第二幕ノ二十六ガ結 脅迫状――八重の決意


「しっかし、こうも何もすることがねえと、なんといいやすか……」

「う、うむ……なんというか……」


 あぐらをかいたままモジモジする義弟と、正座したまま落ち着きなく視線を動かす義妹に、義兄がため息交じりに二人に言った。


「そうは言っても仕方がないだろう? 待つのも仕事のうちさ」


 蒼龍のこの言葉に、双葉がクスクスと笑いながら同意した。


「北条様のおっしゃる通りでございますよ。辛抱強く待つというのも、一つの鍛錬のようなものでございます。特に、血気盛んな、お若い二人にとっては、ね」

「は、はぁ……そりゃあ……」

「そうかもしれませぬが……」


 こういう時だけ、ぴったりと息を合わせる義弟と義妹の姿に、蒼龍が微笑みを浮かべると、


「お静かに――――」


 と、双葉が口元に人差し指を立てて、三人に言った。するとすぐに、部屋の障子戸から遠慮がちな、とんっとんっ、というノックの音が響いてきた。


「――――」


 煉弥がいつでも飛び掛かることの出来る体勢となって、腰の大太刀に手をかける。それを見た双葉が首を振って、煉弥をたしなめた。


「ですから、血気盛んはいけません――どうぞ、お入りになってくださいませ」


 双葉がそう言うと、障子戸がこれまた遠慮がちにゆっくりと、すすすっと開いていく。そして、その開いた障子戸から現れたのは――――、


「し、失礼いたしますぅ……」


 と、正座をしてぺこりっと頭を下げている、煉弥たちにとって懐かしい、いつもの着古された着物をまとった八重の姿であった。


「や、八重さんっ!!」

「八重殿ッ!!」


 思わず大きな声をあげて、八重の名を呼ぶ煉弥と凛。よびかけられた八重はというと、突然の大声に、びびくぅっ?! と大きく上半身を跳ねさせ、


「きゃうっ?!」


 驚きの声をあげながら両手で必死に頭をおさえて、の、伸びちゃだめぇ~~~!! と必死に我慢。


「久しいね、八重――」


 蒼龍の優しい声が八重の耳に入り、あっ?! という嬉しさと驚きの入り混じった表情となって八重が顔をあげる。そして、その視線の先に、幾人かの懐かしい姿を認めて、思わず声をあげた。


「れっ、煉弥さんっ! 凛さんっ!」


 嬉しそうに、とととっと駆け寄ってくる八重に、蒼龍が苦笑いをしながら投げかけた。


「僕の名前が入ってなかったんだけどねぇ?」

「はえっ?! ご、ごごごめんなさいぃ~~!」


 ぺこぺこと必死になって謝る八重の姿に、蒼龍はなおさら苦笑を強くした。


「いや、そうやって謝られると、なおさらみじめになるんだけどねぇ」

「あ、あうぅ……」


 じゃあどうすればいいんでしょうかぁ……とうろたえる八重の瞳に、とんでもない光景が映った。


「り、凛さん…………」


 八重の知る凛のイメージからはとても想像がつかないような凛の露出度の高い巫女装束姿に、思わず瞳が凛に釘付けになってフリーズしてしまう八重。


「そ、そそその、八重殿……あ、あまりそのようにじっと見られますと、そそそその……」


 凛が頬を赤く染めて、正座したままきゅっと内股気味になったところで、八重のフリーズが解け、恥ずかしがっている凛へと駆け寄った。


「凛さん、とぉ~~~~っても綺麗ですぅ!」


 まさに、心の底からの賛辞の言葉であった。自分じゃ似合わない、素敵な衣装を着こなす(というか着させられている)凛への同性としての憧れの念が、ついつい八重の口からほとばしってしまったのだ。


