第二幕ノ二十一ガ結 出向く蒼龍――竹林の修練


 せわしない蝉の音が鳴り響く、昼下がり。額に汗をにじませながら化け物長屋の楓の部屋の前にやってきた蒼龍であったが、楓の部屋の障子戸に貼られてあった張り紙を見て、大きく肩をすくめていた。

 張り紙には、こう書かれてあった。


『楓さんに御用の人外は竹林まで』


「やれやれ……この暑さの中、もう一歩きしなきゃいけないとはねぇ……」


 苦笑しつつも、しっかりと義弟や義妹を修練してくれている義母殿に感謝の念を抱きつつ、蒼龍は竹林へと足を向けた。

 やがて、竹林へと到着すると、蒼龍の耳に威勢のいい掛け声や、哀れな悲鳴が聞こえてきた。どうやら、ビシバシと鍛えられているようだ。


「うんうん。やってるねぇ」


 蒼龍が頷きながら竹林の中の細い道へと歩を進めていくと、突如として、


「コナクソがぁっ!!」


 という雄叫びと共に、蒼龍のすぐ近くの竹が真一文字に斬り裂かれ、ガサガサと音を立てながら竹が倒れていった。


「うん? 煉弥かい?」


 蒼龍の問いかけに応えるかのように、倒れた竹藪の中から煉弥の巨体が飛び出してきて、蒼龍の前方にゴロゴロと転がってきた。

 蒼龍はいつもの笑みを浮かべながら、


「うんうん。修練に精が出てるようだね、煉弥」


 と、転がってきた煉弥に語りかけると、煉弥が、ばっ! と勢いよく顔をあげて、ぼそぼそとなにやら呟きはじめた。


「へへっ……さすがは楓さん……今度はタツ兄の幻ってわけですかい……」

「なんだって? 僕が幻だって? 何を言ってるんだい煉弥?」


 訝し気に問いかける蒼龍に、煉弥が威勢の良い声で返してきた。


「へぇ?! 今度は言い返してくる幻ってわけですかい?! まるで本物と同じような嫌味ったらしい言い方だ!! だからって俺は躊躇なんかしやせんぜ!! キツネのふざけた幻影なんざ、俺が叩き斬ってやらぁ!!」


 そう言うが否や、突如として腰の小太刀に手をかけ、蒼龍へと斬りかかっていく煉弥。

 蒼龍は慌ててそれを避けて、


「おっ、おいおい煉弥。落ち着いておくれよ。いったいどうした――――」


 そこまで口にしたところで、蒼龍は煉弥の瞳が霞がかっていることに気づいた。

 やれやれ、どうやら楓殿から幻影を見せられているらしいね。


「コナクソがぁっ!!」


 煉弥が先ほどと同じ雄叫びをあげながら、蒼龍に向かって小太刀を真一文字に薙いだ。しかし、蒼龍は煉弥の一太刀を軽々と避け、煉弥の懐へと身体を潜り込ませ、


「目を――覚ますんだ!!」


 煉弥のあごに、右のアッパー掌底をくらわした。


「おぐぅっ?!」


 まさか幻影が反撃してくるとは思ってもみなかったらしく、相手の攻撃に対してほぼ無防備だった煉弥の巨体が見事に宙に浮かび上がった。

 ずどぉぉんっ! と大きな音を立ててひっくり返る煉弥。だがしかし、すぐに慌てて身を起こし、尻餅をついたような格好で蒼龍を見上げる。


「あ、あれぇ?! ほ、本物っすか?」

「そういうことだね。まったく、楓殿はいったいどんな修練を煉弥に課しているんだい?」

「い、いや、なんでも俺の精神を鍛えるとか言って、俺の知ってる連中が襲ってくるような幻覚をずっと見せられてたもんで……」

「そりゃあまた中々難儀な修練だねぇ……」


 というより、やり過ぎではないのですか義母殿? 下手すると、義弟が人間――いや、妖怪不審になりかねませんよ。


「え、ええっと、その、なんです……さっき俺が言ってたことは、その……」


 ばつの悪そうな顔をする義弟に、蒼龍は苦笑しながら、


「ああ、気にしなくていいよ。僕が嫌味ったらしいということくらい、ちゃんと自覚しているからね。今さらそれを指摘されたところで、別になんとも思わないさ」


 と言ってくれたが、察しの良い義弟はちゃ~んとわかっていた。義兄が、心の奥底では結構ムカついていることを。


「……すんません」

「だから気にしなくていいよ――ところで、楓殿や凛とオオガミもここにいるのかい?」

「ええ。奥のちょいと開けたところで修練してると思いやすが――そういえば、どうしてタツ兄がわざわざこんなところへ?」

「いやね、そろそろ今回の事件の詰めに移ろうと思ってね。それで、打ち合わせをしたいと思って楓殿の部屋へ行ったら、張り紙があってそれを見てここに来たというわけさ」


 それを聞き、煉弥はボサボサの髪を手でかきながら、


「かぁ~~! やっと行動に移れるんですね? 修練ばっかで、嫌気がさしてたところでしたよ」

「ははっ、そうかそうか。でも、ひょっとしたら修練をしてたほうがマシだって思うかもしれないよ」


 苦笑しながら言う蒼龍。そんな蒼龍の姿に、背筋にうすら寒いものを覚える煉弥が、大きくため息をついた。


「また……七面倒くせえことでもやるんですかい?」

「その打ち合わせをしようと思ってここに来たのさ。さあ、行こうか」


 尻餅をついている煉弥に、手を差し伸べる蒼龍。煉弥はその手をとって立ち上がり、蒼龍の前に進み出て、目的の場所への道案内を始めた。

 歩き始めて少しすると、気合の入った掛け声が竹林の奥から聞こえてきた。


 ――――ハァッ!!

