第二幕ノ二 手の届かぬ場所での事件――現れる適任者


「さぁ、どうぞっ♪」


 楓の部屋の中に座っている面々の前に、楓が袖の中からキンキンに冷えたお茶を取り出して置いていく。

 それを、ああ、すみません。どうも。ありがとうございます。と当たり前のようにお礼を言って受け取る三人。もう凛でさえ、楓の奇行にツッコむ気を無くしていた。まあ楓自身、もうツッコんでくれないことに慣れてきたらしく、すました顔で、


「それでぇ、お話っていうのはなぁにぃ?」


 と、蒼龍に話を促す。


「実はですね、最近、吉原の方で妙な事件が頻発しているのですが――そのことについて、皆は何か知っているかい?」

「ふぅ~ん? 楓さんは知らないわねぇ」

「私も存じ上げません」

「皆に同じですね」

「ふむ。じゃあ、まずは事件のあらましから説明することにしようか」


 前に置かれたお茶を手に取って飲む蒼龍。ふぅ。よく冷えていますねと言いながらお茶を置き、話を続ける。


「まあその前に――そもそも論として、吉原がどんなとこくらいは知っているよね?」

「そりゃあ、知ってまさぁ。吉原といやぁ野郎共の桃源郷である遊郭が名高く、そこにいる遊女や花魁おいらんはただ艶やかなだけでなく古今東西の風流にも通じた粋人すいじんでもあり、その最たる遊女は双葉太夫ふたばだゆうって呼ばれてる絶世の美女――――」


 熱く語る煉弥に、つららのような冷たさと研ぎ澄まされた刀の切っ先のような鋭さを併せ持った気配が襲い掛かった。煉弥がおそるおそるその気配を感じた方向へと目をやると、凛が視線だけで人を殺せそうなほどの強烈な目つきとなって煉弥を睨んでいた。


「な、なんだよ?」

「……やけに、詳しいのだな?」


 不穏な空気を察した楓と蒼龍。これはおちょくってやらねばなるまいと、楓が、


「そうねぇ。なんだかやけに詳しいわねぇ♪ ひょ~~っとしてぇ、楓さんが知らない間にレンちゃんってば、吉原通いをしてたのかしらぁ♪」

「なっ?! そんなわけないでしょうが!! そもそも行きたくても、そんな銭がねえし――――」

「……行きたくても?」


 煉弥の言葉尻を捕らえた凛が、さらに厳しい目つきとなって煉弥に言う。


「こ、言葉のあやだ!! 一々つっかかってくんじゃねえよ!!」

「そうよぉ、リンちゃん――そんなにレンちゃんが吉原に行くのが嫌なら、リンちゃんがお相手をしてあげればいいじゃなぁい♪」

「はっ?! ふっ、ふふふふふふざけたことをおおおおお仰らないでくださいませッ!!!!」


 顔をゆでだこのように真っ赤に染め上げ怒号する凛。


「あらぁ? 嫌なのぉ?」

「いいいい嫌――と、いいいいいますか、そっそそそその、もっももも物事にににには、じゅじゅじゅ順序というものが…………」


 わたわたとする凛を見て楓が煉弥に、脈アリよぉ♪ とパッチリとウィンクをしてアイコンタクトを送る。そんな嬉しそうな楓に、まあ、あんまりからかわんでやってくださいよ。と煉弥は楓に肩をすくめてみせた。


「……盛り上がってるところ申し訳ありませんが、話を続けてもいいでしょうか?」

「あらぁ、ごめんなさぁい♪」


 ゴホンッ! と咳払いをして仕切りなおす蒼龍。凛もそれに便乗して、ごっ、ゴホンゴホンッ!! と二度咳払いをしてなんとか平静になろうと努めた。


「それでその吉原でね、最近ちょっと妙な事件が頻発してるんだ。事の始まりは三週間前くらいかな。吉原の入り口に、全身の血を抜かれた若い遊女の死体があがったんだ」

「全身の血を――ですかい?」

「ああ、そうさ。検分をした役人と後に遺体を確認した医者がそう言っていたから間違いないと思うよ」

「なんと……奇怪な……」


 ゴクリ……と息をのむ凛。


「こんなことを言うと凛が憤るかもしれないけど、この事件が発生した当初は、この事件は奇怪なことは奇怪だけど、それにも関わらず御上は最初はなから詮議をするつもりなんて毛頭なかったんだよ」