「そ、そそそうは申されましても……」


 より一層顔を赤らめる凛の姿に、そばにいた煉弥も思わず、


「……いい」


 とつぶやいた。すると、今度は煉弥のきちっとした正装を見て、八重のほうも顔を赤らめる。

 そんな若者たちのほわほわとした空気に、双葉がクスクスと笑みを漏らしながら八重に言った。


「ところで八重さん、私に何か御用があるのではありませんか?」

「ふぇ? あっ! は、はいぃ~――――」


 八重が胸元に手をつっこみ、エンコから八重の胸の大渓谷に突き刺された文を取り出して双葉に渡した。

 八重の温かみと、ほんのりとした甘い香りをまとった文を受け取り、それを広げてふむふむと読む双葉。読み進めていくうちに顔をしかめていく双葉に、


「長次郎からかい?」


 と、蒼龍が問いかけた。双葉は蒼龍にゆっくりと頷いて見せ、忌々しそうに言った。


「御察しのとおりでございます。これによると、柚葉の命が惜しければ、今日の夜に松田屋の物置小屋に八重さん一人で来るようにとあります」


 ついに来たかと覚悟を浮かべる面々。しかし、その中で、


「ゆっ、柚葉さんの命――――?!」


 と、八重が顔面蒼白となって茫然としていた。そんな八重に、双葉が優しい口調で問いかける。


「どうしますか、八重さん?」

「どっ、どうしますかってぇ……」

「私は、八重さんが柚葉を助けに御行になさるのかを聞いているのですよ」

「わっ、わたしが……柚葉さんを……」

「そう、貴女でなければ、柚葉を助けることはできません。いかがいたしますか、八重さん?」


 ちょっと、それは酷な言い方じゃありませんか? と目で訴えている煉弥と凛を、蒼龍も目で二人を制した。言いたいことはわかるけど、少し黙っているんだ。

 両手を胸の前で握り、モジモジと身体を動かしながら考える八重。

 わっ、わたしがどうやって柚葉さんを助けられるのだろう? でも、双葉さんはわたしじゃなければ柚葉さんを助けられないって言ってるし……。

 答えを出しかねている八重に、双葉が優しく微笑みかける。


「八重さんは、柚葉を助けたいですか?」

「そっ、それはお助けしたいですぅ! だ、だって、わたしと柚葉さんは……」

「八重さんと、柚葉は?」

「……お友達ですから――わたしの、初めての人間のお友達なんですぅ!!」


 怯えた目つきの中に、強い光を帯びさせた瞳で八重がきっぱりと断言した。それを見て、心底嬉しそうな表情を浮かべる双葉。


「わかりました。お友達は、助けてあげなくてはなりませんね」

「はっ、はいぃ~!」


 高揚する八重に、凛が複雑な表情で八重に訴えかけた。


「……私と八重殿は友人ではないのですか?」

「……ふぇ?」

「いや、ですから、その柚葉という娘は八重殿にとって初めての人間の友人なのですよね? つまりは、私とは友人ではない、と?」


 凛が、じとぉ~っとした恨めしそうな目つきで八重を見る。少しの間、あれぇ? と考えていた八重だが、やがて感づいたらしく、はっ?! とした表情となって、しどろもどろに言い訳をしはじめた。


「いっ、いえいえっ! そっ、そういうわけじゃないんですぅ!! え、ええっと、そ、その、柚葉さんとわたしは、そ、そのぉ――――」

「初めての同じ年頃の人間のお友達、ですよね?」


 双葉の助け舟に、八重が、


「そっ、そうですぅ!!」


 と、ずびしっ! と指さして同意する。


「……わかりました。では、私と八重殿は御友人であるということでよろしいのですね?」


 凛のジト目に八重が必死になって何度も何度もうなずいてみせる。こいつ、意外とちいせえところを気にするんだよなと苦笑する煉弥が、双葉へと問いかけた。


「だからといって、八重さん一人で行かせるわけじゃありやせんよね?」

「それはもちろん。八重さんには、私が同行させていただきます」

「しかし、文には八重殿一人でとのことでしたが?」


 凛の疑問に、双葉がクスクスと笑みをもらして答えた。


「そんな堂々とご同行はしませんよ。もちろん、身を隠してご同行いたします――それに、人間ごときに気づかれるほど、私は弱い存在ではありません」


 いつもの凛ならば、双葉のこの言葉に噛みついているところだろうが、さしもの凛も、双葉の言葉に無言でうなずく他なかった。なぜなら、今の双葉が醸し出している空気は、常人のそれを遥かに凌駕した、おぞましい圧力を帯びていたからだ。


