第20話 闇討ち、予想外の乱入者。
午後七時半。決行の時はきた。
昼過ぎまで降り続いていた雨の痕跡がまだ残るグラウンドは、夏の始まりを告げる虫たちの音で包まれていた。
偵察しにグラウンドを訪れた紀雄は、サッカー部が活動を終えて、ちょうどゴールの後方にある部室から出てくるのを認めると、すぐにその場を離れて校門近くの草場に身を潜めた。
数分後、そこに宮桐矢悠が姿を現した。二人ともTシャツの私服姿だ。
「先輩、野球部のほう見てきました。練習を終えたようで、そろそろ帰りそうです」
「そうか、あれは用意してるな?」
「はい、万事ぬかりないです!」
「よし。じゃああとは、あいつらが向こうの駅に現れるのを待つだけだな」
試験間近であることが幸いした。普段であれば、野球部とサッカー部で活動終了時間が重なることは偶然にしか起きないだろうが、今は全ての部活が七時半までと決められている。この問題さえクリアできれば、襲うのは楽勝だった。
紀雄は矢悠を伴って学校をあとにする。一度家に帰ってから持ってきたバイクに跨り、凪の学校、ダムのある隣町まで飛ばした。
その町に唯一設けられている駅の駐輪場に、紀雄はバイクを停める。駅の壁際に隠れて、ターゲットを待った。
芙雪から聞いた話によると、金場と瑠璃川は同じ地元、この町に住んでいるらしい。二人とも電車通学であるという彼女の情報が正しければ、最低でも二十分後には、この場所に現れるはずだ。相当仲が良いらしいから、二人が道すがら一緒になる可能性もかなり高い。たとえ一人ずつ現れたとしても、落ち着いて対処していけばいい。
注意深く駅の入り口を見つめていると、隣で矢悠が口を開いた。
「襲うのは、金場と瑠璃川って奴の二人だけなんですか?」
「ああ、そうだ。俺をコケにしやがったからな」
「先輩を⁉ それはナメ腐ってますね!」
「そうだ、ナメ腐ってる。だから目にものを見せてやるんだ。いいか、もしほかの奴がいても関係ねぇ。奴らが現れたらあとをつけて、人通りが減ったところで奴らの進行方向にあれをばら撒くんだ」
「そして先輩は、ターゲットの前方でスマホを手に待機、ですね」
「よくわかってるじゃねぇか。奴らの無様な姿を動画に撮って、一生脅してやるんだ」
二人を俺のパシリにして、そのついでに阿津谷へのイジメもやめさせてやるよ。
紀雄はフフフと笑みを浮かべて、二人が早く来てくれることを願った。今すぐにでも決行したい、逸る気持ちを抑えた。
「でも、脅す方法ならもっと良いのがありますよ。後ろから殴って気絶させて、公園の砂場に埋めるんです。そしてライターで周りの砂を炙って——」
「過激すぎなんだよ、お前の発想は! もはや犯罪じゃねぇか!」
「えぇー、先輩はサツが怖いんですか?」
「ちげぇよ、バカ! 捕まりたくねぇからだよ。佐々原とのテスト勝負があるっていうのに、そんな理由で負けてたまるか」
紀雄の回答に、矢悠はつまらなさそうだ。不良の道を一緒に進もうという後輩に幻滅されたって、べつに構いやしないのだが。
しかし佐々原はべつだ。
警察に捕まったなんて知られたら間違いなく嫌われてしまう。勝負どころか、二度と会ってもらえないだろう。放課後、ダムに行ったって佐々原はいない。バイクの後ろに乗せることも……。
あれ? と首を傾げる。
あれ? なんでこんなに佐々原に嫌われたくないんだ? いや、そもそも佐々原のことなんて今はどうでもいいだろ。金場たちを見逃さないようにしねぇと——
「先輩は、凪先輩のこと好きなんですね」
「え?」
矢悠の口から出た言葉が、右耳から入ってそのまま左耳を抜けた。
と思ったら、また左耳に戻ってきた。
「は、はぁ⁉ な、なに言いだすんだ、いきなり!」
またこいつは……。しかも、今回投下された隕石は今までとは比べものにならないほど大きい。紀雄はなんの言葉も見つからず、「い、いや……」、と口ごもるばかりだった。
「やっぱりそうなんですね」
「なんだ、やっぱりって! 何も言ってねぇだろ! お前もナメ腐ってんのか!」
「落ち着いてください。そんな大声出したらターゲットに気づかれますよ」
てめぇのせいだろうがぁ!
