第8話 放課後のまちぶせ

ウトウトしながらもゆっくりと時間が過ぎていく。

気がつくと窓の外は明るくなっていた。

どうやら夜が明けたようだ。


結局、夕べは眠れたのか眠れなかったのか、自分でもよく分からない。


朝食は全く喉を通らかった。

僕は居ても立ってもいられず、早めに家を出ることにした。


彼女とはクラスも違うし、教室に入ってしまったあとは話せる機会が無いだろうから、登校前に校舎の前で彼女を待って謝ろう、そう考えた。


いつもより一時間ほど早めに学校に着く。

時刻は七時半をまわったくらいだろうか。

校門の前にある一戸建て住宅の屋根の上から朝日が眩しく差し込んできた。


登校している生徒はまだ疎らだ。

早朝練習の部活の生徒がランニングをしていた。


今朝はいつもよりちょっと肌寒い。

吐き出された息が顔の前の空気を白く濁した。

小鳥たちのさえずりが聞こえる。


僕は下駄箱の前で彼女が現れるのを待つことにした。

そう言えば彼女はいつも何時ころ登校するのだろう? 

無計画極まりないが、僕は何時間でも待つ覚悟でいた。


早い時間は生徒が少ないため人を捜すことは簡単だ。

だが時間と共に登校する生徒の数が増えてくると、それがだんだんと難しくなってくる。


僕は彼女を見過ごさないように門から入ってくる生徒を懸命に目で追った。


 ――見逃すな・・・。


待ち始めてしばらく経った時だった。

遠目だが校門を通り抜ける彼女の姿が目に入った。


稲妻のような緊張感が僕の心に突き刺さる。


 ――来た!


彼女が下駄箱の入口に入るタイミングに合わせるように、歩幅の間隔を合わせていく。


ちょうど下駄箱の入口に入る直前に彼女の横に付いた。

その瞬間だ。

僕に気づいたのだろうか、彼女が一瞬こちらを見た。


 ――よし! 今だ!


「お・・おはよう!」


僕は目一杯に気持ちを振り絞って声を掛けた。

しかし、彼女は黙ったまま下を向いていた。


何か呟いた気がしたが、こちらを向いてはくれなかった。


廊下の向こう側で彼女のクラスメートが手を振っている。


「咲季ィー、おはよー」

「あ、おはよ!陽菜」


彼女はクラスメートに元気に返事をして、小走りに行ってしまった。


僕はただポツンと一人取り残されたように下駄箱の前で突っ立っていた。


 ――ああ、無視・・・されちゃった。


覚悟はしてはいたが、こうあからさまに無視されるとやっぱりショックだった。

でもそれも当然だ。

それだけ彼女の怒りが大きいということだろう。


彼女の教室へ行って、そこで謝ろうと機会を伺ったが、今日は合同の美術の授業は無かったし、彼女のまわりはいつも友達でいっぱいで二人で話ができるようなタイミングは全く無かった。


 ――もういいか。やろうとしたことはやったし。


言い訳がましく諦めようとする自分がいた。


いや、駄目だ。彼女を侮辱して傷付けた自分を許せない。


今までの自分であればここで諦めていたかもしれない。

でも今回は違った。

彼女が僕を許してくれなくてもいい。

ただ謝りたい。

その気持ちだけが諦めることなく、僕を動かしていた。


放課後のチャイムが鳴る。


今日は部活の日だ。

でも僕の心の中は部活どころではなかった。


同じテニス部の二年生に体調が悪いので休むとの伝言を頼んで、僕は彼女を学校の帰り道で待つことを決めた。


部活をサボるのは高校へ入ってからは初めてだ。

これも別に“真面目”というわけではない。

サボる度胸が無かっただけのことだ。


待ち伏せ場所には学校近くの中央公園を選んだ。

そう。以前、部活のランニング中に、彼女があの男子生徒と一緒に歩いているのを見た所だ。


 ――でも、またあの彼氏と一緒だったらどうしよう?


