第二幕ノ二十一ガ中 八重と柚葉の役割――双葉の発表


「双葉御姉様からの御話って、いったいなんでしょうね?」

「さ、さぁ……わかりかねますぅ……」


 松竹屋の二階へと上げる階段を上がりながら、八重と柚葉は顔を見合わせながら小首をかしげていた。

 事の始まりは、八重がいつものように朝餉あさげの準備を済ませ、うんしょと大広間に朝餉を運んでいた時に、座敷に出るようになって朝餉の準備をしなくてよくなった柚葉が、少々慌てた様子で声をかけてきたことだった。

 双葉御姉様が、朝餉の後に私と八重さんに御話があるから、部屋まで上がってくるようにとのことです。

 双葉さんが? いったいなんだろう?

 先日に、ぬらりひょんという思わぬ来客があってすぐの呼び出しである。八重は多少の不安を覚えつつ、柚葉と共に朝餉を終え、柚葉に連れられて今まさに双葉の部屋へと向かっている途中であった。

 双葉の部屋のすぐそばまで来たところで、


「あっ?!」


 と、柚葉が小さな悲鳴をあげて立ち止まった。


「ど、どうしましたかぁ?」


 八重が訊ねると、柚葉は怯えた表情を作りながら、


「ひょ、ひょっとすると……私の御座敷があまりにも御粗末だから、双葉御姉様のお叱りを受けるんじゃあ……」


 涙目になってカタカタと震えだした。そんな柚葉に、八重が励ましの言葉を投げかける。


「だ、大丈夫ですよぉ。双葉さんは、柚葉さんのことをとてもお褒めになっていましたから、そんなことは決してないと思いますよぉ」

「そ、そうでしょうか……」

「そ、そうですよぉ。むしろ、お叱りを受けるのはわたしのほう――――」


 と、八重はそこまで口にしたところで、はうぅっ?! と身体を跳ねさせた。


「ど、どうされました、八重さん?」

「ひょ……ひょっとしてぇ……わたしが、先日修繕したものに不具合があったので、そ、そそ、それでお叱りを受けるんじゃあ……」


 八重のこの一言に、柚葉も、はうぅっ?! と身体を軽く跳ねさせた。


「そっ、それなら話はわかりますっ……。どうして私と八重さんが、双葉御姉様に呼ばれたのかが……」


 あわわわわわわ……。

 はわわわわわわ……。


 互いに顔を見合わせながら、涙目になって小刻みに震える八重と柚葉。

 しかし、だからといって、双葉の呼び出しから逃げ出すわけにもいかない。

 八重と柚葉はお互いに手を取り合い、二人して、うんっ! とうなずき合って気合をいれた。そして、双葉の部屋の前に行き、柚葉が部屋の中にいるであろう双葉に障子ごしに声をかけた。


「双葉御姉様――お呼び出しに馳せ参じました」

「入りなさい」


 部屋の中から響いてくる双葉の声は、いつものような穏やかで荘厳さをまとった声であった。とても、怒っているようには思えない。

 八重と柚葉は、またしても顔を見合わせた。

 あれ? ひょっとして、わたしたちの不安は杞憂にすぎなかったのかな?

 小首をかしげつつも、八重と柚葉は、部屋の障子をあけ、部屋の中へと身を滑り込ませた。

 部屋の中央に、いつものように穏やかな表情を浮かべた双葉が鎮座していた。双葉は、八重と柚葉を見るなり、


「さあ、傍へとお座りなさい」


 と、自分の前を指し示した。

 八重と柚葉は双葉の招致に応じ、双葉の前にちょこんっと座った。その表情は、やや堅苦しい。

 双葉は、八重と柚葉の思いを察したとみえ、微笑みを浮かべながら二人に言った。


「心配せずとも、私が御二人をお叱りするために、ここへ呼びつけたわけではありませんよ」


 よ、よかったぁ……と、ほっと安堵の息を吐く二人。すると、双葉は微笑みを打ち消し、真剣実を帯びた表情となって、二人に言った。


「ですが、だからと言って、大した用もなく、御二人を呼びつけたわけでもないのも事実です」


 双葉の一言と態度に、二人も緊張した。いったい、どんな御用なのだろう?


