第6話

今日の朝ごはんは卵焼きを作ろう。

僕の早起きの秘訣といえば、明日の朝のおかずを考えてから寝ることだ。こうするといつもなぜか早く起きることが出来る。

今日も同じように目が覚め、体を起こそうとしたけど、動かない。ん?と思って左右を見てみると、左にはゆき、右にはアキがいて、腕や足で体をがっちりホールドされていた。

「まったく…」

僕は2人を起こさないように慎重に、布団から出た。顔を洗い、歯を磨いてからキッチンに立つ。

まず最初に鍋に水を入れ、時短で顆粒だしを加えて火にかける。味噌汁の材料を切り、人参とじゃがいもをいれ、沸騰したら他の材料もいれる。卵をかき混ぜ、砂糖と少しだけ塩を入れて卵液を作る。卵焼き用のフライパンに油を敷き、キッチンペーパーでフライパン全体に慣らす。卵液を3分の1程度いれると、じゅわぁという音が広がる。外から内に巻いていき、小さく丸まった卵をフライパンの奥に戻して、半分の卵液をまた入れる。この時、焼いている卵の下にも卵液がいくようにする。少し待って、敷いた卵の下にぷくぷくと出てくる空気を抜きつつ、また外から内にころころと卵を巻く。ここまではまだ見た目が悪くても誤魔化せる。問題はここからだ。

最後の卵液全てをフライパンへと流し入れる。僕は量の配分が苦手で、いつも最後の卵液が多めになってしまう。けどまあ大丈夫だろう。

少しだけ火を弱めて、先程と同じように、少しだけ慎重に卵を巻いていく。そうして色味の良い卵焼きができた。少しだけ焦げ目を全面的に付け、まな板の上へ卵を置いて、切っていく。

「おはよー」

僕が卵焼きに包丁を入れようとしたその時、ゆきとアキがやってきた。仲良く朝の挨拶をシンクロさせている。

「おはよう、顔洗ってから手伝いして」

それから卵焼きを6等分に切り、ゆきにはみじん切りした人参と卵黄を入れた納豆を混ぜてもらい、アキには皿を洗ってもらう。そのあいだに僕は味噌汁を完成させる。乾燥わかめを2つまみ分くらい入れ、味噌を溶く。

こうして、ご飯、味噌汁、卵焼き、納豆と和食の定番朝食が出来上がった。

「いただきます」

あまり手は混んでないけれど、2人はとても美味しそうに食べてくれる。

「アキさんいつ帰るの?」

「んー、昼頃にはバス乗らないといけないかな」

「なあんだ、残念。朝ならお見送りできたのに」

どうやら今日は朝から友達と遊ぶらしいゆき。

じゃあ、またね。と言って出掛けてしまった。

しばらくはテレビを見ていたが、珍しく午前中のうちに母が起きてきた。

「アキくん、今日帰るんだよね」

「あ、はい」

と母の方を見るアキは、少し驚いていた。

「メイクとすっぴんじゃ別人だろ」

「あ、ごめん、驚かせちゃった?」

アキは戸惑いを見せながらも感謝の旨を伝えていた。その様子はなんだか営業をするサラリーマンのようで、友達がいる前でもくだけず目上の人にしっかり接することができるやつなんだな、なんて思ったり。

「じゃあ、行こう」

帰りは汽車に乗って駅まで行き、アキが来たのと同じようにまたバスに乗って帰る。

駅は昨日行った海岸の方面にあると言ったら、またアキが海に行きたいと言ったので早めに家を出て海に行くことになった。

今日の空は昨日とは打って変わって曇り空だった。波も心做しか静かで落ち着いている。

「波って、見飽きないもんなんだな」

昨日と同じ場所に座ってしばらくして、アキがそうつぶやいた。

「あぁ、音も癒されるし」

「こういうのを、俺はずっと知らなかったんだ」

打ち寄せて、引いてゆく。引いた波と打ち寄せる波がぶつかって、折り返すようにして砂浜に波が流れる。

アキはしばらく絶えず動き続ける波を眺め続けていた。

「アキ、アキが来た理由、そろそろ教えてよ」

「言われると思った。俺も、言うならこのタイミングかなって思ってたんだ」

祖母が、亡くなったんだ。夏休みの初日に。そう言ってアキは、祖母がなくなってからここに来るまでの日々を話し始めた。

お互い終業式だった日、ほとんどオールで話してただろ。寝て起きたら、ばあちゃんが倒れてた。俺が見つけたのが10時過ぎのことで、既に心肺は停止していた。心臓発作で、亡くなった。直ぐに葬儀が執り行われ、久しぶりに父親に会った。自分の母親が死んだっていうのに放り出してきた仕事の心配ばかりしていて、腹が立った。

そして最後に

「しばらく日本に居てやるから、お前は俺の家に暮らせ」

だって。居てやるからってなんだよって感じだよな。そして有無を言わさず連れてこられたマンションの23階建ての部屋は高くて、広くて、綺麗だった。俺はずっとあの古い家で、ばあちゃんと肩寄せあって暮らしてたのに、父親は大して帰りもしない家にあんな金をかけてるんだぜ。

