堕天使たちの門出1

 


 知らなければ問題はない。

 たぶん、そのはずだ。





一、


 ところでシゲは、たまに学校へ顔を出すことにしている。

 一応シゲの肩書きは今でも女子高生なるブランド名を保っていて、いささか品質に疑問は残るものの、街角アンケート等の職業欄には堂々と「高校生」にチェックを入れられる身分なのである。

 とはいえ、シゲが自覚しているだけでもすでに三年ほどは高校生のままだった気がしている。

 なるほど、愛しの狼に十一人目の子供が生まれるわけである。

 シゲの願望をよそに狼の夫婦仲は順調そのものであるらしく、かわいい我が子に手もかかれば費用もかさむということらしい。

 ちなみに、十一人目にしてようやく待望の女の子なのだそうだ。

 むしろ男ばかりが十人も続いたのかと突っ込みを入れずにはいられない偏りぶりに、シゲは言い表しようのない空しさを感じた。

 鬱だ。

 どれくらい鬱な気分であるのかというと、それは仲介者である狼に呼び出されてほいほいと出向き、出会い頭に「ばーか!!」と言い放ち、逃げ去ったくらいには鬱な気分なのである。

 わずか一分にも満たない逢瀬であった。

 そんなわけで、部屋に引きこもるのが嫌になったシゲは出掛けることを決意し、ついでにとあることを思い出してしまったということで、この機会に学園生活を満喫しようと決意したのである。




二、


 久々に訪れた学校は、若い生命力に溢れていて、世界が輝いて見えた。

 一人だけ老け込んでいるような気分になるのは、きっとシゲの気のせいであるはずだ。ちなみに異論反論は認めない。認めないったら認めない。

 かれこれ四カ月ぶりの登校であった。

 シゲの不良生徒っぷりがまかり通っているのは、通っているのが私立の中高一貫校で、しかも学園の理事長がシゲの知り合いだからだ。

 学園理事長兼宗教家。

 嘘のような本当の話。実に胡散臭い世の中である。

 これだけでも現実離れしているというのに、高い進学率を維持しているというだけで、国内有数の人気私立校だというのだから世の中は何かが間違っている。

 宗教家の辣腕ぶりは巧妙で、得意の舌先三寸を活かして言葉巧みに生徒やその保護者を先導し、副業にあたる学園業の傍らで着々と本業の信者を増やし続けているのだそうだ。

 妙に凝り性なところのあるシゲは、学業成績だけは上位を維持している。

 よって宗教家の思惑に乗って客寄せ広告の張りぼてとなるべく、模試の予定があると宗教家から呼び出しをくらい、そこそこの位置に名前を刻むことになるのだった。

 諸々の事情から目立ちたくはないシゲなので、シゲの替わりに「木瀬田繁子きせだしげこ」というそれ誰? なる人物が程良い好成績を叩き出して名前を刻むというなかなかの闇が垣間見えるやり口だ。

