第二幕ノ十六ガ結 安らかな寝顔――不安げな顔
「ふふっ……」
抱き合うようにして眠っている八重と柚葉を見て、母親が子に向けるような優しい微笑を浮かべる双葉。
中年の男との御座敷を終えた後、双葉は八重と柚葉に、今日は私の部屋でお眠りなさいとすすめ、最初は恐縮していた柚葉を八重さんもここで寝たのですからと無理矢理納得させて床につかせたのだった。八重に関しては、気疲れですでに船をこぎはじめていたので、そのまま布団に転がしたといった次第。
「今日は二人とも疲れたことでしょう。特に、八重さんは……」
眠っている八重の頬を優しくなでる双葉。う、うぅ~ん……と八重が声をもらすと、柚葉もそれに呼応して、う、うぅ~ん……と声をもらした。
「あらあら。二人は本当に仲良しになっているようですね」
ふふっ……と笑みを強め、窓のそばへと歩み寄る双葉。そして、窓の横に設けられた引き戸を開け、そとに添えつけられた
欄干からは、吉原の景色が一望できた。吉原はまだまだ盛りの時間。人ごみも多ければ、それに伴う喧騒も多い。若衆の呼び込み、それに応える客の声、遊女たちの嬌声――品のある松竹屋の客からすれば、下卑た程度の低い光景だそうだが、双葉はここからの眺めとここから感じる喧騒が好きだった。
「上品も下品も、どちらにせよ人間。それすらわからない者に、風流を語る資格なんてありません……」
その点、先生は生粋の風流人。柚葉をお気に入りになってくださったご様子で、本当によかったわ。
ふぅ、と安堵の息を吐き、双葉が欄干の手すりの手をかけた時だった。
(満ち足りた気分に浸っているところをすまんにゃ。ちょっと大事な話があるにゃ)
手すりにすとんっと降り立ってきたタマが双葉に問いかけてきた。
「いえいえ、お気になさらず――それで、どのような御話でしょう?」
(おみゃ~は長次郎を知ってるかにゃ?)
「長次郎……?」
唇に指をあて、その指をあごへと、つつ~~っとつたえ下ろしていく双葉。こいつは、いちいち動作が艶っぽいやつだにゃ。
「松田屋の若衆である、よごすの長さんのことですか?」
(うむ。そいつのことにゃ。おみゃ~は長次郎がどこから来たか知ってるにゃ?)
「いえ、残念ながら……。吉原では、過去の詮索は
(そんなことも言ってられないにゃ。その長次郎ってやつ、どうも怪しいにゃ)
「長さんが?」
怪訝な表情を浮かべる双葉。
「しかし……よりにもよって長さんのような人が……」
(その口ぶりだと、おみゃ~は長次郎の人となりでも知ってるにゃ?)
「ええ。長さんは、とてもやさしい人です。ですが少々、他の若衆の人より、その能力が劣っているせいで、良いように扱われているような可哀想な御方です。とても、今回の事件に関係しているとは思えませんが……」
ふぅ~~ん……と、タマは鼻を鳴らしながら、双葉の肩に飛び乗った。
(じゃあ、間違いなく、あの長次郎ってやつは怪しいにゃ。おみゃ~にも気づかれてないなんて、あいつが曲者である証拠にゃ)
「……? それは、どういうことです?」
怪訝な表情を浮かべる双葉に、タマはかくかくしかじかと説明した。
「そんなことが……」
愕然とした表情になる双葉。吉原のことは把握していたはずなのに……。その自負が間違っていたと知らされ、ショックを受けているようだ。
(まあ、そんなに気にすんにゃ~。こんだけ広い吉原にゃ。おみゃ~一人で何から何まで知ることなんて不可能にゃ)
すとんっ、と双葉の足元に降りて身体を双葉にすりすりするタマ。そして双葉を見上げながら、
(で、どうするつもりにゃ?)
「そうですね……」
空を見上げる双葉。今宵は三日月。雲一つない、一面の星空に三日月が浮かんでいた。
「明日、私が松田屋へと赴きましょう。それに、八重さんと柚葉も一緒に」
(うぅ~ん? 八重はまあわからんでもないけど、あの柚葉って娘も一緒に連れて行くにゃ?)
「ええ。柚葉は長さんといくらか親しいようですから」
(へぇ?)
柚葉の姿と長次郎の姿を思い浮かべるタマ。うむ。まったく不釣り合いにゃ。いったい、どういう接点があるにゃ。
まあ、ここで双葉に二人の関係を聞いても仕方なかろうと、タマは考えを捨て置いて双葉に言った。
(じゃあ、長次郎に探りをいれることは、おみゃ~たちに任せるにゃ。にゃんは、このまま蒼龍の屋敷へ行って長次郎のことを報告して、蒼龍に頼んで外から長次郎のことを調べてもらうことにするにゃ)
「わかりました。では、そのように……」
タマに深々と頭を下げる双葉。タマはというと、そんな双葉に目もくれず、さっさと欄干から飛び去って行った。
飛び去って行くタマの後ろ姿を見つめながら、双葉は誰にでもなく呟いた。
「もし、長さんが事件に関係があるのだとすれば……確かに吉原の禁忌なんて、言っていられないかもしれませんね」
双葉は星空の中に浮かぶ三日月を見上げ、大きく息を吐いた。その表情は、いつになく険しいものへと変貌していた。そして、喧騒の収まらない吉原の風景を背にし、部屋の中へと入っていくのであった。
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