第二幕ノ十六ガ上 お呼びがかり――双葉太夫の座


 夕闇が差し迫る時分――松竹屋の中は、お客たちのお出迎えの準備にドタバタ騒ぎの様相を呈していた。

 しかし、物置小屋の八重は、そんな騒ぎなどどこ吹く風、かなりの数の様々な物品の修繕をこなし、やっと終わりましたぁ……という安堵間の中、うつらうつらと座ったままにうたた寝を始めていた。

 そんな八重の舟をこいでいる姿を、双葉の言いつけで八重の元へとやってきた柚葉が微笑ましく見守っていた。

 ほんっと、八重さんって、とっても愛らしい人。なんだか起こすのが気が引けちゃいますが、仕方ありません。

 こほんっ、と軽く咳ばらいをし、柚葉は八重の肩を優しくさすった。


「八重さん――八重さん――」


 身体をゆすられ、ふぇっ? と我に返る八重。


「ふわ……ゆ、柚葉さん……?」


 寝ぼけまなこをこすりながら、あくび混じりの声をあげる八重。そんな八重の姿に、柚葉はいっそう声を優しくして八重に言った。


「お疲れのところ申し訳ありません。双葉御姉様が御呼びなので、よろしければ私と一緒に双葉御姉様の元へと御足労願えませんか?」

「ふぁ……ふぁい~……」


 双葉さんが……なんだろう。少しの不安を抱きつつも、八重はゆっくりと立ち上がった。それに続いて、柚葉もしとやかに立ち上がり、


「それでは、参りましょう」


 と、八重に向かって微笑みかけた。そして、八重を先導するように歩きはじめ、八重も柚葉の後ろにぴったりとくっつくようにして歩き始めた。

 松竹屋の玄関へと来ると、土間では禿かむろの幼女たちが右往左往の大騒ぎになっていた。もう少しで、お客をお出迎えする刻限である。禿たちは、必死になってお客をお出迎えする準備を健気におこなっていた。そんな禿たちのせわしない姿に、八重がいたたまれなくなって柚葉に聞く。


「あ、あのぉ……わ、わたしも、お手伝いしたほうが……」


 しかし、柚葉は平然とした顔と口調で、


「いえ、お気遣いは嬉しいのですが、あれもいわばお勉強なのでお手伝いは結構ですよ」


 八重の申し出を軽く一蹴した。

 柚葉の一言を受け、あ、あうぅ……と浮かない顔する八重に気づいた柚葉、慌てて八重に、


「あ、あのっ! 双葉御姉様はお急ぎでとのことですし、八重さんのお優しさとお気遣いは重々承知しておりますからっ!」


 はわわわわ! とフォローを入れていると、そんな二人の様子をたまたま見ていた紅葉あかねがゲラゲラ笑いながら二人に言った。


「あんたら、きゃぴきゃぴしてないで、早く双葉姉さんの御座敷にいかなきゃ! もうすぐ時間だよ!」

「は、はいっ! では、八重さん。参りましょう」

「は、はいぃ~」


 紅葉にせかされた形になり、急ぎ足で双葉の部屋の前へと向かう二人。そして、部屋の前へとつくと、部屋の障子戸の前で二人は座り、柚葉が障子戸を軽くたたいて中へと呼びかけた。


「双葉御姉様――柚葉でございます。八重さんをお連れいたしました」


 部屋の中から、お入りなさい、という双葉の優しい声が響いてきた。


「それでは、失礼いたします――――」


 柚葉が障子戸をあけ、八重に先に部屋の中へと入るよう促した。八重は柚葉の促しに従い、


「しっ、失礼いたしますぅ~」


 と、恐縮しているのか怯えているのか、いや、おそらくその両方であろう声をあげ、部屋の中へと入った。

 部屋の中へと入ると、八重は思わず、


「わぁ…………」


 感嘆の声をあげることになってしまった。

 それもそのはず、部屋の中央に座する双葉の姿を見れば、たとえ神であろうと、ため息を漏らすに違いない。

 艶髪つやがみを見事に結い上げ、絢爛豪華けんらんごうかな花魁衣装に身を包みながらも、そこはかとない気品を溢れさせたその艶姿あですがたは、まさに地に降り立った天照大御神アマテラスオオミカミ。圧倒的な美の化身が、部屋の中央にて鎮座していた。


「さあ、どうぞこちらへ」


 双葉の手招きに、まるで誘蛾灯ゆうがとうに誘われる羽虫のように、フラフラとした足取りで双葉の元へと歩む八重。そんな八重の千鳥足に、双葉が、ふふっと上品な笑みを浮かべる。