 もっとも、シゲとて学費を免除されているので文句は言えない。

 そのうち、学費分の札束で宗教家の顔を往復ビンタするのが目下のところのシゲの計画である。

 後悔先に立たず。金に困っているわけでもないのに、易々と悪い大人の口車に乗ってはいけないのである。

 さすがは宗教家。

 そのやり口は何処までも卒がなく、汚い……ということにでもしておく。

 シゲが通うクラスは三階にある三年B組だ。略して特進クラスのサンビィ。心底どうでも良い感じだった。

 エレベーターが欲しい、私立のくせにけしからん、などと内心で怨嗟を吐き散らしながら三階まで登りきると、階段のすぐ傍に位置しているのが三年B組の教室だ。

 建て付けの悪い引き戸を両手で力任せにスライドさせて、ようやく息を吐く。

 シゲが――「木瀬田繁子」なる人物が教室に入ると、一斉に注目が集まる。

 空気が凍り付いたような雰囲気がして、少しするとひそひそと密談めいたやりとりがそこら中で始まる。

 密談の内容はきっとこうだ。

 久しぶりに見た、相変わらず綺麗だ、あこがれの木瀬田さんを見られて幸せ。

 これ以外は断じて認めない。

 敏感な感性を持つシゲは、他人の評価に厳しいのである。




三、


「木瀬田さん、もう当校しても大丈夫になったんだね。良かった……」

「おはよう、道永みちながさん? もうすぐ全国模試があるから、がんばって治したんだ」

「そ……う、なんだ? 木瀬田さん成績が良いものね」

「そんなことないよ。でも、心配してくれてありがとう。ほんと、偶然に上から水が降りかかっただけで体調をくずすだなんて、情けないったらないよね。自分の身体なのに弱すぎて嫌になっちゃう」

「へ、へえ? 気にしなくても良いんじゃないかな……」

「道永さんも、今回の模試がんばろうね!」

「…………そうね…………」

 いくつもの視線を感じていた。

 シゲの学園生活において、妬み嫉みは最早お約束だ。天才錬金術師シゲ様だから、仕方がないのであ……ではなく、病弱キャラの木瀬田繁子さんに秘められた女らしさが注目されているからには、これは必然なのである。

「はい、これ木瀬田さんが休んでいた間のノート」

「わあ、いつもありがとう! 道永さんのノートって字が綺麗で内容がまとまっているから、とっても助かってるんだよ。今度機会があれば何かお礼をしないとダメだね」

「え、そんなの気にしなくても良いよ」

 奥ゆかしい性格をしているらしい道永さんは、謙遜して風のように去って行く。対価を要求しない親切に、シゲはくすぐったいものを感じて身をよじった。

 慣れないものを受け取るのは、まったくもって骨が折れる。最近のシゲの親しい面々といえば、可愛げもクソもない、ついでに血も涙もない、まさに無い無い尽くしのオールスターたちだ。おっさんやら生きた化石やらとぴちぴちの女子高生を比べるのは酷かもしれないが、少しは見習うべきだろう。

 ただし、狼だけは例外である。

「けっ、白々しい」

 真後ろから不機嫌そうな声が聞こえてくるも、シゲは聞かなかったことにする。

 特に木瀬田繁子さんを敵視しているうちの一人が、背後からびしばしと視線を向けてくる背後の男子生徒なのだ。

 眼鏡で雰囲気イケメンで……木瀬田繁子さんが命名したところの、通称眼鏡。木瀬田繁子さんに続く好成績を維持し続けるかわいい優等生くんである。

 ――と、さっそく道永さんのノートを開いて見ていたシゲは、数ページを捲ったところで手を止める。

「あ、誤字発見。やだー、道永さんたらドジッ子☆」

 手始めに数学のノートから確認してみると、特に重要そうな公式だけが絶妙にいくつも間違っていた。




四、

 

 保健体育の時間である。

 木瀬田繁子さんは身体がとても弱いので、シゲは校庭の片隅に座り込んで颯爽と見学を決め込んでいた。

 春風がそよぐ食後の授業である。

 シゲの意識は自然な成り行きでまどろみ、意識が飛びそうになるもかろうじて起きている。起きているったら起きている。

 そんな夢見心地のシゲに不幸が訪れたのは、保健体育の授業が終わろうかという時であった。

 うっかり意識が飛んだタイミングで、よくわからない冷たさを感じて強制的に目が覚めることになった。

「な、みず……?」

「ほら、おかわり……きゃあ! 気をつけなさいよ、私にもかかったじゃないの!」

「うぼぷっ」

 立て続けに頭から水を被ったらしく、シゲは激しく咳き込んだ。

 けたたましい複数の笑い声や悲鳴が折り重なって、ちょっとよくわからない奇怪音と化している。

 ようやく咳き込みが治まったシゲは、座り込んだまま上を見上げた。

「木瀬田さん、大丈夫ぅ?」

「……………げほっ、ふ、寒い……」

「やだぁ。ほんっとおもしろい人ねえ!」

「あり……がと?」

 また水か。

 前回登校した時分の被害も水だった。あの時は確かまだ二月……天才錬金術師シゲ様がうっかり高熱で死にかけた恐ろしい出来事であった。

 そういえば、シゲを取り囲んでいるのは五人だ。前回と比較すると一人増えている。

 ――誰が?

