第28話 火花散る、ニコニコバレー①

 ネットを挟んで、四人は向かい合った。

 瑠璃川は紀雄を睨み、紀雄は金場を睨み、金場は阿津谷に下卑た笑みを向けて、阿津谷は誰とも顔を合わさず、ただ俯いていた。


「さぁ、よろしく頼むぜ、お二人さん」


 コートに流れる険悪な雰囲気の中、口火を切ったのは金場だ。軽い調子で、紀雄と阿津谷に握手を求めてきた。


「ほら、スポーツマンシップってやつさ。みんなが見てるからな、そこんところ大事にしねぇと。お前と違って、俺らは真面目な優等生だからよ」

「よく言うぜ。それより瑠璃川くんよぉ、さっきから外野がうるせぇんだが、黙らせてくれねぇかな」


 体育館の二階、まるでコートを囲むようにして、たくさんの女子が柵に手を置いて、瑠璃川チームに声援を送っていた。

 瑠璃川の表情は落ち着いているが、その目には明らかに、紀雄に対しての怒りが宿っていた。


「おぉおぉ、モテない奴は悲しいねぇ」

「お前もこっち側だろうが。すっこんでろ。俺は瑠璃川に言ったんだ」


 金場を一瞥して、紀雄は再び瑠璃川に視線を戻した。すると、


「……気に食わねぇ。なんでお前みたいな奴が……凪と会ってるんだ」


 思いもよらない名前が出てきて、紀雄は一瞬、思考が停止した。

 凪? 佐々原? なんで瑠璃川の口から佐々原の名前が? しかも……名前呼び⁉

 問いただそうとしたが、瑠璃川は素早く踵を返し、ネットを離れていった。


「なんだ、なんだ? お前ら、何か因縁があるのか?」


 金場が興味津々で、紀雄と瑠璃川を交互に見る。そんな中で、ネットの端に立つ審判——体育委員の中から選出されている——が、我慢できずに口を開いた。


「おい、時間は決まってるんだ。そろそろ試合を始めてもらうぞ。先行はどっちだ」

「吉城チームからでいいぜ。どうせ楽勝だし」


 審判から投げられたボールを受け取って、紀雄は位置につく。阿津谷と金場も移動するのを確認すると、ボールを構えた。

 しかし、頭は依然としてごちゃごちゃしたままで……。

 紀雄のサーブはネットに当たり、ぽとりとこちら側のコートに落ちた。


「おいおい、さっきの威勢はなんだったんだよ」


 鼻につく笑い声。金場がボールを拾い、瑠璃川に渡した。

 紀雄は奥歯を噛み締める。

 落ち着け、落ち着け。瑠璃川の発言を気にしてる場合じゃないだろ。今は俺が抗って抗って、時間を稼がないといけないんだ。

 瑠璃川が綺麗なフローターサーブをきめる。決して返せない速度ではなかったが……阿津谷はわざと中途半端に腕を当てて、ボールはあさっての方向に飛んでいった。

 コートの周りから、耳に刺さるような高い歓声が沸いた。


「いいねぇ、阿津谷くん」


 金場が白い歯を見せる。やはり、阿津谷は負ける気だ。

 またしても瑠璃川のサーブ。今度は紀雄のほうに飛んできて、体勢を崩しながらも、なんとか返した。

 まだ、凪のことが頭にちらついている。紀雄は必死に、彼女の顔を振り払った。しかしその間に、


「いくぜ、阿津谷」


 紀雄が高く上げてしまったボールのちょうど真下で、金場が跳躍した。

 野球部の鍛えられた肩で放たれた荒々しいスパイクは、阿津谷のぎりぎり横を掠め、抜けていった。


 ぼんぼんと転がっていくボールを見送り、紀雄は鋭い目で、笑みを浮かべている男を見つめた。


「てめぇ……」

「当たってないだろ。それに、良いパスをくれたのはお前だぜ」


 くそっ、あいつの言う通りだ。早く心を切り替えねぇと、ストレート負けしちまう。

 しかし、それからも紀雄チームは劣勢を強いられた。

 三回目の瑠璃川のサーブこそ失敗しなかったが、阿津谷が依然として行動を縛られているので、紀雄一人で頑張るしかなかった。

 ぼとぼとと汗を流しながら、コートの中を駆け回ってボールを拾い続ける。ただそれだけに必死になって、自然と凪のことは頭から消えていったが、そんな紀雄の抵抗も虚しく、あっという間に1セットをとられてしまった。



 セットごとにコートが入れ替わるため、こちらに金場たちが移動してくる。そのとき、地べたに座りこんで休んでいた紀雄を、瑠璃川が見下ろした。


「何をそんなに頑張ってる? サーブもレシーブも悪くないが、お前はめちゃくちゃ上手いわけじゃないし、そもそも阿津谷は全然動けてない。頑張ったところで、負けは明白だ」

