第23話 永遠の一時間

●永遠の一時間

「一応は、小一で習っている筈だけど」

「習ってないよ。僕のクラスは普通とカリキュラム違うから」

「……藤原君。まさかなんにも知らずに引き受けたの?」

「うん」


 沈黙が続き耐えきれなくなった頃。


「じゃあ。裸同士でキスして抱き締めてやりなさいよ。それで人間の女の子同様に愛してあげたことになるわ。

 どうせあの仔もその位しか知らないだろうし。もしそれ以上を望んだら、あの仔にリードして貰えばいいでしょ」


 橋本さんはアドバイスしてくれた。



 パティーと同じ、毛の無いわんちゃんが、裸の僕の横にいる。

 元々小さい八歳児の身体から手足を取り去ったマロンちゃんは、潰してしまいそうに小さい。


 息が掛かるほど真直にマロンちゃんを感じる近さ。

「まぁちゃんキスして……って違うよ! それじゃお鼻がぶつかるよ」

「ごめん……」


「まぁちゃんおっきいのに何も知らないんだ」

「ごめん」

「仕方ないなぁ。じゃあ僕からするよ。少しお顔を傾けて、そうそうそのまま」


 柔らかい。外も中も柔らかい。ツルツルの粘膜をトーストに載せたバターの様に滑る。


「んふっ。キスしちゃった。初めてなんだよ僕。これで本当の彼女だね」

 それは僕だっておなじさ。


 で、ここからどうするんだろ? 橋本さんは抱き締めてやれって言ってたね。

「えっちしていいの?」

「うん」


 正面から抱き締めると、温かいマロンちゃんの身体。肘と膝から先の犬の足も毛が無くすべすべしている。

「まぁちゃん僕、メス犬だよ」

「え? これじゃ嫌なの?」

「ううん。嬉しいけど……ほんとにいいの?」

「えーと。どう言う事? 人犬とえっちってどうやるの」

 僕にはさっぱり判らない。


「実は僕も知らないよ。だって初めてのえっちなんだもん。

 でもね。訓練所の先生が言ってたよ。身体が裂けちゃうくらいとても痛いって。ほんとに裂けちゃう仔もいるんだって。

 悲鳴上げても泣いちゃってもいいから、お喋り許されてる仔は『大好き』とか『嬉しい』とか終わるまでずっと言ってなさいって。

 なのにまぁちゃん、全然痛い事しないんだもん」


「あはっ。そうなんだ。僕も人犬とは初めてだから判らないのは同じだね」

 ここは敢えて見栄を張らせて貰うよ。人犬相手どころか誰ともしたこと無いけど、嘘は吐いてない。


「ここ、マロンの敏感なとこだよね」

 触れると犬の耳もやはり毛が無くすべすべしてる。

「うん。嬉しい」


「ここはどうかな?」

 背中を背骨に沿って滑らせた指。

「ひゃっ! まぁちゃんおっかなびっくりし過ぎ。優し過ぎてくすぐったいよ」

 そのまま掌でお尻を撫でる。人間の子供ならば痴漢呼ばわりされる行為だ。

 だけどマロンは申し訳なさそうに謝って来る。

「ごめんね。お肉ついてなくてちっちゃくて。男の子みたいなの、撫でても全然面白くないでしょ?」

「そんな事は無いよ。それより、恥かしくないかい? 辛くないかい? 嫌じゃないかい?」

「平気だよ。だって僕が御願いしてえっちしてもらってるんだもん」


 声の調子は、心からそう言っているよう。


「じゃあ。マロンの大事な所、おもちゃにさせて貰うよ」

「……うん」

 一瞬の躊躇いを持つ了解。


 敏感な所に手を伸ばし、右手の親指と中指とでそーっと小さな突起を抓む。あ、後ろ足の付け根のお尻の筋肉も強張って行くのが判る。

 僕は人差し指を加えて三本の指を使い敏感な突起を転がした。


「ひゃっ! ひゃっ! やぁ~!」

 切ない声を上げるマロンちゃん。

「止める?」

 と聞いて指を止めると、

「まぁちゃんならいいよ」

 と答えが返る。

 敏感な神経は、痛みも不快も与えては居ないみたい。


「ひゃっ! ひゃっ! ひゃっ! んぅぅぅ~っ!」

 やがて大きな溜息と共に脱力するマロンちゃん。


「どうだった?」

