第二幕ノ二十六ガ下 囚われのエンコ――倒れる柚葉


 物置小屋のまとわりつくこもった熱気に、柚葉は身体中から汗がふきだしてきて、意識が朦朧もうろうとしはじめていた。


(わ、私……ここで、死んじゃうのかな……)


 半ば死を覚悟しはじめたその時、物置小屋の戸が乱雑に開く音が聞こえてきた。次いで、長次郎の声が響く。


「さあさあ――お友達がお待ちかねだよ」

(お友達――まさか、八重さんが?!)


 柚葉は消えかける意識を、さるぐつわをぐっ! と噛みしめて引き戻し、声のした方へと視線を向けた。すると、そこには少女を小脇に抱えた長次郎の姿があった。


(あれは――――!!)


 意識を集中し、長次郎が抱えた少女の姿を確認する。そして、少女の胸が小さいことに柚葉気づいた。


(八重さんじゃ――ない?)


 普段ならば、こんな失礼な確認方法をとってしまった自分を叱咤するところだが、今は非常事態、そんなことを言っている場合ではない。八重だってきっと微妙な顔して許してくれるところだろう。

 少女を抱えた長次郎が、柚葉の近くまで歩いてくる。そして、柚葉は少女の正体をハッキリと確認した。


(か、和葉? どうして和葉が?)


 疑問を抱く柚葉の横に、長次郎が和葉を荒々しく放り投げる。どすんっ! と和葉が顔から落ちたところで、柚葉のそばに控えていたタマが心の中で苦笑する。


(お~お~、大変だにゃ~おみゃ~も)


 うつ伏せに、きゅう……と倒れこんでいる和葉――エンコへタマがそう言うと、


(まったくよぉ。乙女をこんなに雑に扱うなんざ、万死に値するわよ!!)

(おみゃ~は乙女じゃないにゃ。ただのキュウリ臭い両生類にゃ)

(確かに間違っちゃいないけど、そうまでハッキリ言われちゃ死にたくなっちゃうわよぉ……)


 と、タマとエンコの二匹がどうでもいい会話を続けていると、長次郎が手際よくエンコを縛り上げ始めた。


(まぁ、なにコイツ? こんなに縛るのが上手いってことは、普段から縛ったりすることが多いってことよねぇ?)

(コイツの女でも縛って喜ばせてるんじゃないかにゃ?)

(だぁかぁらぁ、アナタはなんでもかんでもド直球すぎるのよぉ)


 まったくもって緊張感のカケラもない二匹をよそに、柚葉が必死になって身をよじる。


(お願い長次郎さん! 元の優しい長次郎さんに戻って!!)


 柚葉の切なる願いは、さるぐつわによって阻まれた。

 むぅ~! むぅ~! とくぐもった声を出す柚葉を無視し、淡々とエンコを縛り上げていく長次郎。まるで、柚葉など存在していないかのような態度をとる長次郎の姿に、柚葉の瞳に涙がにじむ。


(長次郎さん……)


 くぐもった声は、やがてすすり泣きへと変貌した。それでも、長次郎は柚葉の姿に一瞥もくれることなくエンコを縛り上げ柚葉と同じようにエンコにさるぐつわをかませた。そしてそのまま柚葉に一言もかけることなく、さっさと物置小屋の外へと出ていってしまった。

 物置小屋の中には、ただただ柚葉のすすり泣きが響くばかり。そんな柚葉の姿にさすがに不憫に思った二匹が、


(う~んどうしたもんかにゃ?)

(どうしたものかしらねぇ……)


 と、慰めてあげるべきか相談を始めた。


(にゃんが話しかけるのはマズいにゃ。まだ正体を明かすのはよくないにゃ)

(それはそうねぇ。じゃあ、ここはアタシが一芝居打つことしようかしらねぇ)

(うむ、頼んだにゃ。にゃんはその間に、桶か何か探してくるにゃ)

(はぁ? 何に使うのよぉ?)

(この暑さにゃ。このままだと、柚葉が暑さでぶっ倒れてしまうにゃ。だから柚葉におみゃ~の冷えゲロ水でも飲ませてやるにゃ)

(ゲロ水って言うのやめてくれないかしらぁっ?!)


 タマの心ない言葉に、思わず縛られた縄をぶち切りそうになってしまったエンコだが、慌ててなんとか理性を取り戻し、心の中で嘆息をしてタマに言った。


(……もう、なんと言われてもかまわないわぁ。じゃあタマちゃん、水が入る容れ物を持ってきてよ)

(うむ、任されたにゃ)


 ぴょんっと柚葉のそばから飛び上がり、物置小屋の中を物色し始めるタマ。


(さて、それじゃあアタシも一芝居打つことにしましょうか)


 エンコは頼りなさげに身をよじり、う、うぅん……と小さなうめき声をあげてみせた。すると、それに気づいた柚葉がすすり泣きを止め、エンコへと視線を向ける。


(……いつまでも泣いてばかりもいられない。どうして和葉が連れてこられたのかはわからないけど、なんとかして、助けてあげなきゃ……私は、御姉さんなんだもの……)


 むぅ~……!! と、精一杯の力を込めて、縛られた腕に力を入れる柚葉。しかし無慈悲にも縄が緩んでくれることはなく、力を入れてしまった分、手首に縄が食い込み、柚葉の細い手首から血がにじみ始めてしまっていた。

 柚葉は痛みに顔をゆがめ、うぅっ……と小さなうめき声をあげて、エンコが転がされている方へ、ぺたんっと倒れこんでしまった。


(気を失っちゃったようねぇ。どう、水の入る容れ物は見つかったかしらぁ?)

