第二幕ノ十 春姫の生家――蒼龍の違和感


「さて……あまり気乗りはしないけどねぇ……」


 蒼龍は目の前の屋敷を見つめながら、ふぅと嘆息をした。

 ここは江戸の一角にある、武家屋敷。今回犠牲となった春姫の生家――武藤家むとうけであった。

 なぜ蒼龍が武藤家に来たかというと、それは情報収集のため。父である北条玄鬼と、武藤家の現当主とは長い仲らしいが、蒼龍との付き合いは一切なかった。なので、こうして武藤家におもむき、何か事件の参考になることでもあればと赴いたという次第。


「おそらく、武藤殿は春姫が今も大奥で務めをはたしていると思っているだろう。あまり突っ込んだ話をして、妙な疑念を持ってもらわぬように注意しなきゃいけないね」


 自らにそう言い聞かせて自戒し、武藤家の玄関へと入る蒼龍。


「すみません。約束をしていた北条ですが――――」


 蒼龍が声をあげると、廊下の奥から女中が現れ、蒼龍に対して三つ指をついてお辞儀をした。


「お待ちしておまりました、北条様。ご主人様は奥にいらっしゃいます」


 ありがとう、と女中に言い、蒼龍が草鞋を脱いで廊下の奥へと歩もうとしたところで女中が身体を起こし、立ち上がって蒼龍を屋敷の主のいる部屋の前へと案内した。

 部屋の前へときたところで女中は、それでは、と言い残しその場を去っていった。さて、お会いすることにしましょうか。


「武藤殿。お入りになってもかまいませんか?」

「うむ――どうぞ、入られい」


 相も変わらず威風堂々たる御声だことだ。それゆえ、なおさら気が進まないなぁ。武人の嘘をつくってのは、本当に気が進まないものだね。

 相手に悟られぬように小さくため息をつき、蒼龍は障子戸をあけた。

 部屋の中にいたのは、その声に相応しい、筋骨隆々たる見事な体躯をもった、一人の男。正座しているだけで絵になるような、見事な武人であった。着ている着物は質素なれど、いや、質素だからこそ、余計に絵になるのかもしれない。

 蒼龍は武藤に軽く会釈をし、武藤の前へと腰を下ろした。蒼龍が腰を下ろすと、武藤はそのいかつい顔立ちをほころばせ、嬉しそうな口調で言った。


「これは珍しいことだ。北条殿の御子息が一人で我が武藤家の敷居をまたいだことなど、一度もなかったでな」

「おや、そうでしたか?」

「ああ、なかった。いつも父上と御一緒であられたからな。ところで、父上はご健勝であられるかな?」

「ご健勝もご健勝で、少しは落ち着いて欲しいくらいですねぇ」


 困ったものですと頭を掻いて見せる蒼龍に、武藤は快活な笑い声をあげていたが、すぐにその笑い声を引っ込めて気難しい顔へと変貌させた。


「ゆえに、私は蒼龍殿の御訪問について、忌憚きたんないことを言わせてもらえれば、あまり好ましくないような事情があるのではないのかと邪推をしているのだが――いかがかな?」


 さすがは父上の御友人というだけあって、鋭い方だ。だが、ここは嘘を貫き通させてもらう。


「さすがは武藤殿。御慧眼ごけいがんの持ち主であらせられますな。確かに、僕が武藤殿を御訪問させていただいたのには少々わけがありましてね――それは、武藤殿の御息女であらせられる春姫様のことです」

「お春――いや、今は春姫か。それで、春姫がどうかいたしましたかな?」


 ジロリと警戒心を露わにして蒼龍を睨む武藤。


「いえ、春姫様がどうかしたということではありません。ふむ、そうですな――失礼を承知でお聞きいたしますが、武藤殿はここ最近のうちに春姫様から文をもらうようなことはございましたか?」

「いや? それが?」


 と、いうことは、やはり春姫が言っていた、やんごとなき理由というのは、武藤殿の関知することではなかったらしい。とすれば、ここに長居をしても大した情報は得られぬだろう。気は進まないが、例の一件をダシにこの場から去らせてもらうとしようかな。


「それならばよかった。ここだけの話でございますが、どうやら将軍様がとても春姫殿に御執心らしく、いずれ春姫殿を側室にしたいというようなことを父に漏らしていたそうなのですよ」

