅子の背もたれにぐったりと体重を預けて、だらりと両腕を力なく垂らす。


 日曜日の19時。『菜丘なおか よもぎ』はこの時、物書きに奮起している最中だった。

 時計を見、それから窓の外を見てようやく俺は椅子を立った。かれこれ5時間は書き続けていたようだ。


 俺は小説家を目指している、ごく平凡な一般市民だ。見た目は細身で銀の長髪、自分で言うのも何だがナンパされた回数には自信がある。パッと見なら押しに弱そうな少女といったところだろう。そのくせにあまり似合わない男物の服をまとっているくらいで、それ以上の特徴は特にない。とても個性的だと自分でも思う。


 俺は本を読むのが昔から好きだった。小さい頃から、どんなに重くて分厚いハードカバーが相手だって、容易く読み終えてしまっていた。

 ジャンルはファンタジーものから恋愛モノまで幅広く目を通してきた。そうしたら、そのうち読むだけでは飽きたらず、自分の文章で自分の世界観を表現してみたいと思ってしまった次第だ。


 書き続けること早5年。

 大学に入学してからも、暇さえあれば物語を綴ろうとする習慣は変わっていないが、依然自分が伝えたいものは漠然としたもので、迷走し、無駄に時間が経つだけで、何を生み出すこともできていない。


 集中が切れると、お腹が減っていることに気がついた。5時間ずっと机にかじりついていたのだから、そろそろ体が栄養を求める頃合いか。時間を忘れて書くことに没頭していたものだから、感覚的にはさっき食べたばかりのような気分だった。


 勿論、体の正直な食欲には従う。腹が減っては戦はできぬというし、俺は食事を作るべく自室を出、1階にある台所を目指した。


 階段は1段を踏むたびにキシキシと怖い音を立てる。我が家は随分昔に建てられた木造の物件だから、結構なガタがきているのだろうと思う。


 ・・・・いや、実際ガタガタだ。


 うちは神社だ。正確には、俺は神社のすぐ隣の母屋に住んでいる。この神社が建てられたのはおおよそ500年くらい前。母屋ができたのはそのずっと後だが、古いことには違いない。


 神社の改装の都合で何度かこっちの方も直してもらったりはしているらしいが、最後に改装されたのが俺が生まれるのよりも前なのだから、この家の安全性への信頼は希薄だ。

 

 でも、10年以上もここにいると、そんなボロさにも愛着が湧いてくるというもの。自分の家だ。壁のシミも古木の廊下も、畳の匂いも全部好きだった。


 とにかく、俺みたいなのが居住する上で別に支障なんてないけど、普通の人が見たらちょっと不安になるくらいだろうか。


 さて、夕食を作ろうとしていたところだったか。


 台所に着いた俺は真っ先に冷蔵庫を開けた。材料がなにか残ってれば、簡単に惣菜だけ作ってしまおうと思っていた。あいにく、冷蔵庫には大したものは残っていなくて、買い出しに出かけることにしたのだ。


 財布を手に取り、俺は家を出た。


 今夜はとても晴れていて空に浮かぶ満月がはっきりと見えた。例えるなら、青黒いキャンパスに丸くて淡い黄色のアップリケをぴたりと貼り付けたみたいだった。


 風は涼しかった。街灯はこの街にはかなり少なく、道を照らすのは月のあかりと民家から漏れる光くらいしかなかったが、十分足元が見える明度だった。


 車はまるで通らない。それだけこの街は田舎っぽくて、静かだった。俺には、そんな静けさがお気に入りだった。


 でも、ちょっと足を伸ばせばその静けさとはおさらばすることになる。


 国道を挟んでずっと北に歩いてきた俺だが、すると街は一変して高いビルや、慌ただしいまでの交通量、騒音の世界に入り込むことになる。あっという間に、俺は人混みの中に紛れてしまった。


 住宅街とこの都市は隣接していて、意外と近いところにある。


 ちなみに俺の住んでいる街を『香嵐町こうらんちょう』この都市部を『海藍町はいらんちょう』という。香嵐町の住民はよくこちらの方へ出向いて買い物などを行う。また、人によっては海藍町で働いている人もいたりする。


 海藍町からしてみれば、香嵐町の人々は良きお客であり、その過半数が収入源ともなっているとかなんとか。かく言う俺もその海藍町にこれからお世話になろうとしている。とても便利なところである。


 何か不満があるとするなら、とにかくこの街は人が多すぎるってことか。どうもここの街は発展しているだけあって人が集まる傾向にあるようで、閑静な住宅街が拠点の俺からしてみれば騒がしくてしょうがない。


