第09話 調教アルバム
●調教アルバム
人犬の訓練内容が綴られた本来外部に出ない資料。
日時の入った写真の下に書かれた内容が、読むだけで痛々しい。
同じ幼稚園に通ったお友達が仮名や足し算を練習している時。パティーは一日に四時間も、膝を着けない爪先立ちの四つ足歩きを練習させられて居た。
彼らが給食を食べている時には、お腹を空かせたパティーは餌を目の前に恨めしそうにおあずけをさせられていた。
普通の子がゲームでお友達と遊んでいる頃。パティーは調教師さんに『取って来い』や『輪潜り』をさせられて居て。
ぽかぽかお風呂で温まって居る頃。パティーは耐寒訓練を兼ねた高圧の冷たい水を、容赦なく五分も十分も掛けられていた。
そして幼稚園で一緒だった女の子達が七五三の着物やらドレスやらで着飾って、にこやかに写真撮影している時分には。
パティーは無骨な首輪だけの素っ裸で、アクセサリーと言うべき物は首輪に下げた予防注射済の鑑札だけで、作り笑いでちんちんしながらカタログ用の写真を撮って居た。
――――
・名前
パティー
・概要
七歳メス。人犬から生まれた仔犬。
人懐っこく素直で容姿も優れているため愛玩犬に最適。
賢く粘り強いため盲導犬にも適性在り。
――――
カタログを見た私は、愛玩犬コースでは無く盲導犬コースに入ったパティーを、なんとか不可逆な外科手術を受ける前に抑え、可能な限り元の人間に近い形で買い取ったのだ。
「唯ちゃん聞いてくれる? あの調教師さん交渉の時にね。正樹を馬鹿にしたのよ。今時、障碍者をあんな風に中傷する人間が居たなんて信じられないわ」
急に声を荒げた事にびくびくしたパティーの頬を撫でると、恐る恐ると言った感じで聞いて来た。
「先生がどうしたの?」
「正樹をヒューマンアニマル化する時はお安くしておくて、あいつ言ったのよ」
思い出しても苦々しい。
「だから言ってやったの。今の言葉も録音しましたって。そして上の方に訴えますって」
ポイントは得るのが難しいわりに、失うのは比較的簡単。
障碍者の母親に「厄介者は人間未満にしてしまえ」などと口にしたことが公に成ったら、かなり拙い事に為る事が目に見えている。
「失言、無かったことにして上げたわ。その交換条件が、あなたの愛玩犬や代理母犬としての登録だったの」
「だいりぼけん?」
音から意味が取れないパティー。無理もない。習う前に犬に成ったのだから。
「代理母犬と言うのはね。人間様に代わってお腹を痛めて赤ちゃんを産むわんちゃんのことよ。
あなたが正樹の赤ちゃんを産む時、人犬じゃなくて人間にすることが出来るの。
あくまでも代理母として、お腹を貸している形にしておくわけ」
「ご主人さまの赤……」
「まぁちゃんでしょ?」
人犬の躾のせいで、ついご主人様と呼び掛けたパティーを訂正させる。
「まぁちゃんの赤ちゃん、パティーが産めるの? 産んで良いの?」
「唯ちゃんは、正樹がお嫁さんにするんだってお家に連れて来た女の子よ。おばさんは……ううん、お義母さんはずーっとそう思ってたけれど。
唯ちゃんはまぁちゃんのお嫁さんになるの嫌? 嫌ならお義母さんの……」
「成りた~い! でもパティー、わんちゃんだから……」
今度はパティーが遮った。そしてパティーは下を向く。
脈はある。けれども大きな問題が。どうやら彼女の時計は犬に成った時点で止まっているらしい。微笑ましい程、それはちっちゃな女の子の抱く恋のように見えた。
「まあ。今はそれで構わないわ。唯ちゃんは正樹のお嫁さんなんて嫌?」
「ううん」
首を横に振る。
「唯ちゃん。お義母さんはね。
パティーを買い取ってお家に入れた時、唯ちゃんを正樹のお嫁さんに迎えた積りだったのよ。
ああこの仔なら、正樹の事を任せられると思ったの」
わたしはふふっと笑い、
「やり直しましょう、七五三。ごっこついでに綺麗な写真を撮り直しましょう? こんなのが嫁の七五三だなんて、お義母さんが許さないわよ」
アルバムに大写しになって居る、カタログの元写真を指差してパティに突き付ける。
ほんの七歳ながら、まだ人間の女の子の恥じらいが残って居るこの時の写真は、少し成長した現在よりも艶めかしい美しさを持って居た。
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