「それは、なにゆえでございますか?」

「被害者が遊女だからさ。たかが遊女一人死んだくらい、大したことねえって御上は思ってるんだよ」


 覚めた口調で横やりを入れてきた煉弥に、なんだとっ?! と凛がくってかかろうとする。それを蒼龍が凛に向かって手をあげて制して、話を続けた。


「たしかに、煉弥の言うとおりだね。でも、その答えだと、半分正解と言ったところかな」

「では、残りの半分ってのはどんな理由なんですかい?」

「事件の現場が吉原だからさ。吉原っていう場所は、言うなれば治外法権みたいな場所でね」

「治外法権――ですか?」


 凛が納得いかないといった様子で首をかしげる。


「そうさ。あそこは御上公認の色町といった場所だから、そこにいる人たちもそれ相応の自負心というか誇りを持っていてね。だからこそ、吉原の問題は吉原で、というような暗黙の了解のようなものが御上と吉原の間にあるんだよ」

「誇り――ですか」


 ますます納得がいきませぬ。憮然とした面持ちの凛に対し、楓が珍しく真面目な口調で凛を諭し始めた。


「いい、リンちゃん。たとえどんな仕事であろうとも、どんな生き方であろうとも、人には絶対にゆずれない誇りというものがあるのよ。そういう人の誇りがリンちゃんに理解できないかもしれないし、これからも理解することができないかもしれないけど、だからといってその人たちの誇りを否定しちゃだめ。その誇りを否定するということは、その人の全てを否定することにもつながっちゃうのよ。他人から、自分の全てを否定される――これほど苦しいことはないわ。だから、いい、リンちゃん――決して、人の誇りを否定しちゃダメよ」


 予想もしなかった楓の一言に、刹那キョトンとした表情を浮かべる凛であったが、すぐに楓が言わんとすることの意を察し、押し黙った。なんという、愚かなことか、深く自省をせねばならぬ。


「まあそんなわけだから、吉原で問題が起こった時に外部の人間が口をだすことを、吉原の人達は蛇蝎だかつの如く嫌うのさ。もし、将軍様が直接出向いたとしても、協力を拒むんじゃないかってほどにね」

「そりゃあまたなんというか……すげえ心意気ですねぇ……」


 へぇ~~……と感嘆の声をあげる煉弥。そんな煉弥に、まったくだ……と凛も続く。すると、楓が蒼龍に向かって斬りこむかのような鋭い一声を浴びせた。


「でも、タッちゃんがここにその話を持ってきたっていうことは――吉原の事件が、吉原の人間だけには任せておけないような事態に進んでいるってことよねぇ?」


 楓の言葉に、ゆっくりと深くうなずく蒼龍。


「楓殿のおっしゃる通り――いや、楓殿の御推察以上に、事件はやっかいな展開を見せはじめたんですよ」


 それはもう頭を抱えたくなるくらいですよとつぶやきながら、蒼龍が頭を右手で押さえて見せた。その表情には、大きな困惑の色が浮かんでいた。


「タツ兄がやっかいってえ言うくらいだから……ほんっとうにやっかいそうですねぇ……」


 いや~~~な予感にしかめっ面を浮かべる煉弥。だがその横で、ひょっとしてついに私の初仕事かしらんと、爛々と目を輝かせる凛が蒼龍に話の続きを促した。


「して、その厄介な展開というのは?」

「事件が一度で終わらず、今日までに五人もの遊女が同じように血を抜かれて死んでいたのが吉原で見つかったんだよ」

「そんなにですかい? それにしちゃあ、まったくもって町の中に噂がたっちゃいやせんね?」

「その理由は簡単明瞭さ。吉原の人達が事件を隠しているからだよ。そんな奇怪な事件が吉原で起こっているとなれば、吉原への客足が遠のいてしまうだろう? それに、先ほども言ったように、吉原の事件は吉原の人間が解決するっていう、吉原の人達のかたくなな思いもあるからね」

「それはそうかもしれませぬが、場合が場合ではないでしょうか?」

「うん。そうだね。凛の言う通り――いや、凛の言うような意味とはちょっ違うけど、今回の事件はまさに場合が場合っていう事件になってしまってね」


 やれやれ……と言った様相で両手を大きく広げて見せる蒼龍。そして大きくため息をひとつついた後、苦々し気に言葉を続ける。


「こう言っちゃなんだけど、被害者が全員遊女で、なおかつ吉原の中で起こっている事件だから、御上や僕たちの出る幕じゃない。吉原の自浄作用で何とかしてもらうしかない事件だ。でもね――五人目の被害者っていうのが実に曲者でね」

