第3話 下着

 両手を額について、うなだれている。寝室のベッドに腰をかけて。全身が熱を持って熱い。

「はぁ…」

 荒いため息を吐いた。ちょうどその時、寝室の扉が開いた音がした。

「これはどう?」

 入ってきた婚約者のユカが呼びかける。私はしぶしぶ、本当にしぶしぶ頭をあげ、薄眼で彼女の姿を見た。

(よし、これならまだ耐えられる)

 目を開ける。ユカは下着姿であった。強烈にセクシャルな印象を与える紫色のブラとパンツ。膝に手を当てて前傾姿勢をとっているので豊かな胸が、その谷間が強調されているが、それは先程までと同じだ。

 私とユカは結婚を来月に控えて、同棲生活を始めた。その目的は、お互いの価値観のすり合わせ。価値観とはつまりは何が好きで何が嫌いかということ。であれば当然自明のこととして、私の下着の好みも知らなければならない。それがユカの主張だった。どうにもこじつけに思えるが、一応の筋は通っている。反論の根拠が思いつかず、こうしてユカの下着ファッションショーが始まった。今の下着は3着目だ。

「我慢できなくなったら、いつでも言ってね?」

 最初の下着に着替える前、ユカはそう言って寝室を出た。局所的な観点ではその時点で限界を迎えていたとも言える私だが、婚前交渉はできない。それが私のポリシーだからだ。今にも襲いかからんとする体を押さえながら、これで3着目。さすがにわずかに耐性もできたのか、心拍数は190BPMに収まっている。しかし、その余裕を見て取ったのか、ユカは不敵な笑みを浮かべた。直後、私が訝しむ暇もなく右足に重心を移し軽やかにターン、反対方向を向いて同じ姿勢をとった。

(Tバック……!!!)

 不意打ちだった。脱出王フーディーニは、脱出マジックに失敗して溺死したと誤解されがちだが、実はそうではない。彼は余興として、腹筋に力を入れてパンチを跳ね返すという芸を好んで行なっていた。そんなある日、腹筋に力をまだ入れていないタイミングで殴られるという事故が起きた。そのときの負傷を原因とした虫垂炎が彼の本当の死因だ。油断というのはかくも恐ろしいものであり、油断していた私が負ったダメージは深刻だった。

 ほとんど露わになっているユカのお尻。胸が大きいことに気をとられていたけれど、お尻もこんなに大きかったのか……。大きくて、丸くて、つややかで、美味しそう……なんかの果物の話か?

「で、どう?」

 半ばトリップする私の意識をユカが引き戻した。わずかにこちらを振り返りながら返事を待っている。

「すごく、セクシーだね……食べてしまいたいくらいだ」

 必死に理性を保ちながら、絞り出すように感想を伝える。嘘を言ってはいけない。隠し事をしてもいけない。それは私たちの間のルールだ。

「ふふっ、いい感想だね。なんなら今すぐかぶりつくっていう手も……」

「ないから」

「はいはい」

 ユカは軽めの返事をして寝室の扉を出た。もう一度ため息をつく。わずかなこの時間が私に与えられたクールダウンタイムだ。しかし、何を考えれば冷静さを取り戻せるだろうか。素数を数えるのはもう試したし……

「おまたせ!」

 考える間もなく扉が開き、ユカが飛び込むように寝室に行ってきた。今度の下着はスポーツブラだった。打って変わってビビッドなオレンジ色。露出度は格段に下がって、なんならこのままヨガのインストラクターをやっていても不思議はない。が、心臓がきゅーーんとなった。強力にホールドされてなお揺れる胸のボリューム、太陽のような笑顔、甘酸っぱい感覚。さっきのが熟れたぶどうなら、こちらは弾けるオレンジだ。おいやめろ俺の頭。勝手にユカをバランスボールに乗せるな、弾ませるな、喘がせるな。そんな妄想なんてしなくたって、目の前の現実でいっぱいいっぱいなんだから。

「活発なきみの魅力が上手く引き出されてると思う。好きだよ」

 満足げにニンマリと笑って、寝室をでる。ふと思った。下着を着替えているということは、この扉一枚向こうには生まれたままの姿のユカがががががが……ちょっと遅いな?

「ユカ?どうかした?」

「ううん。我ながらこれはちょっと恥ずかしいな」

 扉から首だけだしてユカが答えた。Tバックより恥ずかしい下着があるのか。期待に胸を膨らませながら……じゃなかった、至って冷静に待っていると、意を決したユカが扉から姿を現した。私は絶叫しそうになるのをすんでのところで堪えた。

(くまパンツ!?!?)

 それは、正面にデフォルメされた熊の顔がプリントされたパンツであった。シルエットはこれまでのものに比べると厚ぼったく、材質は多分綿。合わせるブラは、シンプルな白。セクシーさで言えば見劣りするだろうか。しかし、これは

(ロリ!!圧倒的合法ロリ巨乳!)

