第24話 青い春は、すぐに天気が悪くなる。

 クラス対抗スポーツ大会まで、あと一週間となった。大会が近くなると、昼休みや放課後に、体育館や中庭も自由に使えるよう解放された。

 紀雄と阿津谷の練習は好調で、自分たちでも実感するほど、ぐんぐんと上達していった。とくに阿津谷は、苦手だったレシーブもかなり克服できて、部活でもないのにこんなに付き合ってくれるとは思わず、金場と瑠璃川を本気で潰したい紀雄にとっては、素直に嬉しかった。うまくいけば試合では、そんなに頑張らずに、阿津谷が倒してくれるかもしれない。鼻でもほじって金場たちを挑発できると思うと、心が弾んだ。

 凪に会うことができないので、今はそれだけが、紀雄の唯一の楽しみだった。


 期末テストが終わって、消化試合のような授業を受け終わると、紀雄と阿津谷はいつも通りボールを持って、中庭に走った。授業に出席するようになっただけでなく、クラスポの練習もしている紀雄は、クラスメート全員から好奇の目を向けられるようになったが、そんなことに構ってなどいられなかった。放課後、いつも阿津谷には用事があって、十六時までと時間が限られているのだ。

 一時間半。二人には、一時間半しかない。

 中庭に出ると、さっそくボールを地面に落とさぬように、ラリーを開始した。それから、薄汚れたコンクリートの白壁に向かっての、サーブの練習。阿津谷にコツを教えてもらい、だいぶ精度が上がってきた。

 そして、今日の練習時間が残り三十分となったとき……。


「よぉ。阿津谷、吉城」


 金場が姿を現した。

 へらっと笑みを浮かべているその男を、紀雄は睨みつける。


「なんの用だ。邪魔しに来たのか?」

「いやぁ、必死に練習してるなぁと思ってよ。俺も瑠璃川も運動神経抜群だ。そんなことしたって無駄だぜ」


 こいつ、自分で言うかよ。だけどこっちだってな。


「お前らは知らねぇんだろうけど、阿津谷はこれで、元バレー部なんだ。お前らなんて、敵じゃねぇんだよ」

「ちょ、ちょっと吉城くん、それはさすがに言い過ぎだよ」


 ボールを脇に抱えた阿津谷が、紀雄の腕を掴んだ。


「知ってるよ。中学からの友達だからな。そうだろ、阿津谷ぁ」

「え? そうだったの?」


 金場が威圧して、阿津谷は紀雄の腕から手を離すと、目を逸らした。


「そうだよ。でもまさか、こんなにお前がやる気を出すとは思ってなかったからよ……困るんだよなぁ」


 紀雄は眉を上げた。まるで、言っている意味がわからなかった。


「お前、何言ってんだ?」

「俺らの予定じゃ、お前はクラスポサボって、代わりに俺らのダチが、阿津谷と組むはずだったんだ。阿津谷だって、本気でやる気はなかっただろうから、テキトーにボールぶつけて、遊んでやろうと思ったのによぉ……お前が阿津谷を焚きつけたんだろ? 邪魔しやがってよぉ」