「曲者ぉ? ひょっとしてタッちゃん、その五人目の遊女とは顔見知りだったりするのかしらぁ?」


 うふふぅ♪ とキツネ目細めて悪い笑顔を浮かべる楓に、蒼龍が真面目な顔で切り返す。


「ええ、顔見知りです――僕だけじゃなく、将軍様も、ね」


 この蒼龍の衝撃的な一言に、蒼龍以外の三人は、虚を突かれて鳩が豆鉄砲をくらったようなマヌケ面を浮かべてしまった。だがすぐに、おっほんっ! と声をあげてなんとか気を取りなおした楓が蒼龍に問う。


「ええっとぉ……よかったら、わかりやすく説明してくれないかしらぁ、タッちゃん?」

「ええ、そうさせていただこうとは思っていますが、僕も少々困惑していましてね……」


 渋面を浮かべる蒼龍に煉弥が、


「まさか、将軍様がお忍びで吉原行脚ってわけじゃありやせんよね?」


 と、いつもの軽口をたたいてみせる。それを凛が、キサマは少し黙っていろと睨みをきかせ、へいへい……と煉弥が素直に黙って答えとした。


「もちろん、そんな事実はないよ。それに、僕だって吉原通いなんてしたことはないね」

「じゃあ、どうしてその五人目の被害者のことを将軍様やタッちゃんが知ってたのぉ?」

「それがですね……その五人目の被害者の死体が吉原にあがったとき、吉原にいる知己から連絡がありましてね。また死体があがったが、今回の死体に関して不審な点あり――ゆえに、至急吉原までご足労請う、という連絡です」

「吉原にいる知己というと――あの娘のことぉ?」

「ええ、彼女です」


 顔を向け合い、互いにうなずきあう楓と蒼龍。


「タツ兄と楓さんに、吉原の知り合いがいたなんて初耳ですな」


 いぶかしげな顔をする煉弥。


「まあ、色々とあってね。ゆえあって彼女の名前は明かせないけど、信用に足る人物であることは僕が保証するよ。なんていったって、ココノエの――僕の妻の親友だからね」

「それに、元特忍組なのよぉ」


 そうなんですかと、煉弥は納得したようにうなずいた。


「彼女が吉原にいるからこそ、吉原で事件があっても、御上の心の底がどうかは知らないけれど、少なくとも僕は吉原のことは吉原で解決するっていう方針には賛成してたわけさ」

「よほど、その御方を御信用なされているのですね、蒼龍様は」

「当然だろう。妻の――世で最も愛しい者の親友を信用しない良人おっとなんているわけないだろう」


 蒼龍に真っすぐに見据えられながらそう言われ、凛はなぜだか自分が恥知らずな質問をしてしまったかのような思いにかられ赤面し、蒼龍から目をそらしてしまった。目をそらした先には、煉弥が普段浮かべることのない真面目な表情をして蒼龍を見つめている姿があった。そして、凛はますます赤面してしまうことになってしまった。それに気づいた煉弥が凛に、


「うん? どうした?」

「な、なんでもないっ……」


 変な奴だなと首をかしげる煉弥。ほぉ~~んと、鈍感なんだからぁ♪ とキツネ目細めて笑う楓。


「それで、タツ兄はその人からの報告を受けて、吉原へと出向いたってわけで?」

「そうさ。そして彼女から事情を聞いたわけだね。彼女が言うには、四人目までの被害者は全員吉原の遊女で間違いないけど、五人目の被害者については吉原の遊女ではないっていうんだ。彼女は言うなれば、吉原の生き字引のような人だから、彼女が遊女じゃないというのなら、間違いなくそうに違いない。そこで彼女は嫌な予感を感じたらしく、それで、彼女は御上に話を通す前に、まず僕に五人目の被害者の遺体を検分してほしいと連絡してきたってわけさ」

「ふぅ~~ん……あの子がわざわざタッちゃんをご指名してきたっていうことは、やっぱり、それ相応の事態だったってわけねぇ」

「ええ、その通りです。吉原で彼女に会うと、なにはともあれ早速遺体の検分をはじめようという流れになりました。そして、遺体が安置されている物置に入って、遺体にかけられていた茣蓙ござをめくった時の衝撃といったらなかったよ――だって、その遺体は、最近大奥の中で将軍様のお気に入りとされ、やがては側室になるであろうと噂されていた春姫その人だったんだからね。遊女のような格好をしていたけど、あれは間違いなく春姫さ」