頭の中で余計な考えが走馬灯のようにぐるぐると回り始めた。

変に先に考えてしまうのは僕の悪い癖だった。


僕はなるようにしかならないと自分に言い聞かせ、覚悟を決めて待つことにした。


そういえば、このように女の子を待ち伏せするのは生まれて初めてのことではないだろうか。


公園の中にある管理事務所の角で彼女を待つことにした。

ここなら学校方面から来る生徒をきれいに見渡せる。


行きゆく生徒を何人か見送っている時だった。

僕は気がついた。


 ――あれ?


僕の鼓動が全身に響いていた。

ただ人を待っているだけなのに。


 ――何だろう・・・この胸が締め付けられる感じ。


それは今まで経験したことのない感覚だった。


しばらくの時間が過ぎた。

でも彼女の姿はまだ見えなかった。


公園を歩道をランニングする人がたびたび通り過ぎる。

だんだんと風が冷たくなってくるのを感じる。


ちょっと遅すぎるように思い始める。

もしかして帰り道を勘違いしてた?

もしくは別の道で帰ってしまったか?


特に時間の意識をしていたわけではなかったが、一時間くらいは経っただろう。

西の空に傾いた大きな夕日が新興住宅街の向こう側へと傾きかけていた。。


まわりの空気が冷え込んでくるのに合わせて、だんだんと僕の気持ちも弱気になってくる。


その時だった。見覚えのある生徒の集団が掛け声をかけながら走ってきた。


 ――まずい!


僕は思わず心の中で叫んだ。

テニス部の部員がランニングしてこちらに向かってきたのだ。


そう。ここはテニス部の練習締めのランニングコースだった。

そんなことも忘れるほど僕は冷静さを失っていたらしい。


今日は病院へ行くと言って部活をさぼってるので見られたらまずいのだ。

僕はすかさず管理棟の建物の陰に隠れた。


部員の掛け声が管理棟の反対側を通り過ぎていく。

 

 ――どうかバレませんよに・・・。


祈りながら部員の掛け声が通り過ぎるのを待つ。

徐々に掛け声が小さくなり、遠ざかっていくのが分かった。


 ――危なかった・・・。


僕はほっと一息をついた。


今日はもう会えそうもないと思い、諦めて帰ろうと振り向いた瞬間だった。

僕の体は氷のごとく硬直した。


彼女が僕の目の前にびっくりした顔で立っていたからだ。

もちろん、僕もびっくりした。


「何してるの? こんなとこで」


当然、僕の頭はパニック状態に陥った。


 ――ああ、ど、どうしよう?・・・。


昨夜から言おうと、せっかく準備していたセリフはすべて頭から消し飛んでいた。


 ――そうだ、とにかく謝まらなきゃ。


「ご・・ごめん、ごめんね。きのう鈴鹿さんに酷いこと言っちゃって。本当に・・ごめんさない」


僕はひたすら頭を下げて謝った。


まわりから見たらとてもカッコ悪い姿だったに違いない。

でも、まわりのことなんてどうでもよかった。


僕自身が許せなかったから・・・。

僕自身がとにかく彼女に謝りたかったから・・・。


「もしかして私を待ってたの?

 ここでずっと・・・」

僕は黙ったまま頷いた。


「まるでストーカーみたい」

呆れたような口調で彼女は言った。


その通りだ。

そう言われても仕方ない。

悪いのは僕なんだから。


いや、もっと酷い言葉を言ってもらったほうがいい。

それで少しでも彼女の気が収まるのなら・・・そう思った。


しばらく沈黙が続いた。

とても気まずい時間が流れていった。


ようやく彼女の口を開いた。


「ああ・・ストーカー怖いな・・・」


僕は何も言えなかった。

確かに僕のしたことはストーカーかもしれない・・・。


「よし、じゃあ罰として私を家まで送りなさい。君を私のボディガードに任命します」


 ――え?


