第十章 接近1-2





風に木々がざわめく。



「安河内さん」



声をかけると、安河内は緩慢かんまんな動きで振り返った。



「……やあ、マリカさん」



マリカも隣に、静かに並んだ。



「大丈夫。さっき和泉さんも言っていましたが、夏野の間からは何も出て来ませんよ。安河内さんを追って近づいて来ている霊もそうです。この旅館の入り口までは寄って来れません。来れても坂の下の温泉街の入り口までだって、みなさん、言ってたでしょう」



苦味温泉郷は極楽山に沿って建つ温泉の街だ。

街の真ん中に幅広の石畳の坂道が走っていて、その両脇に大小の旅館が立ち並んでいる。

それぞれに風情ある旅館の間に、抜け道のような小道を挟み、坂道は極楽山の登山口まで続いていた。

高地にあるため夏場でも気温が低く、部活の合宿の時期や登山のオンシーズンにはなかなかに賑わう。

坂の一番下には「ようこそ苦味温泉郷へ」と書いた、商店街の入り口に架かっているような古めかしい鉄のアーチがあって、和泉が言うにはそこから先は、悪意のある魂は登って来れないらしい。



一度、亜美に連れられて国宝・松本城を見に温泉郷の外に出たことがあった。


アーチのことは後から聞かされたのだが、確かに通り抜けたとき、言葉では言い表せない、なんとも言えない空気を感じた。

何かにじっと観察されているような、見定められているような、そんな落ち着かない気持ちになった。



極楽山が霊場とされる理由は、もしかしたらそのあたりにもあるのかもしれない。

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