第一幕 仕置きの報告――予想だにしなかった事件


「いつまで寝くさってんだいっ!! もう陽が昇ってんだ、さっさと起きなよっ!!」


 布団の中で寝ている煉弥の脇腹に、北条家の女中・おはしのサッカーボールキックが炸裂する。


「おぐぅっ?!」


 寝覚めの一撃としては強烈すぎる一発に、布団の中で悶絶する煉弥。


「お、おはしさん……もちっと、その……優しく起こしてくれても……」

「なぁ~にが優しく起こしてだい、このクソガキが!! あんたがいつまでも寝くさってるせいで、こちとら仕事が片付かないんだよ!! ほらほら、さっさと起きな!!」

「へい、へいへい……」


 脇腹を撫でさすりながら、不承不承といったふうにのっそりと起きる煉弥。


「ほら、どきな!!」


 敷布団をひっくり返し、敷布団の上にのっていた煉弥を強引に転がして、鼻息荒くちゃっちゃと布団を片付けていくおはし。転がされたまま、ぼぉ~っとした頭でそれを見つめている煉弥に、おはしが、


「とぼけた顔してんじゃないよっ!!」


 ピシャァン!! と煉弥の頬に痛烈な平手打ちをひとつ。


「ぶっ?!」


 ぐりんっ! と顔が横向く煉弥。もう、散々だ。


「目ぇさめたかい?! 若旦那が今か今かとあんたをお待ちだよ!! さあ、さっさと行きな!!」

「……仰せのままに」


 ひっぱたかれた頬を撫でさすりながら、煉弥はゆっくりと立ち上がり、息巻くおはしから追い立てられるようにして部屋から出ていった。

 昨夜、かまいたちを仕置きしたその足で北条家の屋敷に来た煉弥だが、煉弥の姿を見るなり蒼龍から、


「詳しい話は、明日にしよう。今日のところはゆっくりと、身を休めるといいよ」


 と言われてしまい、半ば強制的にとこにつかされてしまったのだった。

 きっと、相当疲れ切っていたように見えたのだろう。確かに、疲れ切っていたことは間違いないが、それ以上に、かまいたちのあの言葉によって、煉弥の心に晴れることのない黒雲が広がっていた。それが、表情にでてしまっていたのだろう。

 床についてからも、ずっと、煉弥は考え続けていた。


 かまいたちがおっちゃんを殺したのではないとすれば、一体誰がおっちゃんを殺したんだ……?


 考えても考えても、答えはでなかった。

 なぜ? なぜ? と必死に頭を巡らせてみても、皆目見当がつかない。

 かまいたち以外に、誰がおっちゃんを殺したんだ? かまいたち以外に、誰がおっちゃんを殺す理由なんか持っているんだ?

 自分の知っている限り、おっちゃんを恨んでる者がいるなんて、想像ができん。しかし――俺の知らないおっちゃんの姿があったのかもしれねえ。俺が、凛に仕置き人であることを隠していたように――おっちゃんにも、俺や凛が知らない姿があったのかもしれねえ。

 蒼龍の部屋の前についた。廊下に座り、部屋の中へと声をかけようとする煉弥に、


「入っておいで」


 という蒼龍の言葉が投げかけられた。

 その言葉に従い、失礼しますと言いながら障子戸をあける煉弥。部屋の中にいる蒼龍は、とても穏やかな表情を浮かべて座っていた。

 部屋の中へと入り、蒼龍の前に座る煉弥。煉弥が座るなり蒼龍は、


「まずは、お疲れ様。長かったね。今日に至るまで……」


 優しい口調で、義弟の労をねぎらってくれた。


「ええ……ですが、タツ兄――――」

「うん、わかってる。タマから大まかなことは聞いているよ。だけどね、煉弥。まずは、やるべきことがあるんじゃないかな?」


 蒼龍からせかされ、煉弥はハッとした。そうだ――まずは御役目を果たさなければ。

 威儀を正して座りなおし、煉弥は報告を開始した。


「昨夜の仕置きした妖怪は、お化け先生が仰ってたとおり、やはり悪神・かまいたちでございました。自分・オオガミ・タマの三名にて、三匹のかまいたちと対峙し、三匹のかまいたち全てを仕置きいたいしました。かまいたちの遺体は、処理班である以津真天いつまで達が処理してくれております。かまいたちの頭目と問答をした結果、悪神・かまいたちが七年前と今回の辻斬りの下手人であることが判明いたしました。ゆえに、江戸を騒がせし辻斬り騒動はこれにて幕となった……と思われるのですが――――」