「ほう!! それはそれは、お春の奴も――あ、いや、春姫も実に喜んでおることだろう!! もちろん、私もだが!!」


 思いもよらぬ吉報を受け、快活な笑い声を響き渡せる武藤の姿に、蒼龍の心がチクリと痛む。そしてまた、蒼龍は心の中で誓った。必ずや、春姫及び四人の遊女を殺した下手人を必ずや仕置きしてみせると。


「ただ、この話は極秘のことで、もし春姫殿が将軍様からそのことをお聞きになって身に余る光栄やれ嬉しと武藤殿に文でもしたためておられたら、今後のことを考えたらあまりよろしくないと思い、失礼ながらそのことを直接武藤殿へ確認させていただきたかったという次第なのですよ。なにせ、大奥は色々と権力争いが盛んな場所でございますからね」

「うむ。確かに。蒼龍殿の仰られる通り。いやはや、わざわざそのような手間をかけさせて、面倒な役回りあいすまぬことでしたな」

「いえいえ、これも御役目のうちですから――おわかりかとは存じますが、今の僕の話は――――」

「無論。他言はいたしませぬ」


 それはよかった、と蒼龍は微笑みながら口にし、軽くお辞儀をして、


「それでは来て早々ではございますが、僕はこれにて」


 と言って立ち上がった。だがその時、ふっと蒼龍の記憶が、蒼龍に違和感をもたらした。そういえば……。記憶の糸を手繰る。そして、記憶の糸の先についていた違和感の元を、武藤に対してぶつけた。


「ところで――武藤殿の御子息はご健勝でしょうか?」


 そう、この武藤の家には春姫の他に、春姫の兄である季長すえながという息子がいたはずであった。しかし、一見したところ、季長がこの家にいるような気配や雰囲気がまるでない。それが蒼龍の感じた違和感の元であった。


「ああ……そうでしたな。我が愚息の一件、玄鬼殿にはまだお伝えしておりませんでしたな」


 部屋の中の和やかだった雰囲気が一変した。武藤の怒りの念が、武藤の全身から発散されているのを、蒼龍はその身でひしひしと感じられた。いったい、どうしたというのだろうか。そして武藤は、忌々し気に、吐き捨てた。


「あの愚か者は死にました――もう、この世にはおりませぬ」

「死んだ……? それはそれは……失礼なことをお聞きしてしまい……」


 いえいえ、お気遣いなくと漏らす武藤の表情は、明らかな怒りの色に染め上げられていた。

 さてさて、これは妙な話になってきたようだね。武藤殿のような義理堅い御人が、御自分の御子息――それも跡取りが死んでしまったというのに、そのことを僕の父上に話をしないなんて、そんなことがありえるはずがない。とすれば、武藤殿の息子が死んだという言葉は額面通りに受け取るわけにはいかないようだ。

 かといって、ここで武藤殿にそのことを問いただしたとしても、武藤殿の態度から考えてまともな答えが返ってくることもまたありえない。ここは一旦、素直に引き下がるが上策のようだね。


「さようでございますか……父が帰ってまいりましたら、いの一番に武藤殿ところへ馳せ参じるようにと御伝えしておきます」

「……御心遣い、痛み入ります」


 深々と蒼龍へと頭をさげる武藤。しかし、それはカマをかけた蒼龍からすれば、なんとも判断の難しい行動であった。

 もし、御子息が生きているとするならば、武藤殿の性格から考えて、御子息は勘当にでもされたに違いない。跡取りを勘当してしまうなど、武藤殿ほどの武人ならばこれ以上ないほどの恥辱ちじょくなはず。それを親友とも言うべき父上に知られてしまうとなれば、武藤殿のこと、きっと余計な心配は無用と吐いて捨てると思ったのだけど、素直に父上が来ることを拒まないところを見ると、本当に御子息は亡くなられてしまったのか? 何か、ひっかかるな。

 蒼龍の心の中に疑念の花が降って湧いたように花咲いた。しかし、それを臆面に出してしまうような蒼龍ではなく、それでは、失礼いたしますと平静を装って蒼龍は武藤の部屋を後にした。