家政婦だって紹介された女の人は父親の新しい恋人みたいだった。俺と5歳くらいしか変わらない若い人で、父親に嫌悪感を抱いた。

んで、引っ越しが落ち着いてからしゅうにやっとこのことを話せるってなって、ふとお前に会ってみたいって思った。

ただ、それだけ。

アキは淡々と、悲しい顔をするでも、憎い顔をするでもなくそう話した。

「なんでおばあさんが亡くなったこと、言わなかったんだよ」

僕はアキの肩を掴み、しっかり目を合わせて言った。

「いや、ただ単にタイミングが合わなかっただけ。なんだかんだで夏休み忙しかっただろ」

軽く言ったように聞こえたけど、アキは目を合わせてくれなかった。

「それが本当なら、目合わせて言いなよ」

そう言うと、アキは少し驚いた顔をして笑った。

「そういうの、こうやって会って話さないと分からないことだな」

言われて気づいた、確かにそうだ。

「そういう面では、このタイミングで話してくれてよかったのかもな」

アキの肩をぽんぽんと叩き、

「さあ、吐けよ。全部聞いてやるから」

と言うと、アキは堰を切ったように涙を流しだした。

早く大人になって、ばあちゃんを楽にしてやりたいって思ってた。なのに、あんなにあっけなくいなくなった。俺がずっと大切にしてきた10年以上の月日が、手からこぼれる水のようにしてなくなった。俺がもっと早く起きて、あの時ばあちゃんの側に居たらって考えると、死にたくなる。考えてもしょうがないことばかり考えてしまう自分にも苛つく。

父親と久しぶりに会えば「大学のことは考えてるのか」だとか「費用は出してやるから、馬鹿なことは考えるな」とか急に父親ヅラしやがって。厄介な荷物をずっと母親に預けて好きなことしてきたあいつに、父親ズラする資格なんて1ミリもない。この場所へ来るのもあいつのせいで遅くなったんだ。金はいくらでもくれるのに、自由は全くくれない。高3にもなって、情けないよな。

こういうとき、しゅうはどうするんだろうって思った。でも、しゅうにこんな事言えなかった。今更格好つけても意味ないのにな。きっと、しゅうにだけは嫌われたくないって考えたんだと思う。しゅうがこんな事で人を嫌うやつじゃないってこと、知ってたのにな。

ごめん。

消え入るように聞こえた最後の言葉。それ、アキが言う言葉じゃない。僕が言わなきゃいけない言葉だ。

「僕の方こそ、ごめん。」

僕はずっと、勘違いしていたみたいだ。いつでも1枚上手な、格好良いシティボーイ。実際にあってもそのイメージは変わらなかった。でも、それだけじゃなかった。

「勝手に自分で、アキのイメージ決めつけてた」

本当のアキは、

「思ってたより幼稚だったんだな」

そう言って、アキの頭を撫でる。

「は!?やめろよ、頭撫でんな」

幼稚と言われたのが恥ずかしかったのか、頭を撫でられていることに慣れていないのか、アキの顔は真っ赤になっている。

「というか、俺も、こんなにもしゅうがしっかりしているとは思ってなかった。ほとんど家事1人でしてるようなものじゃん!?」

「あれはべつに、あれは別に、普通だよ。アキだって女子力高い料理作れるじゃん」

あれは、ばあちゃんが気になってたから練習して作ってあげたことがあっただけで、あれしか作れないし…

それからはなぜか、お互いの出会って初めて知った部分の言い合いみたいになった

6年間の会話だけでは絶対に知ることの出来なかった、たくさんの部分。

そんなことをしていると汽車の時間に遅れそうになり、いそいで駅に走った。

バスが来る時間が近づいてきても、別れ難い、とは思わなかった。このシチュエーションでそんなことを思うのはカップルぐらいだろう。

むしろ。これからアキと画面を通して会話をしてみるのが楽しみだった。

3日前までとは全く違う、メッセージから読み取るアキの表情。そしておそらく、アキがメッセージから読み取る僕の表情も違うはずだ。

「俺はここに来なかったら多分、高校を卒業してからしゅうと会話することも減っていってたと思う」

「まだ高校を卒業してもないのに?」

「あぁ、事実、今年の夏休みはあまり会話してなかっただろ、そういうもんだと思ってた。所詮ネット上の友達なんて」

所詮、ネット上の友達なんて。そう思われていることも少なからず想像はしていたけれど、実際に言われると少しくるものがあった。

「でも、もうこれでネット上の友達じゃなくなったからな」

そう言ってアキは僕の肩を小突く。

とても嬉しそうな顔をしていたので、つられて僕も笑う。

そのとき、丁度バスが来た。別れの時間だ。

「じゃあ、元気で」

「おお、次は正月あたりに行くわ」

その言葉を残し、颯爽とバスに乗っていってしまった。

「はは、アキらしいな」

この3日が終われば、また2人は現実と向き合わなければならない。

アキが抱えている悩みも、しゅうが抱えている問題も、何も解決はしていない。

でも2人は、2人が抱えたものに流されて押し潰されるのではなく、逆らうことができた。

今にも飲み込まれそうな荒波をかき分け、2人で砂浜へと辿り着くことが出来た。

それだけで、十分だろう。

きっと2人は、大丈夫。

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夏の終わり、2人のはじまり 卯月伊織 @uduki0917

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