第6話 童貞を殺す服

「おかえりなさい!」

「……一体なに?その格好は」

 家に帰り着いて、私を迎えたユカにいつもより1トーン低い声で訊ねた。ユカは、満面の笑みで胸を張って答える。

「『童貞を殺すセーター』!です!」

「ちぇりもや!!」

 ズビシッ!私は奇声をあげながらユカの頭にチョップをくらわせた。

「理不尽な暴力!?いきなり何するの!」

 チョップが直撃した頭を抑えながらユカが涙目で抗議する。私はうつむきながら肩をわななかせる。

 私だって、見ればわかる。童貞を殺すセーターくらいわかる。前から見れば単なるグレーでノースリーブの縦セタに見えるが、後ろは首の付け根からお尻の割れ目が見えるくらいガバッと空いていて、肩甲骨から背骨から何から全て露わになっている。脇にも布はなく、豊かな胸がセーターを持ち上げて作った空洞には腕を通すこともできそうだ。ふとももも、どんなミニスカートよりも剥き出しになっている。エロいかエロくないかで言えば間違いなくエロい。けれど

「なんだ童貞を殺すセーターって!別に俺は機会がなかったから童貞なんじゃなくて信念持って童貞やってんだからな!こんな風に揶揄されるいわれはないぞ!君から見た僕は童貞か?君は僕を『童貞A』と思って付き合ってたのか?『僕』を見ろよ!だいたいなぁ、第1話とほぼネタが被ってるんだよっ!!」

「そ、そんなに怒らなくても」

 烈火のごとくまくし立てる私にユカがたじろぐ。

「怒るさ!そもそもそれ違うからな。『童貞を殺す服』ってそういうのじゃないからな!」

「そうなの?」

 ユカが意外そうに目を丸くする。純粋な興味を向けられて、私の頭は少しばかりクールダウンした。

「ああ。童貞を殺す服っていうのは、えっと……ほら、こんな感じの服のことだったんだよ」

 ポケットから取り出したスマホで、検索した辞典ページを開いてユカに見せる。そこには清楚でフェミニンな服を纏った女性のイラストが表示されていた。

「そうなの!?知らなかった」

「同時期に『例の〇〇』っていう、やたらエロい服装をフィーチャーするブームがあったから、そっちと混線したんじゃないかと睨んでるんだけど……童貞を殺す服は!童貞だけを殺すスナイパーライフルであって!範囲攻撃のグレネードランチャーじゃねえんだよ!」

 話しているうちに怒りが再燃してきて、私はもはやどこ宛かもわからない怒りを咆哮した。

「……そっか。君も、いろんなことを我慢してたんだね……話してくれてありがとう。ごめんなさい」

「う、うん。わかってくれれば大丈夫」

 ユカがあまりにも素直に受け止めたので、私の気勢は削がれて尻すぼみになった。もともと八つ当たりに近い怒りだったのだし。そんな私に、ユカはたしなめるように額を人差し指で小突いた。

「でも、話す前に叩いたのはダメだよ。痛かったんだから」

 それは間違いない。付き合って今までの間に、ふざけてでも手を上げたことはなかったはずなのだけれど、やってしまった。

「ごめん、つい」

「わかってくれたんなら私も大丈夫。さ、仲直りしたらご飯にしよう。あっ」

 リビングに向かって振り返ったユカが、短く声を上げて立ち止まった。

「どうかした?」

 私がそう問いかけると、ユカは首元のリボンに手をかけて、言った。

「この服、もう脱いだ方がいい?」

「ぶっ!!」


 いつになく緊張して君の帰りを待つ。玄関前に立つこと10分、いつも通りの時間に君は帰ってきた。

「お帰りなさい」

「……それは?」

 君が静かに問いかける。私は怯むことなく、まっすぐに見つめ返して答えた。

「今夜こそ、あなたの『童貞』を殺します」

 今晩の服は、『童貞を殺す服』だ。胸元にフリルがついた白のブラウス。ハイウェストでフィットするネイビーのスカートはボディラインを強調している。首元には同じくネイビーのリボン。自分では絶対に選ばないような可愛らしいコーディネートだ。一歩歩くたびにパニエで膨らんだスカートがふわふわ揺れる。

「…………」

 君は、黙ったまま玄関を後退して、ドアを閉めた。混乱すること数分、君が再び家に入ってくる。そして、こう訊ねた。

「夕食って、もう作った?」

「うん。もう食べられるけど」

 質問の意図を掴みかねたまま私は答えた。落ち着いて見えるけれど、また怒っているということだろうか。やっぱり2日連続で童貞を殺すシリーズはダメだったかな?