「はぁ?!」

「なんですってッ?!」

「あらあらまあまあ……」


 三者三様の驚きの声をあげる三人。次いで、室内に流れる沈黙。それを破るは、老獪なる女狐の一声。


「大奥と吉原なんて、これ以上ないほどの水と油な関係じゃなぁい? ねえタッちゃん。一体全体、どうなってるのぉ?」

「それが僕にも何がどうなってるのか、まったくもってわかっちゃいないんですよ。わかっているのは、二つだけ。死体は間違いなく春姫であったことと、春姫が一週間前に大奥の御年寄おとしより(大奥の万事を取り仕切る最高権力者のこと)に、やんごとなき理由があって一か月ほどいとまをいただくことはできないかと相談をしていたことです」

「それで、その春姫様の暇の願いは聞き入れられたのですか?」


 凛の問いかけに蒼龍がうなずいて見せる。


「普通はそんな突然の願いを聞き入れるほど、大奥の御年寄は優しくないんだ。でも、その時の春姫のあまりにも深刻そうな様子と、春姫が後に将軍様の側室になるかもしれないという立場から鑑みて、一つの特例として許可を出したそうだよ」

「そして――その一週間後に、吉原で死体となっていた?」

「煉弥の言う通りさ。まったく、頭が痛いことこの上ないよ。もしこれが大奥や御上の連中の耳に入ったとしたら、きっと江戸城はとんでもない騒ぎになってしまうこと請け合いさ。その点、彼女は色々と承知してくれていたみたいで、春姫の遺体の検分が終わった後、遺体を秘密裏に処理してくれたよ。つまり、春姫は行方不明になったという形になったわけだね」


 やれやれ……と肩をすくめる蒼龍に、ちょっとお待ちをと凛がくってかかる。


「御言葉ですが蒼龍殿――それだと、春姫という方があまりにも御不憫ごふびんではありませんか?」

「言いたいことはわかるけどね、凛――じゃあ、春姫が吉原で全身の血を抜かれて不審死しましたなんて、大奥や将軍様にご報告をすればどうなるかくらい、君にだってわかるだろう?」

「で、ですが――――!!」


 不条理に憤る凛を、楓が手で制す。そして、凛の目を真っすぐに見つめ、


「だから、特忍組がいるのよぉ。春姫ちゃんの無念――特忍組が晴らしてあげなきゃ、それこそ春姫ちゃんが浮かばれないわぁ。それに、春姫ちゃんの前の被害者の遊女たちも、ねぇ」


 この楓の言葉に煉弥も、


「そうですね。だからこそ、俺達がいる」


 と、追従してみせた。二人の応酬に、さしもの凛も素直に黙って引き下がって幕とした。ただ、凛も頭の中で蒼龍らの言うことの理解はできるのだ。だが、理解ができることと納得ができることはまた別の話である。いずれは納得が出来る時がくるかもしれぬが、果たしてそれがいいことなのかどうかは誰にもわからぬことだ。


「うん、心強い言葉だね。それじゃあ、今回の仕事は煉弥に一任を――――」


 そこまで蒼龍が言葉を出したところで、凛が、


「お待ちくださいッ!!」


 と、切れ長の目をさらに鋭くさせながら大声をあげた。虚をつかれた形になった蒼龍が、目を丸くしながら凛に言う。


「ど、どうしたんだい?」

「そろそろ私にも、何か一仕事をさせてはいただけないのでしょうかッ?!」

「だしぬけに何を言い出すんだよテメェ! テメェの腕じゃまだ無理だ!!」

「なんだとッ?!」

「そうねぇ。リンちゃんってば、まだ楓さんに触れることすらできていないでしょぉ?」


 楓から痛いところを突かれ、うぐぐ……!! と黙り込む凛。そんな凛を、蒼龍が優しく諭す。


「時がくれば、ちゃんと凛にも一働きしてもらうから、今はまず己の身を守れるくらいまでは強くなれるよう、楓殿にしっかり鍛錬してもらうんだよ。いいかい?」

「…………はい」

「そうよぉ、リンちゃん。まずは自分を守れるくらいまでにはならなきゃダメよぉ。リンちゃんが早くそうなれるように――楓さんが、しっぽりとお手伝いしてさしあげますからねぇ♪」