「そうではない――というんだね?」


 二人の間に、沈痛な沈黙が走る。そして、大きく息を吐きだしながら、煉弥がその沈黙をやぶった。


「ええ……まだ、終わっちゃいません」

「そのようだねぇ……」


 深々とため息を吐きながら蒼龍が続ける。


「こう言っては煉弥達に失礼かもしれないけど、あれほど簡単に仕置きされたかまいたちに、左馬之助がおくれをとるなんて、ちょっと考えにくいからねぇ。さらに言えば、左馬之助とかまいたちが対峙した時は、かまいたちは二匹だったというんだろう?」

「ええ、そうなんですよ。俺も、そこについてはハッキリさせておきたかったからこそ、かまいたちに聞いたんです。七年前は、かまいたちは、おっちゃんが斬った父親と母親の二匹だったそうです。これは、母親の今わの際の言葉ですから、疑いようのない事実だと思いやすね」

「と、いうことはだよ――つまりは、左馬之助はかまいたちを斬った後、別な何者かによって斬られたということになる」

「そうですね……」


 やれやれと頭をかく蒼龍。ずれた眼鏡を手でくいっとあげながら、


「そうなると、ツバメ殿の事件も怪しくなってくるね。ツバメ殿は舌を切られていたそうだが、かまいたちが舌を斬るなんて、僕としてもちょっと考えられない。なあ、煉弥。君は実際にかまいたちと対峙したわけだけど、かまいたちが舌を切るような奴らだと少しでも感じるものはあったかい?」

「いえ――あいつらのあの感じですと、舌を切るなんてまどろっこしいマネはしませんでしょうね。口癖のように、ズタズタに斬り裂いてやるって言ってやしたし、事実、そうするのがあいつらの手口だったでしょう。七年前も、今回も、あいつらの凶刃にかかった被害者はズタズタに斬り刻まれてやした」


 ふ~むぅ……と顎に手をやって思案する蒼龍。


「とするとだね、結論は一つだよ。ツバメ殿と左馬之助の事件に関しては、かまいたちの仕業ではない。かまいたちの仕業に見せかけようとした、何者かが別にいて、その人物がツバメ殿と左馬之助を凶刃にかけた――ということだね」

「……そういうことですね」

「まったく……僕たちはしてやられたというわけだねぇ……その――腐れ外道にねぇ……!!」


 ざわざわ……と髪色を蒼色に変色させながら逆立てる蒼龍。はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りを露わにする義兄の姿に、煉弥の心も義兄と同じように怒りによって染まりそうなのを必死に抑えつつ、煉弥が蒼龍に問う。


「タツ兄……これは、ちとお聞きしづらいことなんですが……」

「大方の、予想はつくよ――左馬之助やツバメ殿を恨んでいるものはいなかったか――だろう?」

「……はい」


 腕を組み、不機嫌そうな表情をする蒼龍。


「僕の知る限りではいないね。そもそも、あの二人を悪く言う者なんて、いるはずがないと思うよ。煉弥だってそう思うだろう? そりゃあ、たしかにあまり思い込むのもいけないことだとは思うけど、あの二人に関しては、僕は絶対に恨んだりするような者はいないと断言してもいい」

「ですね――だからこそ俺達は、おっちゃんとツバメさんが妖怪にやられたんだって思っていやした」

「うん、そうだね。ということは、ここは原点に立ち返って考え直さなきゃいけないわけだ」

「原点……ですかい?」

「そう――原点さ」


 気を静めるために、大きく深呼吸をする蒼龍。逆立っていた毛は下り、その髪色も元の黒髪へと戻っていく。どうやら落ち着いたようらしい。


「つまりだね、左馬之助を殺した者が妖怪であるという先入観をとっぱらうべきだと思うんだよ。僕たちは今まで左馬之助を殺した者が妖怪だと決めつけてしまっていた。それゆえ、左馬之助を殺した犯人を見誤ってしまったわけだ。とすれば、ひょっとすると左馬之助を殺した者は人間かもしれない――そういう、可能性も含めて考え直すべきなんじゃないかな」

「しかしタツ兄。おっちゃんとまともに立ち合って、おっちゃんを斬り伏せることのできるような人間がいるなんて、俺には到底思えないんですが……」

「そう、そういう先入観を外すべきなんじゃないかな。たしかに、まともに左馬之助とやりあって勝てる人間なんていないと思う。だけどね、ひょっとすると、左馬之助は騙し討ちにあったのかもしれない。それとも、左馬之助が気を許していた相手に、出し抜けに斬り殺されたのかもしれない。そう考えれば、可能性はいくらでもあるわけだよ、煉弥」