「そんなおぼつかない足取りでは危のうございますよ」


 双葉からそう言われ、はっ?! と我に返る八重。そして気恥ずかしさに顔を真っ赤にして、


「は……はいぃ~……」


 と、しおらしい声を出しながら、とてててっ、と双葉のすぐそばへと慌てて歩み寄った。さすがは、吉原一と名高い双葉太夫。その誘惑テンプテーションは、男女の性別など関係無い。地獄の鬼ですら魅了してしまうほどの力といえた。


「では、私の前へとお座りください」


 双葉から促され、ちょこんっと座る八重。八重が座ったところで、柚葉も八重の横へと歩み寄ってきて、そのまま八重の横へと座った。


「ご苦労様です、柚葉」


 ぞくっとするような会釈を柚葉へと向ける双葉に、柚葉も八重と同じように顔を赤らめながら、


「はっ、はは、はいっ!」


 声を裏返させて返事をした。二人の初々ういういしさに、双葉は、ふふっと艶やかな笑みを浮かべる。


「さて、私が貴女方をこちらに御呼びいたしましたのは、貴女方に、今日の私の座に同席していただくためなのです」


 これを聞き、真っ先に柚葉が驚嘆の声をあげた。


「わっ、わわわ私なんかが、双葉御姉様の御座敷に同席するなんてっ!! そそそそ、そんなこと、おおおお恐れおおございますっ!!」


 びたぁ~んっ! と、おでこを畳にこすりつけるほどに平伏する柚葉。きょとんとそれを見つめていた八重だが、いつもの悪いクセで、あぁ?! ひょっとして、わたしがまたいけないことをしちゃったんだっ!! と思い、八重もびたぁ~んっ! とおでこを畳へとこすりつけた。


「あらあら。二人とも、頭を御上げなさいな。それでは、瞳を見て御話ができません」


 くすくすと双葉が笑みをこぼすと、柚葉は恐る恐る平伏した頭をあげた。だが、八重は相変わらず平伏したままで、涙声になりながら、ごっ、ごめんなさいぃ! と謝り始めてしまった。そんな八重の頭に双葉の手が優しくかぶさった。


「さあ、八重さんも。頭をお上げくださいな」


 双葉はそう言いながら、八重の頭にかぶせた手を八重の頬へとすべらせた。そして、八重の頬を優しく持ち上げるようにして、平伏する八重の頭をあげさせた。


「八重さんが謝られることなど何もございません。心穏やかに、ね?」


 ニコリ、と母親のような優しい笑みを浮かべる八重へと向ける双葉。八重も、そんな双葉の笑顔に、ただただ黙ってうなずくことしかできなかった。


「それでは――御話をさせていただきます」


 双葉はそう言うと、八重の頬から両手を離し、はんなりとした所作で姿勢を戻した。そして、二人の瞳を真っすぐと見つめ(といっても八重は前髪ごしではあるが)、穏やかな口調で話し始めた。


「本日の私の御座敷に、二人をお呼びしたのはそれなりの理由がございます。まず、柚葉――――」


 双葉が八重から視線を外し、柚葉のみに視線を注ぐ。それに気づいた柚葉が、はいっ! と緊張気味に声をあげた。


「貴女は、明日から紅葉の代わりに御座敷に立つ身。ゆえに、貴女がちゃんとお客様の御相手が務まるかどうか、最後の確認をさせていただきたいと考え、貴女をここに招いたのです。わかりますね?」

「……はい」


 決意に満ちた表情で、ゆっくりと深くうなずく柚葉。それを見た双葉は微笑みを浮かべ、双葉もまた柚葉にうなずいて見せた。


「では、八重さん――――」


 双葉が柚葉から視線を外し、八重のみに視線を注ぐ。それに気づいた八重は、身体をぴくりと小さく震わせ、身体を小さくさせながら、


「はっ……はいぃ~……」


 と、しおらしい声をあげた。


「そんな、緊張なさらなくても結構ですよ。八重さんに関しては、私と柚葉が御客様とどのようにして接するのかというのを、ただ見ていてくださるだけで結構ですから」

「み、見ているだけ……ですかぁ……?」

「ええ。そうして、私達のやっていることをその目で見て、理解してほしいのです」

「りっ……理解…………」


 己に噛んで含めるようにつぶやく八重。そんな八重に、双葉は微笑みを浮かべながら、


「そう、理解してほしいのです。吉原に生きるということ――吉原から生まれ変わるということを――――」

「生まれ……変わる…………?」


 双葉の口から、八重が予想も想像もしていなかった言葉が出てきたことに、八重は面食らった。しかし、そんな八重のことなど露知らず、部屋の外から、


「双葉御姉様――――御客様が、お越しになられました」


 という幼い声が聞こえてきた。それに双葉はうなずきながら、


「御客様を、お通しなさい――――」


 と答える。部屋の障子戸が、控えめにゆっくりと開かれていく。果たして、これからこの部屋でどのようなことが行われるというのだろう? 不安な心持ちで、八重は開く障子戸を見つめるのであった。

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