第9話怖~

 その人は不思議な女性だった。

比較的大きなその店の、隅のボックス、その店の通称『愛のセレブレーション席』。なぜそういうかと言えば、そこだけは、どこの席からも、見通しが悪く、よく言えば、陸の孤島になる。

通常は、カップル席、もしくは店のお金を使う常連が、お店のお姉さんと二人っきりで過ごす席。黒服たちも注意はしてるけど、敢えて知らん顔をしている席。

そこに中年の女性が一人で座って、ハンバーグを食べながら、コーラを飲んでいる。

いつものカウンター席に座り、おしぼりをもらい、初めのビールを頼んでから、口の軽いので有名な男の子を呼び、

「あれは?」

と、聞いてみる。

「何か見えます?ま~ぼ~ろ~し~じゃないですか?」

あれ?もしかして迷惑な客?

「見間違い?夜中だから幽霊だってでるよね~。」

ちょっと茶化す。

「あんまり関わり合いにならないほうがお得かも。」

「ということは、危ない人?」

「中らずと雖も遠からず。」

その時に奥の席の客が動いた。黒服に、

「ねえ、マスターは今日は来ないの?来るか来ないかぐらい教えてよ。」

「僕たちもわからなくて。本当ですよ。今日は聞いてないんです。」

「ねえ、歌ってもいい?」

「はい、何を入れますか?」

「いつもの、え~と荻野目ちゃん。」

「はい。コーヒールンバ、すぐに入れます。」

カラオケがかかって、その人はステージへ。歌が始まる。

私は、男の子と目を合わせながら、目が点。歌になってない。私も決して上手いほうじゃないけど、あそこまで凄いと、マイクを持とうと思わない。

そのうち、私に飛び火。

「ねえ、お姉さん、歌わない?」

マイクを私に渡してきた。さっきの会話が聞こえたのかしらん。

「え、私?」

黒服が、

「歌えるなら歌ってください。」と、なんだかすがるような眼。仕方ないから、

♬むかしアラブの偉いお坊さんが~♬

そしたら、

「気分悪い。」と席にお戻りに。

取り残された私は、最後まで歌い、

♬コーヒールンバ♬

席に戻り、

「これって、何?喧嘩売られた?」

「大丈夫だから、座って。頼むから同じ土俵に上がらないで。」

今日二度目の黒服の頼み。

「マスター来ないの?じゃあ帰ろうかな。いいでしょ?」

「もう少しだけ待って、お願いだから。ビールサービス、内緒。」

黒服が、さっと素早く、私のグラスに新しい生ビールを注ぐ。

「そんなこと言って、どうせ付いてるんでしょ?」

「じゃあ、僕の分自腹。」

さっと自分のグラスに生ビールを注ぎ、乾杯。

一口飲んだ後で、

「マスター、あの人が帰ったら,出勤してくる、もうすぐ、例の彼女がくるから。」

合点がいき、

「そんなこと言って、本当はデートしてるんじゃないの?」

「どっちでもいいじゃん。別にその気はないんでしょう?」

「その気はなくても、気にはなるよ。」

「僕がいるし。」

「別にいなくていいし。」

「そんなことないでしょ。」

「居やすければ、どこでもいいし、別に立ち飲みで一人で飲んでても、美味しいつまみがあれば、それでいいし。どんなに好きな人でも、嫌な時は嫌だし。酒のみなんてそんなもんでしょ。」

「まあ、確かに。」

洗ったグラスを拭きながら、棚に戻しながら、

「まあ、こっちはこっちで、面倒くさいときもあれば、いてくれて助かった、と思う時もあるし。」

「今日は?」

「今日?正直助かった、おかげで向こうに着かなくて済むし。」

「自腹のビールは美味しいですか?」

「とっても。」

奥の席で動きがあった。

「マスター来ないなら帰る。」

と、ドアに向かって歩き出した。

「今、お会計をいたします。」

「嫌よ、マスターいないなら、払わない、何よ、くそつまらない店のくせして、金取る気?」

そのまま出ていこうとする。

「ちょっと待ってください、自分が飲んだ分食べた分はちゃんと払ってください。最初にマスターはまだ来てませんよ、いつ来るかわかりませんよって、言いましたよね。それでもいいって言いましたよね。だから、お金は払ってください。そうしないとまた、警察呼びますよ。」