 両手をいやらしくわきゃわきゃ動かす楓に、凛はなにやら背筋にうすら寒さを感じつつも、


「あ、ありがとうございます……」


 と、深々と楓に頭を下げた。それを見て、よし、話を進めてもよかろうと煉弥が蒼龍に、


「で、俺の今回の仕事ってのは、その五人の遊女――いや、一人は違うか。まあともかく、五人の女の血を抜いて殺した下手人の捜索兼仕置きってとこですかね?」

「煉弥も先走っちゃいけないよ。僕の話はまだ途中だったんだから、最後まで言わせてほしいね。今回の事件は煉弥に一任をしたいところだけど、そういうわけにはいかない事情があるって言おうとしてたのさ」

「どんな事情で?」

「さっきも言ったけど、事件が起こった場所は吉原だ。となると、よそ者が吉原で事件の捜査をしようとしても、吉原の人達が協力してくれる可能性はゼロに等しいね。ひょっとすると、妨害すらしてくるかもしれない」

「そいつぁ難儀な話ですなぁ……」

「だろう? それに、今回の事件の解決には時間制限のようなものがある。春姫が大奥に暇を出している期限は一か月。それから今八日経っているわけだから、残りの二十二日の間に解決のめどをたてなくちゃいけない」


 蒼龍のこの言葉に、凛が首をかしげる。


「なぜ、春姫という方の暇の期間中に解決をしなければならぬのですか?」

「今後のことを考えて、だね。もし、このまま事件が続いていくと、さしもの治外法権の場とはいえ、御上も腰を上げなければならなくなる。すると、そこで春姫のことがバレてしまう危険性があるわけだね。そうなると、どうして春姫のことを隠していたんだと、将軍様が憤慨なされることは必定だ。将軍様は聡明な方ではあるが、やはり人間である以上、激昂なされると、とんでもないことを言いだすかもしれないからね。吉原を取り潰してしまえなんて言い出してしまわれると、ちょっとしたいくさのようなものが起こってしまうかもしれない」

「戦……ですか?」

「そう。吉原と御上の間でね。そうなると、彼女も吉原側に立つだろうから、僕としては彼女とココノエが敵同士になってしまうなんていう悲劇は見たくないからねぇ」


 そうねぇ。と楓もうなずく。


「それと、もう一つ。どっちにしろ、大奥には春姫は行方不明になったという嘘をつかなきゃいけないわけだよ。どうせ嘘をつくのなら、全ての真実を知った上で、嘘をつきたいとは思わないかい?」

「……そうですね」


 凛はそう呟くと、複雑な表情を浮かべてため息を吐いた。それが、せめてもの供養か。


「というわけでだね、今回は正攻法で攻めるわけにはいかないわけだよ。からめ手を使わなきゃいけないね」

「からめ手、ですかい?」

「なぁ~るほどぉ。吉原への潜入捜査ってわけねぇ?」

「そういうことです――ですが、それをやるにも問題がありまして……」


 頭をかく蒼龍。


「問題っていいやすと?」

「人材だよ。吉原へ潜入し、二十二日以内に真相をつかめれるような人材が、江戸に残っている特忍組連中の中にいないんだ」

「そっかぁ。ココノエはまだ蝦夷えぞだったかしらぁ?」

「ええ。父上と蝦夷に行っております」


 う~ん……とうなる蒼龍と楓。そんな二人に煉弥が、


「タマとオオガミはどうなんです?」

「煉弥――それ、本気で言ってるのかい?」


 蒼龍にジロリと睨まれ、すんません。と煉弥が大きい身体を小さくした。


「リンちゃんもダメだしねぇ」

「なにゆえでしょうか?」


 凛がわずかに非難の色を瞳ににじませながら、楓に言う。


「リンちゃんは有名人すぎるから、目立ちすぎて、潜入なんてできるわけがないわよぉ。それにリンちゃん、一つ聞いておきたいのだけどぉ――吉原に潜入するってことはぁ、ひょっとすると、夜伽の御相手をしなければならないかもしれないのよぉ? リンちゃんに、見ず知らずの相手にお金で破瓜を散らしてもいいっていう覚悟があるのなら別だけどぉ」

「はっ?! そそそそそそそれは――――」


 顔を真っ赤にする凛の横から、


「んなことぜってぇ許せませんねぇっ!!!!!」


 煉弥の怒号がはじけ飛ぶ。突然の怒号に押し黙る三人。だがそれぞれの表情は、三者三様であった。

 春だねぇと優しい笑みを浮かべる蒼龍。

 あらあら♪ じゃあレンちゃんがリンちゃんの破瓜を散らしてあげなさいなぁ♪ と意味深な笑みを浮かべる楓。

 よ、よけいな横槍をいれてくるな……と素直じゃない心持ちで顔を赤くする凛。

 煉弥は、三人が浮かべるそれらの表情をぐるりと見まわした後、尋常ではない気恥ずかしさが津波のように押し寄せてきて赤面した。なんて、マヌケな言葉を口走っちまったんだ。


