第7話 シスター
——なんで結婚前にエッチできないかって?うーん……私の母親って、キリスト教の信者だったんだよね。しかもカトリックの、性に関して厳格なやつ。私も小さい頃は教会に連れられて、シスターに面倒を見てもらってたこともあるくらい。母さんは私に聖職者になってほしいとさえ思っていたんだけど、私はそれが嫌だった。私には……夢があったから。その夢は聖職者になってしまえば叶わないものだったから。それで私は、家を飛び出した。ああ、それもずいぶん昔の話だから、今は大丈夫だよ。ちゃんと折り合いをつけてある。飛び出したといっても、植えつけられた倫理観はそう容易くは変わらない。私は婚前交渉ができない。それが、私の根っこにある倫理だから……
「確かに話した。そう話した……」
帰宅した君が皺を寄せた眉間を揉みながら言う。
「でもそれはその格好して欲しいって催促じゃないからな!」
君が吠えた。そう、今日の私はシスターである。神に貞操を捧げた乙女。純潔の象徴。くるぶし丈のワンピース(トゥニカというらしい)に髪を覆うウィンプル、その上にベール、そしてロザリオを首から下げている。
「いやぁ、盲点だったよ。ナース・シスター・メイドは男の子の三大欲求だったね」
「全然話を聞いちゃいねえ!どういう世界観なんだそれは!」
「しかもそれだけじゃないんだよ」
「?」
焦らすように言う私に、君は疑問符を浮かべる。私は口角を上げながら、屈んでトゥニカの裾に手を触れた。指先が探り当てたファスナーを、一気に骨盤の高さまで引き上げる。トゥニカに、チャイナドレスのようなスリットが現れる。
「どやぁ!」
どうだ、この露わになる生足!シスターは純潔の象徴、故にこそ背徳の象徴となる!ギャップこそが魅力である!
「……」
が、君は無反応だった。
「あ、あれ……?顔赤くしたり叫んだりしないの?」
拍子抜けした私を見て君はため息をついた。
「はぁ、僕にとってシスターってのは、幼稚園の保母さんみたいな存在でそういう対象じゃないんだよ」
「で、でも幼稚園の保母さんも一部の層には人気だよ?」
「その認識はどこから来るんだい!?」
私は夕食をテーブルに運びながらため息をつく。せっかくの名案だと思ったのに。ちなみに、今日の夕食はハンバーグだ。うなだれる私の隣に君が座る。
「え?なんで隣に座るの?」
いつもは向き合って食べているのに。
「なんでって、なんで?」
君は心底不思議そうに首を傾げた。
「そんな当然みたいに言われても……。なんか近いし」
戸惑いながらフォークを取る。君は、両手を膝に乗せていた。
「あーん」
「へ!?」
予想外の行動に、私は小さく飛び上がる。君は、自分の皿を少しこちらに押しやって、こちらを向いて口を開けていた。どう見ても、あーんをせがんでいる。風邪の時でさえあれだけ固辞していたというのに、自分からせがんでいる。
「あーん」
「……あーん」
まだ混乱しているものの、君が急かすように声を上げるので自分で食べるのは後回しにしてハンバーグを一切れ君の口に運ぶ。君は目を閉じてそれを咀嚼した。
「うん、おいしい」
それからもう一度こちらを向いて口を開けた。3切れ食べたところで満足したのか、そのあとは自分でナイフとフォークを使って食べた。
「ごちそうさま!」
食べ終わると、いつもより大げさな動作で手を合わせた。それから、こちらに向かってごろんと倒れてきて、私の太ももの上に頭を乗せた。世に言う膝枕である。
「!?!?」
「えへへ〜」
君は満足そうに笑う。なんだ、なんだこの甘えっぷりは。
「どうしたの?」
「ん〜?好きだから!」
屈託のない返答に心臓が一回宙返りする。と、その時ひとつの可能性を思いついた。君は『シスターは自分にとって幼稚園の保母さんのような存在』と言っていた。
(つまり、精神年齢が幼稚園の頃まで退行している……?)
こんな変なスイッチがこんなところにあったとは。そんなことを考えている間、君はずっと「好き、好き」と言いながら頬ずりしていた。
「ねえ、だっこしよっか?」
膝枕で甘える君に、私は声をかけた。
「うん」
君は頷いて、私の胸に頭を預ける。いつもなら、身長差で私の方が君の胸板にもたれかかっているからこれは新鮮だ。心拍数が上がる、ドキドキする。でも、君はエッチなことをこれっぽっちも意識していないようだ。修道服には特別な効果はあっても、誘惑には使えないらしい。私はこんなにドキドキしてるのに。
(また別の方法を考えないとな)
ため息をつきながら頭巾を外す。君が、固まった。
「……?どうかした?」
君は何も言わずにすっと立ち上がり、私に背を向けて歩きだした。寝室のドアを開け、入り、ばたんと音を立てて閉めた。
「ああぁあああぁぁあぁあぁぁーーー!!」
扉の向こうから、絶叫が聞こえた。
「これは、耳まで真っ赤になってる声だ」
どうやら私が頭巾を外したことで我に返ったらしい。私は、顔が勝手ににやつくのを一生懸命抑えた。
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