僕は驚いて顔を上げた。

彼女は手を後ろにまわして優しく微笑んでいた。


その彼女の言葉と微笑みが何を意味するのか、すぐに理解できなかった。


僕と彼女は新興住宅街の少し下り気味の坂道を二人並んでゆっくり歩いている。

すぐ横に僕の歩幅に合わせて歩いている彼女がいた。


彼女はずっと黙っていた。

僕は一緒に歩いてくれている意味がまだ分からずにいる。


 ――これは、許してもらえたということなのかな?・・・。


でも、言葉に出してそれを確認するのが怖かった。


「本当に・・・ごめんね」

僕はもう一度謝った。


彼女はやさしく微笑みながら顔を横に振った。

「もういいよ。私こそ朝ごめんね。無視するつもりはなかったんだよ。

『おはよう』って言おうと思ったんだけど、君とこんなふうにもう話せないのかな、とか考えてたら悲しくなっちゃって声が出なかったんだ」


 ――え?


思いもしなかった彼女の言葉に僕の頭の中は真っ白になった。


「あ、どれくらい待ったの? 陽菜がハンバーガー食べて行こうって言うからマックに寄ってきちゃったんだ。君が待ってるって分かってたら断ったのに・・」


「いや、僕が勝手に待ってただけだから」

「君はいっつも自分のせいにしちゃうんだよね・・・でも、よかった」

「え?」

「ううん。何でもない」


またしばらく沈黙が続いた。

でも、さっきまで感じていた不安な気持ちは消えていた。


僕は彼女の歩幅に合わせて並んで歩いていく。

歩く速さをお互いに合わせているような感覚だった。


 ――なんだろう? この感じ。何かとても気持ちがいい。


昨日も街中で一緒に歩いたが、人ごみの中で歩くのとは全く感覚が違った。

二人きりでいるという感覚と春の暖かい風と香りが、僕を何とも例えようもない気持ちにさせていた。


目の前の夕焼け空が茜色に染まっていて、とても綺麗だった。


彼女の足が突然止まった。


「ここ・・・私のうち


ずっとボーっとしていた僕はハッとなった。


 ――あ、家に着いたんだ。


二人で歩いていた時間がすごく短く感じられた。


ここでお別れか。

せっかくいい感じになったのに残念だがまあいいか。彼女と仲直りできたし。


「送ってくれてありがとう」

「うん。じゃあ、また明日」

「うん。じゃあね」


来た道をそのまま戻ろうと反対を向いたその時だった。


「あのさ!」

彼女の声に僕は振りかえる。


「あの、ちょっと寄ってく?」


彼女の予想外の言葉に僕は戸惑った。


「え?・・・どこに?」

「どこにって・・・人の家の前まで来て、どこにってことないでしょ」


僕の予想外の言葉に彼女も戸惑っていた。


「送ってくれたお礼にお茶くらい出すから。ね、そうしなよ」


 ――どういうつもりかな? いいのかな・・・入って。


僕は迷いながらも彼女についていった。


レンガづくりの門扉をぬけると玄関までの長いアプローチが続く。

花壇の花がとても綺麗に咲き並んでいた。

きっと家族がガーデニング好きなんだろう。


「どうぞ」

「おじゃまし・・・ます」


僕は彼女のあとに続き、恐る恐る玄関のドアをくぐる。

とてもいい香りがした。


女の子の家に入るなんていうのは、僕の記憶の限りでは小学校の学芸会での劇の練習でクラスメートの女の子の家に集まった時以来ではないだろうか。


「ただいま!」

彼女が家の中に声を掛ける。


「おかえり・・・あら、お友達?」

彼女のお母さんだろう。

上品そうでとても綺麗な人だった。

どうやら彼女はお母さん似のようだ。


「うん、学校のお友達なの。名倉くん。ここまで送ってくれたんだ」


僕は緊張しているのを悟られないようできるだけ平然を装おうとした。

だが、恐らく顔が強張っていてバレバレだったろう。


「あ・・・突然すいません。名倉です・・・おじゃまし・・ます」

声がひっくり返った。


