堕天使たちの門出2
六、
シゲはまず、親切な道永さんの姿を探した。
すると、ほどなくして三年B組でも何かと目立つリア充グループに地味顔の道永さんが混じっているのを発見する。
他人は踏み台にするために在る、と言わんばかりの基本に忠実な性悪ぶりに呆れたものを覚えつつ、シゲは手始めに片を付けることにする。
訝しそうな視線が集まる中で接近して、親切な道永さんに問いかけた。
「ねえ、どうして私に意地悪するの?」
ポイントは、決め顔だ。
あくまでも決め顔なのであり、度を超してドヤ顔になってはいけないのだ。
「えっ?」
「いやいや、えっ? じゃなくて。ずっと私に嫌がらせをしているよね?」
地味なのは顔だけ。そんな人間は、男であっても女であっても意外と多いものだ。
言動のどこにも慎ましさや奥ゆかしさは存在しないのに、人は相手の外見だけを見て判断を下す。
「な、何のこと?」
当然地味顔の持ち主も地味顔の価値を把握していて、今回もまた利用できると信じて疑わない様子だった。
だが、シゲに見逃す気は毛頭ないのだ。
この瞬間のためだけに持ち歩いていたノートを相手が見やすいように見開きにして、さらには指で指し示すことまでした。
「じゃーん! これ、道永さんから借りたノート! ほら、こことここと……ここも。間違いを訂正してあげといたからね!?」
要点は特に滑舌を良くして指摘する。
なかなかの名演ぶりであると、内心で自画自賛してみたりなんかする。
「え……何か、キャラが違う……」
「そんなことないよ? 道永さんてば、公式の重要なところばかり間違ってるんだもの。模試の前に教えてあげないとって思ったのよね」
にんまりと笑ったシゲが指摘すると、リア充グループの全員が驚いたように親切な道永さんを見た。それはもう見事な揃いっぷりで、見ていておもしろくて仕方がないシゲはまた笑った。
「な、何を言ってるの!? 私はそんなことしてないんだからっ」
「えー? うっそだぁ」
シゲは、動揺して埒もない言い訳ばかりを繰り返す道永さんに歩み寄り、無造作に右手を突き出した。
その細い肩を、指先でとんと軽く突いてやる。
「うぐっ」
不自然に黙った地味顔が、信じられないとばかりに目を見開いてシゲを見る。
すると、そんな様子を見守っていたリア充グループこと、シゲに水をぶっかけ隊の面々が動揺し始める。
リア充たちの心を言い当てたならば、よくわからないけれども何か異常なことが起こっている……そんなところだろうか。
三年B組という限られた空間の中で、いじめがあった。
いじめられていた地味顔のガリ勉女を気まぐれで助けたならば、どうしたことかいじめのターゲットがいじめられっ子からシゲへと向いて、さらには地味顔からも嫌がらせをされるようになった。
親切心は怪我の元。
スクールライフあるあるの一つである。
それにしても、知らないとはいえシゲをいじめるという暴挙に出た度胸だけは賞賛に値するのかもしれない。少なくともシゲが逆の立場に置かれたならば、色んな意味で絶対にこんなことは出来ないのだから。
手早く地味顔の処理を終えたシゲは、続いてよくわからないという顔をしているいじめの中心人物の前へと移動する。
「ばいばい!」
前触れもなく肩に手を置いて、錬金術を使った。
と、肩に手を置いた相手の顔がくにゃりと歪んだ。
歪んで、整って、また整う。
「え……?」
「な、何?」
「――んふふ、お待たせ!」
シゲは、現実を受け入れきれずに戸惑う相手の身体に次々と触れて回った。
シゲの錬金術に不可能は少ない。服の上からでも問題なく発動し、結果を残した。
初めは脳の認識が追い付いてなかっただろう教室内に、波紋のように恐怖が連鎖し、広がりを見せていく。
だが、三年B組の生徒たちが状況を把握した時には、逃走経路はシゲが塞いでしまってすでにない。
響き渡る恐怖に満ちた悲鳴。
「あはっ」
混ぜ混ぜまーぜ、くるっとな。
時には錬金術で床に縫い止めたりなんかして、生徒の身柄を拘束する。
必死で廊下へと続く引き戸をこじ開けようとする生徒に向かって、微笑みながら言い放った。
「もっと早く人生について反省したら良かったのにね!」
教室内の生徒を一人たりとも逃す気はなかった。
分岐点はいくつも用意されていたはずだ。
シゲを受け入れることはできただろうし、いじめをしないという選択肢もあった。
それらすべてを振り切って、いじめを楽しんでいたのは彼ら彼女らの方なのだ。もしくは、いじめに荷担しないまでも同じように無視をして、小さな嫌がらせを繰り返した。
他の人はもっとやっている、自分だけがしているわけじゃない。
いじめられている人間にとっては紛れもなくいじめでしかないその行為を、罪の意識もなく実行する――そのせいで、シゲが三年B組に紛れ込む以前に生徒と教師が一人ずつ自殺未遂をする事態にまでなった。
シゲはクズである自覚はあっても、冷酷な質ではない。だから、もしもクラスメイトたちがシゲに対して普通に接してさえいたならば、罪悪感が邪魔をしてここまでのことはしなかっただろう。
残念ながら、現実はかくも厳しく微塵も罪悪感が湧かないどころか、鬱憤が溜まりすぎて錬金術の行使に快感すら覚える始末だ。
全ては今更なのだ。
教室内の生徒たちを混ぜて捏ねてかき回す。
あの子が彼女で、彼は彼女で。
人間という型枠の境界線が消え去って、混じり合う。
あの子が良いかな? いやいや、こっちが相性良いのかも?
