第二幕ノ二十六ガ中 迫る魔手――エンコの妖力
(先ほどのお手紙、よっぽどのことが書かれていたんだなぁ。柚葉御姉様ったら、あんなにウキウキしながらすっとんでいっちゃった)
松竹屋の店先を、ホウキで掃き掃除をしながら、和葉は心の中でニヤニヤとしていた。
(柚葉御姉様がおかえりになったら、それとなく聞いてみちゃおっかなぁ。でも、柚葉御姉様はとても聡明で敏感な御姉様ですから、きっと話してくれないだろうなぁ)
ふぅ~むぅ……と、どうやって柚葉から秘め事を聞き出そうかと考え込む和葉。そのせいで掃き掃除の手が止まってしまっていた。するとすかさず、
「こぉれぇ!! なにをぼさぁ~~~っとしてるんだよ!!」
という、梅ばあさんの怒声が和葉へと向けられた。和葉は、びびくぅっ?! とその場で小さく飛び跳ね、梅ばあさんへの方へと慌てて振り向く。
「ひゃっ?! ごっ、御楼主様っ?!」
なんでここにいるんですか? というような視線を向けてくる和葉に向かって、梅ばあさんは、ふんっ!! と大きく鼻で笑ってジロリと一睨みした。
「ここはアタシの妓楼だよ。アタシがここにいてなんぞ悪いことでもあるのかえ?」
「いっ、いえいえ!! 決してそのようなことは――」
両手をふりふり、首もふりふりしながら必死に否定する和葉。梅ばあさんは、これ見よがしに大きく嘆息して和葉に言った。
「ああ、もういいよ。ともかく、掃除だけはキッチリ務めておくれ」
「は、はい……かしこまりました」
膝に手をつき、ぺこりっと深々とお辞儀をする和葉。その和葉の後ろの空間を梅ばあさんがジロリと見つめ、心で念じる。
(頼みましたよ、エンコ)
(わかってるわよぉ。和葉ちゃんはアタシのお気にだし、悪いようには決してしないわよぉ)
(お願いします――私の可愛い娘の命、貴方に預けますからね)
和葉が頭を上げたところで、梅ばあさんが和葉に言った。
「さて、アタシは中へ戻るから、しっかり掃除をしておくれよ」
和葉の返事を待たずして、梅ばあさんは松竹屋の中へと消えていった。梅ばあさんの姿が見えなくなったところで、和葉が、はふぅ~……と大きなため息を一つ。
「御楼主様って、不思議な御人だなぁ……いつも、いつの間にか姿を現して、いつの間にかいなくなってしまうんだから……」
和葉のつぶやきに、姿を消して和葉の後ろについているエンコが心の中でにやついた。
(まっ、不思議でしょうねぇ。実際のところは、御楼主様と吉原一番の太夫を兼用しているから姿を消してしまうんだけどねぇ)
エンコがそう思ったところで、和葉は梅ばあさんの言いつけ通り、いそいそと掃き掃除へと戻った。
やがて掃き掃除が終わるころになって、和葉に近づいてくる一人の男の姿があった。長次郎である。
(予想通り――といったところねぇ)
少しだけ和葉から距離をとり、様子をうかがうエンコ。すると案の定とも言うべきか、長次郎が和葉の背中に声をかけた。
「和葉ちゃん――」
「――はい?」
振り向く和葉。そして、長次郎の姿を認めると、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「あら、長次郎さん。いかがなさいました?」
「いや、柚葉ちゃんからこいつを預かってきたんだよ」
長次郎はそう言って、懐から文を取り出して和葉へと差し出した。
「柚葉御姉様から?」
変だなぁ? 文を書くくらいなら、直接柚葉御姉様が来ればいいのに。
小首をかしげながらも、差し出された文を受け取る和葉。
「それを、今日柚葉ちゃんと一緒に道中をしていた娘さんに渡して欲しいって、柚葉ちゃんから頼まれたんだよ。すまないが和葉ちゃん、また頼まれちゃくれないかい?」
「ええ、それくらい、お安い御用です♪」
文を手に、元気よく店の方へと振り向く和葉。それを少し遠目で見ていたエンコが、和葉を先回りする形で松竹屋の玄関へと入り、そこに誰もいないことを確認してその姿を現した。
程なくして和葉が玄関へと入ってくる。すかさずエンコが和葉へと声をかける。
「ねえ、ちょっといいかしらぁ?」
「え? あ、エンコさん。こんにちは。双葉御姉様に御用ですか?」
「いいえ、今日、アタシが用事があるのは――――」
シュッ――!! と、音もなく和葉のそばへと移動し、和葉のうなじめがけて手刀を一撃。
「うっ……」
こてん……と力なく倒れる和葉を手で支えてやり、エンコが声をあげた。
「ちょっとちょっとぉ! 誰かきてぇ!!」
エンコの身の毛のよだつ大声を聞きつけ、数人の少女たちが廊下の奥からどたどたと慌てた足音を立てながらやってきた。
「ど、どうかなさいましたか?」
少女たちの中で一番の年長そうな少女がエンコに問う。エンコは慌てたフリをしながら、腕に抱いていた気を失った和葉を少女たちの方へと向けた。
「急に和葉ちゃんが倒れちゃったのよぉ! アタシが連れて行ってあげたいのは山々なんだけど、アタシは双葉に大事な用事があるから、ちょっと手を離せないの!! お願いだから、急いで診療所へと連れて行ってあげてぇ!!」
「まぁっ! それは大変! みんな、和葉御姉様を診療所にお連れいたしましょう!!」