 ――ああダメだ! 緊張して思うように声が出ない。


「いらっしゃい。どうぞ」


ガチガチに緊張している僕を見て、お母さんは何か楽しそうに笑っていた。

顔から火が出るほど恥ずかしいという言葉を、僕は身を以て理解した。


「咲季の部屋にする? あとでお茶持っていくわね」


そのまま二階にある彼女の部屋へと案内された。

「入って。ちょっとちらかってるけど」


彼女の部屋は、僕がイメージしていた女の子の部屋とはけっこう違ってシンプルなものだった。


「あ、誤解しないでね。この家に男の子入れるのは高校に入ってからは君が初めてだよ」

その言葉に、意外というのが正直な気持ちだった。


「男の子なら誰でもホイホイ家に入れるような女の子じゃないよ」

彼女は頬を膨らませ、意地悪そうに僕を見つめた。


「ごめん。もうかんべんして」

「フフ。あ、座って座って。今お茶入れるから」


ドアのノックの音が鳴る。

彼女が返事をしたと同時にお母さんがお茶を持って入ってきた。


「あっ、ごめんなさい。ハーブティーだけどよかったかしら?」

「あ、はい。ありがとうございます」


彼女はお母さんからお茶を乗せたトレイを受け取った。


「あ、咲季。私これから買い物に行ってくるから。夕方まで戻れないけど、あとよろしくね。名倉君・・だっけ。じゃあ、ゆっくりしていってね」


 ――え? お母さん出掛けちゃうの?

もしかして気を利かせてる?


「いってらっしゃい」

彼女がドアの前でお母さんを見送った。


 ――もしかして今、家には彼女と二人きり。


元々緊張しているところに僕の緊張はさらに膨れ上がった。


 ――まずい。もしかして僕、顔赤くなってる?


「あー君、今、もしかしてやらしいこと考えてない?」


彼女の絶妙なタイミングの突っ込みが鋭利な刃物のように僕に突き刺さる。

彼女はカンがすこぶるいいのか、もしくは気配を読み取るのが得意なのか。

いや、違う。

ただ僕の態度がバレバレなだけだろう。


「ごめん。いや、女の子の部屋とか、こういうのに全然慣れてなくて・・・」

「フフッ、そんなに緊張しないでよ」


彼女はティーカップを僕の前に静かに置いた。

カップの置き方がサマになっていて、この家の躾の良さが伝わってくる。


彼女は僕の前に座った。

僕はティーカップを口元には運び、お茶をすすった。

彼女もティーカップを持ち、少し口に含んだ。


張り詰めたような沈黙が続いた。

時間としては多分僅かだっただろう。

しかしガチガチに緊張した僕の体には拷問のように長い沈黙に感じた。


 ――何か喋らなきゃ・・・。


焦って気だけが空回りする。


「あの・・・さ・・」

僕は声を振り絞った。


「うん?」

彼女が首を傾げる。


「あの・・・ハーブティって・・・ハーブの味がするよね」

彼女はお茶を口に含んだまま目を大きく広げ、不思議そうに僕の顔を見つめていた。


 ――僕は一体何を言ってるんだ?


また自分に呆れ果てる。

人は緊張した時、そこで力を発揮するタイプと萎縮してダメになるタイプがいるというが、僕は圧倒的に後者だ。

こんなことしか言えない自分が恥ずかしかった。

彼女は懸命に笑いを堪えているようだ。


「名倉くんってやっぱりおもしろいよね。ちなみに君はハーブって食べたことあるの?」


「あ、そういえば・・・無いかも・・・」

堪え切れず彼女は大声で笑い出した。


「ごめん。そんなに可笑しかったかな?」

「あ、笑ってごめんね。でも名倉くんって絶対おもしろいよ。言われない?」


「まあ、確かに・・・言われることあるけど・・・」

「だよね!」

彼女はまた笑い出した。


「でも僕は人を笑わせようとしているわけではないんだよね。自分としては普通にしているだけなんだ。プロの芸人みたいに笑わせようとして笑わせてるわけじゃない。だから僕は人を笑わせてるのではなく、人に笑われてるだけなんじゃないかなって思ってる」