 あとは・・・


「ねえ、お姉チャンひとりぃ?一人で寂しくない?今夜予定あいてたらサ、ホ代込でこれでどう?悪くないっしょ?」


 ・・・このように他人にパーを開く、面倒くさい青年が多いってことくらいだろうか。


 最近増えてきたなぁ、とは度々思った。やたら鮮やかな色に髪の毛を染めたがる奴とか、ピアスやネックレスにチェーンをジャラジャラと言わせたがる奴。それが5,6人のグループで行動してる。



「・・・・おーい。聞いてんのー?」


 ・・・・まさかと思うが、俺をご指名なのだろうか。彼らは道端が風俗に見えるくらいキマっているのだろうか。何かの間違いであって欲しい。


 そんなことより、とっとと食材を買って帰りたい。買い物帰りですらないのでは幸先が悪くて気が滅入ってしまう。


 この時の俺はちょっと楽観視しすぎていた。


 聞こえないふりか、あくまで他人のフリして俺はスタスタと歩みを進めようとした。頭の中は晩おかずのことと、書きかけの小説の続きのことでいっぱいだったのだ。


 だが現実に引き戻されるように肩を誰かに掴まれた。強い力で歩みを制止された。


「痛っ・・・!」


「・・・なぁ、オカーサンに教えてもらわなかった?人の話は聞きなさいって。シカトはよくねーんじゃねぇのぉ?君だよ君、オネーチャン。わかってんでしょ?」


 わかっていても、そう素直にハイとは言いたくないものだ。もしかして彼らが今まで声をかけてきた女性はみな二つ返事だったんだろうか。ならそれはとても運の良いことだ。


 しかしこんなにいっぱい人がいるのに白昼堂々と人をナンパしてくるとは、この集団も肝がすわりすぎではなかろうか。


 俺だってナンパに遭うのは初めてではないけど・・・・しかしこんな複数人のグループに狙われたのは初めてだ。だから、ちょっと怯えていたところはあったかもしれない。


 掴まれた肩を引っ張られ、無理やり俺はそいつと正面を向けられる。


 俺に声をかけてきてたのは頭を完全に刈り上げたスキンヘッドハゲだったらしい。背は高くてガタイもいい。とりあえず、殴られたらアバラくらいなら簡単に逝きそうだ。


 感覚視野だけで俺は周りを確認した。似たような青年が他に4人ほど、俺を囲むようにして立っている。もはや現実逃避できる状況ではない。残念ながら、白羽の矢は俺に向けられていたと認めるしかないようだった。


スキンヘッドハゲはなおも問う。


「んで?行くの?行かないの?」


勿論同行なんて激しくお断りだ。行った先で何が待ち受けてるかとかは猿でもわかる。サカりはもっと夜遅くになってからにしてくれ、大迷惑ハゲ。・・・と、あくまで心のなかで罵倒する。


「・・・・ちぇ、だんまりかよ。」


「あーあー、こんなに怯えさせちゃって。どうすんの?」


「まァ、珍しく見つけたかなりカワイイ子だからなァ。逃がすなよ?つうか俺、ぶっちゃけヤれるならどこでもいい。」


「マジで言ってんの、ソレ!?めっちゃウケるわ!!」


 ニヤニヤと笑っていた、スキンヘッドハゲの周りの男が口々に騒いだ。こんな状況なのに、周りはなおも見て見ぬふりだ。これではどうせ勇気を出して「たすけてー」なんて叫んだところで、勇気を出して助けに来てくれる人など期待すべくもなかろう。


 スキンヘッドハゲはしばし考えた後、


「・・・・・とりま、静かなところに行こうね、オネーチャン?」


 息がかかりそうなほど顔を近づけて、スキンヘッドハゲは囁いた。



 連れて来られた場所はすぐ近くの路地裏だった。何度か逃げるチャンスは伺ったが、他の男に左右を囲まれていたためにそれは困難だった。如何せん、場馴れしているらしい。


 あー、なんでこうなっちゃうかなぁ。と、俺は他人ごとのように心のなかで呟いた。


 今朝の星座占いでは、乙女座は確か2位だったっけ。アラタナデアイがなんとかかんとか。なんて、どこの神様に聞いた結果だよ。こんな男たちとの出会いが新たな出会い?当てずっぽうだなインチキゴッデス。次回は3位くらいでお願いします。