「……すんませんでした」


 かろうじて謝罪の言葉をしぼりだし、いじけるようにしゅ~~んと身体を思いっきり小さくする煉弥。そんな煉弥の様子を見て、心優しい義兄が助け舟をだしてやった。


「まあ、僕も煉弥の言葉に同意だね。悲劇の女剣士、その美貌を活かして驚愕の遊郭入りか?! みたいなかわら版なんか僕は見たくないからねぇ」


 そうねぇそうねぇ♪ 弾むような声を出す楓。当の凛はと言えば、何か言いたそうな顔をしていたが、これ以上口をはさんで話を横道にずらすのも非礼であると、ぐっ、と言葉を飲み込んで蒼龍に話を促した。


「し、しかし……お二方のおっしゃりようだと、今のところ、手の打ちようがないという風に聞こえなくもないのですが」

「歯がゆいけど、凛の言う通りだね。見た目だけで言えば潜入できそうな人材はそれなりにいるけど、じゃあその者たちが吉原で聞き込みができそうかと言われると、ちょっと心もとないんだよねぇ」

「そうねぇ……楓さんも見た目だけなら心当たりが何人かいるけど、見た目が良い分、お客の相手に四苦八苦させられてとても聞き込みなんかできそうにないものねぇ」

「そこなんですよ。理想的なのは禿かむろ(下級遊女よりさらに下の見習いの少女)として潜入できる人材がいい。禿ならば、客の相手をしないですむからね。そうなるとタマかオオガミかってなるのだけど、禿の一日は相当しんどい我慢の連続だからねぇ。畜生二匹には我慢のがの字もないだろう?」


 うんうん。と深くうなずきあう煉弥・楓・凛。その時、煉弥が、はっとした表情になって蒼龍に言った。


「タマで思い出しやしたけど、タマの子分から何か掴むことってできないんですかね?」

「僕も最初にそれを考えたけど、すぐにその考えを自分で否定したよ。前に、タマが吉原のネコは自分の言うことをきかないって怒ってたのを思い出したからね。まったく、吉原というところは畜生でさえも誇りをもって生きているらしい」

「まあまあ、誇りは誰にでもあるものですから」


 仕方ないわよぉと楓が言う。


「となると――本腰で適任者がいないってことになりやせんかい?」

「そういうことになるね。まったく……どこかに適任者がいないものかな。我慢強くて、それでいてスレていなくて、見た目もそれなりに器量よしで、飯炊きもできて掃除もできて、あわよくば吉原の太鼓持ちたちの楽器の修理とかで太鼓持ちたちと接点のできそうな手先が器用な人材……ふう。まあ、いるわけないよねぇ」


 やれやれ……と肩をすくめる蒼龍。すると、楓がなにやらう~~~ん? と首をひねっている姿が目に映り、もしやと蒼龍がわずかな希望を抱きながら楓に問いかけた。


「ひょっとして楓殿――そんな人材の心当たりがおありですか?」

「う~~~~ん……タッちゃんの御希望にぴったりの人材がいるような気がするのだけどぉ……誰だったかしらぁ……」


 尻尾をピンと立て、獣耳をピコピコと動かしながら必死に思案する楓。するとその時、長屋の障子戸を、誰かがひどく控えめにとんっとんっと叩く音が響いた。思案を中断し、障子戸を叩いた主に楓が、


「どぉぞぉ」


 と声をかけた。楓の声をうけて、障子戸がゆっくりとすすすっと開かれる。そして開かれた障子戸から姿を現したのは――――、


「あ、あのぉ……楓さんから御依頼を受けていました御召し物が縫い終わりましたので、お届けにまいりましたぁ」


 綺麗にたたまれた巫女装束のようなものを手に抱えた八重であった。

 そんな八重の姿を見て、楓の目がキラリと光った。そして、ずっと詰まっていたものがやっととれたかのような清々しい声をあげた。


「いたわぁ!! タッちゃんの御希望にピッタリの人材がぁ!!」

「……ふぇ?」


 突然、大声を浴びせかけられ、うろたえる八重。そして、とてつもない嫌な予感が、八重の心に襲い掛かってくるのであった。

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