取捨選択には限りがあって、シゲはあらかじめ決めていたというのに頭を悩ませるのだった。
七、
無事に大仕事を終えたシゲは、教室を元通りにしたところで息を吐く。
仕上げの確認作業中に足下に一滴だけ落ちていた真紅の痕跡に気が付いて、つま先でぬぐい取ることで証拠隠滅を謀った。
一仕事を終えた達成感に浸りながら、静寂に包まれた教室を見回す。
ひと言の私語もなく身動き一つしない三十四人もの生徒がまっすぐに背を伸ばして着席している姿は、一種の清涼感すら漂わせており、圧巻である。
シゲの錬金術の餌食になったことにより産声を上げたばかりの状態である彼ら彼女らは、いわば初期設定が真っ白な状態だった。
今回のシゲの仕事内容は、人間の表面を加工して空っぽの美しい人形を作ることであり、以降の加工については依頼人である宗教家の得意とする分野である。
と、そこまで考えたところで今さらながらに廊下に放置した男子生徒の存在を思い出したシゲは、教室の出入り口を確認する。だがシゲの期待とは裏腹に、唯一難を逃れた幸運な男子生徒の姿はそこにはなかった。
道具を取りにでも行ったのか、それとも人を呼びにでも行ったのか。いずれにしても、シゲの役目は今日までだ。学園生活はすでにお腹いっぱいといった気分で、しばらくの間シゲは女子高生の看板をしまい込んで閉店休業状態へと移行する予定である。
おそらく宗教家はシゲが模試をすっぽかすことを残念がるだろうが、知ったことではない。
そんなわけで、今後の人生においてシゲと男子生徒が邂逅するか否かは、運命の采配へとゆだねられることになった。
人間とは、見た目や言動だけでは計り辛いものだ。男子生徒のように口悪く悪態を吐きながらもいじめの本質を白日の下に曝そうという者がいれば、道永さんのようにノートを提供するなど世話を焼くふりをして貶めようとする者もいる。
どちらが良いとも言えないが、少なくともシゲは男子生徒のような人間が嫌いではなかった。
だから、彼だけは饗宴の現場となった三年B組の教室から閉め出されることになり、その結果として、錬金術から逃れる機会というただ一度だけのチャンスをモノにしたのだ。
まさに強運、あるいは豪運。
それとも――正当に、日頃の行いとでもいうべきか。
シゲが教室の引き戸の立て付けに苦労していると、タイミング良く状況を嗅ぎ付けたらしい宗教家がやって来て、ひと言述べる。
「相変わらず派手なことをする」
「よく言うよ。宗教家せんせほどではないでしょ。――一人だけ、逃したからね」
「む? それはいかんな。万能の君としたことが、珍しいのではないかね」
「だって、ちょっと可愛かったから……」
らしくもないことをした自分に気恥ずかしさを覚えて、シゲはついと視線を横にそらす。
「ほう? あのクラスにも君のお眼鏡に叶うだけの生徒がいたか。うむ、三年B組といえば……誰がいたかね? それはそれは、困ったことだなあ」
「支障なんてないくせに、この偽善者」
「褒められると妙に照れくさいものだな。だがまあ、君が気に入ったのならば、その幸運な一人だけは見逃してやることにしようではないか。うん、いや何だね。このクラスは本当に面倒でなあ。いつも錬金のことはありがたいと思っているよ」
「宗教家せんせって、どう考えても楽には死ねないよね」
「はっは。君もな!」
適当なことを胡散臭い笑顔のまま言い捨てて、浮かれた様子の宗教家はたった今シゲが出たばかりの教室の中へと消えて行く。
弾むような歩調に、紳士然とした装いも相まって胡散臭さばかりが際立つように見えるのは、シゲが宗教家の本性を知っているからなのだろうか。
宗教家が後ろ手にぴしゃりと出入り口の引き戸を閉め切って、続いて三年B組の教室から滔々と説教を始める宗教家の堂に入った声が聞こえてくる。宗教家が得意とする流れるような弁舌は今日も絶好調であるらしく、生徒たちの生まれたてのまっさらな脳にはさぞかし刺激的で心地良く響くことだろう。
各学校・各学年ごとに成績優秀な生徒ばかりを集めたクラスが存在するように、公にはされない問題児ばかりを集めたクラスが存在する。