 ぼんやりと考えているうちに時間は経過していて、女子高生たちは濡れ鼠のシゲを置き去りにして現場を後にする。

「ったく、手袋が濡れるのはきついな」

 布屋の特別な手袋だ。あらゆる事象に耐え得る頑丈な造りが特徴なのだが、表面に防水加工がされているとはいえ、中にまで水が入ってしまっては意味がない。

 眉間にしわを寄せたシゲは、仕方なく手袋を外して見たくもない両手を白日の下に曝す。

 多少のことは大目に見てやろう。

 だが、手袋を外す事態になったのだけはダメだ。

「学校生活って、たーのしっいな……んふっ、んふふふ……」

 錬金術で全身の水気を吹き飛ばしながら、楽しくなってきたシゲである。

 シゲの錬金術には、等価となる素材以外にも絶対的なルールが存在しているのだ。

 一つ、錬金術の発動条件を設定するべし。

 一つ、あらかじめ加工結果を確定するべし。

 他にもあったような気がするが、特に重要なのはこの二つだけだ。

 前者については設定していなければ錬金術が無秩序に暴発して大変なことになるし、後者は確定していなければ人間として壊れたものが出来上がってしまう。

 人体へ施す錬金術だけに限っていえば、後者が特に重要であり、もしも確定せずに錬金術を行使したならば、いつだかのユウトのようなものが出来上がることになる。

 いくらシゲであっても、無造作に人間を壊したいとは思わない。むしろ錬金術を使わなくても済むのならばそれで良いと思っている。

 今回、宗教家の依頼でシゲが学園に通い始めてから、すでに半年以上が過ぎていた。

 シゲの中でとうに加工結果が出来上がっていたのに実行しなかったのは、単にそういう気分だったというだけである。

 たまには女子高生である自分を再確認したい……などという理由では絶対にないのである。




五、


 手袋の束縛から解放されたシゲの手が、教室の窓枠を丁寧になぞっていく。

 一つが終わると、次へ。そのまた次へと。

 せっかくあの宗教家がせこい裏工作をしてまでお膳立てしてくれた自習の時間である。あせる必要はなかった。

 シゲは、直接指先で窓枠に触れて、念入りに処置を施した。

 見た目は何も変わらない。材質も変化しない。しかし、強度だけがありえない数値を叩き出す――理不尽を可能とするのが、シゲの錬金術だ。

 最後に教室の出入り口である引き戸に取りかかろうとしたところで、シゲは見覚えのある男子生徒が廊下を歩いて来るのを発見した。眼鏡な雰囲気イケメンくんである。

 シゲはふと思い立ち、タイミングを見計らって男子生徒の目前で引き戸をぴしゃりと閉めきった。ガラスの覗き窓越しに男子生徒と目が合ったところで、にっこりと良い笑顔を送ってみせる。

 すると、相手は見るからに怒気を深めて、猛然と引き戸に挑みかかった。

「立て付けが悪いな。くそ、かたい!」

 心地よい悪態が引き戸で隔てた向こう側から聞こえて来るも、教室側に居るシゲはほくそ笑むだけだ。

 ただでさえ立て付けの悪い引き戸を、シゲの錬金術で補強してあるのだ。男子生徒一人の力では到底開けることなど出来はしないし、さらに言うとどんな最新鋭の機器や兵器を持ち出してきても現在三年B組の引き戸はびくともしない仕様になっている。一時的に核シェルターよりも頑丈な造りになっている三年B組の教室なのである。

 最後に教室から閉め出した男子生徒を除いたクラスメイト全員が揃っているのを確認して、シゲはもう一度だけ念を入れて引き戸の具合を確認する。引き戸の確認が終われば、骨の折れる作業は終わりだ。

 さあて、準備も終わったことであるし仕上げといこうではないか。

 レディース&ジェントルマン、ウェルカム・トゥ・ザ・マジックショウ!




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