第03話 橋本さん

●橋本さん

「藤原君。お昼一緒にどう? ちょっとおしゃれなお店見つけたんだ」


 午前の授業が終わると直ぐに、声を掛けて来たのは橋本美香さん。僕と違って目が見える子だけどこの道が好きで専科に入って来た子だ。

 尤も、僕と違って学校の後は塾で普通科の単位を補う一般学科も頑張って、別にSEの勉強もしているから、こっちが駄目でも幾らでも潰しは効く人だけれど。


「いいけど、ちょっとお金がね」

 渋ると直ぐに、

「私が誘ってるのよ。奢るに決まっているじゃない」

「あー。いや……」


 口籠ると橋本さんは、くすっと笑う。


「あ、ひょっとして、パティーちゃんのこと気にしてるの?

 大丈夫。盲導犬は犬だけど、その白ステッキと同じあなたの目よ。それにそこいらの愛玩犬と違って、きっちり躾がされてるものでしょ?


 心配ないわよ。今時、そんな危険な事するお店なんて、会員以外お断りの特別なお店だけよ。

 あれも受動喫煙や動物の毛が、文字通り命取りになりかねない人達を護るために許されているだけの話だし。


 目が見えないのも立派な個性。社会に貢献しようと頑張ってる藤原君と、大事な盲導犬を拒むお店なんて見つける方が難しいわよ」


 その昔、どんなに努力しても健常者じゃないと言うただそれだけで、社会貢献が許されない時代があった。

 健常者じゃなければ、お金を与えておけばよいと言う肩身の狭い時代。でも、福祉じゃ自尊心は満たされない。たとえ健常者じゃなくてもね。自分で稼いだお金じゃなきゃ駄目なんだ。

 それに加えて、制度を悪用する人達が居て、普通の本を何時間も読んでいられるような人が、今の僕よりも物が見えない等級として、福祉のお金を受け取っていたんだよ。


 幸い世の中が変わって、そう言う人は一掃されたけど。今でもその時代の名残で健常者じゃない僕みたいな子は肩身が狭い。

 この橋本さんみたいに全然悪気は無いって判って居ても、甘えて仕舞ったら周りからどう思われるのか知れたものじゃない。

 只でさえ僕は、社会に対して借金があるんだから。


「あ、いや。他にもあるんだ」

「なに? 大抵の事ならなんとかするわよ」

 引きそうもない橋本さん。


「パティーは僕の大事なパートナーなんだ」

「うん。あなたの目よね」


 はっきり言わないと駄目かなこれ? 僕は思い切ってこう言った。

「お腹を空かせたパティーの前で、僕だけご飯食べるのは好きじゃないんだ。

 学食じゃ駄目かい? そこならなら、パティーにも食べさせる事が出来るし」


「くすっ」

 橋本さんが笑った。

「藤原君らしいわ。いいわ。そこで」

「ありがと……」

 言い掛けた僕の言葉を遮るように、

「その代わり、財布は私持ちよ。パティーちゃんの分も」



 ごった返す学食。とは言え、僕みたいに盲導犬を必要とする子が少なくない学校だ。一人で来たら職員さんが列の後ろに付けてくれる。

 お昼のメニューは日替わり定食の一種だけ。それで混雑を最小限にしている。だから特別なアレルギーのある子は別口注文の給食センターから回って来るお弁当を身分証スキャンで引き渡される。


「ありがとう。橋本さんのお陰で、いつもより早くテーブルに座れたよ」

 どうしても、目が見える人の方が効率的に動ける。

「どういたしまして。トレイを持ってあげただけだし。私、いつも外だから知らなかったけど、盲導犬って人間様と同じ物を食べるのね」

「知らなかった? 普通の犬と違って、同じ食生活でも問題無い犬なんだよ。味が濃くても病気に為り難い犬なんだ」


「頂きます」

 僕は一口箸を付け、

「好し。おあがりパティー」

 足元のパートナーに餌を勧める。すると橋本さんは、

「大事にしてるのね。

 私、もし犬に生まれ変わる事になったら、絶対盲導犬にしよう」

 と言って笑った。そして声を潜め僕の耳にこう囁いた。


「で、盲導犬は夜のパートナーしてる仔もいるって聞いたけれど。ホント?」

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