 おっちゃんがそんな不覚をとるとは思えないが、たしかにタツ兄の言うことももっともだ。だが、そうなると……。


「しかしそうなると、それこそタツ兄の仰る原点の問題が立ちはだかっちまうんじゃないですかい? つまり――――」

「その通り――動機が問題だ。しかし、逆に言えば、左馬之助やツバメ殿を殺す動機をもった者が見つかれば、それすなわち――そいつが下手人ということになる」

「そうかもしれませんね……」

「僕はこれからお化け先生の所へ行って、ツバメ殿と左馬之助の事件の調書をもう一度洗いなおそうと思う。先入観を全て捨て去って調書の一つ一つの事実を精査していけば、きっと何か見落としていたことがあるはずだからね。それが終わり次第、今度は楓殿に左馬之助やツバメ殿の交友関係の中で怪しい人物がいないかを、じっくりと論議するつもりだ」


 そう言って腰を浮かせかける蒼龍を見て、煉弥が慌てて、


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 と、呼び止めた。


「なんだい?」


 浮かばせかけていた腰をおろして、義弟の待ったに応える蒼龍。


「その……実は折り入って、タツ兄に相談したいことがあるんですが……」

「給金の賃上げならしばらくは無理だよ」

「いやいやっ! そういうことじゃありやせん! じ、実はですね……その……」


 頭をかきながら、キョロキョロと目を泳がせる煉弥。義弟がこういう素振りを見せる時は、大概、あの向こうっ気の強い義妹と何かがあったと相場が決まっている。ふふっ、と笑みを漏らしながら、蒼龍が煉弥に助け舟を出してやった。


「凛と、何かあったのかい?」

「え? え、ええ……まあ……」


 蒼龍の視線から顔をそむけ、だらしのないニヤケ顔を浮かべながら顎を指でかく煉弥。ほぉ? どうやら、二人の仲に大きな進展があったようだね。


「それで、僕にどんな用事があるんだい?」


 蒼龍の投げかけを受け、意を決したような表情を浮かべる煉弥。正座に座り直して威儀を正し、蒼龍の目を真っすぐに見つめながら、


「あいつに――凛に、全てを話そうかと思ってます」


 と、蒼龍に力強く訴える。


「ふむ……僕は別に凛に全てを話してもかまわないとは思ってるけどね――――」


 今度は蒼龍が煉弥の目を真っすぐに見据えながら、


「煉弥は――それで、後悔しないんだね?」


 煉弥の覚悟を問うように、重く厳しい口調でそう言った。

 蒼龍のその迫力に、刹那たじろぎを見せる煉弥であったが、すぐに蒼龍の目を真っすぐに見つめ返して、


「話さずにこのまま生きていくほうが――後悔すると思います。俺は――もう、凛を……自分を、欺きたくないんです」


 と、力強い口調で蒼龍からの問いに答えた。


「うん。じゃあそうすればいい。煉弥が思う通りに、やってみるといい。その結果、どういう風に事態が転ぶかはわからないけど、少なくとも、スッキリはするだろう。そして――本当の意味で、凛と向き合うこともできるだろうからね」

「……ええ。ありがとう、ございます」


 深々と頭を下げる煉弥。


「よしてくれよ、そんな他人行儀な言い草はないだろう? いつも言ってるけど、煉弥は僕の大事な義弟で、凛は僕の大事な義妹なんだ。そんなかけがえのない義弟と義妹が色んな意味でうまくいってくれれば、こんなに嬉しいことはないからね。最悪、凛に全てを話したことで悪い方向に転びそうになったら、きっと楓殿が黙っちゃいないだろうから、まあそこまで心配しなくてもいいんじゃないかい?」

「俺としては、楓さんが動くことが一番の心配なんですがねぇ……」

「ははっ。確かに、ちがいない」


 和やかな空気が漂う室内とは裏腹に、なにやら切迫した響きを帯びた足音が廊下から響いてきた。


「うん? 今日は誰も取り次がないで欲しいと、おはしさんに伝えていたはずなんだが……」


 首をかしげながらも、いささか心に不安の色をにじませる蒼龍。そう言い含めておいたおはしがこの足音の主を通したとなれば、それほどまでの緊急事態ということであるからだ。

 足音が、部屋の前で止まった。やはり、何か大事でも起こったか。まったく、問題というものは一つ起これば次から次へと連鎖して起こるものだね。げんなりとした気分になりつつ、蒼龍が、部屋の外にいるであろう人物に声をかけようとした、その刹那、

