第9話 きつね

「こいつはまたすごい格好だな……」

「お帰りなさいませ。旦那さま」

 リビングで三つ指ついて待っていたユカが顔をあげる。ユカが着ている服を一言で表せば、『花魁』だろう。十二単とまではいかないが、艶やかで豪奢な和服を身にまとっている。肩は大胆にはだけていて、胸の谷間の深いところまで見えている。ふと思ったのだけど、ユカがこれまで着てきた衣装って、総額いくらくらいなんだろう?今回のは10万じゃ効かない気がするんだけど。

「どう?似合ってる?」

 そう言いながらユカは一回まわってみせる。前からみた胸もさることながら、後ろ姿の白い背中、肩甲骨、背骨もかなりそそるものがある。

「ああ、吉原でもナンバーワンだな。身請けしておいてよかった」

 けれど、今夜の突っ込みどころはそこではないはず。私はユカの胸ではなく、鎖骨ではなく、唇ではなく、目ではなく、その更に上、頭上に目をやった。

 天をピンと指す三角形、狐の耳がそこにはあった。

「どうなってるんだこれ」

 私は頭を撫でるようにして耳の根元に触れる。カチューシャ、というわけでもなさそうだけれど。指で挟み、揉むようにして感触を確かめる。一体素材はなんなんだ?かなり本物の耳に近い感触。根元には白い毛がふわふわと生えていて、かなり心地よい。

「ひゃっ!あっ、旦那さま!そこは、はぁんっ!だめぇ!」

 ユカの喘ぐような制止の声に、我に帰って手を離す。たしかに、あんまりいじって取れてしまってもいけないしな。解放されたユカは、へたり込んで肩で息をしていた。

「ごめん、つい」

「い、いえ。その、駄目ではないんだけど……敏感、だから、優しくして?」

 上目遣いに、何かイケナイことをねだるように言うユカに、体がビクビクッと反応してしまう。これ以上は歯止めが効かなくなりそうだ、触るのはやめておこう。そういえば、ユカは耳に合わせて、髪まで赤みがかった金色にしていた。ウィッグだろうか?徹底している。

「あ、そういえば今日は夕飯作ってないんだ?」

「へ?……ごめんなさい、わたしとしたことが」

 ユカが耳を倒してうなだれる。動くのかその耳。

「いいよ。その格好じゃ動きづらいでしょ。私が簡単に作るから待ってて」

 それを聞いてユカは顔をあげた。私はジャケットを脱ぎ、ワイシャツの袖をまくる。狐といえば、あれだろう。

 数分後。

「できたよ」

「稲荷寿司!!殊勝な心がけじゃな」

 大げさに飛び上がって喜ぶユカを見て、私は笑いながら食卓に着く。味噌汁の具のための油揚げと残っていたごはん、それと冷蔵庫のこやしになってたすしのこで作った簡単な稲荷寿司なんだけど、TPOポイントが高いのかな。ご飯の量の関係で、明日の朝食分にまではなりそうな数作ってしまった。

「ん〜〜!うまい!」

 幸せそうにいなりを頬張るユカを見ながら、私もひとつつまむ。うん、あまじょっぱくていい感じだ。

 私は食べ終わったので、おかわりを食べるユカの隣に座って、気になっていたことを確かめることにした。尻尾だ。着物がどういう構造になっているのか定かではないが、お尻のあたりから立派な尻尾が生えている。私はユカが稲荷寿司に夢中になっている隙をついて、尻尾を抱き抱えて顔を埋めてみた。

「ひゃわーーー!?」

「おぉ、これはいい」

 毛布のように毛がみっちりと生えていて、あたたかい。毛並みが良くてすべすべとしている。もふもふ、もふもふ。頬ずりしてみたり、顔をぐぅと沈みこませてみたり。一心不乱に尻尾の感触を味わう。これは癒し効果抜群だ。

「いつまでやってるんじゃ!!」

 ユカが言う。尻尾は私の腕を脱出し、私の頭に強烈な打撃を加えた。予想外の攻撃に、私は壁際まで吹き飛ばされる。衝撃は強かったけれど、ふわふわなのであまり痛くはなかった。

「ご、ごめん」

 私は謝罪した。動くのか、尻尾。

「そこも、やっぱり敏感だから。いまは食事中だから」

 そう言ってユカは顔を赤くした。


「さてと」

 気を取り直した食事を終えてユカが、指を舐めながら言う。

「お腹もいっぱいになったところだし、今度は旦那さまをいただきます」

 隣に座る私に抱きついてくる。右手で私の内腿をさすってきていて、くすぐったい。けれど

「駄目です。エッチは夫婦になってから」

 私はきっぱり言った。もうこのくらいで動じる私でもない。

「へ?私たちって、ラブラブカップルだよね?」

「自称したことはないけど、客観的に見たらそうかもしれないな」

「なのに、しないの?」

「うん。結婚するまではしない」

「今なら、耳も尻尾も触り放題にしてあげるよ?旦那さまだけ特別だよ?」

「魅力的だけど、しないから。初日に言ったはずだろう?」

 何を今更な。しかし、ユカは不満げに頬を膨らませる。それから、はたと思い出したとばかりに目を丸くした。

「そうだ!キス!たしか、キスは断らないんだよね?」

「ああ、そういう約束だな」

「じゃあ、まずはちゅーーー」

 そう言って、唇を突き出してねだる。私は目を閉じて、唇を近づけて……

 チュッ

「…………むー。キスとは唇を重ねることじゃろう!なんでおでこなんじゃ!」

 目を開けた私に、さっきより更に不満げに声をあげる。私は目をそらして

「えっと、だって」

 頬を掻きながら言った。

「君、ユカじゃないでしょ?」

 ガチャリ

「ただいま〜。ごめんなさい、家の鍵を落としちゃったみたいで。交番に行ってたらこんな時間に……ってあれ?私の鍵がある」

 帰宅したスーツ姿のユカが玄関で言った。私は、文字通り狐につままれたような顔をして立ち上がった。

「どうかしたの?服が毛だらけだけど。帰り道に猫でもいた?」

 近づいてくる私を見ながらユカが訊ねる。私は答えずに、ユカを抱きしめて額にキスをした。

「どどどど、どうしたの!?」

「ん〜、最恵国待遇」

 顔を赤く染めたユカに、私は回りくどく返事をした。事情を説明するのは少し気まずいので、いつか機会があればということにさせてもらおう。ユカは、当然ながら首をかしげた。

「どういうこと?ムラムラしちゃったのかな?私は今すぐでもOKだけど!!」

「だ〜め。エッチは夫婦になってから」

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