そう。僕は決して人を笑わせようとしているわけではないんだ。


自分としては普通にしてるつもりなんだけど、みんなと普通がズレているのかもしれない。


「ごめん。私は君のこと変な意味で笑ってるわけじゃないよ。

君といると、何かとっても楽しいんだ」


「ごめんね」

「だから、何でここで謝るの?」

彼女はまた笑い出した。


その時、僕は思い出した。

彼女に本当に謝らなきゃいけないことがあったんだ。


「あの・・・きのうは本当にごめんね」

僕は昨日のことをまた謝った。


「フフ、だからもういいって。でも実は昨日、私も帰ってから思ったんだ。

私もなんかムキになって喋ってたし、

何か怒らせること言っちゃったのかなって」


僕は黙ったまま首を横に振った。

そんなことを思わせてしまってたんだ、僕の無神経な一言で。


僕はデートの日の前日に彼女のクラスメートの男子生徒から言われたことを全て正直に話した。

そして、どうしてああいうこと言ってしまったのか、ということも。


下手な言い訳ができる頭を持っていなかったし、自分にできることはすべて正直に話すことしかないと思ったから。


「そうだったんだ。ごめん、私何も知らなくて」

「いや、僕が悪いんだから謝らないで」


「そっか。男の子から見たらそう感じちゃうんだね。やっぱり私が悪いのかな。私はみんなと仲良くしたかったんだ。みんな大切な友達だし、女の子も男の子も。だからさ、男の子から『友達からでいいから付き合って』って言われたら断れないじゃない?」


「じゃあ、その男子のことを好きじゃなくても『付き合って』って言われたら付き合うの?」

「うん。だってその男の子のこと嫌いじゃなかったし、本当にいいお友達だと思ってたし」


今になって分かった。

彼女は誰とでもホイホイ付き合うってことではなかったんだ。

みんなと仲よくなりたかっただけなんだ。


でも、男はそれを誤解する。


「でも告白した男子からすると、交際をOKしてくれたんだから、やっぱり自分のことを好きだって誤解しちゃうんじゃないかな」

「そっか・・・やっぱりそうなんだ・・」


彼女は自分自身を納得させるように言った。


彼女の噂は、彼女の断れない性格、『友達から』という言葉を額面通りに受け止めてしまう素直さ、みんなと仲良くなりたいという積極的な行動や言動が合わさってできあがった不幸な産物だったんだ。


彼女の言ってることはきっと正論なのだろう。

しかし男はそこに自分勝手な都合のいい解釈をしてしまう生き物なのだ。


「あの・・・やっぱり彼・・・武田君とは付き合ってるの?」


 ――何を訊いているんだろう僕は。


気がついたら口から出てしまっていた。

ずっと気になって仕方がなかったからだろう。


彼女はびっくりしたような顔で僕を見た。


 ――ヤバ・・・唐突すぎたかな?


「どうしてそんなこと訊くの?」

「え? あ、ごめんね」

まさかの逆質問に僕は戸惑う。


「あ、ごめん。私も逆質問しちゃったね」

彼女はハッとしたように謝った。


「ごめんね。前に武田君と仲良さそうに一緒に歩いてるの見たことあるから、

付き合ってるのかなあって・・・」


僕は誤魔化したように答えた。

こういうところが自分の嫌いなところだった。


「へえー、私のこと少しは見ててくれてたんだあ・・」

彼女はなぜか嬉しそうに言った。

でも、そのあとしばらく黙ってしまった。


「うん。実はね、確かに付き合ってたよ。

でもこの間、別れちゃったんだ。

そうか・・・だから克也、君にそんなこと言ったのかな・・」


「あの・・・どうして別れ・・・」

僕は慌てて言葉を止めた。


 ――また何を言い出すんだ僕は。


「ごめんね。今の忘れて」

「ふふ。随分ストレートだね。大丈夫、気にしないで」

彼女は嫌な顔をするどころかニコリと微笑んだ。


「そうだね。彼のことは嫌いではなかったんだけど、やっぱり『好き』って気持ちにはなれくてさ。なんかずっとギクシャクしてたんだ。そしたら彼からちょっと酷いこと言われちゃって・・・・でも結局、私が悪かったんだね」