 マロンちゃんに話し掛けると、放心状態でぼーっとしたまま寝息にも似た息遣い。

 やがて話せるように成ったマロンちゃんは、気怠そうに話してくれた。

「犬になって初めて良かったと思った」

 と。

 本当に、尻尾はわんちゃんの急所なんだな。



 向かい合わせにマロンちゃんに抱き枕にされて、肌と肌とを合わせる僕達。

 最小加工とは言え、この仔もパティーと同じように人間部分にも手を加えられている。

 あるべきものが取り除かれていると言う意味でも同じだ。


「ありがとう。一日だけど、わんこの僕を彼女にしてくれてありがとう」

「なんか訳ありみたいだったしね」

「うん……。僕、どうだった?」

「お仕事に就いて自由になるお金が出来たら、買い取って自分の物にしたい位可愛かったよ」

「よかったぁ。そんなに迷惑じゃなかったんだ」


 なぜか悲しい気持ちになる。


「ねぇ。僕が人犬じゃなくて人間の女の子だったら、本当の彼女にしてくれた?」

「難しい質問だね。でももしそうだったら、マロンは僕の事見向きもしない筈だよ」

「そんな事無い! 僕が人間でもまぁちゃんの彼女に成りたいって思ったよ。きっと」

「僕のハンデは遺伝的な物。だから女の子は結婚相手に選ばないよ」


 黙り込んだ僕とマロンちゃん。沈黙が重苦しい。


「最後にお願い。まぁちゃん泣いていい? 彼女として甘えていい?」

「いいよ」

 僕がそう言うとマロンちゃんは思いっきり、犬の足で僕の身体にしがみ付いた。

 そして嗚咽交じりに溢す。


「もう直ぐ手術なんだ。……まぁちゃん怖い。僕怖いよ。まぁちゃ~ん!」

 恐らく紙屑の様に顔をくしゃくしゃにしながら泣きじゃくるマロンちゃん。

 僕は赤ちゃんをあやす様に、ただ背中を叩いててやる位しか出来なかった。



 ラブホテルで使える時間は二時間。そのうち僕とマロンちゃんだけで過ごした時間は一時間。

 その時間が終わる頃には、マロンちゃんも随分と落ち付いていた。


「マロン。気が済んだかい?」

 お父さんが尋ねると、

「うん!」

 マロンちゃんは元気に返事をした。


 帰り際、僕はどうしても確かめられずには居られなくなって、お父さんに一言聞いた。

「手術だそうですが、どこの手術ですか?」

 ほんの少し間があって、

「心臓です」

 聞き違いでは無いかと期待を込めて、

「心臓ですか」

 と確認したが、帰って来た答えは、

「はい」

 の唯一語。


「お兄さんまたねー」

 マロンちゃんの元気な声が、キリキリ痛む僕の胸に木霊した。



 日が暮れて小寒くなった帰り道。一人ぶつくさ言う橋本さん。


「ほんと、何のために来たのか判んないや。

 まあ、私はパティーちゃんを休ませる為だからどうでも良かったけど。

 一日、わんちゃんの彼氏役ご苦労さん。

 それにしても、随分我儘な仔だったね。甘やかす飼い主さんも飼い主さんだわ。

 心臓の手術? いくら危険な手術の前だって、あれは無いでしょ?」


 多分、橋本さんは気付いてない。だから僕は居た堪れなくなって打ち明ける。


「ドッグレースで一等だったよね。そして人犬に人権なんてないよね」

「待って! いくらなんでも、動物愛護法があるわ」

 気が付いて反射的に否定を掛ける橋本さん。


「禁止しているのは、故意に殺傷したり、理由なく虐めまくればだよ。つまり正当な理由があれば殺しても罰せられないんだ」


 例えば保健所での殺処分。例えば助からない時の安楽死。例えば公的許可を受けた動物実験。

 マロンちゃんの場合は恐らく。人間に臓器提供するドナーだ。取られる臓器が生命維持に必要不可欠の物だったら、生きて行くことが出来る訳がない。


 重苦しい雰囲気のまま歩いていると、


「正樹。心配したわよ。随分遅くなっちゃったわね」

 母さんが僕達を迎えに来てくれた。

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