 人気のない路地裏、まさに俺は袋のネズミ。逃がしてくれる保証はないが、とりあえず聞きたいことがひとつある。


 それは、こいつらの『趣味』だ。


「えっと・・・俺をここに連れ込んで、何するつもりなんですかね・・・?」


「ハァ!?わっかんねぇの!?バージンかそれともわかって言ってんのなら相当ビッチだな、こいつ」


「つーかこいつ、自分のこと『俺』って言ってやがる!?ハハハハ!」


「イイねぇ、嫌いじゃねぇ!カワイイじゃねーか」


「心配しなくてもお金はちゃんと払ってあげるからさぁ、いいでしょぉ?」


 うるさいな、一人称なんて人それぞれだ。


 ・・・・だけど、お陰でこいつらは、少なくとも『ノーマル』だということは分かった。それと、ただの面食いだってことも。


 そうかい、俺が可愛いかい。一番嬉しくない褒め言葉をどうもありがとう。


 ちら、と男たちの背後、裏路地を出た先を見る。障害となるものは男たち意外は特にない。また、ここは月明かりが照らす意外ほとんど光が入らないようで足場がかなり暗い。この状況から、俺は冷静に判断を下した


 今は若干警戒が薄いことから、逃げるチャンスは1度きりと思われ、扇状に広がる男どもから、すり抜けるのは困難と把握。足場が見えないせいで、コケて逃げそこねる可能性が高い。


 ふう、とため息を付いて、詰んだことを理解して逃亡権を放棄した。


 男どもはすっかり俺を気に入ってしまったらしく、逃がすつもりはこれっぽっちもない様子。


 背後は壁。正面からはじりじりと距離を縮めてくるヤンキー衆。少しずつ近づいてこちらの恐怖心を煽るつもりだろうか。


 襲うならさっさと襲ってくれたほうが、手早く済んで楽なのだけど。何時の時代のアニメのMOBだよ。と、被ナンパ常習犯は頭のなかで呟く。


 とまぁ、半分くらい呆れることもさることながら、逃げるのは困難を極めることから、あ、これは無理かななんて情けないことを考える。せめて少しくらい抵抗してやろうと臨戦態勢を取りつつも、頭のなかではこいつらを悦ばせて事なきを得る方法を考え始めていたときだ。


 ゴン!というボウリングの玉を落としたような鈍い音と共に、正面に居たスキンヘッドハゲはその場にぶっ倒れてしまった。


「!?」


 その時何が起こったのか、その場に居た全員はすぐに理解できるはずはなかった。


 反射的に倒れたスキンヘッドハゲに向けて視線を送り、同時に何か別の人の気配を感じ取った男どもは弾かれたようにその更に後方へと視線を送った。そこに居たのは、鈍器のようなものを構えた長髪の人影。


「寄ってたかって一人の女の子を襲うのか?サイテーだな。」


 声は少女のものだった。その少女の人影は再び鈍器を振り回し、呆けていた残りの男たちを一瞬でのしてしまった。




 ・・・・・舞っているかのようだった。


 手に持つ武器は少女の動きに合わせて弧を描き、一人の頭を叩き落とし、一人の顎をかち上げた。


 そのまま勢いは殺さず、宙空をスライドさせて残りの二人の鳩尾みぞおちに突きを食らわせた。


 そして、ここに立っている者は、俺を含めて2人になってしまった。



 俺は目を疑った。そりゃあ、そうだろう。


 なぜなら、この場はたった一人の少女によって瞬く間に制圧されてしまったのだから。


 少女は、鈍器を肩に担ぐと俺に声をかけてきた。


「よお。大丈夫か?」


 心底、気だるそうな声だった。


「・・・・・え?あ、ああ・・・・」


 俺は助けに入ってくれた少女を見つめた。満月を背景に佇む彼女の姿はまるで夜叉のようだった。


 その顔を見ようとしたが、街の光が逆光になってて、よく見えない。ただ、そのシルエットはなんとなく確認できた。驚いたことにどうやら、男たちをなぎ倒すのに使っていた鈍器のようなものは、武器などではなく、ただの『和傘・・』のようだった。


 ・・・・いや、それよりも・・・・・・・・


 俺はよく目を凝らして見てみて、更に驚いた。


(えっと・・・・?み、耳・・・?尻尾!?)


 少女の体からは、人体にはおおよそ見慣れないものがついていた。


 最初はコスプレかと思ったけど、どうやら違うらしい。尻尾はふりふり揺れてるし、耳もピコピコ動いてる。動きはかなり滑らかで、どう見ても・・・・本物っぽい・・・・。


「う・・・うう・・・・・」


 不意に足元でもぞもぞと男どもが蠢いた。外事を考えてるよりはここを離れたほうが賢明そうだ。


 俺はそそくさと男どもの元を離れ、少女の元へ駆け寄った。


「まったく、まだそう遅くはないってのに。物騒な世の中だ」


 呆れたように少女は言った。そして俺の腕を掴んでその場を離れるためさっさと歩き出した。


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