 シャッ!! と部屋の障子戸が荒々しく開かれた。そして、その障子戸を開いて現れたのは――――、


「り、凛?」


 思いがけぬ来訪者の姿に、見事に驚きの声をハモらせる義兄と義弟。

 そんな二人を無視するかのように、失礼しますの一言もなく、ズカズカと部屋の中へと入ってくる凛。

 この凛という女が不作法を働くことなど、並の事態ではないことだ。余程、大事のようだね。そう思う蒼龍の予想を裏打ちするかのように、凛の表情には、強い焦燥の色が浮かび上がっているのが見て取れた。


「お、おい。どうした、何かあったのか?」


 そんな凛の様子にいたたまれなくなった煉弥が凛に問う。だが、凛は煉弥の問いかけに答えず、煉弥のそばへと近づくなり、


 ビシャンッ!


 と、しなやかなムチのような平手打ちを煉弥の頬へとお見舞いした。


「ぶっ?!」


 ぐるりんっ! と平手打ちの衝撃で顔が横向く煉弥。まったく、本当に今日は散々だ。


「なっ、なにしやがんだよ?!」


 顔を凛の方へと向けながら怒鳴る煉弥。すると、煉弥の目にこれまた予想もしなかった凛の表情がそこにあった。

 今にも泣きだしてしまいそうなのを、必死にこらえているような、そんな心細そうな表情。そんな表情のまま凛が、


「この……痴れ者が……!!」


 と、押し殺したような声で呟いた。

 えっと、俺、何かこいつの気に障るようなことをしちまったかしらん?

 どう声をかけたものかと悩む煉弥に、突如として凛が身をかがめて煉弥の身体に抱きついてきた。


「おっ、おい?!」


 驚く煉弥の耳元で響く、愛しい者の小さなすすり泣きの声。


「心配……させおって……この、痴れ者……がぁ……」

「凛……」


 優しく凛の背に手を回す煉弥。そんな義弟と義妹の微笑ましい光景に、


「おやおや、いつのまにそこまで君たちは進んでいたんだい? まあ、僕としては嬉しいことだけどねぇ」


 ニヤニヤ顔で蒼龍が茶々を入れれば、うぶな義弟と義妹、お互いにハッ?! とした表情となって慌てて抱き合うことをやめて蒼龍に、


「いやっ、これは、そ、そのっ……」


 顔を真っ赤にしながら必死の言い訳をしようとするのを、蒼龍が制した。


「まあまあ、冗談は置いといて、一体、どうしたんだい、凛。君のその取り乱し様から察するに、中々の大事が起こっているんじゃないかい?」

「え? あ、ああ!! はい、そうなのでございます……」


 目じりに浮かべていた涙を指ではじいてその場に座り、その名にふさわしきいつもの凛とした表情と雰囲気に戻った凛が口にするは――――、


「先ほどから、昨夜に起こった事件の話で、町中が蜂の巣をつついたかのような騒ぎになっております。私も、その話を聞き、煉弥の身に何かあったのかと憂慮し、いち早くこの足で楓殿の元へと馳せ参じましたが、煉弥はまだ帰っておらぬとの答え。それゆえ私の憂慮はますます大きくなり、ひょっとすればこちらのほうに煉弥がお世話になっているのかもしれぬと愚考し、私は――――」

「はいはい。途中から先ほどの情事の言い訳にすり替わっているよ。できれば、その昨夜に起こった事件とやらをきかせてもらえるとありがたいんだけどね?」

「じっ、情事などではありません!!」


 これほどまでに見事に赤く染まるものなのかと言うほどに顔を真っ赤に染め上げる凛。


「うん、そうだね。僕が悪かったよ。だから、昨夜の事件とやらを話してくれないかい?」


 ゴホンッ! と咳ばらいをする凛。そして、大きく深呼吸をする凛の口から紡がれる言の葉に――――煉弥と蒼龍は愕然とした。


「昨夜の事件、それは――――柳生利位殿が、辻斬りの凶刃にかかって殺されてしまったという事件なのです――――」

「な?! なんだって?!」

「な?! なんだとぉ?!」


 またしても驚愕の声をハモらせてしまう義兄と義弟。

 そう、やはりまだ事件は片付いていないのだ。その事実を凛の言葉によって突きつけられ、煉弥の心は麻畑の麻が風に吹かれた時のようなざわめきによって支配されてしまうのであった。

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