 もともと小柄なユカが極めて幼い下着を着ることで、もう幼女にしか見えない。恥じらいがこもった上目遣いと、内股。加えてアンバランスに大きな胸。背徳感と興奮で血液が逆流する。

「ど、どうかな?」

「甘い。とっても甘い。いちごのショートケーキみたいだ」

 不安げに訊ねるユカに私は答える。自分でも何言ってるのかもうよくわからない。

「それ、褒めてくれてるんだよね?えへへ」

 頬を押さえながら笑うユカに心臓が締めつけられる。可愛いぃ、襲う襲う襲う襲う襲う襲う…

(いや、ロリを襲っちゃあかんでしょ)

 突然スンッと冷静になった私を尻目にユカがもう一度部屋をでる。

「次が最後だから」

 そう言ってユカは扉を閉めた。長いようで短かったこの天国のような地獄の時間も終わり、そう考えると、安心したような、寂しいような気持ちになった。アンビバレントになっている私の前に、最後の下着を身につけたユカが姿を現した。これまでのどれよりも緊張した顔をしている。ショーツはふとももの半分くらいまでの長さがあり、ブラは胸全体を包んでいる。色はベージュ。なんというか、今までで一番地味な下着だ。

「これは……?」

「これね、補正下着なんだ」

 そう言って、恥じらうように横を向く。……なるほど!そもそもハリがあって綺麗なユカのボディラインが、補正下着のバストアップ、ヒップアップ効果で完璧な曲線を描いている。黄金比。

「綺麗だ。ルネサンスの彫刻家が見たらその姿を残すためにどれだけの大理石も惜しまないだろう」

「な、なんか褒め言葉がいきなり壮大になったね……」

 すこし引き気味にそう反応して、ユカは小さくうつむいた。

「どうかした?」

「その……補正下着って、すこしおばさんっぽくない?そりゃ、私だって綺麗でいるための努力はするよ?君にずっと好きでいて欲しいもん。でも、その、赤ちゃんができたり、おっぱいを飲ませたり、運動不足になったりして、どうしても体型が崩れちゃうことってあると思うの。そういうときは、こういうのも使うかもしれないから……」

 女心というものは複雑で、がさつな僕には理解しきれないらしい。頭から疑問符を飛ばしながら僕は言った。

「いや、そういうのも綺麗でいるための努力でしょ?なら、その結果は綺麗じゃないと困るし、努力そのものも綺麗だよ」

「じゃあ、いいの?」

「何が?」

「私がいつかおばさんになった時にこういう下着を着てても」

「そんな言葉で妄想させるつもりか!目の前の現実でいっぱいいっぱいなんだぞこっちは!」

 私がそう答えるとユカはぷっと吹き出した。笑いごとではないのに。それから笑いを噛み殺しながらこちらに歩いてきて、座る私にしなだれかかった。露わになったつややかな肩に目が吸い寄せられる。

「ねえ、抱きしめて」

 背中に手を回しながら甘えた声でユカがいう。

「屈しない屈しない屈しないぞこんなことで僕は!」

 赤熱した顔を背けながらも、私は抱きしめ返す。暫定十戒その3により、断れないから。手が、腕が、否応なく滑らかな肌と柔らかな体、そして温かな体温の感触を伝えてくる。そして、こらえるようにくつくつと笑う振動も。

「そんなつもりじゃないって。私が抱きしめてるのは抱きしめたいからだし……」

 そう言って、ユカは言葉を意味深に切った。続きが気になって、私はユカを見る。唇に柔らかい感触。柔らかくて、つややかで、甘い感触。

「キスしてるのは、キスしたいからだよ」

 唇を離したユカがそう言った。心拍数は1000BPMを突破する。目がぐるぐるする。

「あははは!」

 そんな私をよそにユカはとうとうこらえきれないとばかりに笑って、私から腕を離した。目尻をぬぐいながら私の左隣に座る。

「はぁ。あなたが結婚前にえっちしてくれなくてよかったな、って初めて思ったよ」

「どうして?」

 今まさに折れんとしていたポリシーを肯定されて私は虚を突かれた。君が絡める右手がまだ私に体温を伝えてくる。

「じゃあ、もし私たちがもう夫婦で、なんの気兼ねもなくえっちできたとしたら、君は私の下着姿を見てどうしたと思う?」

「……某世界的大泥棒並みの飛び込みを見せたと思う」

「正直でよろしい。でも、せっかくこれが可愛いなぁとか、これを着たら綺麗に見えるかなぁとか、君が喜んでくれるかな、とか一生懸命選んだものがちゃんと見てもらえないのは甲斐がないでしょう?」

 そういって君は首をかしげる。これは私にもわかりやすい説明だった。

「わかった。結婚してからも下着姿をしっかり味わうよ」

「その言い方はヘンタイっぽいよ〜」

 笑いながらユカはもう一度私に抱きついて、耳元で囁く。

「私も頑張るから、いつまでも、何度でも私のこと好きになって」

 時間が止まった。

 もう一度、パッとユカが離れる。

「さ、次はこっち」

 …………え?ユカがベッド脇から紙袋を持ち上げる。なんですか?それは。鼻歌混じりに手を突っ込んで、中身をひとつ取り出すユカ。ひも……ではないな、限りなくひもに近いパンツだ。今着てるのが最後の下着だったはずでは?疑問符を浮かべる私をよそに、もうひとつ取り出す。ひも……ではないな、これは、ふんどしと呼ばれる種類の下着だ。もうひとつ、これはわかりやすい、トランクスだ。まだ袋の中にはものが入っているようだが、取り出すのをやめて、ユカは満面の笑みで私に言った。

「次は君の番ね?」

「勘弁してくれーーー!!」

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