「ふむ。それじゃあ、双葉に八重への同行を頼むとしようか」

「――――御意」


 深々と三つ指ついて蒼龍に頭を下げる双葉。すると、凛が勢い込んで蒼龍に聞いた。


「と、ところで私は――――」


 蒼龍が口を開く前に、煉弥が凛の肩を、はっしと掴んで釘を刺した。


「た・い・き・だ!!」

「……わかっている。き、聞いてみただけだ……」


 これ見よがしに肩を落とす凛を見て、苦笑する蒼龍。ま、実戦を一度でも味わえばもう少し気概が変わってくるんだろうけどねぇ。ごほんっ! と蒼龍は一つ咳き込み、皆に言った。


「とにもかくにも、まずは夜まで待たなければならない。その間に、一度小袖たちを呼び戻して、八重を遠方から警護するように伝えることにしようか」

「ということは、もう大丈夫なんですかね?」

「なんのことだい?」

「いや、ね。下手人共が妖怪堕ちしちゃいないかと、ちと気になりやしてね」

「どういうことだ?」


 凛が訝し気な表情で煉弥に言うが、煉弥は凛に取り合うことなく、蒼龍に話を続ける。


「今まで陰に隠れて事件を起こしてたやつらが、急にこうやってバレても構わねえみたいな形で行動しはじめたことが、ちと気になるんですよ」

「うん、煉弥の言うことはもっともだね。それで、どうだい、双葉。僕ら以外の妖力は感じられるかい?」

「しばし――お待ちを――」


 三つ指ついてお辞儀をする双葉。すると、双葉の艶やかな長髪が、四方八方に伸びて拡散する。


「ひゃっ?!」

「おうわっ?!」


 八重と凛が同時に驚きの悲鳴をあげるが、蒼龍も煉弥もそれを無視して、じっと双葉の言葉を待った。やがて、双葉の髪が元に戻り、双葉が頭をあげて蒼龍に言った。


「やはり、妖力は感じられません。ですので、現状奴らが堕ちているとは考えられないかと存じます」

「うん、わかった。それじゃあやはり、今回の下手人に対しては、対人間としての対応をしていくことにしようか。だから、僕と一緒に煉弥も凛も待機だ、いいね?」

「わかりやした。まあでも、すぐ動けるように気を張ってはおきやすよ」

「ああ、頼むよ」


 手順通りといった風な感じで淡々と話しを進めていく煉弥と蒼龍へ、凛が得心がいかないといった様相で言った。


「つまりどうすればいいのかよくわらぬのですが?」


 すると、蒼龍が瞳を青く光らせて凛に言った。


「黙ってここでじっとしてろと言ってるんだ。そもそも、僕との約束をやぶってここにいるのは誰だ?」

「……言葉もありませぬ」


 蒼龍からにじみ出るとてつもない圧力に、凛が小刻みに身を震わせながら土下座して頭をさげる。そうそう、そうやって最初から素直にしてくれればいいんだけどねぇ。


「さて、八重さん――――」


 八重の名を呼ぶが否や、双葉は八重に向かって深々と頭を下げた。


「私の大事な娘を護るために――どうか、貴女のお力をお貸しくださいませ」

「はっ、はいぃ~……」


 不安気な表情を浮かべる八重。しかし、その大きな瞳には強い決意の色も浮かんでいた。それを見てとった蒼龍が大きくうなずきながら一同に言った。


「さあ、時は来た――今宵、一連の事件の全てに決着をつける――各々方、頼んだぞ」


 一同はそれぞれの心にそれぞれの想いを抱きつつ、蒼龍の言葉に強くうなずくのであった。

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