はぁ~~いっ!! という元気な声をあげ、少女たちがエンコの周囲へと集う。
「それじゃ、よろしくねぇ」
エンコは少女たちに和葉を託す際に、ささっと目にも止まらぬ速さで和葉が長次郎から受け取った文をかすめ取り、自分の懐へと突っ込んだ。
「双葉ちゃんと御楼主様にはアタシがちゃんと伝えておくから、みんなでいってらっしゃいな。そのほうが和葉ちゃんが目が覚めた時に、和葉ちゃんも安心するだろうから」
「そ、そうですね。では、そのようによろしくお願いいたしますっ!!」
ぺこっ! と威勢よくエンコにお辞儀をし、少女たちは和葉の身体をみんなで支えながら、きゃあきゃあ声をあげながら去って行った。
「さぁて――一仕事してあげなきゃねぇ」
エンコは辺りを伺い、周囲に人の気配が無いことを確認したところで、自らの額に右手の中指と人差し指をあてて、つぶやいた。
「懐かしいわねぇ――アタシも昔は『幻惑のエンコ』なんて呼ばれてたっけ」
エンコのつぶやきが終わると、エンコの姿が空気中に溶け込んでいくように消えていった。すると、程なくしてエンコの消えた場所から――なんと、今少女たちに運ばれていったはずの和葉の姿が現れたのである。
現れた和葉が、にんまりと悪い笑みを浮かべてつぶやいた。
「うふぅ♪ 若い女の子の姿になるのも、たまにはいいわねぇ♪」
姿は和葉だが、声はエンコのものであった。そう、この和葉はエンコが己の妖力によって和葉に化けているのである。
「おっと、声を変えるのを忘れてたわぁ」
うおっほぉんっ!! とでかい咳ばらいを一つして、にんまり悪い笑みを浮かべて一言。
「これでよぉ~しっ♪」
見た目と声だけは純情な和葉となったが、心は和葉と似ても似つかぬほどに汚いエンコが八重のいる大広間へと向かっていく。
エンコが大広間の障子を開けると、広間の中央では、八重がぽつねんと寂しそうに布団の中で眠っていた。
八重の元へと近づくエンコ。そして、八重の横に座り、八重に声かけた。
「八重ちゃん――八重ちゃん――」
「ふぇ……?」
急に呼びかけられ、ねぼけまなこをこすりながらエンコに目をやる八重。
「あ、あれぇ……? ゆ、柚葉さんはぁ……?」
てっきり柚葉から起こされたと思っていた八重が小首をかしげると、エンコが元の地声に戻してもう一度呼びかけた。
「アタシがわかるぅ?」
「……ふぇ?」
声はエンコさんのようだけどぉ……? どういうことなんだろぉ……?
まだ夢でも見てるのかなぁ? と妙な気分になっている八重の気持ちを察し、エンコが、うにょうにょぉ~んと顔だけ元に戻して八重に呼びかける。
「アタシよ、アタシ」
「ふぇっ?! えぇ~?!」
驚きのあまり首が伸びそうになってしまう八重の頭を、エンコが慌てて抑え込む。
「ちょ、ちょっと……!! 八重ちゃんも妖怪の端くれなら、そんなに大声で驚いたりしちゃダメよ……!!」
じゃあ、そんなに脅かすようなことをするなよと突っ込みたいところだが、それはともかくとしてエンコが話を続ける。
「いい、八重ちゃん。これを持って、上にいる双葉ちゃんたちのところへ行きなさい。そして、これからどうするかを相談するの。いいわねぇ?」
「はっ、はいぃ~……」
まだちょっと涙ぐんでいる八重だが、なんとかエンコにうなずいて見せ、エンコの言葉に応えた。エンコはそれを見てゆっくりとうなずき、八重の胸元に文を突っ込んで、
「それじゃあ、頼んだわよぉ」
と、言いながら、うにょうにょぉ~んと顔を和葉の顔へと変化させ、驚きに小刻みに身体を震わせて怯えている八重をその場に残して松竹屋の店先へと戻っていった。
エンコが店先へと戻ると、エンコの予想通り、長次郎が和葉の帰りを待っていたらしく、先ほど居た場所にじっと立っていた。その横には、荷車が一つ。
(ふん――わかりやすいわねぇ)
心の中で鼻で笑いながら、エンコが長次郎の元へと近寄っていく。
「はい、お届けしてまいりました♪」
声を弾ませ、溢れんばかりの営業スマイルで長次郎に言うと、長次郎はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そうかい――そいつはすまないね――!!」
ドスッ!! とエンコのみぞおちに拳を突き刺す長次郎。
「あ? あぁっ! あ~れぇ~~……」
長次郎が自分を気絶させようとしたことに気づき、慌てて、こてんと倒れて見せるエンコだが、その様はあまりにもわざとらしい。これはバレちゃったかしらぁとハラハラするエンコだったが、
「さぁさぁ――柚葉ちゃんのところにいこうね――和葉ちゃん――」
と、長次郎が笑いながらエンコを荷車の上に乗せ、その上からゴザを引いて見えなくし、長次郎が荷車を引きだした。
(あ、あぶなかったぁ……なんとか、バレてないみたいねぇ……。さぁて、柚葉ちゃんのところへ案内していただこうかしらぁ)
内心で舌を出すエンコを乗せながら、長次郎は松田屋へと向かって荷車を引いていくのであった。
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