第11話 お母さんの想い

その日、僕は海に落として壊れてしまったスマホを持って携帯ショップへ行き、修理に出した。

さすがに海水に水没した本体は一目で修復不能と判断された。


しかし幸いなことにスマホ内に記憶されていた電話番号やアドレスデータは読み取ることができ、復旧させることができた。彼女の連絡先を含めて。


しかし彼女の両親からの約束なので僕のほうから連絡を取ることはもうできない。


彼女はどうしているのだろうか。

元気になったのか? 

そんなことを思う毎日が続いた。


彼女に会いたかった。

それはもうできないのも分かっていた。


でも、せめて元気かどうかだけでも知りたい。そう思った。


学校は春休みに入ってしまったので、学校からの情報も何もない。

彼女のことを教えてくれる友達もいなかった。


僕は、たとえようもない喪失感に包まれていた。

心にぽっかり穴が開いたような感覚。

何をしてもつまらない。

いや、つまらないという感覚さえ無くなっていた。


僅かな時間だったが、彼女と一緒に過ごした時間がとても愛おしいく感じられた。


楽しかった?

うん、確かに楽しかった。


でも彼女と一緒に過ごした時はそんな単純な感情ではなかった。


あんなにも自然でいられた自分がとても不思議だった。

でも、もう彼女に会うことは許されないんだ。


 ――彼女のことは忘れよう・・・。


僕に今できることは、そう努力することだけだった。


彼女が倒れて病院に入った日からちょうど一週間たった時のことだった。

スマホの鈍い振動音が僕の部屋で響いた。


誰からだろうとスマホに表示された文字を見て僕は思わず動揺する。

そこには登録したばかりの彼女の名前が表示されたからだ。


 ――彼女から?


僕は喜びと嬉しさで慌てながら受信ボタンを押した。

しかし、電話越しの声は彼女のものではなかった。


彼女のお母さんからだった。


   * * *


僕は約束の時間よりも三十分ほど前に待ち合わせ場所に指定されたカフェに入った。

理由は、間違っても遅れてはならないと思ったからだ。


店のドアを開け、店内に入ると迎えのウエイターから人数を訊かれる。

「えっと、今ひとりですが、待ち合わせをしているので、あとからもう一人・・」


たどたどしく答えていると、店の奥で手を挙げてこちらに合図する女性がいた。

見覚えのある顔、そう、彼女のお母さんだ。


前に会った時も思ったが、とても綺麗な人だ。

彼女はやはりお母さん似だ。

まさかこんな早くから待っているとは思わなかった僕は、虚を突かれた感じになり焦っていた。


「すいません。お待たせしてしまって」

「何を言ってるの。まだ待ち合わせ時間の三十分も前よ。

読みたい本があったから早めに来て読んでいたの」


お母さんはここに座ってと誘導するように反対側の椅子に手を差し向けた。


「お久しぶりです、名倉君。何飲む? ここのハーブディーはお勧めなの。ケーキもなかなかよ」


程なくウエイトレスがやってきて、僕はお母さんが勧めてくれたハーブティーを頼んだ。

勧められておきながら他のものを注文する度胸は僕には無い。


「ごめんなさい・・・」


僕は謝った。

・・・と言うより僕ができることは謝る以外になかった。


「僕の身勝手で咲季さんの体を危険な目に遭わせてしまって・・・本当にすいませんでした。もう咲季さんには二度と会いませ・・」

そう言いかけた時、お母さんの声が僕を遮った。


「ごめんなさい」

「え?」


「謝るのはこっちのほうなの」


 ――お母さん、何を言い出すのだろう・・?


今日、呼び出された理由は『ニ度と彼女の前に現れるな』との最終通告しか僕には考えられなかった。


「あの日、学校サボって外に行こうって言い出したのは咲季のほうね」

お母さんが優しく僕に問いかけた。


「あ?・・・い、いえ。ぼくが・・・」

「本当に? 本当は咲季が言い出したんでしょ。本人が言ってたわ」

「咲季・・・さんが?」


お母さんが僕の顔を見つめる。

僕はお母さんのその目に委縮してしまい、思わず目を逸らした。


「フフッ、あなたって本当に嘘がつけない性格みたいね。最初は咲季があなたを庇って言ったのかとも疑ったけど、あなたを見てたらどっちが本当かすぐに分かったわ」


「いえ。確かに最初は彼女から言い出したことですけど、最終的に行こうって言ったのは僕なんです。本当です。僕が優柔不断なばっかりに彼女を危険な目に・・・」


「本当・・・咲季の言う通り人ね」

「え?」


「あなたは何でも自分のせいにしちゃうのかしら? 

咲季もね、嘘をつくのが昔からものすごく下手なの。

すぐ顔に出ちゃうタイプなのよね。

だからあの子が言ってることが本当か嘘かなんて私はすぐ分かるの。

今日はあなたに文句を言いに来たわけじゃないのよ。

あの子が入院したのはあなたのせいではないの」


「え?」


どういうことだろうか? 分からないことばかりで頭の整理が追い付かない。


「咲季は元々春休みに入ったら入院することが決まっていたの。

あの子は幼い時から病院の入退院を繰り返してね。

今回の入院がどれくらい長くなるか分からないから、その前にきっと遊びに行きたかったのね」


 ――入院することが決まっていたって・・・どういうこと?


思いもよらなかった話に僕は驚きを隠せなかった。


「今日は来てもらったのは、あなたにお願いをしたかったからなの」

「お願い・・・ですか?」


「あなたにあの子の、咲季のそばにいてあげて欲しいの」


 ――どうして? 彼女をあんな大変な目に遭わせてしまったのに?


