第04話 おせっかい

●おせっかい

 少し恥じらいの混じった好奇心が、声の調子と汗の匂いで僕には解る。

 僕も声を潜めて、


「そう言う仔も居るようだね」

 と一般的な事実だけを話す。


 犬に限らず、動物はメスがオスを選ぶ権利を持って居る。より優れた遺伝子を持つオスの仔を産んだ方が、子孫が生き延びるチャンスが大きいからだ。

 そう言う意味では人間だって大差ない。少しでも自分の子供の条件が良く成りそうな相手を選ぶ。


 主治医によると僕の目は、遺伝子の障碍だと言う。つまり子供や孫が同じ病気になる可能性がゼロじゃない。

 するとリスクを避けたい女の子から見た僕の結婚相手としての価値は、がくんと低下するのは仕方ない。

 結果として結婚できない可能性が高いんだ。


 そう言う人の中には、盲導犬とそう言う仲になってしまう人も居るらしい。そんなことがまことしやかに言われていることは僕も知って居る。

 そこまで行かなくとも、献身的に尽くしてくれる盲導犬に人間相手の様な親しみを感じる人は、少なくない。現に僕もそうだもの。


 だけどえっちかぁ。僕にはまだ早いと思うけれど正直興味はある。

 言われて顔が熱くなった。


「なんで赤くなるのよ。まだ結婚諦める歳でも無いでしょ?」

「橋本さん!」

 立ち上がる僕。ガタンと椅子が後ろに倒れた。


「いい? 壺井榮は『十七、八が二度候らうかよ』と言ったけど、十二、三、四は二度無いのよ。

 今からその仔相手に逃げてどうするの?」

 怒鳴りながらも僕が倒した椅子を直してくれている。


「座って」

 有無を言わさぬ強い口調。

「いや、でもね。僕は……」

「遺伝病? それがどうしたのよ。今は障碍のせいで人間未満扱いされちゃう、前時代とは違うんだから。

 一生懸命頑張ってるあんたに、いったい何の負い目があるって言うのよ」

 また僕の言葉を遮る橋本さん。


 いい人なんだなぁ。この人、本気で僕の事を心配してくれている。

 キャンキャン喚く甲高い声も、耳に逆らいはするけれど。全然痛くない。

 僕の上を、嬉しいお説教が通り過ぎて行く。


 だけどね。


「……いい? 私達、これからなのよ」

 そう言う橋本さんは目が見えて、専科以外の成績も良い。こちらが駄目でもあちらがあると、二重三重の安全装置の中に居る。

 だけど僕は。一般学科の成績が下がっても駄目。勿論専科の成績が下がっても駄目。いつ奈落の底に落ちるかも知れない、細いレールの上を進んでいるんだ。


 母さんは、

「たとえ落ちこぼれて、世間様が正樹を人間扱いしないようなことに成っても。死ぬまで正樹を護ってあげるから」

 と言ってくれるけれど。僕は自立したいんだ。他人から餌を与えられて生きる一生じゃなく、自分の手で稼ぎ自分の足で歩きたいんだ。


「橋本さん。悪いけれど、この後パティーにおしっこさせてやらないと」

 僕の発言に緩む語気。


「ちょっと見せて。あ、おしっこで膨らんでるわね」

 どうやらパティーの下腹部に手を当て確認しているらしい橋本さん。


「……盲導犬って大変ねぇ。おしっこするのまで制約があるんですもの」

「そう言う風に躾けられている上に、手術で弁まで埋め込んでるからね。我慢させすぎると炎症起こすこともあるんだよ」


「だからと言って藤原君。そんなに掻き込んじゃ駄目でしょう。消化に悪いわよ」

「早くさせて遣らないといけないから」

 と僕が言うと、橋本さんは、

「じゃあ。私がやって来てあげる。その代わり藤原君はきちんと良く噛んで食べるのよ。鍵貸して」

 弁の開閉装置を求められた。


「パティー。お姉さんにおしっこさせて貰って来なさい」

 僕が命じると、

「わん!」

 返事を返すパティー。

 僕は橋本さんに、ハーネスとコントローラー、そしてティシュと濡れティシュを渡した。


 知らない人は糞じゃなくおしっこだけの後始末に、犬ごときにティッシュを使う必要があるの? なんて言うけれど。香水専科は僕みたいに嗅覚の敏感な人が多いから、きちんと処理しないと迷惑なんだ。


「ちゃんと一口二十回は噛んでね」

 最近は母さんでも言わなくなった事を念押しする橋本さん。

「うん。そうする」

 苦笑いしながら僕は、ご飯を一箸口へ運んだ。

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