(お~見つかったにゃ。ちょうどいい手桶があったにゃ)


 タマは器用に頭の上に手桶を乗せて、縛られているエンコの前へと持ってきた。


(柚葉は気を失ったのかにゃ?)

(多分そうだとはおもうけど、一応確認してみてくれないかしらぁ?)

(うむ。わかったにゃ)


 タマはそう言って、突っ伏している柚葉の顔の近くまで、トコトコと歩いて行った。そして、柚葉の顔にネコパンチを数発お見舞いする。


(反応がないにゃ。気を失ってるにゃ)

(念には念を入れておきましょ)

(ま、そのほうがいいだろうにゃ)


 タマが今度は柚葉の頬を、ネコ特有のザラザラした舌でペロリと一舐め。だが、やはり反応はない。


(しょっぱいにゃ)

(味の感想はいらないわよぉ。大丈夫そうだし、それじゃあちょっと失礼して――――)


 エンコの身体が宙に溶けるように消えていく。やがてエンコの姿が消えてしまうと、エンコを縛っていた縄がパラパラと音を立てて地面に落ちた。


(おっと、この音で柚葉が目覚めたりしないかにゃ?)


 むむぅと柚葉の顔を見つめるタマ。しかし、柚葉は意識を取り戻すことはなく、苦し気な表情を浮かべたまま目をつぶっていた。どうやら杞憂のようだったらしい。

 先ほどの手桶の前に、エンコの姿が浮き出てきた。その姿は、まだ和葉のそれをしている。


(なんで元の姿にならないにゃ?)

(もし、柚葉ちゃんが途中で目を覚ましたら面倒でしょ? それに、誰かさんのために気をつかってあげたのよ。いつものアタシの姿でやるより、和葉ちゃんの姿でやったほうがマシだと思ったのよねっ!!)

(にゃははは。確かに、おみゃ~の言う通りだにゃ。いつもの姿でアレをやられたら、ちょっと引くからにゃ)


 べぇと舌を出して、ふ~んだっ!! と明らかに不満気な態度を見せるエンコだが、タマはそれを華麗にスルーしてエンコを急かす。


(ほら、柚葉が汗をふきだして苦しんでるにゃ。さっさとゲロ水を出すにゃ)

(……色々と言いたいことはあるけど、今は柚葉ちゃんのことが先決ね。それじゃあ――――)


 エンコが手桶を両手に持ち、それを自分の口の前へと持っていく。すると、突然――――、


「おべぇ~~~~~~~」


 と、エンコが口から大量の水を手桶の中へと吐き出したのだ。タマは心の中でケタケタと大笑い。


(出た出たゲロ水にゃ! 小袖の姿でそれをやって、その時小袖に見つかって以来、ずぅ~~っと狙われることになったゲロ水にゃ!)


 エンコは手桶が満杯になるまで水を吐き出したのち、手桶を柚葉の前に置いてから、キッ!! とタマを睨みつけた。


(たしかに宴会の席だったとはいえ、あれは悪ノリしすぎたとは思ってるわよ! でも、口から水を吐き出すのは、アタシたちカッパ族じゃ普通のことなんだから、それを指さされて馬鹿にされたらいくらアタシでも頭にくるわよっ!!)

(そりゃあおみゃ~たちはそれが普通なのかもしれないけど、にゃんたちからすれば普通じゃないにゃ。普通、口から吐くものと言ったら罵詈雑言ばりぞうごんかゲロくらいしかないにゃ。だからゲロ水にゃ)

(ふぅ~んだっ!! でも、そのゲロ水のおかげで柚葉ちゃんが助かるんだから、ありがたく思いなさいよねっ!!)


 まあ、そうかもしれないが、柚葉がアレを見て、その水を飲まされたり身体にかけられたりするのを果たして喜んでくれるかは推して知るべしであろう。


(しかし、なんだにゃ。おみゃ~のゲロ水って、なんでいつもキンキンに冷えてるにゃ?)

(そこはまあ、アレじゃない? アタシの美貌のおかげ?)

(冗談は顔だけにしとけにゃ)

(うるさいわねっ!! とまあともかく、真面目に答えてあげると、カッパ族は皆そうなのよ。だからそういうものなんじゃないかしらぁ?)


 ふぅ~んとタマが鼻を鳴らしたところで、タマが自分の尻尾を手桶の水の中に突っ込んだ。うひょぉう!! と身体を震わすタマに、エンコが笑いかける。


(どう? 暑い中だと、冷たさが気持ちいいでしょ?)

(今のにゃんの身震いは違うにゃ。ゲロの中に尻尾を突っ込んでしまった嫌悪感で震えただけにゃ)

(しつこいわねっ!! もういいわよっ!!)


 ふぅ~んだっ!! といじけた素振りを見せ、エンコは姿を消し、縄に縛られた状態となってまた姿を現した。そしてそのまま、こてんっと横になった。ふて寝である。


(ま、感謝はしてるにゃ。後はにゃんがやっておくから、おみゃ~はゆっくり英気を養っておくにゃ)


 タマは手桶から尻尾を抜き出し、冷たい水でしっとりと濡れた尻尾で柚葉の顔を撫でてやる。すると、柚葉が小さなうめき声をもらして身をよじった。だが、意識を取り戻すまでには至らないようだ。


(そう――おみゃ~も今は英気を養っておくにゃ)


 タマは冷たく濡れた尻尾で、まるで母親が子供を慈しんでいるかのように、何度も何度も柚葉の顔に浮かび上がった汗を拭きとってやるのであった。

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