第02話 通学路

●通学路

 カッシャン。ブー。

 電車を降りると、街の雑踏が僕の能力を超えて押し寄せて来る。

「パティー。頼んだよ」

「わん!」


 黙々とお仕事をする盲導犬が多いけれど、パティーはお話するかのように返事をしてくれるタイプの犬だ。

 勿論、僕以外からの呼び掛けには答えない。お仕事中だからね。だからたとえ蹴飛ばされようがじっと黙って居るんだ。


「パティー」

「わん?」

「パティーは随分人気があるね。電車の中で沢山の人から触られてただろ」

 皆、パティーの可愛らしい姿に、構わずには居られ無いようなんだ。通勤通学ラッシュの前の空いた時間だけれど、何人もの人がパティーの身体を撫でて行った。


 パティーは頭や顔以外毛の無い身体だから、毛の柔らかさは感じられないけれど。皮膚の肌理がとても細かくてツルツルしている。

 例えるならばスエードのような、いや白桃の表面のような触り心地かな?

 パティーは人懐っこくて愛玩犬でも務まる仔だから、撫でたくなるのは仕方ない。


 カララン。金属音と共にパティーが止まった。僕は白ステッキでバチバチと叩き前を確認する。

 はっきりと匂うコーヒーの香り。

 危ないなぁ。缶コーヒーのスチール缶じゃないか?


 そーっとステッキで除けると再びパティーは動き出す。念の為に摺り足気味で僕は歩き出すと、


「ママぁ、あのわんちゃん、普通と違うね」

 ほんのりミルクの匂いがする甲高い声。女の子かな?


「あれは盲導犬よ。目の不自由な人の目の代わりをするわんちゃんなの。わんちゃんだけど、あのお兄ちゃんの傍に居てお嫁さんみたいにずーっと一緒に居てお世話するのよ。

 世の中にはわんちゃんの抜け毛でお病気が酷くなる人も居るのは、ユカも知って居るでしょう?」


「うん。ユカのようなお病気の子もいるもんね」


「だから邪魔になる事もある尻尾が短くて、他のわんちゃんのみたいな身体の毛が無いの」


「へぇ~。そうなんだ~」


 納得した女の子が近寄って来る。


「駄目よ。わんちゃんお仕事中なんだから」

「触っちゃ駄目なの?」


 不満そうな女の子。手触りの良さそうなパティーの身体に触りたがっている。


「あ、良いですよ少しくらいなら。ね? パティー」

「わん!」

 パティーが尾を振るのが判った。


「わぁ~すべすべ。気持ちいい~」

 撫でる手の指で感触を楽しんでいる。


 キンコン カンコ~ン カンコン キンコ~ン。

「一時間目開始、十分前です。生徒の皆さんは急いで下さい」


 いまでは珍しくなった予鈴に続けてアナウンスが、風に乗って聞えて来る。僕の通う学校では今でも、目の見えない生徒の為に流しているんだ。


「ユカ、もう行きますよ」

「え~」

 ごねる女の子。ちっちゃい子だから聞き分けが無い。

 だけどお母さんが、

「いい子にしてないと、怖い人が犬に成る注射をしに来ますよ」

 そう言うと、喚く声はぴたりと止まった。


「同じ組の太陽たいようちゃん、覚えてる?」

「うん。とっても乱暴な子」

「急に居なくなっちゃったわよね。あれわんちゃんにされちゃったのよ」

「……」

 見えずとも女の子が凍り付いたのが僕にも判った。


「ママ、ユカがとっても可愛いから。わんちゃんになっちゃっても大事にしてあげるわよ。

 わんちゃんの餌じゃなくて、今までと同じご飯を食べさせてあげる。大好きなオムライスもちゃんと作ってあげるわよ。


 それだけじゃないわ。綺麗におリボン結んであげるし、抱っこもしてあげる。お風呂も毎日入れてあげるし、ちゃんとお布団で寝かせてあげるわよ。


 でも、わんちゃんになっちゃったら、もう幼稚園には行けなくなるわね。ユカがお姉さんになっても学校に上がれなくて、ケーキ屋さんにも成れなくて、お嫁さんにも行けなくなるの」

「うん」


 かなり気落ちした声。


「じゃあ、わんちゃんにバイバイしましょうね」

「うん。わんちゃんバイバイ」


 風の動きで、お母さんが深々と頭を下げているのが判った。

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