問題児を集めたクラスは生徒ばかりではなく保護者にも問題行動が多いのは周知の事実であり、学園運営において頭痛の種であることは間違いない。
そんなクラスに、シゲがお呼ばれするのである。
この日、宗教家の理想を体現したかのような奇跡のクラスが誕生する。
犬のように無垢に宗教家を慕い、かつシゲの錬金術により美男美女ばかりとなったそのクラスは、宗教家が学園業を営む上でこの上なく役に立つ集団として機能することだろう。
過去を知る者は少なく、未来を知る者はこの場にいない。
卒業するまで、ひょっとすると卒業してからも宗教家を助け続けることだろう三年B組の未来に待ち受けるのは、天国かそれとも地獄なのか。
シゲはかつてのクラスメイトたちの幸運を祈り、自分の手の甲にそっと口付けを落とすのだった。
☆☆☆
狼は、魔女の報告を聞き終えると命の契約書で仕事が完了していることを確認して、持参した報酬を手渡す。
日本円にして札束が一つ。仲介料の相場は仕事人の報酬の一割であり、狼の常連客である錬金術師の仲介と比べると今回の仕事は実入りが少ない。
「浮かない顔をしているわね。貴方の奥さんと子供ちゃん、今回もまた産後の経過が悪いのかしら?」
「いや……」
「あら、そう? 今度こそ上手くいくと良いわね」
年齢不詳、正体不明の魔女は、何もかもを見通した様子で鮮やかに笑んで去って行く。
狼が丸い月を見上げていると、人の気配を感じた気がして視線を転じる。
だが、そこには誰も居ない。――いないことを、頭の片隅でわかっている。
闇夜に建つ街灯の明かりが影を産み、ゆらゆらと揺れ動いた。
次第に視界はぼんやりとにじみ初めて、現実が遠退いていく。
そうして、いつものように唐突に幻覚が始まった。
「ねえ、待った?」
そう言って首を傾げるひょろ細くてまだ若い人間の女がいた。
かつては自分の両の手の内側に招き入れ、あまつさえ隅々まで味わったこともあったように思うのに、今となってはどうしても思い出せない。しかも、無理に思い出そうとすると強いあせりのようなものを感じて、どうしようもなくなってしまう。
息をするのも憚られるほどに身体を強ばらせていると、人間の女は溜息を吐いて腕を絡まらせてきた。
柔らかな感触がして、狼は咄嗟に振り払った。
強く、強く。
甘く香る女の匂いを感じて、自分が男であることを殊更強く意識する。
「触るな……」
この言い表しようのない嫌悪感は、何処からやってくるのだろうか。
衝動だけが身体の内を駆け巡り、終着場所を失ったまま巡り続ける。
「ひどい言いぐさ」
何でもなかったかのように、女が近付いてくる。
酩酊を誘うようかのような鮮烈な香りに当てられて、むせ返りそうになる。
「そうか」
「狼はいつも私に冷たいよね」
「どうでもいいが、オレには近寄るな」
女が近付いて来るから、狼は後退って距離を取る羽目になる。
いつものことだった。
そんなに悲しそうな顔をするならば、近付かなければいいだけだろうに。
だから、近寄って欲しくないのに。
「……聞いてる?」
「聞いていない」
「ねえ、私は貴方のことがとても好きだよ」
「――聞こえない」
声に出してしまってから、しまったと思う。
だが普段と変わらぬ表情を見て、幸いにも相手には気付かれなかったらしいと知り、そのことに安堵する。
人間の女はいつもと同じように、悲しげに顔を曇らせてこちらを見ていた。
「貴方に会えるから、私はここに来たんだ。私は貴方に付いていくだけだよ」
囁くように独りごちて、女は嗤う。
いつだってそうだった。今にも泣きそうな顔をするのに、女は泣かない。
そのことに、訳もなく苛立つ。
狼が無言で方向を指し示すと、人間の女は諦めたように歩き始めた。
狼がその頼りない背中に追い付くことは、永遠にありえない。
――これは、ただの幻だ。
二度と取り戻すことの出来ない、過去の欠片でしかない。
了
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