 ――――シャァッ!!


 声色から察するに、どうやら凛とオオガミの声らしい。


「うんうん、よくやってるようだねぇ」


 部下たちの勤勉ぶりに、うなずきながら満足気な声をあげる蒼龍だが、


「たしかに、よくやってるたぁ思うんですけどねぇ……」


 と、煉弥がなんとも複雑な表情でつぶやいた。


「なんだい、何か不満でもあるのかい?」


 ひょっとして、凛が自分の領分に近づいていくことにまだ納得できていないのかな? と、蒼龍がいささか不安を覚えた、その刹那。


 ――――ひゃぁぁっ?!

 ――――うヒィッ?!


 嬌声に似た悲鳴が、奥から響いてきた。


「……楓殿は、女子達にどんな修練を課しているんだい?」

「さあ……何聞いても教えちゃくれねえし、楓さんが俺のところに来るまで近づくな、近づいたら殺すって言われてるもんですから……」

「そ、そうか……」

「ってわけで、俺はここで待ってやすから、行ってきてください」

「わかった。じゃあ、都合がよくなったら呼ぶからここで待っていておくれ」


 お願いしやすと苦笑する煉弥を残し、蒼龍が先んじて竹林の奥へと進んでいった。

 やがて、細い道が終わり、突如としてひらけた広場のような場所へと出た。

 広場の中央には、割烹着姿の楓と、妙に露出の高い巫女装束? のようなモノを身につけた凛とオオガミの姿があった。

 ……いったい、何の修練をしているんだ? オオガミはともかく、貞操観念の権化――清廉潔白純潔純情を絵に描いた凛があのように脚を丸出しにする恰好をしているなど、煉弥が見たら襲い掛かりかねない――ああ、それで近づくなということか。

 蒼龍が一人で勝手に納得しながら三人へと近づいていくと、それに気づいた楓がくるりと蒼龍の方へと振り向き、


「あらぁ♪ タッちゃん、こんなところまで御足労、ご苦労様っ♪」


 満足そうにキツネ目細めながら言った。楓のこの一言に、


「ほっ、北条殿?!」


 凛が顔を真っ赤にしてうろたえながら、飛びあがってそのまま地に正座し、丸出しの両脚が蒼龍に見えないよう、両手で覆い隠した。それを見た楓が嬉しそうに、


「あらぁ♪ 素早くて良い反応よぉ♪ これも、楓さんの修練のたまものねぇ♪」

「つったって……まだ二日目だロ……」


 すかさずオオガミが、ため息交じりにツッコミを入れる。そんなオオガミに、蒼龍が近づきながら、


「色々と聞きたいことはあるけど、その中で一番聞きたいことだけを聞くことにするよ。オオガミと凛のその衣装は、修練と何か関係があるのかい?」


 すると、オオガミが答えようとする前に、楓が蒼龍の前に目にも止まらぬ速さで立ちふさがって、


「もっちろん!! あるに決まってるでしょぉ?!」


 頬を膨らませながら前のめりで蒼龍に言った。


「さ、さようでございますか。して、その修練の内容はいかがなもので?」


 蒼龍がそう言うと、楓は、ふっとおちゃらけたいつもの雰囲気を一瞬だけ引っ込め、


「リンちゃんを正式に楓さんのお弟子さんにしたのよぉ――あの娘と同じようにねぇ」


 と、感慨深げにつぶやいた。それを聞き、蒼龍も楓につられるように、感慨深げにつぶやいた。


「そうですか――なるほど、それなら凛の格好にも合点がいきますね」


 頷く蒼龍にオオガミが憮然とした表情で、


「……オレは完全なとばっちりだけどナ」


 吐き捨てるようにそう言った。すると、凛が楓と蒼龍に問いかけた。


「あの……御二人が仰っている方というのは、ひょっとして――――」

「ああ。凛の想像通り――ツバメ殿のことだよ」

「そうよぉ。ツバメちゃんも、今リンちゃんが着ているのと同じ衣装で楓さんの修練をうけていたのよぉ」

「母上が…………」


 両膝に乗せていた手を、ぎゅっと握りしめる凛。母上も、今の私と同じような修練をやっていたのか……。

 と、そこまではよかったのだが、そこであることに凜は気づいてしまった。

 ……ということは、母上も今の私と同じ格好をしていたというわけなのか? そ、そういえば、父上が母上に巫女様とニヤニヤしながら言っていて、思いっきりぶん殴られてたことがあったような……。