どうやら、この騒ぎは毎度のことらしい、道理で常連たちは、知らん顔してたのか。

ひと悶着の後、つけの金額を書いた紙をもって、その人は帰っていった。

 やっとマスターが現れた。

「どうも、いらっしいませ、待たせて申し訳ない。」

「別に待ってないよ、ちょうど今帰るところだし。」

「もう、憎まれ口聞いて。」

そういいながら、マスターは私の隣に腰を下ろした。

「入ってこれなかった事情も察してよ。」

そう言いながら、マスターのグラスが運ばれてくる。乾杯と、グラスを合わせてから、吐き出すように、

「本当に困っちゃうんだよねあの人。」

「そんな人いっぱいいるんじゃないの?」

「確かにいっぱいいるけど、あの人は特別。なんか勘違いしてるんだよね。」

「みんな勘違いの塊じゃないの?そういう風にさせてる人もいるし。」

「じゃあ君は?」

「私は無いヨ。だって口説く対象じゃないでしょ?奇麗じゃないし、金額的にも。」

「君は、いて楽しいほうだし、無理は言わないし、お金もきれいでしょ。」

「すべてに無理をしないだけ。飲んでる席の話だからね、話半分じゃなくて、話三分の一。お金も自分で払える額は分かってるからね、楽しい時間はイコール高いのよ。」

「悟るなよ、飲みづらくなる。」

「遠慮しないくせに。」

「そんなことはないよ、全部の席を平等の時間でまわって、同じ位飲んでるだけ。」

「確かにね、仕事だからね。」

「言いやすい人と、言いにくい人がいるのは事実。つきやすいテーブルと、いたくない席があるのも事実。でもそんなこと言ってちゃ、商売にならないからね。女の子にも言ってる。その人にもどこか良いところがあるから、探してみなさい。きっと居易くなる。嫌わないでそうしてごらんって。」

「じゃあいい人って、何でも飲んでいいよ、食べていいよ、歌っておいで、って言ってお金を大枚払う人なの?」

「そうとは限らないよ、君みたいに、癒してくれる人は、大事だよ。」

「まったくうまいんだから。」

その時ドアが開いて、いわゆる太い客が入ってきた。さっと私の横をたち、その人を迎えに行き、コートを受け取り、指定席までエスコート。

すれ違った私は、

「こんばんわ。」と言って、帰る算段をする。うっかりこのままいると、マスターの待避所になってしまう。

その人はいつもの席に座り、いつものカクテルがでて、マスターが横に座り、乾杯。

いつもの時間が始まる。さっきの騒動なんてなかったのように。

但し、この人が全面的にいい人かと言えば、そんなことはない。たぶんこの店の一番の面倒くさい客である。マスターをほぼ独り占めにしてる時間が長いから、敵対視している女性客も多い。混んでるときは、カウンターで一人ぼっちになっている。他のお客さんと遊ぶことができないから、従業員が一人付きっ切りで相手をしている。


混んできたことだし、今がチャンタイム.黒服に声かけて、

「ヘイ、タクシー」

すかさず、

「♬タクシーに手を上げて、ジョージの店までと♬。」

「歌わないよ、買えりますだ。明日があるし。」

「みんな明日がある。」

「呼んでくれなきゃ、このまま帰る。」

「時間かかるけどいい?」

うなづく。

タクシーと到着を告げられ、お会計をして、外に出る。マスターが追いかけてきて、

「帰るの?ありがとね、また今度ゆっくり。」

「ごちそうさまでした。またね。」

タクシーにゆっくり住所を告げる。

帰る途中で、いけない、あの人のこと聞きそびれた。この次にゆっくり聞くとするか。

今夜はおやすみなさい。






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