 さて……あまり褒められたやり方ではないけど、こういう時にはそういうからめ手が一番即効性があるものさ。玄関へと続く廊下を歩きながら、何かを探すようにきょろきょろと視線を動かす蒼龍。

 そして、玄関へと着いた時、蒼龍が探していた人物が蒼龍の前へと姿を現した。先ほどの女中である。まだ若く、おそらくは二十の齢に達したくらいであろうか。それなりの器量よしで、控えめで従順そうな雰囲気をたずさえている。


「御帰りでございますか?」


 遠慮深げに聞いてくる女中に、蒼龍は身体をぐっと近づける。えっ?! と困惑の表情を刹那浮かべる女中であったが、蒼龍の整った端正な顔立ちに思わず伏し目になって頬を赤らめた。どうやら、脈がありそうだね。


「よかったら、君の名前を聞かせてもらえないかな?」

「えっ……? は、はい、あの……小夏こなつ……と、申します……」


 消え入りそうな声で、頬を染めながらしどろもどろになって答える小夏。そんな小夏に追いうちをかけるように、蒼龍は互いの身体が触れ合う寸前のところまで小夏のそばへと寄って、耳元で囁いた。


「小夏――か。うん、とても愛らしい名だ。小夏、君はきっととても働き者で、皆から好かれてるいるのだろう? 器量もいいし、先ほど僕を迎えてくれた時も、実に丁寧な所作事だったよ。それに君のこの手――まるで天鵞絨ビロード細工のように繊細で、綺麗な手だ」


 つつぅ~っと小夏の手の甲を、蒼龍が優しく撫でる。小夏はびくりっ! と身体を震わせたが、心なし潤んだ熱っぽい瞳を蒼龍へとむけていた。もう、小夏は蒼龍の術中にはまってしまっていた。


「小夏さえよければなんだけど、今度、僕の屋敷へと御足労を願えないかな? 君とは一度、ゆっくりと御話をしてみたいんだ」

「そっ、そんなっ……! 私などが――――!!」


 いけないことです! 御身分が違いすぎます! と必死に自分に言い聞かせて、蒼龍の誘いをなんとか流そうとする小夏だが、それはあくまでも詭弁であることは明白。いつの時代も、少女はシンデレラストーリーに憧れているものだ。そのチャンスが目の前に来て、それを本心から断れる少女などいるはずもない。


「さあ、これが僕の屋敷の場所を記した地図さ。裏口の鍵は、いつでも外してあるからね。待ってるよ――――小夏」


 蒼龍は懐から地図を取り出し、小夏の袖口に滑り込ませ、トドメと言わんばかりに小夏の耳に、ふうっ、と軽い吐息を吹きかける。ヘナヘナ……とその場に座り込んでしまう小夏を尻目に、蒼龍は振り返りもせずに武藤家の玄関から出ていった。それがまた、小夏の心理に有効であると、知っていたからこその立ち振る舞いであった。これで、よし。後は、小夏が屋敷に来た時に、武藤家の内情を聞けばいいだろう。ひょっとすると、思わぬ収穫だったかもしれないな。

 武藤家から出て、その外観を眼を細めて見つめる蒼龍。さっきの僕の振る舞いを、もし凛にでも見られでもしたら、狂ったように激昂するだろうな。破廉恥です!! 不埒です!! ってしばらくの間ずっと責められるに違いない。

 ふふっ、と苦笑いを浮かべる。だけどね、そういう汚い方法を使ってでも御役目を果たすのが、僕達――公儀御庭番なんだ。例え、どのように人から非難されようとも、御役目のためなら――いや、被害にあった人たちの無念を晴らすためなら、泥をかぶることも下衆になることも厭わない。それが僕達――妖怪仕置き人なんだよ。

 いつかはあの御堅い義妹もわかってくれるのだろうか。いや、わかったところで、あの義妹はそれでも信念を曲げないのだろうな。

 まったく、困ったものだ。

 だが――――そのほうが、凛らしくていい。そのほうが妖怪共の醜さや心の闇に打ち勝てるようになるに違いないだろうから。

 未熟で血気盛んで正論好きの純情な義妹を思い浮かべ、蒼龍はその表情をほころばせながら屋敷への道程を歩いていくのであった。

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