僕は正直驚いていた。

自分から訊いたものの、こんな風に素直に話してくれるとは思わなかったから。


でも、せっかく話してくれたことに対して、僕は何も言えず、ただ黙って聞いていることしかできなかった。


彼女は話を続けた。


「やっぱり女の子と男の子の関係って難しいよね。誤解したり、されたり・・・

こういうことって男の子に聞かないと分かんないことが多いんだね。

でも私さ、確かに何人かの男の子と付き合ったことあるんだけど、別にいいかげんな気持ちで付き合ったつもりはなかったんだよ。

だけど、その男の子のことを好きだったかって言われると、確かに自信が無いんだ。

今まで付き合った男子って、みんな向こうから告白してくれた人ばっかりで、私から告白した人っていないんだよね」


「好きな男子がいなかったの?」

「ううん、そんなことないんだけど・・・」


彼女はなぜか照れたような仕草をしながら考え込んだ。


「あのね。女の子って、積極的に見えたとしても、本当はすっごい臆病だったりするんだよ。臆病で恥ずかしがり屋だからこそ、わざと積極的に大袈裟に喋ったりふざけたりして、その恥ずかしさを隠したり誤魔化そうとするの」


とても意外な言葉だった。

彼女に臆病なんて言葉似合わない、そう思っていたから。


「あの・・・さ」

彼女が急にかしこまった声になった。


「なに?」


「あのさ、君には誤解されたくないから言っておきたいんだけど、私は名倉くんのこと・・・」

「分かってるよ!」


慌てたように僕は彼女の言葉を遮った。


「鈴鹿さんは僕のことを恋愛対象としては全然みていないってことでしょ」


分かっているんだ。彼女に言いたいことは。

僕は彼女から出てくるだろう言葉を自分のほうから切り出した。

ぼくは彼女の口からその言葉を聞きたくなかった。


僕は臆病で卑怯な奴なんだ。

自分から言うことで自分が傷付くことを少しでも和らげようとしていたのかもしれない。


「え?」


彼女はちょっとびっくりした顔でこちらを見た。


「大丈夫だよ。僕は変な勘違いしないから。そんなに自惚れてないよ。

それに僕も鈴鹿さんのことは恋愛対象として全然考えてないから安心していいよ」


「あ・・・だよね。うん、よかった・・・」


何か戸惑ったような彼女の返事だった。

僕は彼女と目を合わせることができず、ずっと外を眺めていた。


僕が彼女に対し恋愛感情が無いというのは嘘だった。

でも、この嘘は彼女についたのではない。

僕自身に嘘をついたのだ。


彼女はしばらく黙っていた。

沈黙の時間が続いた。


 ――あれ?


気まずい空気になったのを感じる。

僕はまた何か変なことを言ってしまったのだろうか。


すると、彼女は僕のほうを一回見たあと、優しく微笑んだ。


「あの、名倉くんは・・今のままでいいと思う」

「え?」


何を言い出すのだろう。僕は戸惑った。


「ごめんね。私、昨日は君に、変わらなきゃダメだとか、積極的にならなきゃダメだとか言っちゃったけど、名倉くんは今のままでいいと思う」


どうやら彼女は昨日、僕にいろいろと言ってしまったことを気にしているようだった。

「ううん。いいよ気を使わなくって。鈴鹿さんの言ったことは正しいんだ。

実は僕自身もそう思ってた。だけど、あまりにも的を得ていたから変に反論しちゃったんだ。鈴鹿さんは何も悪くないよ。ごめんね」


「違うよ!」

彼女は慌てたように叫んだ。


「え?」

その声に僕は驚いて顔を見上げた。


「私、本当にそう思ってる。君は今のままでいい・・・」


「そんなことないよ。僕は今のままじゃダメなんだ。やっぱり自分を変えないといけないと思ってる。鈴鹿さんの言う通りなんだよ」


彼女は下を向いたまま黙って首を横に振った。


「無理に自分を変えてもダメだよ。無理に変えたら君が君でなくなっちゃう。

君らしい君じゃなかったら意味が無いんだよ」


何を言い出すのだろうか?