 どうやら、母上もやはり恥ずかしかったようらしい。思わず、微笑みが漏れる凛。そんな凛に、楓もキツネ細めて微笑みを浮かべて語りかけた。


「うふふぅ♪ そうよぉ♪ ツバメちゃんも、最初はこんな格好は嫌だと駄々をこねてたけど、一旦やり始めたら、そんな小さいことなんか気にならないって感じでビシバシ修練に励んでたのよぉ♪」

「そう……だったのですね……」


 宙をあおぎながら、どこかもの悲し気につぶやく凛であったが、そんな凛の横でオオガミが、追憶にひたる凛の感傷をぶち破る一言をもらした。


「ヘェ? じゃあツバメも、楓からケツを叩かれてたってわけカ?」

「おっ?! オオガミ殿ッ!!」


 顔を真っ赤にしながら、右手の人差し指を鼻にあて、シーーーッ!! と黙っててくれとジェスチャーをする凛。しかし、楓はそんな凛をおちょくるように、


「うふふぅ♪ ツバメちゃんも良いお尻だったけどぉ、リンちゃんの完璧なお尻にはかなわないわねぇ♪」


 すっちゃらかっちゃんちゃん♪ と小躍りしながら言うと、凛はなおさら顔を赤く染めあげ、


「楓殿ッ!!!!」


 と、一喝した。蒼龍はこれ見よがしに肩をすくめながら、ため息交じりに言った。


「……どんな修練をやっているかは、あえて聞きませんよ」

「うふふぅ♪ そうしてくれると助かるわぁ♪ それで、タッちゃんの御用は何かしらぁ?」

「ちょっと事件のことで、大きく動かなければならなくなりまして、その打ち合わせをしたいと思っているのですが。煉弥をこちらに呼んでもかまいませんか?」

「あらぁ、それだったらお部屋に戻って、皆で座って御話ししましょうよぉ。それだと、お化け先生も会話に加わることもできますしねぇ」


 お化け先生という一言に、あからさまにイヤそうな顔をする凛。それに気づいた楓がニヤリと悪い笑みを浮かべ、先手を打つように凛に告げた。


「オオちゃんは着替えてもいいけど、リンちゃんはそのままの恰好でお部屋まで戻るのよぉ」

「はっ?! な、ななななぜでございますかッ!!」


 立ち上がって両手を振り回しながら必死に訴える凛だが、やはり丸出しの脚が恥ずかしいのか、無意識に内またになってしまっていた。


「なぜって、リンちゃんにその恰好に慣れてもらわなきゃいけないからよぉ。羞恥心の克服もあるけど、大気宙に漂っているタオを感じられるようになってくれなきゃ、先に進まないからねぇ」

「し、しししかしですね…………!!」


 うぐぐ……!! と歯噛みする凛の横で、やれやれ……とさっさと着替えだすオオガミ。当たり前のように蒼龍の前であられもない姿になってはいるが、このオオガミも煉弥の前では小麦色の頬を紅葉のように紅く染めあげる。若者たちの春は青いのだ。


「しかしもカカシもないわよぉ? 嫌ならいいのよぉ、その時はもう楓さんはリンちゃんをお弟子さんとしては扱いませんからねっ」


 頬を膨らませて、ぷいっ! と凛から顔をそむける性悪キツネ。


「ぐっ……そ、それは……!!」


 むむむぅ……と小刻みに身体を震わせる凛だったが、やがてがっくりと大きく肩を落とし、


「か、かかかしこまりました……楓殿の仰せの通りに……」


 性悪キツネの策略に白旗をあげることになってしまった。楓は嬉しそうに、


「うんうんっ♪ それじゃあ、お部屋に戻るとしましょうかぁ♪」


 凛の腕をつかんでそのまま引っ張っていこうとし始めた。すると凛が、


「おっ、おおおおお待ちくださいッ!! む、むむむこうに、そそその、煉弥が――――」


 頬を羞恥で真紅に染め上げると、楓が、


「ああ、そうだったわねぇ♪」


 と、言いながら、ぱんっ! と手を叩いた。

 すると、煉弥が待っている方向から、轟音が響き、次いで、


 ――――ぎゃぁぁぁっ?!


 という煉弥の絶叫が聞こえてきた。


「うふふぅ♪ これで、恥ずかしくないでしょぉ? レンちゃんは今頃黒焦げよぉ♪」

「なッ?! お、おいッ!! 煉弥、大丈夫かぁッ!!」


 慌てて煉弥が待っている場所へと駆け出す凛。


「ま、待てヨッ!! おぉ~~~イッ!!」


 それに着替え終わったオオガミも慌てて追従していった。竹林の中へと消えていく二人の背を見ながら、蒼龍が苦笑しながら言った。


「まあ……ほどほどにしておいてあげてくださいよ、楓殿?」

「だぁいじょうぶよぉ♪ 節度はわきまえてますからねっ♪」


 キツネ目細めて笑う楓に、蒼龍はただ苦笑するより、ほかなかった。

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