浴衣 【休日編】
「着替え終わった?」
私はドア越しに寝室のユカに呼びかけた。あまり急かすのも良くはないと思うけれど。なにしろこちらは甚平で、着るための手間がまるで違うのだから。それにしても、浴衣というのは不便なものだと思う。着るのは手間だし、動きにくいし、暑いし。来年は、ユカ用の甚平を買ってもいいかもしれない。
「ごめん、待った?」
そういいながらユカがドアを開けて現れる。その姿に私は息を飲んだ。
夜色の浴衣に、大輪の朝顔が咲いている。こころなしか立ち姿も凛として、美しい。
「綺麗だよ、ユカ。すごく似合ってる」
ユカ用の甚平は買わない方がいいかもしれない。もったいない。ユカは顔を赤らめて顔を背けるように俯いた。
「どうしたの?私がユカを褒めるのがそんなに珍しいかな?」
暫定十戒その7『互いに隠してはならない』にのっとって、可愛いと思ったら可愛いと、綺麗だと思ったら綺麗だと口にしていたつもりなんだけど。
「ううん、そうじゃなくて、その……」
ユカは一度顔を上げたあと、困ったように口角を上げながら、顔を背けて言った。
「甚平って、エッチだなって」
その言葉に、今度は私が赤面する番だった。
「エッチってことはないだろう!!」
「エッチだよっ!胸元も無防備だし、脚も腕も剥き出しだし、なんか肩も見えてるし」
「やめ、やめろぉ!!」
私はそう叫びながら両肩を庇うように抱いてうずくまった。なんというか、そういう視線を向けられることに慣れていない。それに、私はついさっきまでユカに甚平を着せることを考えていたのだ。違う、私はそんなつもりでユカに甚平を着せようと思っていたのではない。そんな、ふともも、肩……
「だあぁぁっ!こんなことしてたら祭りが終わっちゃうだろ!ほら、行くよ!」
恥ずかしさを振り払うようにユカの手をガッと掴み、玄関へ向かう。弾むような足取りでユカはついてきた。
神社の境内は思ったより広く、10店程度の屋台がひしめき合っている。この街では、毎年ここで夏祭りが行われているそうだ。
「夏祭りってさ」
「うん?」
私の声にユカが見上げるように振り返る。
「いや、何を祭ってるんだろうなとふと。祭って本来は宗教行事でしょ?桜祭りとかチューリップ祭りとか、何祭ってるのかわからない祭りも多いよなと」
「言われてみればそうかも。でも、ここはお稲荷さんらしいし、そのお祭りじゃないの?」
「稲荷、そうか五穀豊穣を祈る祭りなのか。それなら夏に祭りをするのも納得がいく」
「ほら、そんな小難しいこと考えてないで遊ぼ」
そう言って境内の中を進んでいく。それから、お好み焼きと焼きそばで腹ごしらえする。ジャパニーズジャンクフードの極みみたいなもので栄養バランスも何もあったものではない。具は貧相だし、なんなら衛生上の不安もある。それでも祭りで食べると美味しいのは隣で君が笑っているからか。
「ああっ!ちょっと待って逃げるな!」
ヨーヨー釣りの屋台でしゃがみ込んでユカが叫ぶ。金魚と違ってヨーヨーは逃げないのだけれど。ようやく一個釣り上げて、こちらに向けて満面の笑みを浮かべた。
「よしっ!」
追加の獲物を釣り上げんと、再びヨーヨーのプールに向き直る。しかし、2個目が水面からわずかに浮いたところで、こよりが切れてしまった。
「ああっ!」
残念そうな声に、私は小さくため息をつく。やれやれ。
「私もやります」
的屋のおじさんに小銭を渡し、釣り仕掛けを受け取る。ゆっくりと、慎重に針を下ろしていく。なるべく水に触れないよう、紙の弾性が許すかぎりの角度をつけて。糸ゴムの輪に通し、垂直に引き上げる……
ぷつん
「あ」
こよりが切れた。
「あはははははは!!!」
「笑いすぎだ!」
記録、0個。
「仕方ないなぁ、残念な君にこの子を進呈しよう」
そう言ってユカが、さっき取ったヨーヨーを私の手に押し付ける。私は、むすっとした表情のまま受け取った。まあ、ユカの機嫌が治ったんならよしとしよう。それにしても、あのおっちゃんわざと弱いこよりを渡しただろ。
「そういえば」
「ん?」
綿菓子を食べる手を止めてユカが私を見上げる。
「今夜は誘惑してこないんだね」
その言葉を聞いたユカが悪戯っぽく目を細めた。
「何?誘惑して欲しいの?」
まずい、藪蛇だったか。
「や、しないならしないでありがたいんだけ——」
慌ててそういう私に、ユカがしなだれかかる。
「ねぇ、浴衣の下には下着をつけないものだって、知ってる?」
「ハブッ!」
突然の発言にパニックに陥る。つまり、この浴衣の下にはユカの生まれたままの姿が
「って嘘だろっ!!」
「ふふっ。確かめてみる?」
そういってユカは私の手を、自分の腰の上を滑らせるように導いて——
「やめい!」
「あいたっ!」
左手のヨーヨーをこめかみにぶつける。怯んだ隙に私はユカから半歩離れた。
「ほんと、公共の場所でそういうの、良くないと思うよ」
「ぶー」
ユカは全身で不満を表現する。
「じゃあ、キスしてよ」
「何がじゃあなのかな!?」
その問いにユカが、私に小さく体当たりしながらこたえる。
「だって、こんな気持ちにされちゃったんだもん。キスでもしないと、おさまらないよ。それに!暫定十戒その3!『キスとハグは拒んではならない』!」
なるほど、私のせいだと言いたいらしい。
「わかった、わかったからせめてもう少し人目につかないところにしてくれ」
そういって、ユカに手を引かれながらさらに神社の奥に向かう。社の裏の林、ここなら誰も見てないだろう。祭りの喧騒も遠く聞こえた。
「じゃあ、するよ」
「うん」
私はゆっくりと体をかがめて、目を閉じるユカと唇を重ねた。ざわめきがすうっと消えていき、世界に2人だけのような気がした。さっきまで食べていた綿菓子の味がした。
「甘い」
「そうだね」
そう言って笑って、ユカは私を抱きしめた。私もそれに応えた。
「こんなところでイチャついてたら、神様が嫉妬するかも」
「あれ?君クリスチャンじゃなかった?」
「そうだけど?まあ、なんとなくそう思ったってだけ」
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