紀雄はこめかみをピクピクさせて、横にいる後輩を睨む。が、その後輩はさっきまでと一転して、暗い顔で下を向いていた。
「……昨日はすみませんでした。ゲーセン行こうって言っていたのに、なんの連絡もしなくて」
「え? あっ……」
そういえば、すっかり忘れていた。一昨日コンビニで会った時、そう言って矢悠と別れたのだった。けれどそのあと凪とコンビニで二人になって、話して……その時点ですっかり矢悠のことは忘れていた。昨日も昨日で、元気がない凪を元気づけようと、ゲーセンで遊んでいたから。
なんで、忘れたんだっけ? 何かを思って、佐々原を誘ったのは覚えてるんだけど……ていうか、少しだけ申し訳ないな。
「けど、今日こうやって誘って頂いてホントに嬉しかったです。……オレ、先輩の恋愛、応援しますよ! なんでも協力しますから!」
まっすぐにこちらを見る矢悠に対して、紀雄はさらに後ろめたい気持ちになる。
今日だって、こいつなら快く手伝ってくれるだろうと思っただけだし。
それより、何を先走っているんだ、こいつは。
「凪先輩は彼氏とかいないんですかね?」
「彼氏……あっ」
思い出した。佐々原と一緒にいて、俺はあいつのことが知りたくなったんだ。彼氏のことも。だから、もっと話したくて、次の日誘ったんだ。
あぁ……俺はとっくの昔に——
「あっ! 先輩と同じカバンを持った奴らが来ましたよ! ターゲットじゃないですか?」
矢悠が紀雄の肩を掴んで、駅のほうを向かせた。それでもしばらくの間呆けていて、「先輩!」と耳元で叫ばれた。
まさに、今頭に浮かんでいた事柄全てが吹き飛ばされて、紀雄は我に返った。焦点が合った目に映ったのは、紛れもなく金場と瑠璃川だった。目論見通り、やはり合流していた。ツいているのか、ほかに連れもいない。
「あ、お、追うぞ。あいつらだ!」
紀雄は急いで二人のあとを追う。矢悠が慌てて、その後ろをついていった。
日が完全に沈んで、辺りが暗くなる。八百屋や雑貨屋が並ぶ商店街は、次々にそのシャッターを下ろし始めた。
ホントにこの町は田舎だな。冷たい雑音がなくていい……。
障害物の陰に隠れつつ、周りの風景を眺めてはそんなことを思っていた紀雄は、前を行く瑠璃川と金場が商店街を抜けようとしているところで、背中の矢悠と目を合わせ、こくりと頷き合った。
タイミングはここしかない。
スマホで地図アプリを開いて先回りできる道を調べると、紀雄は駆けだした。二人が急に方向を変える可能性もあるため、常に矢悠のスマホと通話状態にしておく。いざという時、すぐに対応できるように、だ。
紀雄は一人、べつの道を通ってターゲットを追い越す。
田んぼ道に出ると、身を隠せるような障害物がなくなった。近づきすぎれば気づかれる恐れがあるから、今までよりも距離をとった。
スマホからはなんの声も聞こえてこないので、どうやら順調にこの道を向かってきているようだ。
そして数分後、何も知らない瑠璃川たちが歩いてきた。
紀雄は黒い目だし帽を被って、「おい、てめぇらぁ!」、と叫んだ。
できるだけ声を変える。力士が発するような野太い声を意識した。会話していた二人が、同時に振り向いた。
紀雄は指をパキパキと鳴らして、威嚇する。
「てめぇら、どこの学校だぁ? あん?」
テキトーに言葉を発する。二人の後方で素早くブツをばら撒く矢悠を気にして、会話の内容を考えている余裕などなかった。
矢悠が上手くことを済ませてその場を去ると、紀雄はじりじりと瑠璃川たちに近づいた。後退させるためだ。
「吉城? なんでこんな所にいるんだ?」
瑠璃川が言って、紀雄は「なにっ⁉」と思わず狼狽える。こんなに早くバレるとは思っていなかったが、しかし想定の範囲内だ。彼らの視線を、できるだけ自分に向けさせるため、紀雄は目だし帽をとった。
顔がバレたとしても、これから撮る写真で脅し続ければ、なんの問題もない。
「え⁉ マジで吉城じゃん。瑠璃川すげぇな」
「フツー気づくだろ。とても隠す気があるとは思えねぇ。それにこんなアホなことする奴は、こいつしかいないだろ」
こ、この野郎……今に見てろよ。あと数歩下がれば、お前らは終わりなんだからな。
「しかしホントに目障りだな、お前。教室での続きをしに来たんだろ。いいぜ、のってやるよ」
「おいおいマジかよ、瑠璃川。お前ホントどうしたんだ?」
「ただでさえムシャクシャしてんのに、こいつの顔見ると余計に苛つくんだよ。金場は先に帰ってろ」
お、おぉ……意外にも喧嘩買うんだな、こいつ。もっと冷静な奴かと思ってたが。だが残念だったな。俺はいつも正々堂々と戦ってやるような、正義のヒーローじゃねぇんだよ!