「申し訳ないけど、それを食べるの明日でいい?連れて行きたいところがある」

 そう言って君は、靴を脱いでクローゼットを開けた。


「美味しい!こんなに豪華なレストラン、プロポーズ以来だよね?どうしたの?」

 一口食べた魚料理の味に私は感嘆の声を上げた。県内にある高級ホテルのレストラン。何かの記念日でもないと来ないような店に、急にどうしたのだろう?目の前に座る君は、仕事で使うものよりも少し細身のジャケットを着て、ニコニコと笑っていた。よかった、怒ってはいないみたいだ。少しだけ緊張してるように見えるけれど。

「いやぁ、君のその姿を見てたら私ひとりだけで見るのはもったいないなと思っちゃって。『僕の妻になる人はこんなに可愛いんだぞ』って見せびらかしたくなっちゃったんだ」

 頭をかいて君が言う。褒められたくてこんな服を着たのに、いざその言葉をもらうとしどろもどろになってしまう。しかも、褒め言葉が思ってたより大きい。

「そ、そんなに」

「うん。すごく似合ってるよ。……それで、なんだけど」

「?」

 君が意味深に言葉を切ったから、私は疑問符を頭に浮かべる。君は、意を決したように言った。

「じつは、レストランだけじゃなくて部屋も取ったんだ。夜景が綺麗に見えるそうなんだけど……どう?」

「……!?うん……」

 びっくりしたけれど、うなずく。これって、これってそういうことだよね!?


「すごい!本当に綺麗!!」

 カードキーを使って部屋に入り、窓辺に駆け寄る。前評判通り、見下ろす夜景は星空のように煌めいていた。そんな私を、後ろから君が抱きしめて耳元で囁く。

「……君の方が綺麗だよ」

「ぷっ!もうっ、キザすぎだよ〜」

 あまりにテンプレートなセリフに吹き出しながら、じゃれつくように振り返る。君の目は真剣で、ふざける雰囲気はどこかに吸い込まれて消えた。

「…キスして」

「んっ」

 ねだる声に応えて、キスをする。君の舌が入ってくる。今までのとは違う、大人のキス。求め合うキス。多幸感で膝がとろけてしまいそう。唇を離して、目を潤ませる私に君は言った。

「少しだけ気が早いけど、今夜だけ私と夫婦になってくれないかな?」

 キターーーーーーー!これはそういうことだよね?エッチは夫婦になってからだもんね!?今すぐにでも押し倒したい衝動を抑えて、私は少しいたずらな顔をした。これだけ待たされたのだもの、少しくらいいじわるしても許されるでしょ?

「もう、何言ってるんだか」

 君の眉が下がる。ああっ!可愛い。食べちゃいたい。私は頰を緩ませて言った。

「今夜だけじゃなくて、これから先ずーっと私たちは夫婦でしょ?」

 それからもう一度、息が切れるまでキスをした。キスが終わって、私は君のエスコートでベッドに腰掛ける。

「じゃあ、脱がすね」

「うん……」

 君はリボンに手をかけた。これまで、かなりエッチな姿で君を誘惑してきたのに、いざその時になるとやっぱり恥ずかしい。恥ずかしくて、嬉しい。……ってアレ?そのリボンは結んだ状態で縫い止めてあるもので、いくら引いても解けないのだけど。

「……」

 2、3度引っ張ったところで君もそれに気づいたようで、今度は背中に手を回した。いや、ワンピースじゃないんだからそんなところにファスナーはない。ようやく前に戻ってくる。や、そのスカートのボタンはダミーというかそれを外したら何が起こると思ったんだ。

「ダメだぁあっ!」

 君が突然項垂れながら叫ぶから、びくっとしてしまった。それから君は吹き出すように笑って言った。

「脱がし方が全然わからん!」

 待って!?『童貞を殺す』ってそういうことなの!?『一見すると構造が複雑なため、女性経験がない童貞には脱がせることができない』って意味合いが!?君は吹っ切れたように立ち上がると、私に背を向けて歩き始めた。

「ちょ、ちょっとどこいくの!?」

「え?お風呂入って寝ようかなと。あー、危なかったぁ」

 なんで!?せっかくここまで来たのに!あとちょっとなのに!

「待って!ほ、ほら!脱がなくてもできるから!スカートだから下からできるから!」

 私は動転しながら立ち上がって、スカートをたくし上げた。

「ぶっ!くっくっくっ……」

 君は、咬み殺すように笑う。この反応は予想外だった。あとで聞いた話によると、「目があった」という。恐る恐る、私はスカートの中を覗き込む。私は、事もあろうに、あのくまちゃんパンツをはいていた。

「あははは!」

 真っ赤になる私にとうとうこらえきれないとばかりに君は大笑いし始めた。さっきまでの雰囲気は雲散霧消してもう取り返せそうにない。

「もう、バカ!」

「いてっ!」

 君はチョップが直撃した頭を抱えて涙目でうずくまった。


「もうちょっとだったのに……あと少しで……」

「ほらほら。そんなにへそ曲げないで」

 ベッドの端で向こう側を向いて寝ている君を後ろから抱きすくめる。いまはふたりともバスローブしか着ていない。考えようによってはとてもセクシーな状況だけど、あれだけ笑ったせいか私には余裕ができていた。

「機嫌直して欲しいんならシてよ」

 むくれながら言う君に、私は答える。

「ダメ。エッチは夫婦になってから」

「バカ。頑固。石頭。」

 そう言って君は私の胸をポカポカ叩く。

「でも、そんな私を好きになったんでしょう?」

「……バカ」

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