「柚葉――」


 双葉に呼びかけられ、思わず、ひゃいっ?! と上ずった声で返事をする柚葉。そんな柚葉に、双葉は柔和な笑みを浮かべて言った。


「柚葉の御座敷、実に好評を博していますよ。この調子で行けば、柚葉がこの松竹屋を担っていくのもそう遠くはないことやもしれません」

「そっ、そんなっ?! 御姉様方を差し置いて、新参者の私がそんな恐れ多いことっ!!」


 びたーーんっ!! と、額を畳にぶつけて思いっきり平伏してみせる柚葉。それを、呆気にとられて見つめていた八重だが、なんだかこのままじゃいけない気がして、思わずびたーーんっ!! と八重も、もらい平伏してしまった。


「そこまでかしこまる必要はありませんよ――特に、八重さんは」


 双葉が苦笑すると、頭を下げていた柚葉が、頭を下げたままチラリと目をやった。そして、自分と同じように頭を下げている八重を見て、頭を上げて失笑してしまった。


「どっ、どうして八重さんが双葉御姉様に頭を下げているんですかぁ!」


 あははははっ! と笑う柚葉だが、双葉の姿が目に入り、はっ?! と思い直して、慌ててまたびたーーんっ!! と頭を下げた。


「これじゃあ、話が進みませんから、御二人とも、顔をあげてくださいな」


 ふぅ、と優しい吐息のようなため息をつきながら双葉が言うと、柚葉と八重は恐る恐る頭をあげた。八重が頭をぶつけた畳が明らかにへっこんでいたが、双葉はあえてそれを無視して話を続けた。


「柚葉、私はお世辞で言っているのではありません。本日、御楼主様に、さるやんごとなき御身分の御方から、ある御話がございまして、御楼主様はその打ち合わせにその御方のお屋敷に出向いているのです」

「やんごとなき御身分の御方……」


 ほへぇ~っと、ピンとこない表情を浮かべる八重と柚葉だったが、柚葉が、うん? と何か違和感を感じたような表情をして、双葉に問いかけた。


「え、ええっと……その、やんごとなき御身分の御方の御話と私たちにどのような関係がございますのでしょうか……?」


 柚葉の一言に、双葉は我が意を得たりといったようなしたり顔をして、柚葉に言った。


「関係あるも何も、そのやんごとなき御身分の御方は、柚葉に花魁道中を御所望しているのでございますよ」


 しばしの沈黙――――。

 そして、絶叫。


「えぇええぇぇぇ~~~~~~~~~~~~っ!!!!」


 耳をつんざく柚葉の絶叫に、横にいた八重が、ひゃぁうっ?! と驚きの声をあげて頭を押さえた。

 なぜ耳を押さえないのかしら? と双葉は少し疑問を抱いたが、ああ、首が伸びないようにしてるのですねと気づいて微笑した。だが、そんな双葉の微笑を自分に向けたものだと勘違いした柚葉が、


「そっ、そんな重大な事をそのような優しい微笑みを浮かべてサラリと仰らないでくださいっ!!」

「は? あ、ああ。ごめんなさいね、柚葉。しかし、あまりそう重大に事をとらえるのも、考えものですよ」

「重大にとらえますっ!! 重大も重大ですよぉっ!!」


 ばしんっ! ばしんっ! と畳を手のひらで叩きながら必死になって訴えかける柚葉の姿を見て、八重がおずおずと双葉に質問する。


「あっ、あのぉ……花魁道中っていうのは、そのぉ……どんなものなのですかぁ……?」

「あら、八重さんは御存じない――まあ、そうですよね。柚葉、心を落ち着かせるためにも、八重さんに花魁道中のご説明をしてあげなさい。簡潔でかまいませんからね」

「はっ、はい……」


 すぅ~はぁ~と大きく深呼吸を何度か繰り返し、なんとかいつもの平静さを取り戻そうと努めつつ、柚葉は八重に説明をした。


「花魁道中とは、吉原の茶屋――揚屋あげやとも申しますが――にいらっしゃった馴染みの御客様や、位の高い御客様を、花魁が絢爛華麗な装いをしてお店の若衆や娘たちを引き連れてお迎えに行くことです」