切ない声だった。

いつもの積極的な彼女の言い方ではなかった。


「あの、僕らしい僕って・・・どんな人間なのかな?」

その僕の言葉に彼女はふっと笑った。


「そうか・・・君は自分の魅力が分かってないんだね」

「分かるもなにも僕に魅力なんてあるのかな?」

彼女は今度はふうっと大きくため息をついた。


「あるよ。君の魅力を分かる人がいるんだから・・・」


「・・・どこに?」


「知らないよ! 自分で見つけて!」

彼女はなぜか怒った口調になった。


 ――あれ? 僕また何か変なこと言ったのかな?」


また沈黙がしばらく続いた。


「あのさ・・・同じなんだ・・」

唐突に彼女が呟いた。


「え? 何が?」


「君、前に言ってたじゃない?人と話す時にその人の目が見られないって」

「うん、言った・・・」


「実は、私も同じなの・・・」

「え?」


「私も人と話す時、その人の目を見られないんだ」

彼女はとても恥ずかしそうに言った。


「ほんとに?」

「うん。だから同じ気持ちの人がいるんだなって分かって、私すごく嬉しかったんだ」


その告白とも言える言葉に僕は当然驚いた。

と同時にとても嬉しくなった。

僕の知らない彼女がどんどん見えてくる。


「よかった。やっぱりいるんだ、同じ人。人と話をする時にその人の目を見ないでいると、『なんで人の目を見ないの?』とか言われちゃう時なかった?」

 

「あったあった。でさ、そう言われるから懸命に目を見ようとがんばるんだけど、相手からジッと見つめられるとすごく恥ずかしくなっちゃうんだよね。

私なんかすぐ目を逸らしちゃうんだ。なんでみんな恥ずかしくないんだろうね。

そう思わない?」


「そうなんだよ! 僕もそう思ってた。僕も頑張って目を見ようとするんだけど、ダメなんだよね。すぐ恥ずかしくなっちゃうんだ。でも鈴鹿さんはちゃんと人の目を見て話をしているように見えたけど」


「ああ、そう見える? 実は無茶苦茶無理してるよ、私」

「ほんとに?」

「うん。もう目を逸らすな~逸らすな~って念じながら相手の顔見てるんだ」

そう言いながらケラケラと大きな声で笑った。


まさかこんな“人の目を見る話”で盛り上がるとは思いもしなかった。


女の子とこんな風に本音で話すなんてことも初めてのことだった。

とても新鮮で・・・とても不思議な気分だった。


「でも不思議だな・・・」

 ――え?


彼女の発したその言葉にびっくりする。

僕の心の声とダブっていたから。


「私ね、こんなこと男の子に話したの初めてだよ。どうしてだろう・・・」


何か意味深な彼女の言葉だった。

でも僕は一瞬考えたあと、今の僕なり答えを出した。

「だから、そういうこと言うから男子から誤解されるんだよ。それはね、きっと僕が人畜無害なタイプだからだと思う」

「人畜無害?君が?」

「自分で言うのもなんだけど、自己分析すると僕って可も不可もないタイプなんだよね。顔だってイイ男ではないけどそんなブ男でもないでしょ」

何を言い出すんだろう、僕は・・・。


「そうかな?私は君の顔、けっこういけてると思うよ」


 ――え?


やばい。自分の顔がまた熱くなって赤くなっていくのが分かった。

彼女はそれを見てクスっと笑った。


「嘘だよぉ」 

 ――は?