カバンを地面におろして瑠璃川が近づいてくる。紀雄は笑いだしそうになるのをこらえながら、彼を待ち受けた。
フフフ、かかって来いよ。お前の後ろには、矢悠お手製の爆竹が仕掛けられてある。石に擬態させて、あいつがさっきその足元に撒いたんだよ! ホントは脅して逃げたところを踏ませる予定だったが、まぁいい。俺が突き飛ばして、踏ませてやらぁ!
我慢できずに、紀雄が先に手を出す。胸を押された瑠璃川は、二歩後ろに下がった。
フフフ、フハハハ! 踏め! さっさと踏め! そして慌てふためけぇ! お前らの情けねぇ悲鳴を、俺に聞かせろぉ!
そうだ、あと一歩、その右足のすぐ後ろに、爆竹がある——
「そこまでだ!」
突如として、威圧感のある大人の声がその場を凍らせた。紀雄は瑠璃川の足元から目線を移動させる。
金場のすぐ後ろにいたのは、ハゲメガネ——萩尾先生だった。
「駅の近くで吉城がコソコソと怪しい動きをしているから追ってみれば、まさか金場たちに喧嘩を仕掛けているとはな」
「チッ、お預けだな」
瑠璃川は紀雄にだけ聞こえるように吐き捨て、「すみませんね、先生。こいつが覚えのないデタラメで挑発してきたんで。これからは気をつけます」と、地面に置いた自分のカバンを、また肩にかけ直した。
「寄り道するなよ。気をつけて帰れ。それと、お前らには明日の朝に話を聞かせてもらうからな」
「なっ……ま、待てよ!」
このままでは計画が台無しだ。なんとか萩尾先生を追い払えれば、まだどうにかできる。横を通り過ぎていく二人を、紀雄は必死で呼び止めた。しかし……。
「無駄だ。あいつらはお前と違って、私と仲良くしたくないからな。私と話すのが嫌なんだ」
俺だって嫌だっての!
あんたの説明なんて、どうでもいいんだよ。早くどっか行けよ!
「それより、問題はお前だろう。テストの近いこの時期に、お前は何をしている?」
急に話が自分に変わって、紀雄は焦る。
言い逃れできないし、もう瑠璃川たちを呼び止めるのも難しい。
悔しいが、今日は諦めざるを得ないか。先生が帰ったあとで、爆竹だけ回収しておかなければ。
「まぁいい。あいつらにも問題があるからな。だが二人とも、とくに瑠璃川は利口でな。のらりくらりと私を避けるんだ。私は、少しだけお前を見直した」
萩尾先生の言葉が、なぜか穏やかになっていた。今まで聞いたことのない声音で、紀雄に対して優しさが含まれている気がした。
先生がゆっくりと、紀雄のほうに近づいてきた。
……え? お、おい、おいおいおい!
「おそらくだが、お前があの二人に喧嘩を吹っかけた理由はわかっている。今までクラスで、お前があの二人と話している姿を見たことがないからな。私的なものとは思えない。阿津谷が関係しているんだろ——」
「ま、待て、それ以上こっちに来るな! あんたは、こっちに来るんじゃねぇ!」
紀雄はあたふたして先生を止める。が、そんなことを聞いてくれるはずもなかった。
マズい! マズいマズいマズい!
「何を言っているんだ? 私は今、誠実にお前と話がしたいんだ——」
街灯がないため、すでに相手の輪郭がぼやけるほど暗くなった田んぼ道で、先生の足に踏まれたそれらが、光を放って爆ぜた。
パァンパァンパァンと、銃声のような音が連続して鳴り響く。
煙が辺りに立ち昇る頃、紀雄は顔面蒼白になって、この世の終わりを悟った。
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