 金場はイライラしているのか、短い髪をむしゃむしゃと掻いた。


「なぁ、ニコニコバレーさぁ、負けてくんねぇか?」


 聞き間違いかと思った。紀雄は思わず、「ふぇ?」とヘンな声を洩らしてしまった。


「……バカかお前。そんなお願い、聞くわけねぇだろ」

「なぁ吉城、お前は不良だろ。なんでそんなに学校の行事に、熱心になってんだよ」

「話す必要ねぇな。お前さては、もう戦ったら負けるとわかってんだな?」

「ホント、どこまでもバカだな。面倒くさいから、できればこんなことしたくなかったんだけど……」


 金場はやれやれというふうにため息を吐いて、肩に掛けていたバッグから、一冊のノートを取りだすと、阿津谷に向かって投げた。


「それ、お前のだよな」


 阿津谷がパラパラとノートをめくる。紀雄も見覚えがあった。授業と授業の間に、阿津谷がよく開いていたものだ。どうやら、何もされてはいないようだが。


「これは……どうして……?」

「あの分厚い本も預からせてもらったよ。ほら、お前がいつも、勉強に使ってるやつ」


 金場がそう言うと、途端に阿津谷の顔色が変わった。


「な、なんで——」

「阿津谷くんよぉ、最近絡まなかったからって、油断しちゃダメだぜ。大事なもんは、ちゃんと自分で持ってないと」


 あとは、わかるよな。

 不敵な笑みを浮かべ、金場はくるりと踵を返した。


「それじゃあ試合楽しみにしてるぜ、お二人さん」

「上等だ、この野郎! ストレート勝ちして、わんわん泣かせてやらぁ!」


 金場の背中に中指を立てると、紀雄は阿津谷からボールを取った。


「さぁ、続きやろうぜ。あいつのせいで、貴重な時間が削られちまった。たかが本の一冊や二冊で言うこと聞くと思ったら大間違いだ、あのバカ——って阿津谷⁉」


 振り返ると、いつの間にか阿津谷はいそいそと、帰る支度をしていた。


「何してんだよ。まだ時間は大丈夫だろ?」

「ご、ごめん。今日はもう帰るよ」

「はぁ⁉ なんでだよ! おい、阿津谷!」


 いくら呼び止めても、阿津谷が紀雄を見ることはなかった。じっと俯いたまま、早足で去っていった。



 そしてその翌日から、阿津谷は練習を断るようになった。

 何度も、しつこいぐらいに誘ってみたが、阿津谷はごめんと頭を下げるばかりで、すぐに紀雄から離れていった。

 阿津谷はもう、試合で負けるつもりだ。話さずともそれが伝わって、紀雄は日に日に、苛々を募らせた。

 たかが本を一冊盗られた程度で、なんだあの野郎……。


 そして、凪だ。

 ついに期末テストの解答用紙が、点数をつけられて返却された。

 結果は、紀雄が予想していたよりも、さらに良かった。数学と英語は赤点をとってしまったが、五月に行われた中間テストよりも、全体的に点数が上がっている。紀雄にとっては驚くべきことだった。

 点数が高かったのは、上から日本史、保健体育、現代語だ。

 保健体育が二番目というのを、凪に知られるのは恥ずかしい……。けれど勝負は勝負だ。嘘をついて、四番目に高い生物を出しても、保健体育と十点以上の差がある。勝ち負けに影響するのは明白だった。

 凪は、点数がわかってからまた連絡すると言っていた。ラインには体調が悪いともあったから少し心配だったが、連絡すると言われては、待つほかなかった。

 しかしその我慢も、もう終わる。向こうもテストの返却がされただろうから、そろそろラインが来るはずだ。

 と、思っていたのに……凪からの連絡は、それから三日が過ぎても、来ることはなかった。

 勝負に勝ったときの、凪へのお願いはまだ考えていなかったが、今の紀雄にとっては会えることこそが重要だった。彼氏がいるかどうかを聞き出し、かつ脈があるかどうかを探らなければならない。どう探ったらいいのかは、全くわからないけれど。

 だが連絡がこないというのは、それ以前の問題な気がしてならなかった。

 完全に忘れられているのではないか、つまり自分は、一切気にかけられていないのではないか。

 ふと思いついたその思考はたちまちに大きくなり、さながら洞窟から一斉に飛び出してきて、冒険者の視界を奪うコウモリのように、紀雄の心を黒く覆った。

 テスト勝負は、もうナシになったのかもしれない。たまにダムに行ってみても出会うことはなく、もしかするともう二度と、会えないのかもしれない。

 負の思考はしだいに全ての活力が奪い、紀雄は気づけば、ため息をつくようになっていた。


 せめてニコニコバレーの練習をしていれば、凪のことでここまで落ち込むことはなかっただろう。


 阿津谷のことを考えると腹が立ち、凪のことを考えると心が沈む。

 なんでこんなに振り回されなければならないのか、馬鹿馬鹿しくなってきて、紀雄はいつしか、学校に来るのも面倒くさくなった。

 クラスポはもう明日だし、それが終わったらすぐに終業式だ。どうせ俺は数学と英語の赤点で補習があるし、一足先に休みに入っちまおう。ハゲメガネの頼みも、もうどうでもいい。爆竹の件で三者面談をされようが、退学になろうが、もうどうでもいい。

 紀雄は明日から休むことを決めて、残りの退屈な授業は寝て過ごした。机に突っ伏すのは、ひんやりとした硬い感触は、ずいぶんと久しぶりだった。



 五限のあとのホームルームが終わると、紀雄は阿津谷に目もくれず、教室を出た。金場がニヤリと笑みを浮かべたのにも気づいたが、無視した。

 さっさと校舎裏の駐輪場に向かい、バイクに跨る。一秒でも早く、学校を出たかった。

 バイクを一度空ぶかしする。

 そしてアクセルを回して、校門をくぐると——

「あっ、待って! そこのバイク!」


 声をかけられたのが自分だとわかって、紀雄は咄嗟にブレーキをかけた。

 振り返ると、校門のそばに女の子が立っていた。

 半袖のシャツに、黒と灰のチェック柄のスカート。


「お前は……」


 ショートボブの髪型をした、その顔には見覚えがあった。名前は忘れてしまったが、いつかコンビニで凪と遭遇したときに、一緒にいた女の子だった。

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