彼女はしてやったりという意地悪い顔で笑っていた。


――もしかして、やられたってやつ・・・。


僕はあからさまに落ち込んだ顔になった。

「ごめん、ウソ、ウソ」

彼女は僕のその顔を見て慌てて訂正した。

もう何が本当で何が嘘なのか分からなくなっていた。


「ねえ、どうして人は人を好きになるのかな?」


今度は思いつめたような表情を浮かべて彼女は僕に問いかけてきた。

恋愛経験が貧困な僕には荷の想い質問だった。


「前に言ったことがあったよね。人は子供にDNAというバトンをリレーするために生と死を繰り返すって」

「うん」

「つまりDNAを一緒にバトンリレーするために男女は結ばれるんだ。そのために男女が惹かれあうんじゃないかな」

「一緒にバトンリレーをするために男女は結ばれるんだ。何かロマンチックだね」

「そうかな。要は人が人を好きになるのは人の本能っていうことになるんだ」

「本能?」

「そう、だから人を好きになるのに理由なんか無いんだよ。人は人を好きになるために生まれてきたんだから」

僕は何言ってんだろう。

自分の言った言葉とは思えなかった。


言ってしまったあと自分が恥ずかしくなった。

恐る恐る彼女を見た。黙ったままこちらを見つめていた。


 ――もしかして呆れた?


「あ、ごめんね。今のもしかして無茶苦茶キザっぽかったよね?」

僕は落ち込んだふうに下を向きながら訊いた。

彼女はゆっくりと首を横に振った。


「人は人を好きになるために生まれてくるんだ。フフ、なんかいいね」


いつもの眩しい笑顔で彼女は笑った。


「名倉くん、前に言ったことあるよね。人はその本能を全うできたら、死ぬのが怖くなくなるって」

「うん・・・言ったかな」


「そうだったらさ、人が人を好きになるのが本能だったらさ。もし本気である人を好きになれたら・・・死ぬの・・・怖くなくなるかな?」

「え?」


彼女の唐突な質問がまた始まった。

何が言いたいのか僕には理解できなかった。

ましてや彼女の問いに対する答えなんて僕の中にあるわけがなかった。


「ごめん。僕には分からない・・・」

「君は、本気で人を好きになったこと・・・ある?」


僕の心臓にどきりと突き刺さった。そして自分自身に問いかけた。

心の中に答えが見えたような気がしたが、それを見えないフリをした。


「ごめん・・・分からない」

そう言葉に出したあと思った。


 ――僕は本当に情けない奴だ。


「ありがとう・・・」

彼女は静かに呟いた。


僕はお礼を言われるようなことは何も答えられていない・・・。


窓の外を見ると、空はかなり暗く染まり、道は街路灯の明かりでオレンジ色に染まっていた。


僕はそろそろ帰らないとまずいと思い、その旨を彼女に伝えた。

彼女は、もう少しいいじゃないかと引き止めてくれたが、さすがにこれは社交辞令だろう。

玄関で靴を履いている時、ちょうどお母さんが買い物から帰ってきた。

お母さんからも夕飯を一緒にと誘われたが、これも社交辞令だろう。

丁重にお断りした。


彼女の家からの帰り道、冷え込んだ空気の中で僕は不思議な感覚に戸惑っていた。寒いはずなのに、寒さを全く感じないのだ。

僅かな時間であったが、彼女とのひとときがとても楽しかった。


でも他の友達を遊んでいる時の楽しさとは明らかに違った。

いや、楽しさとは違うものかもしれない。


僕は他人とここまで自然に話せたことも今まで無かった。

して女の子相手だ。ここまで本気で話せたことは無かった。


僕の中にある感情が湧き上がるのを感じた。

でも僕はすぐにその感情を抑え、否定した。


 ――そんなんじゃあない。彼女は僕を恋愛対象とは思っていないんだから。


それに僕だって彼女に対しは何も思っていないんだ。

僕は自分にそう言い聞かせた。

そうしないと心がどこかに流されてしまいそうだったから。



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