第18話 クドリャフカ

●クドリャフカ

「恐れ入ります。少しお時間頂けませんか?」

 アトラクションの出口に向かう時、さっきの仔のパパに呼び止められた。

「橋本さんはいいかな?」

 僕が確認すると

「藤原君が良いなら構わないわ」

 と言ってくれた。


「とんでもないお願いなのですが、聞くだけでも聞いていただけますか?」

 何やら切羽詰まった、ただならぬ声。少なくともこの人にとっては譲れない何かなのだろう。

「先ずはどんな事かお聞きしない事には、いいとも悪いとも言えません」

 だから僕はこう答えた。


「ありがとうございます。実は……」

 躊躇いがあるのかそこで一瞬止まる。

「今日一日だけで良いんです。うちの仔の彼氏になって頂けませんか?」

 その声に、

「な……」

 怒鳴り掛ける橋本さんを手で制し、

「なんか訳ありみたいですね。おいくつですか? お嬢さん」

「いや、あの……」

 口籠るパパに、

「いくつも何も、わんちゃんじゃない!」

 怒鳴り付ける橋本さん。

「橋本さんには聞いてない!」

 僕は、思いっきり怒鳴り付けていた。だって、本当に切羽詰まってる感じがしたんだもの。


「……続きをどうぞ」

 僕はお父さんを促した。


「お聞きの通り、うちの仔は人犬です。しかも人間の女の子だったとしても年頃には程遠い八歳。学校に通って居れば小学三年生の子供です。

 どうあがいても、まともに取り合って貰えないことは重々承知の上で、お願いします。

 今日一日。今日一日だけでいいんです。どうかうちの仔を彼女にしてやって下さい」


 重ねてどうかというお父さんに、

「いいですよ」

 と僕は答えた。



「お兄ちゃん凄いね」

「それほどでもないよ」

 僕の右腕に抱かれたマロンちゃん。

 手足が犬になって居ると、大人でも小さくなるのは知っているけれど。本当に小さな身体だ。

 それにとても軽い。


「軽いね。女の子に聞くのもなんだけれど。体重何キロ?」

「十一キロ」

 軽い筈だ。手足も人間なら二歳児の体重だよ。


「お兄ちゃん、女の子だなんて。僕は人犬だから女の子じゃなくって、メスって言うんだよ」

「マロンちゃん。彼女と言うならメスじゃ困る。ちゃんと女の子してくれないとね」

「……うん」

「それと、自分の事『僕』って言うのもやめて、女の子らしく呼んで欲しいな」

「僕じゃだめなの? 僕は僕だよ」

「しかたないか。じゃあ僕のことは、正樹と呼び捨てか、まぁちゃんで」

「じゃあ、まぁちゃん?」

「うん。それでいいよ」


 趣味の押し付けと言われればそれまでだけど。約束した以上、今日一日は恋人なんだから。


 子供の匂い。お日様の匂い。健康の匂い。少しだけ顔を覗かせる女の子の匂い。

 弾力のある肌、あたたかな体温。肘と膝から先の毛の無い犬の手足の先までも、温かい血が通って居る。


 さっきから選ぶ乗り物は、宇宙をイメージする物ばかり。

 僕を誘導してくれる橋本さんが、さっきからぶつくさ言ってるけれど。愛犬の為にあそこまで必死になってるお父さんを、蔑ろに出来るほど僕は強くない。


「宇宙が好きなんだね」

「うん。わんこなのにおかしい?」

「いいや」

 どこがおかしいんだろう?


「メスなのに変?」

「変じゃないよマロンちゃん。それにメスじゃなくて女の子でしょ?」

「あ、ごめんなさい」


「僕ね。いつかほんとの宇宙に行きたいんだ。そこから地球を見て見たいの。

 昔、幼稚園で習った『ロケットばびゅーん』ってお歌があるの」

 歌い出すマロンちゃん。


 謡う様は歳よりももっとちっちゃい女の子。歌い終わった後マロンちゃんが、

「夜でも燃えてるお日様を見て見たい」

 と、ぼそりと言うと。橋本さんがとっても不機嫌そうにこう言った。

「犬が宇宙に行けるわけないじゃない」

 自分の歳の三分の二しか無いわんちゃんと、いい勝負の口論を始める橋本さん。


「行ったよ。昔ソ連と言う国でクドリャフカと言う犬が、ガガーリンより前に宇宙に行ったって聞いたもん」

 その声には希望が見えた。ぼんやりとしか見えないはずの僕にもはっきりと。

「ばっかじゃない? そのライカ犬、帰還装置無しの片道切符。しかも上がり過ぎた温度で熱死したのよ。実験動物よ実験動物。

 あんた、そんなの宇宙に行ったうちに入らないわよ」

 するとマロンちゃんは、

「それでも僕は行きたいんだ。死ぬなら宇宙で死にたいんだ」

 八歳の仔とは思えない口ぶりで確かにそう言った。

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