僕はお母さんの言葉の理解に苦しんだ。


「ああ、そうだ。あなたには報告しないとね。咲季、おかげさまで体のほうはかなり回復して元気になったわ」

「本当ですか。よかった!」


思わず大きな声が出てしまった。

何よりも僕はその言葉を待っていたから。


「ただあの子あれ以来、ああ、あの倒れて病院に運ばれた日のことね。

体のほうは元気になったんだけど、気持ちが・・・全然元気にならなくて。

あの子、聞き分けがいいから、もうあなたに会っちゃダメだって言ったら素直に聞いてくれた。

ただその代わり、今回のことであなたを絶対に攻めないでって言ってた」


僕は苦笑いをするしかなかった。


お母さんが僕のカバンを見て何かに気づいた。


「あら、そのペンギンのストラップ・・・」

僕はあの日以来、あのペンギンのストラップをずっとカバンに付けていた。


「これ・・・ですか?」

僕はストラップをカバンから外してお母さんに見せた。


「咲季も同じもの持ってわね。もしかして一緒に買ったの? 

あの子すごく大切にしてたわ」


 ――大事に持っててくれてるんだ。


僕は嬉しかった。


「でも、あの子のはこんがりとお腹が焦げてたわよ」

「ああ、すいません。それは僕がドライヤーで焦がしちゃったんです」


「フフッ、そうだったんだ。私が『あら焦げてるじゃない』って言ったら、

『だから世界にひとつしか無いんだよ』ってそれは嬉しそうに言ってたわ。

そっか、あなたが焦がしたものだったんだ・・・なるほどね」


お母さんは子供がはしゃぐように笑ったあと、今度は急に黙りこんで僕を見つめた。


「あの子に・・・・会ってくれる?」


「でもお父さんが、すごく怒ってたし・・・大丈夫ですかね」

「うん、だからね。私たち親には内緒ってことにして」

「え?」


お母さんの言っていることの意味がまた分からなくなった。


「私たちが病院に行かない時間をあなたに教えるから、その時間以外であの子に会ってあげてくれる?」


「どういう・・・ことですか?」


お母さんはまた少し黙ったあと、決心した感じで話し始めた。


「あなたには・・聞いておいて欲しいことがあるの。あの子の病気のことで」

「病気?・・・」


「あの子はね。咲季は生まれつき心臓がよくないの。心臓病でね。けっこう重い・・・」


何の冗談かと僕は思った。


お母さんはこのあと彼女の病気について話し始めた。

彼女の病気は生まれつきの先天性のものであること。

詳しい内容は理解できなかったが、心臓の弁の癒着とかの問題らしく、手術が非常に困難であること。


「でも、命にかかわるなんてことは・・・」

僕はまさかと思いながら訊いた。


お母さんはまたしばらく黙った。


「高校に入ってからしばらくは安定していたんだけど、最近また発作を起こすことが多くなってきてね。咲季の心臓はいつ発作が起きても不思議じゃない状態なの。

生まれた時は中学生になるまで生きられないだろうって言われての。

だからあの子は、あとどれくらい生きられるかは分からない。

あと5年なのか・・・1年なのか・・・1か月なのか・・・」


 ――ちょっと待ってよ。そんなこと急に言われても・・・

 ありきたりの恋愛映画や漫画じゃあるまいし。


そんなことを頭の中で叫んだが、気持ちの整理が追いつかない。

悪い冗談だろうと笑いたかった。

でも、お母さんの膝の上にあるハンカチに滴り落ちる涙がそれを許してくれなかった。


「咲季・・・さんは自分の病気のことは?」

「全部知ってる。自分の心臓がいつダメになるか分からないってこと。

あの子にはできる限り精一杯生きて欲しい。

後悔なんかさせたくなかったからすべてを話した。主人は反対したけど・・・」


そうか。彼女の笑顔がなぜあんなに眩しかったのか、今理由が分かった。


彼女は自分の持っている時間がとても貴重なものだと分かっていたんだ。

彼女にとって一日一日は非常に大切なものだった。


いつまで生きられるか分からない。

だからこそ、彼女の笑顔には常に一生分の笑顔が凝縮されていたんだ。


あの笑顔の裏側にどれだけの心の強さが必要だったのか、僕には計り知れない。


僕は何も分かっていなかった。


『人の寿命は予めDNAにプログラムされてる』だって?

『生物の本能に逆らうから人は死を恐れる』だって?


僕は何を偉そうに彼女に講釈を垂れていたんだ!

死の重みもロクに分からない軟弱な奴が!


自分が情けなくて悔しくて、居た堪れなくなった。


「あの、もうひとつお願いがあるの」

お母さんは申し訳なさそうに話を続けた。


「はい?」


「今話をした咲季の病気のことは、あなたは知らないフリをしてて欲しいの」

「え?」


「同情で一緒にいるような誤解をあの子にさせたくないから。今までのように自然なお付き合いをして欲しいの。無理を言っているのは承知なんだけど」


そう、無理だ。

僕は嘘が苦手だ。

そんなことすぐ顔に出てしまうだろう。

僕が嘘をつけない性格なのはさっき理解したばかりだろうに。


「ごめんなさい。お願い・・・」

お母さんの声が泣かないように必死にこらえている。


「わかり・・・ました」

僕は思わず答えてしまった。が、すぐに後悔した。


 ――なんて無責任な奴なんだ、僕は。


彼女に嘘をつき通す自信なんて全く無かった。






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