「おっ、お迎えですかぁ?」


 なんだ、そんなことですかぁといったような拍子抜けした顔をする八重を見て、柚葉はずずずずいっ! と八重に向かって身を乗り出しながら、


「ただお迎えに行くわけではありませんっ!! 花魁道中は、各妓楼ぎろうの中でも最上位の遊女――いわば妓楼の顔ともいうべき遊女のみが許されるものなのですっ!! ですから、お迎えと一口に言いましても、この花魁道中は、妓楼の宣伝と妓楼の格を吉原中に遊女が身をもって示さなければならないという、ひっっっっじょぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~に重大な御役目なんですよぉっ!!」

「ひゃっ?! あ、あの、そ、そのぉ、ごっ、ごめんなさいぃ~~~~!!」


 詰め寄る柚葉の迫力に、まるで自分が叱られてるような気がして、ぴょぉ~んっと後ろに飛びあがって着地と同時に土下座で謝る八重。双葉は苦笑しながら、


「柚葉、少しは落ち着きなさい。八重さんがお困りですよ」


 双葉の一言に、はっ?! と我に返った柚葉。目の前でペコペコと土下座して謝っている八重に対して、今度は柚葉が土下座を披露することになった。


「すっ、すいません八重さん! べ、別に私は怒ったりとかそういうのじゃありませんから、ど、どうか頭をお上げください!」


 ごめんなさいぃ~~~! すみませぇ~~ん! と土下座し合う二人に向かって、双葉がおほんっ!! と、迫力ある咳ばらいを一つ。二人はびくりっ!? と身体を跳ねさせ、双葉に向かって頭を上げた。


「さて、話を続けようかと思うのですが、御二人とも、よろしいですね?」


 有無を言わさないといった調子の双葉の言葉を受け、八重と柚葉は顔を見合わせ、双葉に向き直ってコクコクと小さくうなずいた。


「先方が御所望の期日は、二日後――柚葉、色々と思うところもありますでしょうが、松竹屋の代表として、貴女には今回の花魁道中とそれを御所望なされた、やんごとなき御身分の御方の御座敷をふんでいただきます――よろしいですね?」


 息を呑む柚葉。柚葉の緊張が八重にも伝わり、八重も思わず息を呑んでしまった。そして、柚葉は小刻みに震える手で三つ指をつき、


「わ……わわわわわかりました……ふふふ不肖、ゆゆ柚葉……ここここ此度の、おおお花魁道中……つっ、つつつ謹んでお受けいたしましゅ……」


 声を震わせ、うわずらせ、しまいには噛み噛みになってしまいながら、深々と双葉に向かって頭を下げた。そんな柚葉の様子に、そばの八重もなんとか力になってあげたいと、


「あ、あのぉ……わ、わたしでお力になれることがありましたらぁ……な、なんでも言ってくださいね、柚葉さん……」


 頭を下げた柚葉に、おずおずと声をかけた。

 なんとも美しき少女たちの友情である。だが、この場合、それがいけなかった。

 八重の一言を聞き、すかさず双葉が八重に宣告した。


「まあ、柚葉のためなら一肌脱いでくださるのですね? それでは、柚葉一人での花魁道中ですと、少々私も不安がありますので、今回は特例として八重さんも柚葉と一緒に花魁道中をしていただくことにいたしましょう」


 部屋の中に、沈黙がはしった。

 ぎりぎりぎりぎり……と、油の切れたからくり人形のように、首をきしませながら双葉の方へと向ける八重。

 そして――――、


「ふぇっ?! えぇええぇぇぇ~~~~~~~~~~~~っ!!!!」


 八重の魂の絶叫が、双葉の部屋のみならず、松竹屋中へと轟くことになったのであった。

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