「決まってんだろ。勝つためだよ」


 紀雄は瑠璃川からすぐに視線を外して、立ち上がった。


「……っとに、気に食わねぇな」


 なぜだか、瑠璃川は苛々している。けれど紀雄には、そんなことを気にかけている余裕はなかった。もうすでに、ほとんどの体力を失ってしまった。

 瑠璃川も瑠璃川だ。五分しかない休憩時間に、よく相手チームと話そうなどと思えるものだ。


「吉城くん、僕は戦えない。だから勝つなんて——」

「まだだ……。少しでも、時間を稼ぐから……もう少し耐えるぞ」


 ペットボトルのお茶を一息に飲み干すと、紀雄はふらつく足取りで、再度コートに立った。


「吉城くん……」


 紀雄には阿津谷の言葉さえも、もはや届いてはいなかった。



 2セット目は、金場からのサーブで始まった。紀雄がレシーブし、さらには瑠璃川のスパイクも拾う。息は切らし、汗を滝のように流しながら、何度も何度も、何度も何度も相手の攻撃を防いだ。

 それでも阿津谷のほうにボールがいけば、呆気なく点数をとられてしまった。

 さらには鍋の中みたいに熱くなっている体育館の中だというのに、相変わらず女子たちの声援が衰えることもなく、彼女たちの声だけでも、精神的にやられていってしまう。

 スポーツにおいて応援というのは、味方を鼓舞する以外にも意味があったのだと、紀雄は初めて知った。



 そうして、10点が相手チームに入った頃、金場からのボールを返したあとで、紀雄の足がほつれた。倒れた拍子に、腕に痛みが走ったが、構わずに体勢を立て直そうと急ぐ。が——

「吉城くん、危ないっ!」


 阿津谷の声で、咄嗟に顔を上げる。しかしすでに、ボールは眼前に迫っていた。


「ってぇ!」


 凄まじい衝撃を左目に受けた。バレーボールなのに、思いきり殴られたような痛みだった。紀雄は床を転がり、顔を抑えて呻いた。


「君、大丈夫か?」

「だ、大丈夫。ただかすっただけだ」


 審判の助けを拒んで、紀雄は上体を起こした。


「いや、明らかに直撃だったはずだが……」


 戸惑う審判を傍目に、立ち上がろうとすると、阿津谷が心配そうな顔で駆け寄ってきた。そしていきなり左目を抑えている手をどけて、頼んでもいないのに怪我の具合を見だした。瞼を無理矢理開かれて、視力に異常がないかも聞かれた。

 理由も根拠もわからないが、痣で済みそうだと判断すると、阿津谷はようやく落ち着いた。


「わざとだ。今、瑠璃川くんはわざと狙って……」


 拳を握り締め、阿津谷は顔を上げる。

 その表情には、今まで彼からは感じたことのない、強さがあった。何かを、決意している目だ。


「ごめん、吉城くん。僕は間違ってたね。僕も……勝ちたくなってきた」

「……は? いや、でもお前、本はどうすんだよ」

「本? 君は……」


 阿津谷が瞬きを繰り返す。紀雄がそれを気にしていたことに、驚いたらしい。


「本は、もういいよ。それよりも大事なことに気づいたから」


 言葉の意味を捉えられず、紀雄は首を傾げる。その間にも、阿津谷は話を勝手に進めた。


「僕から作戦がある。そのためにもまず、タイムアウトをとるから。君をできるだけ休ませるよ」


 そう言って、審判に向かって手を挙げようとした阿津谷を、紀雄は慌てて止めた。


「ダメだ! タイムアウトは3セット目、どうしようもなくなったときに使う」


 今度は阿津谷が首を傾げた。


「何を言ってるの?」


 タイムアウトは、ニコニコバレーでは一回しか使えない。三十秒でも、紀雄にとってはとても貴重なものだ。


「勝つ気になったのは嬉しいが、まだ耐えてくれ」


 あいつが、姿を現すまで……。


「耐える? さっきも言っていたけど、一体何を——」

「おい、本当に大丈夫か? きついのなら、保健室へ運ぶぞ」


 審判が不安げに声をかけてきて、紀雄はあっけらかんとした調子で、床に手をついて立ち上がった。


「いや、必要ない。試合を続ける」


 ふいに、阿津谷に肩を掴まれる。紀雄はコートを見据えたまま、静かに言った。


「俺を信じろ。お前は今まで通り、動くな」


 阿津谷は何かを言いかけて、口を噤んだ。

 不思議なものだ。まるで自分が自分じゃない。最初は絶対勝ってやるという気でいたのに、今ではその感情が阿津谷と逆転してしまっている。決して勝ちを諦めたわけではなく、力だって、むしろ溢れてくる。

 さっきボールを当てられたときも、数か月前の紀雄なら、間違いなくぶち切れて、瑠璃川に殴りかかっていただろう。

 それなのに今は、自分でも驚くほど冷静に、現状を、周囲を認識していた。

 本当は、阿津谷が急にやる気をだした理由も、わかっていた。


 そして紀雄はできる限り時間を稼ぎ続け、2セット目も金場たちにくれてやった。

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